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「オレの勝ち。親父、弱くなったんじゃね?」
「……実の父に向かって剣を向けるとは何事だ。今すぐその剣を仕舞え」
睨み付けながら己の息子に告げる将軍に、カーティスは顔を歪めた。そうして拳で鳩尾を殴る。
不意を突かれたのか、将軍は一言も発することなく床に沈んだ。
「ごっめーん。鬱陶しかったから、親父には眠ってもらうことにしたー」
殊更明るく告げるカーティス。アーノルドも眼鏡の柄の部分に手を掛け、平然と言い放った。
「良いんじゃないですか。僕も耳障りな音を聞きたくありませんでしたし」
「良かった」
「――では、あとはお前だけだな、宰相」
響いたのは、怒りを孕んだルイスの声だった。兵士に囲まれ、逃げられない宰相にルイスが近づいていく。殴られたのだろうか。よく見ると、頬が少し腫れていた。
宰相がルイスを睨み付ける。追い詰められても矜持を失わないところはさすがだった。
「……若造が……よくも」
「場所を特定できないだろうと高を括ったのがお前の敗因だな」
「どうして……どうしてここが分かったんだ! ここは誰も知らない場所なのに……! 見つかるにしてもこんな短時間であり得ない!」
そう吐き捨てた宰相に、ルイスが淡々と告げる。
「残念ながら王家にはお前の知らない秘密があるということだ」
「私の知らない? 馬鹿な……そんなこと、あるはずが……」
「信じるか信じないかはお前の勝手だが、今のお前の状態が全てを物語っているとは思わないか? こんな逆転、あるわけがないと思っていただろう? だが、現実はこうだ」
「……」
無言で睨み続ける宰相。彼が、『変眼の儀』の隠された真実を知らなかったのは、彼の態度から見ても明らかだった。
「私をどうするつもりだ」
歯を食いしばり、宰相がルイスに問いかける。ルイスは興味なさそうに言った。
「もちろん、法に則って処分する。お前の罪状は、王族の誘拐及び殺人未遂。どう少なく見繕っても処刑だろうな」
「ふざけるな! 長年宰相を勤めてきたこの私を処刑するだと!? 誰もそのようなこと許さんぞ! 私に恩を受けた者たちがどれほどいると思っているのだ。そいつらの力を使えば処刑など覆してくれる!」
「やれるものならやってみるがいい」
宰相の怒鳴り声にもルイスは冷静だった。
「お前の言う者たちはお前に喜んで従っていたわけではなく、弱みを握られて従わざるを得なかっただけ。もちろん例外もいるだろうが、それはごく少数だろうな。お前が捕らわれたと知って、わざわざお前を助けるために動くと思うか? 本当に? そのまま見捨てるのが自分のためだと思うのが普通ではないか?」
「……」
「これ以上は話しても無駄だ。連れて行け」
ルイスの命令を受け、宰相を囲んでいた兵士たちが動く。宰相は抵抗していたが、多勢に無勢。すぐに縄でぐるぐる巻きにされ、連行された。
「ふざけるな! この私が! 処刑!? あり得ない! 絶対に許さんぞ!」
最後まで宰相はルイスに向かって口汚く罵っていた。彼を感情の見えない目で見送りながら、ルイスが呟く。
「……私を殺すのなら、もっと早くにするべきだったな。お前の本当の敗因は、私を気狂い王子と侮り続け、生かし続ける選択をしたことだ」
「……ルイス」
あまりにも悲しい言葉に、聞いているこちらの方が、胸が痛くなってくる。
カーティスが気絶したままの将軍を嫌そうに引っ張った。足を持っているせいで、ずるずると引き摺る形になっている。
「オレ、親父を連れて行くから。アーノルドは殿下たちの護衛を頼むね」
「分かりました」
アーノルドが頷くと、カーティスは父親を引き摺り、部屋を出て行った。
室内には私とルイス、そしてアーノルドだけが残っている。ルイスはまだ宰相が連れて行かれた方向を見ていた。そんな彼に声を掛ける。
「ルイス……」
「……ロティ」
ようやくルイスがこちらを見てくれた。
少し硬かったが、笑顔が向けられる。それがどうにも堪らなくなり、私はルイスの胸へと飛び込んだ。
「ルイス、ルイス……! 心配しました!」
「すまない。だが、よく見つけてくれたな」
ルイスが私を抱きしめ、顔を覗き込んでくる。その目が嬉しげに輝いた。
「きっと君は来てくれると信じていた」
「……当たり前です」
ルイスを見上げる。その顔をしっかりと見つめた。頬が腫れているのが痛々しい。
「痛そう……。ルイス、他に怪我はありませんか?」
「大丈夫だ。この頬の傷もそんなに酷いものではないから気にするな」
「気にします。だって腫れているじゃないですか……冷やさないと」
焦っていると、アーノルドが言った。
「手当のためにも、まずは離宮に戻りましょう。ここはあまり長居するような場所ではありませんし」
「……そうだな」
自分がいる場所を見回し、ルイスが苦い顔をする。
埃まみれのボロボロの部屋。年単位で放置されていたのが分かる屋敷内はお世辞にも綺麗とは言えない。
小さな虫が土と埃が薄ら積もった床の上を歩いて行く。声にならない悲鳴が漏れた。私は虫が駄目なのだ。足があるのもないのも、全部無理。料理されたものならいけるが、生きているのは……鳥肌が立つほどに苦手だ。
「いやあああああ……」
泣きそうな声を出すと、私が何に怯えているのか分かったルイスが慌てて言った。
「すぐにここを出よう」
コクコクと頷く。明かりの始末だけして、私たちは老朽化が進みすぎた屋敷を抜け出した。




