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「は……」
王子が何と言ったのか、本気で一瞬理解できなかった。
「ええと、確認なんですけど、私が、殿下のお世話をするのではないのですか?」
「違う。私が、君の世話をしたいんだ」
「はあ……」
はっきりと訂正され、私は動かない頭でぼんやりと王子の言った言葉の意味を考えた。
――世話をさせて欲しい? 王子が? 誰の? 私の!? は、嘘でしょう!?
そこまで理解が及んだ瞬間、私は叫んだ。
目が覚めた思いだった。
「無理無理! 無理ですっ! 何を言ってるんですか!!」
世継ぎの王子に世話をしてもらう?
それは一体、なんの拷問なのか。
恐れ多すぎて倒れてしまいそうだ。
真っ青になる私を見て、王子の側に控えていたアーノルドがしみじみと頷く。
「やっぱり。ええ、ええ。あなたの感覚は正しいです。……ほら、殿下。だから言ったでしょう。無理だろうって」
ねえ、とアーノルドが王子を見る。王子がカッと目を見開いた。
「なら、私は誰を世話すればいいんだ! 私の夢が、恋人の世話をすることだというのはお前も知っているだろう!」
「ええ、存じ上げておりますよ。ですが、ご身分を考えれば無理なことくらい、聡明な殿下ならおわかりになりますよね」
「……だから、せめて妻となる人にならと思ったんだ。父上も相手が婚約者ならと譲歩して下さったことだし」
「その婚約相手に頷いてもらえれば、という条件もあったことをお忘れですか?」
「……」
王子がじっと私を見つめてくる。目力が強い。
その視線に怯んでいると、王子が言った。
「シャーロット嬢」
「は、はい」
「実は、私の趣味は料理なんだ。あと、人の世話をするのも好きだ」
「は……はあ」
いきなりなんの話だ。
理解できないながらも曖昧に頷く。王子は至極真面目な顔をして言った。
「これは性格的なもので、昔からなんだ。だが、今まで誰もそれを受け入れてくれなくて」
「……でしょうね」
思わずそう言ってしまった。
だけど仕方ないではないか。
王子に世話されるとか、普通に震え上がる話なのだから。
だが王子は気に入らないようで、ムスッとした顔をしている。
「私が世継ぎの王子だから、恐れ多いと皆が言う。父上にも窘められたよ。自分の立場を考えろ。お前は侍従ではないのだからと」
――全くその通りですね。
声には出さなかったが、全面的に国王に同意してしまった。
「我慢していたんだ」
「……はい」
何をとは恐ろしくて聞けなかった。
「皆に迷惑を掛けるわけにはいかない。父上の言うことも理解できる。だからずっと我慢していた」
「……」
「だけどある時気づいたんだ。……自分の妻となる女性を世話するくらいなら構わないんじゃないかって」
「……」
なんでそんな余計なことに気づいてしまったのか。
私が絶望した顔をしていることに気づいたアーノルドが、声を出さずに笑う。
これは絶対に面白がっている。
どうやらこの双子の騎士の兄の方は、ずいぶんと良い性格をしているようだ。
「元々世話好きというのもあるが、私は特に恋人に対する思い入れが人一倍強くてね。恋人ができたら、自分の作った料理を食べてもらいたい。色々世話を焼いて可愛がりたいという気持ちがあった」
「……はあ」
「だから、この世話をしたい気持ちを全面的に自分の結婚相手にぶつけようと決めたんだ!」
なんで決めちゃったかなあ……。
遠い目をする私を見て、さらにアーノルドが笑う。
我慢しているようだが、少し声が漏れていて、ちょっと苛つく。
「幸い父上も許してくれた。外では王子としてきちんと振る舞うのであれば、妻に対する時くらいは構わないと。夫が妻に尽くすのは当然だし、ギリギリ目を潰れる範囲内だと。私が限界だということを父上も分かってくれたのだ」
「よ、良かったですね」
全然よくないと思いながらも一応言う。その相手が自分だということはあまり考えたくなかった。
王子は笑顔で頷き、私に言った。
「そういうわけで、私は妻となる女性を思いきり世話しようと決めていたのだ。これで、私の事情は理解してくれたと思う」
「よく、分かりました」
こんなに分かりたくなかった事情はないと思いながらも返事をすると、王子は「それで」と私に言った。
「私に君の世話をさせてくれるのかな?」
「……」
さすがに即答はできかねた。
気持ち的には勘弁してくれと言いたい。だけど、私に断るという選択肢はないのだ。
だって彼が婚約者だと父に、国王に決められてしまったから。
――どうしてこんなことになったのかしら。
嘆いていても現状は何も変わらない。こうなれば、少しでも自分に有利なように話を進めなければ。
私は慎重に、王子に話を切り出した。
「具体的に、世話というのはどのようなものを指すのですか?」
「徐々に増やしていく予定ではあるが、基本的には食事の用意だな。三食おやつ付きで考えている。自慢するわけではないが、私の料理の腕はかなりのものだ」
「ええ、殿下の料理の腕前は本当に素晴らしいです。それは私も保証いたします。うちの屋敷の料理人たちより上かもしれませんね」
「えっ……」
アーノルドから付け足された聞き捨てならない情報に、私は思わず座っていた椅子から腰を浮かせた。
――侯爵家で雇っている料理人たちより料理の腕前が上? 王子が? 本当に?
明らかに食いついた私を見て、アーノルドが面白そうな顔で更に言う。
「ええ。しかも殿下の料理は、今まで誰も見たことのないようなものが多く、その味は繊細で上品。一度食べたら二度と忘れられない素晴らしい、非常に独創的なものです」
「その料理を作ってやろうかと言っているのに断るお前は何者なんだ」
「失礼を。殿下にお仕えする身で、殿下のお作りになられた料理を口にするなど許されるはずがありませんから。ですが嘘は申し上げておりませんよ」
最後の言葉を私に聞かせるようにアーノルドが言う。
この時点で私の心は大いに揺れていた。
――えっ、美味しいご飯を三食おやつ付きで作ってくれるの? 本当に?
しかも、見たことのない料理らしい。
それも美味しいときた。
侯爵家出身のアーノルドが言うのなら間違いないだろう。
食べるの大好き人間である私にはちょっとこれは見過ごせない話である。
「わ、私……」
先ほどまでとは違う意味でドキドキしてきた。
――ああ、ときめく。
期待で心臓がドクドクと音を立てる。
最早気持ちは、未知の料理にすっかり向いていた。
王子がもう一度私に問いかける。
「それで、君の返事が聞きたいのだが」
「はい。是非、お受け致します!」
「えっ……」
我ながらとっても良い声で返事をしたと思う。
弾んだ声で「はい」を言った私に、耐えきれなかったのかアーノルドが吹き出す。
王子は目を丸くしていた。
「ええと、良いのか? 本当に?」
「はい」
「……その、無理はしなくても構わないぞ。自分でも突拍子もないことを言っていると分かっているのだ。受け入れられないのなら、最初に言ってもらえた方がお互いのためだ。私はこの条件を譲るつもりはないし」
「いえ、本当に、大丈夫ですっ!」
私の頭の中は、完全に美味しい料理を逃すなという気持ちでいっぱいになっていた。
「私、殿下にお世話されますっ!」
王子の隣でアーノルドが「も、もう駄目です。面白すぎて死ぬ……」とお腹を抱えながらとても失礼なことを言っていたが無視する。今、私が話しているのはアーノルドではない。殿下だ。
「そ、そうか……」
当の本人はと言えば、驚いたように目を瞬かせ、口元を綻ばせた。
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しい」
「っ!」
グサッと何かが心臓に刺さった気がした。
――うっ。何これ反則。
格好良い人が笑うと、心臓に猛ダメージを受ける。
私は、婚約者との顔合わせ一日目にしてそれを学んだ。




