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「入ってくれ」


 少し低めの声が聞こえた。

 アーノルドが扉を開ける。躊躇していると中に入るよう促された。

 気は進まなかったが、歩を進める。


「あ……」


 部屋の中央に立っていた人に視線がいく。

 そこには私の婚約相手であるルイスフィード様がいた。


「よく来てくれた。シャーロット嬢。私が、ルイスフィード・ノアノルンだ」


 笑顔で挨拶をしてくれたルイスフィード様は、当たり前だが記憶にあるままの姿だった。

 綺麗な黒髪に紫色の瞳。

 目は少し垂れており、柔らかい雰囲気が滲み出ている。

 顔の一つ一つのパーツが繊細で、とても綺麗な人だと思った。とはいえ、女性のようだとは思わない。細身ではあるが体つきはしっかりしているし、なんというか表情がとても男性的なのだ。好戦的とでも言い変えればいいだろうか。なよなよしさは全く感じない。

 黒を基調とした上品なデザインの上衣がこの上もなく似合っていた。


 ――本物だわ。


 思わず自分の頬を抓りたくなった。

 馬鹿みたいだが、ルイスフィード様が己の婚約者だと今までどこか信じ切れていなかったのだ。それが記憶通りの姿を見せられ、酷く動揺してしまった。


 ――え? 私、本当に王太子様と結婚するの?


 冗談抜きで眩暈がする。

 今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られたが、それが自分に許されないことは分かっていた。

 後ろで扉が閉まる音がする。アーノルドが閉めたのだろう。その音を聞き、ある意味腹を括れたような気がした。


 ――ああもう、なるようになれ!


 心の中で己の両頬を叩く。

 ギュッと一度目を瞑り、気合いを入れる。

 そうしてできるだけ優雅な仕草を心掛け、挨拶を返した。


「初めまして。私、シャーロット・グウェインウッドと申します。殿下のお姿は今までに何度か拝見させていただいております。本日はお会いできて光栄ですわ」

「堅苦しい挨拶は結構。さあ、座って。この婚約を進める前に、あなたには聞いておいてもらわなければならない話がある」

「……話、ですか?」

「ああ」


 どうにも思っていた顔合わせとは違う感じである。

 怪訝に思いながらも、窓際に用意された茶席に腰掛けた。

 この部屋は応接室のようで、居心地の良い空間となっている。窓は開け放たれ、カーテンが揺れていた。風が入り込んで来て気持ちいい。

 窓の外に蝶の姿が見えた。白い蝶は可愛らしく、緊張する心を癒やしてくれる。


「シャーロット嬢」

「は、はい……」


 声を掛けられ、姿勢を正す。

 失礼にならない程度に殿下を見ると、彼はじっと私を見つめていた。

 観察されているような態度が気になる。


「あ、あの?」

「すまない。だが、確かめておきたくてね。……シャーロット嬢、尋ねるが、君に好き嫌いはあるか?」

「え?」


 何を聞かれたのか一瞬分からなかった。

 キョトンとする私に、王子はもう一度言う。


「だから好き嫌いはあるかと聞いたんだ。食べ物の好き嫌い。君はないと聞いているが本当か?」

「え、は、はい。ありません、けど」


 混乱しつつも答えた。王子は疑わしげな顔をしつつ、矢継ぎ早に聞いてくる。


「本当か? 野菜は? たとえばだが、トカゲのようなゲテモノ系はどうだ?」

「ゲテモノですか? 残念ですが、今まで食べたことはありませんが、挑戦してみたい気持ちはあります。食べられるものであれば食べると思いますけど」


 どうして食べ物についてなんて聞いてくるのだろう。しかも妙に具体的だし。

 王子の意図がさっぱり分からない。


「量は? どのくらい食べる。やはり女性だからあまり食べないか?」

「い、いえ。わりと食べる方だとは思いますけど……」

「本当か!」


 弾んだ声で見つめられ、私はなんだこれと思いながらも首を縦に振った。


「はい」


 婚約者との顔合わせに来たはずなのに、意味が分からない。

 完全に置いてけぼり状態の私を放置し、王子は嬉しそうに何度も頷くと側に控えていたアーノルドに言った。


「私の要望通りだ。父上に感謝しなくては」

「良かったですね、殿下」

「ああ!」

「?」


 ますます分からない。

 困惑するしかない私に王子が笑顔を向けてくる。ものすごく眩しい、輝かしい笑顔だった。


「殿下?」

「いや、すまない。嬉しかったものだから。それでだな。これが重要なのだが、最後に一つ確認したいことがある」

「はあ」


 ようやくこの訳の分からない質問タイムが終わるようだと知り、ホッとした。

 王子を見る。彼はテーブルに両肘を突き、顎の下で手を組んで言った。


「この婚約話を進めるに当たって、最重要事項と言っても良い。シャーロット嬢」

「はい」


 ゴクリと唾を呑む。

 一体、何を言われるのだろう。

 事と次第によっては、婚約はなかったことになるのかもしれない。

 それは父の手前、できれば避けたいところなのだけれど……。


「……」


 ドキドキしつつ、王子を見る。王子は嫌になるほど真剣な顔をして私に言った。


「私に、君の世話をさせて欲しい。――それが、私が君に求める婚約の条件だ」


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フェアリーキスピュアより2巻が9/28発売します。電子書籍版も同日発売予定。よろしくお願いいたします。

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