86話 部屋とワイシャツと
マンティコアやケルベロスの魔獣なんて個々の区別などつきはしない。全部同じにみえる。飼ったことないし。犬猫みたいに顔つきの違いがちゃんとあるかどうかなんてわかるわけない。
だからこの柱の中に封じられた魔獣だけみるのであれば、クローンとは言い切れないだろう。人工授精なりなんなりな可能性もある。
だけど、明らかにモルダモーデと同じ顔、明らかにモルダモーデが幼児であったころ、少年であったころ、違和感なく成長過程が把握できるアルバムのようにいくつも並べられたモルダモーデ入りの柱があるわけだから。
そりゃこれはクローンだろうなって結論になるわけで。
元の世界でのクローン技術の最新状況はどこまでいってたのか一般人である私たちにはあずかり知らぬところではあるけど、人間への適用は禁止されてたはずだから、やろうと思えばできるのか、それとも何かが違ってできないのか、そのあたりもわからない。陰謀論者ならどこかにある悪の組織ならできるに違いないって唱えるのかもしれない。
私たちの前に現れた複数のモルダモーデは、きっとこいつらなんだろう。最初に会ったのがオリジナル。
北の前線に出没していた意思の疎通ができない魔族も、歴代の勇者たちがオリジナルとなったクローンなんじゃないだろうか。モルダモーデは格下って言ってたし。
ただ、あちらでいうところのクローンとはまた違うんだろうとも思う。
クローン羊はちゃんと親個体と全く同じに出産までしてたはずだし、羊だから自我がどうのとかは確認しようがないけれども、肉体的にオリジナルとクローンの違いは全くないって報道されていた。
あの格下なモルダモーデたちは光の粉となって消えたし、あの憎たらしいモルダモーデはちゃんと血が流れていた。あちらでの技術と同じ理屈で作られたものなら、そんなことにはならないだろう。
ああ、でも逆に魔獣は血肉があったから、モルダモーデとは別な手法でつくられているのかな。
遺伝子というものや、体細胞を使ってのクローンというものなんかのざっくりとした説明をしているあやめさん、補足をいれていく翔太君や幸宏さんの声を聞きながら、礼くんのマントの中から柱の中のマンティコアを見上げている。
成功したのって羊と牛だったかな。マウスもいたんだっけ。家畜の大量生産の可能性とかが見込まれていたんだよね。
…………。
「―――そうなると、ここは『武器庫』といったところか」
「魔獣やら魔族やら、『工場から直送』っすか」
もう一度この広い部屋を見渡して、柱の間隔と、天井と床を壁を確認。
柱じゃないんじゃないかな。これ。柱っぽいけど魔獣入りだし。
「あー、床なぁ、よく見てみたらこれ全面に魔法陣色々仕込んであんな」
「そうね……必要な部分だけ起動して行先なりが変わるのかも」
つまり、柱を多少壊したところで、この部屋が即崩壊することもないはず。
「これ柱の魔法陣って傷つけるとかして無効化できないのかな。生きてるんでしょう? さすがにこの数の魔獣やらがこの部屋で一斉に動き出したら、いくら僕らでもキツイ」
「き、傷つけるですって!? まだ解析してないのよ!?」
「神官長うるさいです」
「どうだろうなぁ、下手に傷つけると起動しちまったりするトラップとかもあっからな」
「マンティコアは肉に毒あるけど、他はどうなんでしょうね」
「ザギル、トラップは見つけ……カズハさん?」
「ハーピィとか鳥肉っぽくならないですかね」
「……和葉ちゃん?」
「ケルベロス……犬? 犬は赤白黒の順で美味いんでしたっけ……」
「か、和葉?」
「ちょっと柱一本崩して中身を」
「「「「「待て待て待て待て」」」」」
礼くんのマントから出てハンマー振りかぶったところで、腕にエルネスがぶら下がって止められた。すごい。エルネスめっちゃ動き早かった。この私の速さに食いつくとはさすがに研究愛が深すぎる。
「やっやめなさいよあんたなんでほんと力技なの! すぐ力技なの!?」
「いっぱいあるし……試しに一匹くらい」
「試食!? 今それ試食の話してる!?」
「カズハさん! 魔獣食べれませんから! 前言ったじゃないですか! 食べれませんから!」
「確かにマンティコアはピリっとして苦かったですけど」
「試食済み!?」
「いつの間にしたんですか!! なにしてんですか!」
「俺でも試そうとは思わんかったぞ……」
「初めて討伐したとき……火球で焼けたとこがあったから……」
「結構初期だった!」
むぅ……他の魔獣ならいけるのあるかもしれないと思ったのに。
渋々ながらもハンマー消したのに、エルネスががっちりと腕を掴んで離してくれない。
「エルネス……いくら研究命だからってそんな必死にならんでも……ちょっと引くわ」
「あんたには言われたくないからね!? なんで今試食なのよ!?」
「人を食いしん坊みたいに言わないでもらおう! ザギルじゃあるまいし!」
「お前ほんとそのあたり一度体にわからせんぞこら」
「お前もほんとその口一度縫わんとわからんか」
「あ”?」
「なんだ」
「あー、はいはいはいはい、ザギルもザザさんもそれは後でねあーとーでー! で、どしたの和葉ちゃん。とりあえず探索続けて出口なり出方なり確認するのが先だと思うんだけど」
幸宏さんがメンチ切り合ってる二人の間に割り込んだ。
「いやそれはそうなんですけど、探索は私できないし」
「暇だったとか?」
「まあ、そうなんですけど」
「そうなのかよ!」
「なんというかですね、落ち着かなくて」
「へぇ……和葉いっつもこゆときどーんとしてるのに」
「だって今食べるものなんにもないんですよ!?」
「……は?」
「……確かに食料確保は重要ですし優先度高いですけど」
「俺ら引っ張り込まれたんだぞ。襲われる心配が先じゃねぇのかよ」
「だって寒いでしょ! 寒いとエネルギー使うし! そしたらおなか減るし! おなか減ったら体温下がるでしょ!」
「う、うん。そうだね」
「私駄目なんですよ! 手近に食べられるものがないと落ち着かないんです! お腹すかせたときに出せるものがないのとかほんっと嫌!」
結婚前の実家や曽祖父の家ではいただいたお歳暮なりで缶詰とか保存食が豊富にあったし、結婚後は常備菜を冷蔵庫に詰め込んであった。勿論非常食だってしっかり管理してた。
こっちに来てからだって、城内では何の心配もないけど遠征時には携帯食を常備してたし、勇者陣プラスアルファでおやつ一食分を賄える程度は確保し続けていたのだ。騎士たちにだって必ず自分の分は持ち歩く様に声かけてた。そのたびにすごくなまあったかい目で見られてたけど。
なのに今、よりにもよってそれが全部喰いつくされた今、ここに引きずり込まれたんだ。
こんな調理どころか狩りも採取もできないところに!
いつもの遠征なら、森の中でもなんでも魔物狩ったりなんだりで確保できるのに!
空腹は最高の調味料。適度な空腹感と満腹感、規則正しい食事時間は健康的な生活に欠かせない。
だから空腹はいい。でも、それはその時にちゃんと食事することができるのが前提だ。
おなかすいたと言われて、何も食べさせてやれないとかもう考えるだけで怖気が走る。
「お、お前の元いたとこって裕福だったんじゃねぇの? 飢え死にしそうになったことでもあんのかよ」
「なんかこういう動物いなかったっけ……やたらと餌蓄えたがるやつ」
「食べるものがないというか、食べさせられないのが嫌ってあたりがほんとあんたらしいわね……」
「和葉ちゃん、ぼくまだおなかすいてないよだいじょうぶだよ」
「ああっ礼くんかわいい! だいじょうぶだからね! 必ず何か見つけるからっ」
天使っ私の天使がおなかすかせたままなんて許されないっ!
「クローン技術はね、食糧問題の解決法としても考えられてたのっほらっここ寒いしきっと牛とか育てられないしもしかして食べるものなんとかしようとしてたのかもだからちょっとこれ一匹試して」
「やめてえええカズハっハンマーしまって! しまって!」
「和葉ちゃんっ待ってっなんか明後日に思考が高速回転してるからっ」
「カズハさん、ヨウカンまだありますから」
なんですと!? もう一度顕現させて振りかぶったハンマーをそのままにザザさんを見上げたら、いつも通りの優しい顔で笑ってた。
「一応人数分は持ってますよ。団員たちに必ず携帯するようにいつも言ってるのはカズハさんでしょう。僕だって用意してますって。せっかくカズハさんがそのために作ってくれたんですし。だから落ち着いて先に探索をすませましょう」
ね? と言われて、頷いてハンマーを消した。
なんだろうこのイケメン。いいんだろうかこのイケメン。
すぅっと焦りと不安が消えて、あの新しい家具と壁紙の匂いのする部屋で毎日を過ごす私たちの姿が、やけにリアルに脳裏に浮かんだ。
使い勝手良く並べられた調味料、磨かれた鍋とフライパン、広めのシンクで二人並んで食器洗いをして。
暖炉の前のソファで、広さは充分あるのに寄り添って寛いで、グラスが空けば彼が注いでくれて。
確かにそれらはここのところの休日の過ごし方なのだから、やけにリアルどころかほんとにリアルではあるのだけれど。
体感しているのに、何故かどこかなんだかテレビ画面の向こうの出来事のような絵空事のような、そんな風に思えていた景色が、それが毎日続くことが急にすごく身近に感じられた。
(ザザさんってどこ目指してるんだろうな……)
(おかんオブおかん……?)
翔太君と幸宏さんのひそひそ声に、つい、なるほどと納得して顔を向けたら「違いますからね違いますから」って、また礼くんのマントの中に戻された。なんだろう、この、しまっちゃわれた感。
「三日や四日喰わなくても普通に動けんだろ?」
「いやさすがに三日四日は無理だよ俺たちも……」
心底不思議そうな顔したザギルを、幸宏さんが窘めつつ探索が再開された。あいつの普通は勇者にとってすら普通ではないということをちょっと認識したほうがいいんじゃないだろうか。
というか、勇者陣が大食いなのって勇者パワーのせいだろうしなぁ。食べることが必要な分、じゃあ食べられない時にどうなるかとか今まで試したこともないからわからないけど、少なくとも食い溜めはできないと思うから空腹に強いわけではないはず。
強大な力を奮うには相応のエネルギー源が必要なわけで。そりゃ水魔法があるから水は心配ないし、人間三、四日食べなくても死にはしないけど『普通に』動けはしないだろう。
「ザギルさんはそもそも普通じゃないからじゃないかな……」
そう呟いた翔太君はザギルに鼻つままれてた。
状況的にけして楽観視できるようなものじゃない。
ここが北の前線よりも北方だとすれば、それは完全に未知の地域だ。
過去、三大同盟国の全てにおいて、北方前線より北に踏み入った者はいない。地図すらないのだ。どのくらいの広さなのか、気候はどうなのか、地形はどうなのか、ましてや魔族の生活拠点も魔王の住まう場所もわからない。あるのかどうかすらわからない。
そんな中で油断こそしてはいないし警戒も確かにしているのだけど、特に張り詰めるような緊張感があるわけでもなく。
淡々と、時に軽口を挟みながら、周囲の探索を続けられるのは、私たちが勇者である驕りからなのか、それとも平和ボケした日本人の危機感のなさからなのか。
どちらも違う。
だってこの部屋に飛ばされた時、なんの合図もなく即座に陣形を組めたように、まだ未探索だった柱のあたりの魔法陣が輝きを増して浮かび上がった瞬間、探索の起点となっていた私や礼くんを中心に集結してプラズマシールドが展開された。
何が起きたとしても、これまでの訓練や生活で積み上げたものを活かすことができる。
この世界でそう育ててもらったという自信が、私たちを落ち着かせ、勇者としての能力を最大に発揮させるのだ。
◇
私たちをここに引きずり込んだのと同じ真っ白な光が、床からわずかに浮かび上がった碧い魔法陣を覆うように半球状に広がる。眼の裏を灼くような白い光は、魔法陣の碧を上書きして白く染めてから輝度をゆるゆると下げて、半球を収縮させていった。
おそらく私たちがこの部屋に来た時も、傍からはこう見えていたのだろう。
一瞬前には何もなかったはずの柱と柱の間。白い光に溶けたかのようだった碧い魔法陣は、線香花火が落ちる瞬間のようにもう一度輝きを増してから、床に沈んで消えた。
その中心地だった場所に立つのは、青紫に波打つ巻き毛とフリルも華やかに床まで裾が届くドレスを纏う小さな体。私の腰くらいまでしかない。
「―――っわあああああっおばっおばけっ」
「ごふっ!?」
私を抱き込んだ礼くんの腕に渾身の力が入った。ちょ。くるし。ぎぶ! ぎぶぎぶぎぶ!
「まっまえにきた! これきた! おばけっ!」
私を隠さなくてはとばかりに、懐から出てた私の頭にマントをかぶせて抱える礼くんは勇者パワー全開である。愛が苦しい。いやまじで。
「れ、レイ! 落ち着いて!」
「礼! 和葉息できてないからっ」
もがいてる私に気づいたザザさんとあやめさんの声で我に返ったらしい礼くんの力がゆるんだ隙に、すぽんとまたマントから頭を出す。あぶなかった。この愛は私が勇者だから耐えられた。
「この間も思いましたけど……僕は見えない性質な訳じゃなかったんですね」
私の息がついたのを横目で確認したザザさんは、また前に視線を戻す。
ああ、そういえばゴースト見えない性質だって前に言っていたものね。多分何かの仕掛けなんだろうなぁ。
リゼを直接見たことがあるのは、この中では私とザギルとザザさんと礼くんだけ。
「これが、リゼ?」
「いや、違うな」
プラズマシールドの向こうに佇むゴーストから、視線を逸らさないまま問うエルネスにザギルが答えた。
陶器の肌に薔薇色の頬、光を跳ね返すガラスの瞳は胡桃色。
巻き毛はきらきらとしているけど、その輝きは水分のない人工的なもの。
まっすぐ私たちに対峙して向き合っているけれど、視点は宙で結ばれている。
そのオートマタには少し不似合いな大きさのトレイを、両肘を直角にして持っていた。
「髪の色が違うし、服も新品みてぇだ。それにあのガラクタはいつも這いつくばってて立てなかったからな。別モンだろアレは―――」
そう、アレは。
あのトレイに載っているのは。
「白玉団子……っ!?」






