69話 適材適所と昔の人はいいました
ヘスカの呪いは、本当によく効いていた。
その効力だけ見れば実に優秀な魔法使いといえるだろう。
何せ魔法への抵抗力が低いとはいえ、仮にも勇者である私の精神を蝕んで嬲り殺す寸前まで持ちこんだのだから。
横薙ぎにハンマーをふるい、その勢いのまま魔族の頭へと回し蹴り。
躱されても構わない。
次々と展開される障壁と自在に力の方角を変える重力魔法を駆使して、私の身体は無軌道に走る駒のように、風に舞う木の葉のように、宙を駆ける。
時間がないと思った。
生きてるのが辛くて怖くて、自分が自分でなくなるどころか大切な人たちを自ら壊しかねない自分の力が怖かった。
その前に消えてしまいたい、同じ消えるのならばせめて盾になって消えたいと、モルダモーデの手から礼くんを守る時間稼ぎだけでもできたらと、その焦りは強迫観念となって私を責め立てた。
緩やかに蝙蝠の翼をはためかせ、優雅ともいえるステップで魔族たちは攻撃を躱し受け流していく。
意思をもつ弾丸のごとく、ダイヤモンドは私の周囲を風切音をたて旋回し、魔族たちの行く手を塞いでいく。
ターゲットを瞬時に切り替えながら、五人全員を牽制し隙を窺い続ける。
全てはヘスカの呪いである「生への恐怖」がもたらしたものだ。
生き続けることの恐怖が、死へと私を駆り立てた。
けして死にたいわけではないのに、生から逃げようと思えばそうなってしまう。
呪いが解けてしまえば、なんて馬鹿馬鹿しくも浅ましい。
地表では、残る魔獣たちを勇者陣と騎士が駆逐している。
熟練の手品師が扱うカードマジックのように、ザザさんの展開する障壁がきらめいている。
あやめさんの光球が蛍みたいなオレンジ色の尾を引いて飛び交っている。
エルネスが放つ礫や火球の弾幕に、神兵や騎士の攻撃魔法が追随する。
翔太君の鉄球は首をもたげる蛇となり、鉄鎖が踊り、その間隙を幸宏さんの魔法矢が縫っていく。
障壁を足場に駆けては大剣を振う礼くんの死角に陣取って、ザギルがククリ刀を翻している。
生きる恐怖から逃れる大義名分に、あの人たちを使ったのだ。
私を愛してくれていることを存分にわかっていながら、それを堪能しながら、その人たちのためにと言い訳をして。
少し考えればわかることだろう。
それがどれだけ彼らを傷つけるか。
そんなものは自己犠牲の皮をかぶった自己陶酔だ。情けない情けない情けない。
まず一人。
片脚のない魔族の頭をハンマーが捉えた。
ロブたちのように脳漿を飛び散らせることもなく、ヒカリゴケの残滓と同じに細かな光をちらつかせて肩から上が消えていく。
直撃を逃れた体躯も砂の城が突風に煽られたように崩壊していった。
手足が消えていた姿からわかってはいたけど、魔族とはいえ、こいつらはモルダモーデとは根本的に違う存在なのだろう。格が違うと奴は言っていたか。
これまでザザさんたちが前線で戦っていた魔族はこちらのほうなのだと思う。
仲間が消えたことに全く反応を見せない。残るものたち同士で意思疎通をしている素振りも見えない。
「ふふふっ」
その消え方に笑いがこぼれた。
これなら、礼くんたちにだって平気なはず。
いくら魔物の狩りに慣れたとはいえ、人型の命がむごく散る様をすんなりとは受け入れがたいに違いない。
これなら、短剣など使わなくてもいい。
すぐに戻ると言った。
時間稼ぎだなんて考えてなどいない。
誰かのためなどではなく、私がこの世界で手に入れたものを手放さないためにこうしてる。
私が消えてしまってはお話にならないではないか。
私はここを陣地と決めたのだ。
大切な人が帰ってくる場所が欲しかった。
彼ら彼女らが安心して寛げる場所を紡ぎたかった。
だから大切だと思うことを抱え込んだ。
他は何もいらないと、優先順位の低いものから捨てていった。
子として親にしがみつくことも捨てた。
女として夫に何かを望むことも捨てた。
人として己を認められたいと思うことも捨てた。
私を大切だと思ってもらえることも諦めた。
そうして大切だと思っていたものすら、結局元の世界に捨ててきた。
この新しい場所を与えられて、なお、また同じことを繰り返そうなどと愚の骨頂。
決めたじゃないの。
最初にこのハンマーをふるったときに、マンティコアの前に躍り出たときに、守りたいものは抱え込むのではなく、背にかばうのだと。
したいことをするの。
したいことだけをするの。
身の内に燻るものや衝動をただ抑え込むのではなく、上手いこと逃がしていなして乗りこなして、開放するの。
「遅い!」
片腕の魔族の足元を薙いで、傾いた背から伸びた羽根にダイヤモンドが風穴を開ける。
ゆったりとした羽ばたきからいって、実際にはあの羽根で飛んでるわけでもないのだろうけど。
「あんたら、ザギルよりコピー下手なのね」
モルダモーデと体運びは似ているけれど、あの予想もできない動きではない。
こいつらのそれはどこか定型的だ。
目が慣れれば追えないほどでもないし、先読みできないほどでもない。
ザギルのほうがよっぽど手に負えなかった。
奴らの上空に障壁とダイヤモンドの軌道を張り巡らせて、制空権は私の手にある。
時に脇をすり抜け、やつらの死角に飛び込み、ハンマーをふるいながら、私の死角にあたる場所にはダイヤを飛び込ませて。
ぞくりとうなじに一筋伝った感覚に従って、身をよじれば頬を掠める細い切っ先。
「……どっから出したのそれ」
魔族たちはどれも剣を佩いてはいなかった。なのに目の前の魔族がいつの間にか構えてるレイピアが、その細い刀身を輝かせている。
これまで躱す一方だったこいつらが初めて攻撃に転じた。
飛ぶ魔物も魔獣もいる、魔族は空を飛べる。けれどこちら側には地上から迎撃するしか手段がない。
上空を制すものは戦局を優位に保てるにも関わらず、こいつらはそれを利用しようとは過去していない。ただ見下ろすのみで、強者の傲慢さを見せつけ続けてきた。
知らず頬が持ち上がる。
やっと私が対等だとみなさざるをえなくなったということ。
手負いの片腕から片づけるべきだけれど、そこにばかり気を取られるわけにいかない。
私を取り囲み、上空を制そうとする魔族たちに、ダイヤが空を切りつつまとわりつく。
刹那に足をとめさせ、レイピアを振りかぶる腕の軌道をそらし、舞い上がろうとするその頭上を牽制する。
次々と移り行く狭間をすり抜け続けていれば、レイピアが切り裂くわずかばかりの傷が増えていった。
けどそれは私が有効打を決める確率を上げるのと同義だ。
ザギル以下の劣化コピーは、回避に専念するのならばともかく、攻撃動作をいれることで直後に生まれる隙をつくりだしている。
片腕の魔族の腹をハンマーが撃ち抜いてその身を上下に別れさせた。
音もなく散る光の粒はわずかに風に流れた後に空に溶けていく。
残り三人。
地表の魔獣は残り僅か。補充は止まったようだ。やはり魔族であるこいつらが従えているわけだから、呼んでたのもこいつらだろうしね。
呼べる限界があるのか、呼ぶほどの余裕がなくなったのか。どちらにせよこちらには好都合。
三人ともレイピアを構えている。間合いをあけて、ダイヤをいくつか飛び込ませると見えない壁に阻まれた。一瞬静止したそれを引き寄せる。ダイヤは耐久性があっていい。リサイクルリサイクル。ただじゃないんだから。
三方向から刃が閃く。
騎士団にもレイピア使いの人はいた。刺突に優れているというそれは対魔物よりも対人むきだそうだけど、その攻撃速度と普通の剣とは違う捌き方に慣れるために訓練をつけてもらった。レイピアだけではなくあらゆる武器への対処を私たちは教わっている。
魔族なだけあって、攻撃速度も剣技も比べ物にならない。でも基本動作は同じだった。ならば次の動作を読める。勇者補正の動体視力と反応速度で補える。そのために学んだ。
上半身を傾け、ひねり、ハンマーをかちあげて、躱しあいながら、鈍い音で切り結びながら。
「やっぱり三人いたところでモルダモーデの足元にも及ばないね?」
やつらに頭上を渡さないまま見下ろして、乱れ始めた息を整えつつ煽っても何の反応もない。
地表で魔獣の最後の一頭が沈んだ。
戻れと口々に叫ぶ声が届く。
戻るよ。すぐ戻る。あともう少し。
ふっと、一人の魔族の姿がゆらめいたと同時に眼前に現れた。とっさに胸倉をつかんで額をうちつけてやる。
「―――いっったあああああい!」
ちょっと涙目になったまま、突き飛ばしてまた距離をとる。あまりに痛くて地団駄踏んでしまった。
馬鹿なのかとか地表からきこえる。ひどい。
「……普通ぶつけられたほうがダメージくらうのにどんだけなの」
頭突きされた額をさすりもしないで構えなおした奴に、ダイヤを集中してぶつけてやる。また一瞬空気が揺らぎ、そこで勢いをそがれるダイヤ。けれど今度は奴が見えない壁に圧し戻された。
自ら出した防壁ごと追いやられたのだ。ざまぁ!
ダイヤを回収して残りの二人にも飛ばしながら、ハンマーと蹴りで乱れ薙ぐ。
躱しきれない刺突が、太ももを、ふくらはぎを、頬を、肩を掠めていって。
―――オレンジ色の光球が、次々とわずかながらも血を滴らせる傷を包みはじめ、瞬時に癒していく。
素早く動き続ける私の急所を追うように展開されていく障壁。
魔法矢がその障壁を貫き、空間を歪ませる膜で覆う。
ザザさんの障壁を目印に、幸宏さんがプラズマシールドを張ってくれている。神業か。
どこに展開させればいいのかを誰よりも速く的確に判断できる人だものね。元の素養もあれど、ザザさんのその技術に一番食いついて学んでいたのは幸宏さんだった。
これを待っていた。このためにこいつらを引きずり降ろしたんだ。
もう呪いは解けている。一人で戦おうなんて思ってない。
彼らの手の届くところまでこいつらを連れてきさえすれば、助けてもらえる。
はるか上空からじわじわと逃げ場を誘導して、みんなの魔法の射程範囲内までつれてきた。
どんと鈍い音とともに障壁が崩れる。圧縮空気をぶつけられたのだろう。
プラズマシールドは障壁の外側に展開されている。ぶつけられた衝撃で反対側の障壁が壊されたけど、私には届いていない。予想通りにあれを防ぎ切ったのだ。
「あーはっはっはああああ!」
今高笑いせずしていつするか!
以前にザザさんは、モルダモーデを追う私の動きは目で追うのがやっとだったと言っていた。
でもあれからずっと彼は私の動きを見ていてくれた。
だから今はもうどんなに私が自由に動いていても、急所を守る障壁が途切れることはない。
モルダモーデがリゼを取り返しに来た時だってそう。
連携の苦手な私が本能だけで動き回っていたって、常に障壁は張られ、ザギルもザザさんも私の攻撃の合間を埋めて奴を追い込んでくれた。
私ができないことをしてくれる人がいる。だったらやってもらえばいいんだ。
助けてくれる手があるのがわかってるのに、一人で戦おうなんて非効率な真似などしない。
私は私がいたい場所にいるために、この場所に帰ってくるために戦うのだ。
そのために助けてくれる手がこんなにたくさんある。
私の家に土足で踏み込んだ報いを受けるがいい。
目の前の魔族がレイピアを振り上げたまま、硬直した。
これは翔太君の音魔法のはず。魔獣を足止めしていたそれだ。
視界の隅では、鉄鎖に絡めとられた魔族が一人もがいている。
足元から咆哮が迫ってくる。
ほら、来てくれた。
躊躇うことなく硬直した魔族の間合いに踏み込んで、ハンマーを横薙げば、だるま落としのごとく胴の部分が消失した。
魔族の顔を覆っていた布がはためいて、初めてその下の顔を覗かせる。
「……え?」
緑がかった白い肌、夜の猫のような金の瞳。
奴の最大の特徴である軽薄な笑みだけがないその顔立ちは、見間違えようもなくモルダモーデだった。
痛みも、苦しみも、何も浮かんでいないリゼみたいな無表情のまま、金の粉となって溶けていく様に、つい目を奪われた。
その刹那が命取りだとつい今さっき自分でそう考えながら引導を渡したのに。
今消えた魔族と入れ替わるように、粉となった魔族が逆回しで再生されたかのように、目前に現れた顔布に反応できなかった。
やばいと息を呑んで、でも、奴と私の間に展開された障壁とそれを貫いた魔法矢に、落ち着きを取り戻して後ずさって―――視界が斜めに傾いだ。
◇
ぱりんと二つに割れた障壁が一拍を置いて、そして続いて振り上げられたレイピアがそれを追うように細かく砕け散る。
「ぐらあああ!」
「うぉおおおお!」
ククリ刀が柄だけを握りしめた右腕を斬り飛ばし、ザギルの左拳が脇腹に突き刺さる。
ザザさんのロングソードが首を薙ぎ払う。
刎ねられた首の顔布の下はやはりモルダモーデの顔で、それもまた散って溶けた。
残り一人。
さっきまで翔太君の鉄鎖に巻きつかれていた魔族の方角へ顔を向ければ、礼くんが袈裟切りで粉に変えていた。
やったぁ、ざまぁみろ、殲滅だぁーと笑おうとして、喉から何かがあふれ出た。
「……かふっ」
真っ赤な水球が空に浮いてる。
ゆっくりと加速して遠ざかるザザさんとザギル、やだ、二人とも顔めっちゃ怖い。
何か叫んでるっぽいのに何故か聞こえない。細く甲高い耳鳴りがする。
両手を私に伸ばして、障壁を蹴るザザさん。
駆け上がるのに何枚使ったんだろう。ザザさん最高で何枚までいけるようになったんだっけ。
右手をあげれば、力強く引き寄せてもらえる。
ザギルが私の方へ向かいかけて、妙な顔してから少しずれた方向へ跳んだ。
なんて顔してるんだ。お腹すいてるのかまた。どこ行くのと左手を伸ばそうとして―――
「―――カズハっ」
あ、やっと聞こえた。抱え込まれて、革の肩あてに頬が押し付けられる。
夕暮れ色の光が、ザザさんの顔を染めている。
あれ。まだそんな時間じゃないよね。
ぽうっと左半身があたたかい。
なんでそんな泣きそうな顔してるの。
何度も繰り返し私の名が呼ばれて、抱きしめられて、こんなに心地よいのに。
ザギルが、ブーメランのようにくるくると宙を舞っている細い枝をキャッチして、こっちに向かって空を駆けてくる。
ああ、それを追いかけてたのか。
ぱんぱんぱんと連続する破裂音は障壁が続けざまに割れる音。
急降下の勢いを障壁で減らしながらも地表を目指している。
ああ―――、そうか、ザギルの持ってるそれ、私の左腕じゃん。






