65話 気
1人取り残された部屋で頭を捻っている俺。
胡坐をかきながら、俺の目の前にあるディックさんの書置きを利用して、仙術による祝福を検討しているところだ。
これは俺の心残りを解消する為だ。できることをやってしまわないと俺の気が済まない。
祝電、年賀状、暑中見舞い、お札、短冊等、紙にお祝いの言葉を書き記し、自分や他人の幸せを祈る習慣は遡れば仙術の生まれた中国に由来することが多いと聞く。
また、人の念が籠ったものや、対象の人物の縁があるものを利用する祝福や呪術もある。丑の刻参りで有名な藁人形は対象の髪の毛なんかを埋め込んだりするし、人形を人間に見立てて身代わりにするような方法も文献なんかではよく見る話だ。
ディックさんが書いた書置きは、当然、ディックさんに縁があるものだろう。この書置きの書き手ということで、術の対象にすることはおそらく可能だ。
しかし、祝福・幸運を招くという点において、もう少し根拠が足りない気がしている。この書置きの裏に、チーム全員からディックさんの幸運を祈る文章を書いてもらえば足りるかもしれないが、それは流石に荒唐無稽過ぎる。
ジュード、サラヤ、ナル、トール、カランくらいなら書いてくれるかもしれないが、怪しまれることは避けられない。なにせそんな習慣がこの世界にあるわけがないのに、それを俺がお願いしまわるのも変な話だからだ。
デップ達やザイードくらいなら、なんとか誤魔化して書いてくれるように仕向けるのは可能かな。いや、デップ達はともかくザイードは機械種タートルの完成に向けて今忙しいから……ん?タートル……
タートル!亀!そして、亀と言えば・・・『鶴』!
日本では縁起の良いものと見られているのは当然として、中国でも鳳凰等の霊獣には劣るものの、縁起の良いものとされている。
そして、俺は日本人の心得として、折り紙で鶴が折れる。
この書置きは紙だ。折り紙のように正方形ではないが、これくらいなら大丈夫だろう。
早速、書置きを折りたたんでいき、鶴を折っていく。
折り紙を折るなんて何十年ぶりだ。しかし、手と体は覚えていたようで、5分とかからず、少し不格好ではあるものの、折り鶴が完成した。
手のひらに乗る折り鶴。
日本でもお祈りやお願い事、病気の回復祈願なんかで作られることが多い。
それをディックさんのチームへの思いがこもった書置きで作成した。
術の素材としては十分だろう。
自分の中の仙骨に語りかけ、力を引き出していく。
湧き上がってきた力を手のひらに集中し、折り鶴へと注ぎ込む。
「我、祈り願う。この文の書き主に幸運が訪れんことを。『招運』」
手のひらに乗っていた折り鶴が淡い光を放ち出す。
そして、ふわりと浮かび上がったかと思うと、その形状を折り鶴から、1m程の光輝くタンチョウヅルへと変化した。
おおおおお!!!
術を行使した俺が驚いている間に、タンチョウヅルは頭を動かして辺りを見回している。そして、部屋の小窓を見つけると、そのまま羽ばたいて窓に突っ込んでいく。
ぶつかる!
あ、通り抜けた!
タンチョウヅルは窓を壊すことなくすり抜けて外へと飛び出していった。
慌てて小窓に駆け寄り、窓を開けて外の様子を確認する。
小窓を開けるとスラムの通りが一望できる。
上を見れば光り輝くタンチョウヅルが空を舞っている。
あああああ、これはどうやって隠蔽すれば・・・
いや、おかしい。それほど多くないとはいえ、通行人が全く気にしていない。
ひょっとして俺にしか見えていないのか。
そうしている間にタンチョウヅルは街の方へと消えていく。
羽ばたく度に光の粒をまき散らし、飛行雲のような軌跡を残して。
俺はしばらく呆然として、街の方向を眺め続けた。
多分、術は成功した……と思う。
これ以上、俺にできることはないだろう。
あとはディックさんの頑張り次第ですよ。がんばってください。
しかし、随分簡単に仙術が使用できたな。思い付きだったが、上手くいった。
宝貝だけじゃなくて使える術の検証もしていった方がいいかもしれない。
ただ、あまり自分の常識から外れてしまうような仙術を使うことにも抵抗がある。
たとえば、分身の術。西遊記では孫悟空が髪の毛で自分の分身を作り上げていたが、あれはどういった仕組みになっているのか。自分と同じ知識、記憶、能力を持つ者を複数作り出す。よく考えてみれば狂気の沙汰以外なにものでもない。作った分身が、自分が本体だと言い出したらどうなるんだ。そもそも、本人だと思っている自分が分身でない証拠はどこにある?俺は絶対に自分では使用しないと決めている。
また、変化や転化の術。俺は品物を変化させていたが、封神演義の登場人物である楊戬や白鶴童子はこれらの術を使用して、己の身を人から動物へ、動物から人へ、物や現象にまで姿を変えていた。
自分の体が動物になるってどういうこと?当たり前だが、動物は目や耳、鼻の感覚器官だって人間とは全く違う。目に映る色彩が白黒になる?紫外線が見えるようになる?人の何十倍も耳の感度が上がる?臭いなんて何千倍とかだぞ。全く未知の感覚にさらされた俺の心は大丈夫なのか。そもそも、脳はどうなるんだ。動物の体になってしまった場合、人間の知能は維持されるのか、明らかに脳みその入るスペースが違うのに。
もし、知能まで動物レベルに下がったら、一生そのままになる可能性だってある。自分の顔かたちを変装レベルで変えるくらいならともかく、動物への変化はリスクが高いだろう。
それに、仙術には己を完全に消滅させるような術も存在する。確か封神演義の截教の教主である通天教主が使用しようとしてた。
間違えてそんな術でも発動させてしまったら大惨事だ。
こういった発動するとどうなるか分からないような術の行使は控えるべきであろう。
では、どんな術なら使っても大丈夫だろうか。
火や水、風などを起こすような術は問題なさそうだ。威力が無いけど。
千里眼、順風耳等の索敵・情報収集系は早めに習得したい。しかし、どうやって発動するんだろう?使えるようになったら大変便利になるのに。
地面を潜る地行術、次元をも飛び越える光遁等の移動系は便利だが、事故が怖い。気がついたら文字通り『石の中にいる』可能性だってある。『縮地』くらいの目に見える範囲の短距離なら安心できるが、自分の知覚できないくらいの遠距離の瞬間移動は控えた方がいいだろう。遠距離なら飛行術を使えばいい……そういえば、俺、高所恐怖症だったな。ちょっと保留。
あとは戦闘系、『気賛』……両手を筒のようにして、口から息を吹き出し、空気の矢とする遠距離攻撃と、『点断』……点穴ともいうが、相手の気脈などを突いて状態異常を起こす攻撃。
これらは中国拳法にも出てきており、元々は仙術に分類されるはず。なら仙術スキルを備える俺が使えてもおかしくない。
宝貝よりは優先度が低いが、機会があれば試してみるとするか。
さて、そろそろ考察は終わりだ。
できることをやり切って気が済んだせいか、下がっていたテンションも戻ってきたような気がする。
うーんと背伸びしてから、両手で自分の頬を叩いて気合を入れる。
色々課題も溜まり続けているし、今から外に出て、片づけてくるか。
2階の食堂でばったり会ったカランに荷物をお願いする。
4階の倉庫にナップサックや銃を預けているから、女性陣に頼まないといけない、
「もう狩りにでるのか。昨日は徹夜だったのだろう。一日くらい休んでいても誰も文句は言わないぞ」
「なんかじっとしていられなくてね。まだまだ足りないものが多いから、さっさと片づけておきたいんだ」
俺がチームを抜けた後、急にガタガタにならないようある程度チームに蓄えができるようにしておかないと。
俺が抜けた途端、チームが崩壊して、みんな死んでしまっていたりしたら、一生後悔に付きまとわれるだろう。これも俺の心の安定のためだ。
そんな俺の表情を見て、なにか悟ったのか、カランがさらに声をかけてくる。
「やっぱり早くチームを抜けたいのかな?ヒロ」
あー。やっぱりわかっちゃうか。
「ヒロ程の腕前だからな。このスラムにいる方がおかしいだろう。ヒロにとってバーナー商会への就職はそんな魅力的には映らないだろう?」
「まあね。一流の狩人を目指したいと思っているよ」
まあ、ここで豪華で安定した生活+メイド+ハーレム+ウタヒメを目指しますって言えないよな。
「そうか。ヒロなら間違いなくなれるだろうな。しかし、残念だ。チームにとって、期待の星が抜けてしまうのは大きな損失になる。私にもっと女性の魅力があれば、体を使ってでもヒロを引き留めるのにな」
また、返しにくいことを言ってきたな。『そうだね』なんて言えないし、『カランは魅力的だよ』なんて返したらルートに突入するかもしれない。うーん。ここはなんて言うか……
「カラン、剣の道に女は不要だよ。もちろん狩人への道にもね。俺はそういったことに関わり合いになるつもりはない。俺には自分の目標しか見えていないからな」
どうだ。この返し方は?ストイックさと男らしさをブレンドしてみたぞ。
「そうなのか?さっきナルがヒロとキスしたと言い回ってたぞ」
おい!ナル!なんてことをするんだああああ!!!
「いや、それは、ナルにいきなり奇襲されて……」
「ほう、一流の狩人を目指すヒロが、素人のナルに奇襲されるとは、何に目が眩んでいたのやら」
ああ、もう駄目だ。言い訳が思いつかない。
今日の夕食時に皆の好奇の目にさらされてしまう。
どんな目で見られるんだ?もしかして、周りから囃し立てられたりするのか。
もうチームから逃げ出そうか。
このまま草原に出て、どこか違う街へ旅立とう。
俺の深刻そうな顔を見て、カランが人の悪い笑みを浮かべて、さっきの言葉を撤回してくる。
「すまん、さっきのナルが言い回ってたというのは嘘さ。ナルが妙に嬉しそうだから理由を聞いたら教えてくれただけだ。別に言いふらしているわけじゃない。その情報が出回るのはあとはサラヤくらいまでだな」
はああああ、助かった。
でも、サラヤにも知られてしまうのか。あれだけサラヤに好意を示していたのに、振られた途端ナルに切り替えた様に見られないかな。
「ふむ。ヒロは周りの目を随分気にするんだな。力を持つ者としては珍しい気質だ」
俺が露骨にほっとした表情を見て、カランがそんな感想を述べる。
「周りの目を気にしない奴ってどんな奴だよ。チームに所属している以上、周りの視線が気になるのはしょうがないだろう?」
「いや、ヒロはこのチームではもう稼ぎ頭だぞ。そのヒロが周りの目を気にしてどうする。普通は逆だろう。お前という稼ぎ頭へ周りが配慮するというのが正しい形だ」
そう言われても、俺は昔から人の視線が無茶苦茶気になる質なんだ。良い人に思われようという気持ちが強いのかもしれない。世間体というのを気にする日本人としては当たり前だと思うんだが。
「まあ、それがヒロの良い所かもしれないな。周りの目を気にせず、横暴に振る舞う奴は私も大嫌いだ」
カランはそういうよね。でも前の世界じゃあ、周りの目を気にせずに横暴に振る舞う奴ほど、女にモテていたような気がする。自分に自信を持っているように見えるから、それが男性的な魅力に見えてしまうのかなあ。
「では、荷物を取ってくることにしよう。ちょっと待っててくれないか」
「ああ、頼むよ」
カランは食堂を出て、3階に上がっていく。
広い食堂に俺一人で待つことにする。
食堂の奥の洗い場の方は何人かの女の子が洗濯をしているのだろう、キャピキャピした声がドア越しに聞こえてくる。
胸ポケットからスマホを取り出して見てみると13時頃だ。
今から走っていけば、2,3時間くらいなら狩りの時間に使えそうだ。
やるべきは新しい宝貝の威力の確認。そして、あとはチームへの獲物の狩り。
自分の為とチームの為。
もうこのチームに所属して1週間になってしまった。あっという間だった。怒涛のイベントラッシュでのんびりする時間もあまり取れなかった。しかし、その分濃い人間関係を築けたように思える。
大分馴染んじゃったなあ。
でも、俺がこのチームから離れる時、みんなはどんな態度を取ってくるのだろう。
『1人だけでスラムを抜け出すのか』
『恩知らず! 最初の頃、色々教えてあげたのに!』
『私も連れてって! もうスラムは嫌なの!』
こんなふうに罵られるのか。それとも、俺の旅路を祝福してくれるのか。
そもそも俺はこのチームから出ていくという決断をすることができるのか。
この『現状維持』と『保留』を信条とする俺が。
それが分かるのはもうすぐそこだろう。
旅立ちの日は近い気がする……多分。




