【017】「――で、消す?」
「――で、消す?」
「それ、気に入ったの?」
王妃のこともそのように言っていなかったかと思いながら、ロズリーヌはホッと肩の力を抜く。
昨日、随分と手のかかりそうな留学生たちを相手にしたからか、婚約者の顔を見た途端、安堵を覚えた。
「というか、情報が早すぎるわ……」
消すというのは、エジェオ・コンスタン・トノーニのことで、初対面であるにもかかわらず、やけに気安い態度だったことをすでに知っているらしかった。
「昨晩、城に詰めているホルム卿のところに、ユーフェミア嬢が来たらしい」
「昨晩?」
「うん。護衛や侍女が付き添っているにしても、夜に令嬢が外出するなどと……なんて言って、相当心配していたけれど」
「それはそうだわ……」
相槌を打ちながらも、ロズリーヌは感心していた。
留学生のことで、一度相談してみるとは言っていたものの、まさかこんなにも早く行動してくれるとは。流石である。
「にしても、まさかエジェオ殿が同行してくるなんてね」
セレスタンが軽く息を吐く。
「親しかったの?」
「ん? いや、どこかで顔を合わせれば挨拶をするぐらいかな」
「そうなの? それにしては……」
「ああ、この呼び方? いつだったか『エジェオと呼んでほしい』と言われたんだ。特に拒否する理由もないしね」
「……まあ」
それならば、ロズリーヌに初対面からそう呼んでくれと頼んできたのも、セレスタンにしたのと同じ感覚だったのだろうか。
そう思ったのだが。
「でも、特定の女性にそう言っているのは見たことがないな」
あまりに美しい微笑みを浮かべて、セレスタンがそう言うものだから、ロズリーヌはぎくりとしてしまった。悪いことなどひとつもしていないのに。
「……意外と硬派なの? そうは見えなかった……」
肉食獣に睨まれた小動物にでもなったかのような気分を味わいながら、ロズリーヌが疑問を投げかける。
事実、エジェオには、誰にでもそう言っていそうな気安さがあった。
だが、人は見かけによらない――ということもある。ロズリーヌの考えがわかったのか、セレスタンが苦笑じみた表情を浮かべた。
「その辺は、君の想像と大差ないと思うよ。そう親しかったわけじゃないけれど、彼を見かけるたびに、隣にはいつも違う華やかな女性がいたしね。それでも、その誰にも名を呼ぶ許可は与えていなかったのではないかな」
思わず頬の筋肉を強張らせるロズリーヌだったが、何かを言う前に、「それに――」とセレスタンが言葉をつなげた。
「彼の行動で気になることが、もうひとつ」
「気になること?」
「ホルム卿がユーフェミア嬢から聞いたらしいのだけど、彼、『妹の留学に便乗して』と言っていたのだろう? でも、あの二人は仲が良くないはずなんだ。だから、あまりしっくりこなくて」
「それは……まあ、他国で表立っていがみ合うのも良くないから、とか?」
「形だけでも彼らを知っている私としては、それにしても、という感じだね。あの二人はとにかく仲が悪い。二人でいるところはおろか、言葉を交わしているのもほとんど見たことがない。私が見た感じだと、どうもエジェオ殿のほうがあからさまに避けているようだったから、妹が行く先について来るなんてなおさら考えられないんだけれど」
確かに、とロズリーヌは思い返す。
挨拶をした時も、兄妹だというのに、二人はどこかよそよそしい態度だったかもしれないと。
なにより、実際の二人を見てきたセレスタンが違和感を覚えているのだから、頭には入れておいたほうがいいだろう。
「一応、このことについてはホルム卿にも伝えてある。でも、もし何か……あったら、何を置いても相談しに来てほしい」
縋るようなセレスタンの視線に、ロズリーヌは小さく頷いた。
「やっぱり、何かあるかもしれないの?」と、内心で怯えつつ。
そうして始まった、彼らとの学院生活だが。
「この国の食事、あまり美味しくないわ」
「どうして誰も、ヴェリアの言葉が話せないのかしら? あまりに無学すぎるのではない?」
「我々は他国からの留学生なのだから、もっと手厚くもてなされるべきではないか?」
「だいたい、昼食をいただくのに、食堂まで移動しなければならない意味もわからないわ。わたくしたちの分は持ってきてくださればよろしいのに」
文句しか言わない彼らに、ロズリーヌは初日から悩まされることになった。
留学生というのは、単なる客ではない。
そのうえ、彼らの場合は、こちらが望んでもいないのに、半ば強引にやって来ただけなのだ。
やることはやらずに、権利だけを主張する。
貴族学院の中で、彼らはすでに頭の痛い問題となっていた。
そんな中、驚くべきことに――。
「ロズリーヌ・ミオットは、元第一王子と婚約を結んでいた頃から、セレスタン・アルヴェーンと関係を持っていた」
という噂が流れ始めたのである。
噂の詳細を聞くに、どうやらそのロズリーヌ・ミオットとやらは、真実の愛の相手であるセレスタンと一緒になるために、元第一王子を陥れたというのだ。
通常、一介の男爵令嬢などが、王族の近くに寄れるはずはない。
つまり、それが可能だったのだとすれば、そういった行為を許可した誰かがいるからだ。
そして、その誰かというのが、ロズリーヌだということらしい。
結果的に、元第一王子と男爵令嬢は恋に落ち、ロズリーヌとの婚約破棄を目論んだ。
その出来事すら、ロズリーヌが裏で糸を引いていたのではないかというのである。第一王子が愚かな行動に走るよう、うまく誘導したと。
「……酷い噂」
ユーフェミアが吐き捨てるように言う。
「わたくしのことはいいけれど……この噂では、セレスタンさまにも迷惑がかかってしまいそうで嫌だわ」
ロズリーヌも、深く息を吐き出した。
頭痛の種は、日々増えるばかりだ。
――そんな時だった。
「君、悪女なんだって?」
エジェオ・トノーニが声をかけてきたのは。
~余談~
【『この作品の』貴族間における呼称①】
※「呼び方とか別に気にならない……」という人は、ぜひ飛ばしていただければ!
女性に関しては、令嬢同士の場合は「下の名前+さま」。男性が令嬢に呼びかける場合は「下の名前+嬢」が基本になっています。
(例:ロズリーヌさま、ロズリーヌ嬢)
親しくなった場合は、「ロズリーヌ」「ユーフェミア」のように呼び捨てにしたり、あるいは愛称で呼んだりもしますが、公の場では「下の名前+さま」で呼び合うことが一般的。
既婚女性が令嬢に呼びかける場合は「下の名前+さま」ですが、令嬢が既婚女性に呼びかける場合は「爵位号(爵位)+夫人」が基本。会話の中で、誰を指しているのかわかっている場合は、短く「夫人」と呼びかけることもあります。
(例:アンドレアン伯爵夫人)
←ロズリーヌはまだ結婚していませんが、セレスタン(アンドレアン伯爵)と結婚したら、セレスタンが生家の爵位を継ぐまではいったんこうなります。
とはいえ、既婚女性と令嬢が親しくなり、既婚女性の許可があれば、令嬢が既婚女性を「下の名前+さま」で呼ぶことも(許可がないのに呼ぶのはマナー違反)。
既婚女性同士の場合も、親しくない限り「爵位号(爵位)+夫人」が基本。
※学院の教師のみ、生徒から平等に一定の距離を取るために「爵位号(爵位)+令嬢」と呼びます。
(例:アレグリア侯爵令嬢)




