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世界のはじまりは指先から【連載中】  作者: 桜木彩


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15/51

【015】すべてが違う

 会場に戻ると、そこはすっかり華やかな場所に様変わりしていた。

 その煌びやかな空間に、ロズリーヌは目を細める。王室――ひいては国の慶事に立ち会ったからか、貴族たちの多くは、浮かれているようにも見えた。

 しばらくすると、一度退場していた国王と王妃、そして王太子とパートナーの伯爵令嬢が、衣装を替えて再び姿を見せる。

 まずは、国王が挨拶をし、そのあとに国王と王妃、王太子のダンスがあるのだ。貴族たちのダンスは、それからである。

 以前までは、ここにエミールとロズリーヌも加わっていた。といっても、小規模な夜会程度では、もう長いことエスコートを受けていなかったが。


「……セレスタンさま」


 ふと、ロズリーヌがセレスタンに呼びかける。

 「うん?」王族が踊りはじめるのを見守りながら、セレスタンが声だけで応えた。


「ヒセラさまって、ご婚約は……?」

「ああ、うん。子爵家の嫡男としていたはずだね」


 王妃が許可しないといっても、政治的な側面を見れば、アーロンの婚約者になっていてもおかしくない令嬢だ。側近候補であるセレスタンも、当然確認していたのだろう。

 同世代の令嬢はほとんど婚約してしまっているので、実質、王妃の()(ごの)みがアーロンの選択肢を奪ったと言っていい。


(ヒセラさま……)


 「どうかした?」セレスタンが問う。


「ええ。こうして見ると、アーロン殿下とヒセラさま、お似合いだわと思って」


 手を取り合って美しく踊る二人を眺めながら、ロズリーヌは小さくそう呟いた。





「――さあ、あなたと踊る名誉を私に与えてはくださいませんか?」


 王族のダンスが終わるのを待ってから、セレスタンが手を差し出す。

 やけに芝居じみた仰々しい仕草だったが、それがまた様になっていた。


「喜んで」


 ロズリーヌはそれにくすりと笑みをこぼし、そっと自身の手を重ねる。

 相手の手を握り締めるのでなく、軽く指先だけを触れさせるのがエスコートをされる側のマナーだ。

 動きやすいよう、なるべく人が少ない場所まで移動し、互いに体を寄り添わせる。人々が準備するのを見計らったかのように、音楽が流れだした。


流石(さすが)だね」


 静かな時に身を任せていると、セレスタンが不意にそう言った。


「……『流石』?」

「うん、流石、ダンスがうまいなと思って」


 ロズリーヌのすべては、基本的に妃教育で仕込まれたものだ。ただでさえ厳しい淑女教育より、はるかに高度な教育を受けている。

 ロズリーヌは苦笑にも似た笑みを浮かべた。


「あの人が婚約者だった頃は、どんなときでも――それこそ年齢なんかは関係なく、絶対に失敗をしてはいけないと思っていたから」


 実際、エミールの立場の不安定さもあって、ロズリーヌの言動ひとつひとつに揚げ足を取ってくる人間はいた。


「確かに、出会った頃の君は、もっとずっと張り詰めた表情をしていた……かもしれない」

「今でも、あなた以外の人の前ではたいして変わらないと思うわ」


 王子の婚約者という肩書きが、次期公爵の婚約者へと変わっただけだ。人前で気を抜いてはならないという意味では、どちらも大差ないのである。

 至近距離に見えるセレスタンの表情が、うれしそうに緩んだ。


「私の前ではどんどん失敗してほしいな」


 思ってもみないことを言われた、というように、ロズリーヌがわずかに目を見開く。


「どういう理屈?」


 思わず訊ねた。


「気を張っている君が失敗するところなんて見たことがないから。その失敗が、私に気を許してくれているからだとしたら、大歓迎だと思って」

「……そんなことを言っていいの? 安心しすぎて、いつか大きな失敗をするかも」

「例えば?」

「そうね。王族に不敬を働いて国外追放とか」

「そしたら、君と――あと両親を連れて一緒に逃げる。でもその前に、そんなことにならないよう、私の立場を確固たるものにしておくことにするよ」

「まあ。……じゃあ、公式な場で思い切り転ぶとか。長いこと相当当て(こす)られると思うわ」

「転びそうになった君を支えるために私がいる」

「……なら、学院の試験の日に寝坊をして、遅刻をしてしまったら? 成績をつけてもらえない」

「君の場合は、今までの授業態度からして一度程度なら見逃してもらえると思うけれど。もし留年ということになったら、仕方ない。在学中に結婚するのもいいかもしれないね」


 この男は本気で言っている。

 ロズリーヌはなんだかおかしくなって、「じゃあ、あなたにはもっと甘えることにするわ」と告げた。

 しかし、セレスタンは小首を傾げる。


「『もっと』?」

「ええ、もっと」

「それって、今でも甘えてくれているということ?」

「そうね。少なくとも、あなたの前では素直に感情が出せる……出していいと思えるし」


 ロズリーヌが「足りない?」と訊くと、「足りないね」と即答するセレスタン。

 この婚約者には、どうやらもう少し寄りかかってもいいらしい。それどころか、それを望んでいるようなのだから驚きである。

 ふと、音が()む。

 気がついたら、ダンスが終わっていたようだ。

 ロズリーヌの完璧なダンスは、妃教育で培われたもの。考え事をしていても、耳が勝手に音を拾い上げ、足が勝手にステップを踏んでくれるのだった。

 二人は体を離し、軽く礼をする。

 すると、セレスタンが再び手を差し出してきたので、ロズリーヌもまた指先を重ねた。婚約者同士であれば、二曲続けて踊ることは珍しくない。

 今度は少し、明るい曲調の音楽だった。


 そんな中で、

「……前の婚約を、どう思っていた?」

 どこか強張った表情をしたセレスタンが、静かに問いかけてくる。


「え?」


 聞き取れなかったわけではないが、脈絡の無い質問に、ロズリーヌは思わず声を上げた。


「いや、正確には、前の婚約者をどう思っていた?」

「前の……」

「そういえば、聞いたことがなかったと思って。聞く必要がないとも思っていたし」


 そういえば、とロズリーヌは思う。

 元婚約者との関係について、弱音のようなものを吐き出したことはあるが、好きだとか嫌いだとか、個人的な感情についてはあまり触れたことがないかもしれないと。


「……それを今、知りたくなったのはどうして?」


 ロズリーヌは慎重に訊き返した。

 セレスタンは、一瞬言いづらそうに視線を落としたが、やがて躊躇(ためら)いがちに口を開く。


「アーロン殿下が言っておられたから」

「……アーロン殿下が? 何を……」

「誰も君の元婚約者には敵わないと」


 再び音が――いや、今度は時が止まったような気がした。

 ヘーゼルの瞳が、一言一句逃してなるものかとロズリーヌを見つめる。


「そう……」


 突然、周りの酸素が薄くなったかのような錯覚を覚えながら、ロズリーヌは頷いた。あの王太子は、なぜそんな余計なことをと思いながら。


「どう、というのは難しいわ」


 ルージュに彩られた薄い唇の間から、細い息が漏れる。


「わたくしたちの婚約は幼い頃に決められて、もうずっと、そういうものだと思って生きてきたんだもの」

「……うん」

「相手に好意があるかどうかで判断したこともない。……だけど……幼い頃は、それなりに仲良くしていたと思う。一緒に遊んだし、大人たちには内緒で外に出たこともある。結局見つかって、連れ戻されたけれどね。どちらがお菓子を早く食べられるかで競争したり、力比べをしたりもしたわ」

「……うん」

「でも、友人だとも恋人だとも、だからといって敵だとも思っていなかった。わたくしの婚約者。この先ずっと一緒にいるであろう人。それだけ」


 それからロズリーヌは「()いて言うなら、()()()()()という感じかしら」と締め(くく)った。

 そして、言う。


「だから、あなたとは根本的なものが違うわ。あなたとは、理由があって急いだ――急がされたとはいえ、わたくしが望んで婚約したんだから」


 それだけで特別なことなのだと伝わればいい。そう思って、ロズリーヌはほんの少し体を寄せた。

 腰に回されていた手が、びくりと震える。

 ロズリーヌはそれに小さく笑って、再びダンスをするのに適切な距離を取ると、改めて婚約者の顔を見上げた。

 その顔からは、先ほどのような緊張感は消え失せていた。


「つまり、その……アーロン殿下の『あの人には敵わない』という言葉をどう捉えたらいいか、わたくしにはわからないのだけれど……それがわたくしとの関係を指しているのだとしたら、戦わなくてはならない相手ではないわよと、思うわけで……」


 やや早口気味にそう告げるロズリーヌに、セレスタンは「うん、わかった」と朗らかな笑みを浮かべる。


「突然、すまなかったね。訊いていいものか迷ったんだけど」


 唐突な謝罪に、ロズリーヌは首を振った。


「むしろ、早い段階で訊いてくれて良かったわ。わたくしの知らないところで不安でいられるより、ずっといいもの」

「……不安?」


 セレスタンの足元が、わずかに――といっても、傍目(はため)に見てわかるほどではないが――乱れる。


「あら、違った?」


 普段のセレスタンの態度から、ロズリーヌの心がいまだ元婚約者のもとにあるのではないかと考えたのではないかと思ったのだけれど。

 「不安……」もう一度呟いたセレスタンは、しかしすぐにひとり納得したように、目を細めた。


「ああ、そうか。不安」

「セレスタンさま……?」

「うん、いや、ごめん。私は不安だったんだって、今気がついて」

「……そうなの?」

「正直、恋愛事を遠ざけようと生きてきたから、こんな気持ちになるのも初めてだったんだ。……だから、そうか不安かって、腑に落ちた感じ」


 こんなにも綺麗な人なのに、恋愛をしたことがないという。

 その立場の強さと、あの仲睦まじい家族を見る限り、ある程度の自由は与えられていただろうに。思わず「もったいない」と言いそうになって、ロズリーヌは誤魔化すようにくるりと回った。

 そんな突然の行動にも、セレスタンは自然に合わせてくれる。


「君といると、初めてのことばかりだ」


 そうやって、楽しそうに笑いながら。

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