85.サイクリング
昼食を食べ終えて町の門までやってきた。空は快晴で雨が降る気配はない。絶好のサイクリング日和だ。門から真っすぐ伸びる道を行けば、第三領都に辿り着くのか。
「気持ちのいい日ですね。絶好のサイクリング日和です!」
「この天気の中を自転車に乗って走るのね。気持ちがいいに決まっているわ」
微風が吹いていて、それが気持ちがいい。向かい風でもないので、きっと自転車を漕ぐにはいい天気なのだろう。
前の世界での長距離を移動する時は自転車を使っていた。自転車に乗れば普通のゾンビは振り切れるし、頑張れば暴走ゾンビからも逃げられた。速度のある乗り物は本当に重宝した。
だけど、今回は追われることのないただのサイクリング。止まったら死が待ち受ける過酷なサイクリングじゃない。一体、どんな感じになるのか今の私には想像できなかった。
「初めてのサイクリングだから、自転車も良いもの借りちゃったわね。魔動自転車」
「魔力で回転の補佐をしてくれる自転車なんですね。長距離だってスイスイ進みそうです」
前の世界では電動自転車なんてものがあったけど、その魔力版というものが異世界にはあるんだな。前の世界では電動自転車は無用の長物になっていたけれど、一体どれくらい楽に漕げるんだろうか。
「早速乗ってみましょうか」
「ですね、進んでみましょう」
私たちが乗る自転車はマウンテンバイク。未舗装の道にピッタリな自転車だ。そのマウンテンバイクに跨り、ペダルを漕ぐ。すると、グンとペダルが力強く動いた。
「漕ぐのにそんなに力がいらないわ。ただ、ペダルを回すだけの力だけでいいみたい」
「これは楽ですね。どんどん、先に進みますよ」
「これが魔動自転車……」
凄い、漕ぐのに全然力がいらない。ただ、ペダルを回すだけで簡単に前に進んでいく。前の世界で電動自転車が普及していたのが分かる。これは便利で楽なものだ。
「それじゃあ、第三領都に向けて出発!」
「行きましょう!」
真っすぐ伸びる道を魔動自転車に乗って進んでいった。
◇
未舗装の道は少しでこぼこしているけれど、問題はない。魔動自転車は軽やかに進み、全然疲労感を感じなかった。気持ちいい風が吹き付ける中、私たちの自転車は順調に進んでいく。
「風が気持ちいいね。普段、外に出る時は魔物討伐の時ばかりだから、こんなに風を感じることなんてなかったわ」
「外にいるのに全然堪能できてなかったですよね。なんか、ピクニックみたいな感じです」
「そうよね、ピクニックに似ているわ。ただ、自転車を漕いでいるだけなのに、楽しいのはなんででしょうね」
「一人じゃないからでしょうか? 三人で一緒の事をするのが楽しいんですよ」
確かに……自転車を漕いでいるだけなのに、ちょっと楽しい。その理由は分からないけれど、嫌な気分がないのはありがたい。
「そういえば、ユイって前の世界でも自転車に乗っていたのよね。こんな風にサイクリングとかしてたの?」
「私の場合は生きるために移動をしていたから、こんなにのんびりとしたものじゃない」
「あ、そういえばそうですね。ゾンビが溢れていたんですものね。そんな中をのんびりサイクリングとかできませんものね」
「拠点の外に出ると死に近づくから、必要がなかったら拠点に籠ってたから」
「へー、そんな生活だったんだ。じゃあ、今日がみんなの初めてのサイクリングだね」
前の世界ではのんびりサイクリングをしている暇はなかった。それこそ、周りに気を気張ってゾンビに当たらないように自転車に乗る感じだ。まさか、こんなのんびりと自転車に乗れる日が来るとは思わなかった。
「自転車の楽しみ方ってこんな風に自然を感じて移動することだけなんですか?」
「もっと違う楽しみ方もあるわよ。競争したりもできるんだよ。その競争も色んな種類があってさ、見るのは楽しかったなぁ。まぁ、殆どは漫画なんだけどね」
「実際の競技は見たことないけど、漫画ならある」
「ユイも? 私も漫画ならあるのよー。見ていると手に汗握っちゃってね、つい力んで読んでたわ」
「まぁ、そういうものだからね」
この世界にも自転車を題材にした漫画があるのか……読んでみたい。
「二人にしか分からない話をしないでくださいよ!」
漫画の話をしているとフィリスがふくれっ面をした。一人だけ除け者になっている状況が許せないらしい。
「それなら、フィリスも漫画を読んでみるといいわ。凄く楽しいわよ」
「良い暇つぶしになる」
「むー……一人だけ除け者になるのは嫌なので、その漫画というヤツを貸してください」
「いいわよ。その前にフィリスがどんな漫画が好きなのか聞かないとねー。ユイはどんな漫画を持ってる」
「私は……」
そこで気づく、普通に会話をしていること。いけない、好きな話題になると話しに入ってしまう。仲良くする気なんてないんだから。話を中断してそっぽを向く。
「ユイが自然と会話に入ってくれて嬉しかったんだけど、気づいちゃったかー」
「うーん、手ごわいです。でも、あともう一押しって感じでしたね」
「……うるさい」
「一緒に行動しているお陰で仲良くなっている感じがするわ。このまま、なんでもない会話をしてユイを引き込むわよ」
「ふふふ、ユイさんは私たちの術中に嵌るのです」
サイクリングをしているせいか、他にやる事がないので会話をしてしまう。きっと、穏やかな風の中を切るように走る自転車が気持ちいいせいだ。
◇
快晴の中、走る自転車。魔力で補佐をしているため、ペダルを漕ぐ力はそれほど必要ではない。だから、疲労をほぼ感じることなく道を走れた。
変わりゆく景色を楽しみ、少しずつ落ちていく陽の明かりを楽しむ。こんなにゆっくりと景色を楽しんだのは初めてだ。穏やかな空気に触れていると、自分もそうなっていくような感じがした。
陽が落ちて、辺りが夕焼けに染まる。道はまだ続いているけれど、今日進むのはここで終わりだ。適当な場所で止まると、道の脇に逸れて広場で座る。
「んー、いい運動だったわ!」
「気持ちのいいサイクリングでしたね」
「じゃあ、私は夕食の準備をする」
「だったら、私は焚火の準備をするわね」
「何か手伝え事ありますか?」
「いい。作ったことがないなら、手を出さないで欲しい」
一息ついた後に夕食作りを始めた。セシルとフィリスは焚火の準備を始め、私はマジックバッグの中から道具と食材を出す。適当に買った台になる箱の上にまな板を置くと調理開始だ。
クリームシチューに入れる野菜の皮を剥き一口サイズに切り揃える。切った野菜はボウルに入れて置くと次は肉の処理だ。こちらも一口大に切り揃える。クリームシチュー用の肉はボウルに入れて、串焼き用の肉は串に刺して皿の上に置いておく。
「焚火の準備できたよー」
良いタイミングだ。できあがった焚火の周囲に足が四脚のトライポットを設置して、そこに鍋を吊るす。地面に塩と胡椒をかけた串焼きを設置した後、鍋に油を入れて少し熱した。そこにいれるのは肉。入れた瞬間ジュワーッといういい音が聞こえてきた。
そのまま肉を軽く両面を焼き、その後に野菜を入れて少しだけ炒める。野菜に少し火が通ったところで水を入れて、蓋をすると野菜に火が通るまで煮込む。その間、串焼きが焦げないように注意深く確認する。
十数分後、蓋を開けると野菜には良い感じに火が通っていた。そこにルーを入れて溶かし、さらに牛乳を入れて少し煮込む。お玉でかき回すとシチュー独特のトロミがついてきた。これで完成だ。
できあがったシチューと焼けた串焼きを皿に盛ると、二人に渡す。
「もうできたのね!」
「ユイさんの手作り、美味しそうです」
「さ、食べよ」
焚火を囲んでその場に座ると、できたての食事を食べ始める。いい匂いがするクリームシチュー。スープですくって一口食べてみると、優しい味が口いっぱい広がってとても美味しい。うん、上出来だ。
「わー、美味しい! ユイって料理上手なのね」
「美味しいです! お店で食べるものと遜色ありませんよ」
「簡単に作れるルーを使ったから」
「それでも美味しいわ。ユイが作ったっていう事実もこの料理をさらに美味しいものに進化させていうと思うのよね」
「ですね。ユイさんが作ったから余計に美味しく感じます」
「……何それ。馬鹿じゃないの?」
私が作ったから美味しい? どういう意味が分からないけれど、二人はとても満足そうに食べていた。それを見ていると、なんだかモヤモヤする。落ち着かないというか、なんかこう……。
「作ってくれてありがとね」
「ありがとうございます」
二人が笑顔でお礼を言ってきた。それだけで心が穏やかになっていくような気がする。そういえば、誰かに料理を食べてもらうなんていうのは初めてだな……。
「別に……野宿だから仕方なく作っただけだから」
二人の笑顔がやけに脳裏に残った。
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