19・引き続きの混乱と羞恥(1/3)
「雅樹くん、今日は帰りなさい」
玉城さんを相手に技をかけようとしてすぐに、止められた。
周りではいつも通りにみんなが稽古をしている。
視界の端で黒い袴が綺麗に舞っている。
「……どうしてですか」
「何があったかは知らないけれど、怪我をしそうな人を相手に稽古はできない。
邪魔だから帰って」
真っ白い襟の上にある玉城さんの顔は真剣で、本気で怒っているのがわかった。
玉城さんは後ろを振り返って、全体指導をしていた明智先生に声を張り上げて言った。
「明智先生、雅樹くんとはできません。帰るように言いました」
「うん、そうだね。雅樹くん、今日は帰りなさい」
ぴんと背筋の伸びた明智先生は、ゆっくりと白髪の頭を縦に動かした。
「今までになく心がどこかにいっているね。
持ち直すかどうか、様子を見るように玉ちゃんへ頼んでいたけれど、今日は帰った方がいい」
「でも、体を動かしていたいんです」
「うん、それは雅樹くんの希望で、玉ちゃんを巻き込む危険性は理解しているのかい?」
ぐぅっと、言葉に詰まった。
受け身の練習を体に叩き込んでいた頃、さんざんに言われた。
相手がいてこそ稽古ができる。ひとりよがりなことをしたら、道場から叩き出されても文句は言えない。
「雅樹くんにも玉ちゃんにも、怪我をして欲しくないんだ。
側から見ていても、そう判断するくらいに、今日の雅樹くんはよろしくない」
「はい……」
「休むことも大事だ。力を抜くことの大切さは、もう知っているよね」
「はい」
僕は俯いたまま、唇を噛んだ。
休めばよかった。
大河たちと走っただけじゃ、足りなかった。でも、そのもやもやを人を相手に解消するのは、間違っている。
「雅樹くんはちょっと張り詰めたところがあるから。
ちょうどいい機会だし、少し休みなさい」
「……はい」
「明後日の屋台の手伝いには来てもらうからね。それまでに落ち着いてたら、夕方から少し稽古をしよう。
今日と明日は、ゆっくりすることを知ってください」
「はい、分かりました」
僕は穏やかに微笑む明智先生と、厳しい顔のままの玉城さんに一礼した。
もやもやしていると思っていたけれど、少し浮かれたところもあったのだと思った。
それを玉城さんに見透かされたようで、恥ずかさと自分への失望と、悔しさがごちゃまぜになった。
沈んだ気持ちのまま、着替えをしていると清野さんが更衣室に入って来た。
更衣室といっても、厚手のカーテンで部屋の奥を仕切るだけの簡単なものだ。
「雅樹くん?帰るの?」
Tシャツ姿でカーゴパンツをはいている途中の僕を見て、驚いたように言った。
「はい。ちょっとダメみたいで」
「……何かあったの?」
後輩に告白されて、その後シーナにキスされました。
って、言えるわけがない。
「……ちょっと、はい」
「シーナくんと喧嘩したの?」
「喧嘩……」
喧嘩なんだろうか。
バスケ部に混ざって走った後、美術部に戻ると誰もいなかった。
「え、何で?」
驚いて美術部準備室に行っても、土田先生の姿も見えない。
もう一度、美術室に戻るとホワイトボードに、
「今日と明日は、美術部は休み」
と、土田先生の字で書いてあった。
「……本当に何があったんだ」
1時間ちょっとをバスケ部と走って、少し休憩をとってから、歩いて戻ってきただけなのに。
その間に何があったんだろう。
シーナの姿も見えない。
帰りは僕と一緒のはずなのに。
ぽつんと残った僕の通学カバンを見ると、「ミセス土田のところに行ってきます。先に帰ってね」と、シーナからのメモが挟んであった。
「……なんでミセス土田のところに」
口ではそう言いながらも、シーナと会わなくて済んでほっとしている気持ちもあった。
そんな気持ちを抱いたことに、罪悪感を覚えた。
僕はシーナのことをどう思っているんだろうか。
いまさらだけど、数時間前まであったはずの単純明快な答えが、バラバラに散らばってしまっているのを感じた。
シーナにキスをされたことで、何かが壊れてしまった。
この感覚は何なのだろう。
初めて知る感覚は、僕を心細くさせた。
だからだろうか。
思わず清野さんに聞いてしまった。
「女の子からキスされたことって、ありますか?」
言った途端に、清野さんがびっくりした顔になり、一瞬遅れて、にやっと嬉しそうに笑った。
あ、しまった。
言わなきゃよかった。
後悔先に立たず。
「へぇ〜」
「なんですか」
警戒心を露わに僕が睨むと、清野さんは両手を口にあてて、目を閉じた。
そして、謝った。
「ごめん。雅樹くんは真剣に悩んでいるんだもんね」
「その手と目は、なんですか」
「今ちょっとニヤけるのを抑えている。
こういうダメな大人になるまいと昔は思っていたのに、知らないうちになるもんだね」
そう言うと、目を閉じたまま黙った。




