15・黄昏時は一瞬でやってくる(3/4)
物心がついた頃から、シーナはそばにいた。
兄よりも近く、親しく、すぐ隣に存在していた。
それでも姉と思ったことはない。
夜になれば、隣の家に帰るシーナは、一番一緒にいるけれど、家族ではない初めての他人だった。
「どうしてシーナは帰っちゃうの?」
「違うおうちだから」
「ぼくのおうちにずっといてよ」
「雅樹がわたしをお嫁さんにしてくれたら、ずっと一緒だよ」
「うん。およめさんにする」
"およめさん"が何なのか、わからない僕は、何度もシーナに言っていた気がする。
5歳と8歳では、言葉の持つ意味が違うのに、シーナは何度でも「お嫁さんにしてね」と言っていた。
今思うと、子どもといえども、8歳の女の子が5歳の僕にどうして毎日会いに来ていたのだろうか。
学校の友だちと遊ぶとか、それなりに何か用事はあるはずなのに。
シーナは必ず僕のところに帰ってきていた。
授業の長い水曜日は、シーナが来るのが遅くて、僕は水曜日がつまらない日として覚えた。
土曜と日曜は、一日中シーナと一緒の日。
家族で出かける時は、10歳年上の兄が不在になった席をシーナが代わりに埋めるようになった。
それでも、夜になればシーナは帰って、兄が戻ってくる。
それが切なかった。
眠っているシーナの髪を指で掬うと、さらさらと触れたそばからこぼれていく。
なぜかため息が出た。
シーナが目を覚ますまで、僕はベッドを背もたれにして、寝顔をぼんやりと見つめていた。
「……う…ん」
「……シーナ、おはよう」
「雅樹、起きたの……」
「うん、ただいま」
「おかえりなさい」
焦点の定まらない青い目が、まばたきを繰り返す。
肩からはタオルケットが滑り落ちた。
「……寝てた」
「うん。寝てたね。
モデル、大変だったの?」
「うん、知らない人も一緒に並んでやったから、合わせるのがちょっと嫌だった」
「ふうん、2人並ぶ構図がよかったのかな」
「うん、生徒さんたちに、遠近つけて描かせたかったみたい……あとは、ただの趣味だと思う」
「あー……」
ミセス土田、女の子の組み合わせが好きらしいからなぁ……。
絵としても柔らかい雰囲気の方が人に受け入れてもらいやすいって言ってたし。
「……のど、かわいた」
「下から飲み物持ってくるよ」
「うん、お願い」
「シーナ、髪の毛食べてるよ」
「……ん、雅樹、とって」
「はいはい」
寝起きでほんのり赤味がさしたシーナの頬に指先を伸ばす。
軽く触れて、指を頬から顎へと動かす。
金色の髪がはらりと流れた。
「はい、とったよ」
「ん、ありがと」
ふんわりとシーナが微笑む。
僕もつられて微笑み、軽くシーナの頭を撫でてから立ち上がった。
コップと麦茶の入ったボトルを持って部屋に入ると、シーナが机の上のビニル袋を開けていた。
いつの間にか、窓も開けていて、少し涼しい風が入ってくる。
「ねぇ、これが雅樹が作ったお饅頭?」
「うん、餡子を皮で包むのをやっただけなんだけど」
「木の皮みたいな板に何か書いてあるけど、これは何?」
「あ、それは誰が作ったのかわかるようにしたサイン」
「2種類あるよ?」
「えーと、点が3つだけのが後から作ったお饅頭で、点とアルファベットの『M』が書いてある方が最初に作ったんだと思うけど……」
「じゃあ、『M』だけ書いてあるのが一番最初?」
「ん?そんなのある?」
「うん、これ」
シーナが指差した先には、確かに『M』だけが経木に書かれたお饅頭がひとつ。
「あ、武田さんのだ」
「え?」
「武田美園さんで、イニシャルが同じ『M』だったんだよ。
あー、武田さん、パックに詰める時に間違えたんだな……」
「…………ふぅん」
シーナが低い声で返事をした途端、目印が『M』だけのお饅頭を経木から剥がして、ぱくりと口に含んだ。
「あ!シーナ!それ、僕が作った方じゃないよ!」
「ふーん」
「ふーんじゃなくて!シーナ、僕が作った方を食べてよ!」
シーナは目を閉じて、無言でお饅頭を頬張る。
「えー……。初めて手作りしたのに」
なんだか落ち込んできた。
シーナは瞬く間にお饅頭を食べ終わると、麦茶を一気に飲み干した。
「ふーん、餡子が微妙」
仁王立ちしたまま、シーナが断言する。
「そうかなぁ?美味しかったはずなんだけど」
「残りは全部雅樹が作ったのでいいんだよね?」
「うん、点が3つあるから、僕だよ」
「じゃあ、いただきまーす!」
「え?」
ぱんっ、と、両手を合わせてそう言うと、シーナは2個目のお饅頭を食べ始めた。
「うん、こっちの餡子は美味しい。皮もふっくらしてる」
「そんなに違う?」
口いっぱいにお饅頭を入れたまま、シーナがこくこくと激しくうなずく。
何だそれ、シーナの贔屓目がすごい。
(*´ー`*)武田さんの作ったお饅頭をシーナが雅樹に食べさせるわけがなかろうて。
(*´Д`*)食べて処分!!




