8・積年の嫉妬と新たな焦燥③
「シーナ、ドライヤー貸して〜」
「そこの、あ、ちがう、悠河の後ろにある」
「あ、あったあった」
お風呂上がりのアイスティーを飲んで、シーナの部屋におじゃまして洗った髪を乾かす。
9月の夕暮れからは、虫の声がオーケストラのように重なって聞こえてくる。
2階の窓からは、隣の家の玄関まわりがよく見えていた。
ドライヤーの音が虫の声をかき消して、目を閉じて髪を乾かす私の意識を内側に向かわせた。
シーナが麗香さんと帰ってきてから、少しだけシーナの緊張感がゆるんでいた。
心配をして、バイト終わりに来たけれど、大丈夫みたいだ。
記憶に残らないくらいに大量の服を着て、脱いで、何かがはがれ落ちたように思う。
穢れをうつす、とかじゃないけれど、これじゃないといけない、と思っている重さが消えた気がする。
麗香さんは絶えずこんなことをしているから、次々に新しいもの、楽しいもの、わくわくするものに心をうつして生きていけるのだろうな。
シーナは雅樹くんが唯一で、すべての中心だから、きっと麗香さんみたいな生き方はできない。
それはそれでいいと思うけど。
シーナの中に、もう少し麗香さんみたいな移り変わる強さがあれば、不安じゃなくなるのかな、と思ったりもする。
熱をもって乾いた髪を撫でて、ドライヤーのスイッチを切る。
また虫の声が響いて聞こえてくる。
顔を上げると、シーナが無表情でクッキーをつまんで、食べていた。
「……シーナさぁ、なんで夏樹さんのこと、そんなに嫌いなの?」
「別に」
「クッキー、シーナが好きなクルミ入りじゃない」
「うん」
「美味しかったよー?」
「うん」
「それなら、美味しそうな顔になるのに」
「………だって、わたしが作ったのより、美味しいんだもん」
「ん?」
思わず変な声が出る。
「雅樹が好きなものも、全部把握しているし、何を言っても作れるし。その上、美味しいし」
シーナはアイスティーを飲み干す。
やけ酒をあおっているみたいな飲み方だなと思った。
そして、また不機嫌そうに続ける。
「紅茶もコーヒーも、淹れ方うまいし。
………それに、雅樹がおねーちゃんより優先されてないからって、拗ねているのに気づいてないのが、ムカつく」
「へぇ?」
「……チキン野郎のくせに」
ぷいっと、そっぽを向くシーナ。
え、やだ、かわいい。
「雅樹くんも、夏樹さんにかなりの塩対応だけど」
「雅樹は小さい時、ずっとおにーちゃん、おにーちゃんって、追っかけてたもの。
それなのに、あのチキン野郎は、おねーちゃんのことばっかり考えてて、雅樹がくっついていても、全然遊ぼうともしないし。
それなのに、自分が高校生になったら急に雅樹を構うようになって。
知らないわよ、反抗期が終わってから弟が可愛くなったとか言われても。
だったら、最初から雅樹を可愛がってなさいよ!」
手近にあったクッションをベッドに叩きつけるシーナ。
おや?これはまさか。
「………シーナにとって、夏樹さんって、ライバル?」
思ったことをそのまま口に出すと、シーナが私を睨みつけるように、顔を上げた。
「ちがうもん!そんなんじゃないから!」
「………え、だって、夏樹さんに構われなかったから、雅樹くん、すねてるんでしょ?
シーナ、それが面白くないんでしょ?」
「……ちがう。感情ダダ漏れなのに、鈍感とか、そういうのに腹が立ったの。
もぉ〜!ドライヤー終わったなら、貸して!まだ髪を切ったばかりだから、この髪形に慣れてないの!
セットに時間がかかるの!」
ぷんすことしながら、シーナが私からドライヤーを奪い、一番強いモードで音を立てて髪を乾かし始める。
おいおい、なんだよ、このかわいい生き物は。
「シーナ! ちゃんとセットしながら乾かさないと! 髪、まとまらないよー!」
にやにやする顔を押し殺して、ドライヤーの音に負けない大きな声で話ながら、私はシーナに近づいた。
もう虫の声は、全然聞こえなくなった。
シーナと色違いのワンピースに着替えて、1階のリビングダイニングに降りていくと、大人たちはもうワインを飲み始めていた。
その反対側にあるテレビの前に、雅樹くんと弟の大河が座っていた。
ゲーム機の設置をしているみたいだ。
「ねぇ、最初は1対1での対戦ゲームにしてて。
私たちまだ何も食べてないから」
「あ、そうですね。じゃあ、大河と格ゲーやってます」
「後ろで見てるから、がんばってね」
「シーナも僕も、そんなにゲームやらないから上手くないじゃないか」
「少しは歯ごたえのある戦いにしてくれよ」
「あ、大河、あんたの得意なゲーム選んでるじゃん。ひっどい」
わいわいと、子どもだけで会話が弾み、夏樹さんたちが作った料理を食べながら、ゲームを観戦した。
私もシーナもお腹がいっぱいになった後、4人でゲームを始めることにした。
シーナも何度かプレイしたことのあるメジャーなアクションレースゲームだ。
「カメ、カメのがいい」
「ねーちゃん。一応、それ偉いキャラだから」
「じゃあ、わたし、きのこ」
「そこは、姫にしなよ、シーナ」
レースを開始して、1周目が終わったころ、何か急に思い出したのか、雅樹くんがなんでもないことのように言った。
「あ、シーナと悠河さん、今度、敬老の日にお饅頭作りませんか?
部活の後輩の武田さんに誘われて、人が多い方がいいらしいので」
シーナのプレイするきのこが乗った車が、勢いよく崖の下に落ちるのが見えた。




