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2話

この部分まで短編の改稿となっています。

新規部分は次話以降です。

 かつて父は自分に似ている私を可愛がってくれていた。「リーフェは嫁に行かずとも良い」と言って、母に諫められていた父だったのに、いつしか私を厄介者扱いするようになっていた。


『リーフェ。お前は普通の令嬢として嫁ぐんだ』


 最近の父からはその言葉しか聞くことができない。

 今回の見合いも失敗となれば、とてつもなく怒り狂うだろう。躍起になってどうしようもない嫁ぎ先を見つけてくるかもしれない。そこまでして父が私の結婚を焦るのには、行き遅れだからとか、家名に傷がつくとか……辺境伯家としての体裁以外にも理由があった。


 私が()()()()()()出来損ないだからだ。



「馬をお願いします」

「リーフェ様……っ! な、何を――」

「ここは我が領地です。辺境伯家の者が守らなくて、誰が守るのですか」


 自分の馬の手綱を震えるヴィートの手に握らせると、私はスカートをまくり上げ、太ももに巻き付けていた護身用のナイフをホルスターから取り出した。


「大丈夫です。私、少しは戦えるので」


 突き刺さる殺気に自然に唇が弧を描いてしまう。ずしりとしたナイフの重みにこみ上げる震えは武者震いだ。

 ――久しぶりの実戦。

 早く駆け出したいと足下が疼く。

 ナイフでスカートの裾を裂き、邪魔にならないよう足に縛り付ける。乗馬用に編み上げ靴を履いていたのは幸いだった。小型のナイフでは少々心許ないが、たとえ群れだとしてもマドヴォルフが相手ならこれで十分だろう。


 そう、父である辺境伯が私を嫁がせたがっているのは、私が「領地一の剣術使い」だからだ。

 辺境伯家の最低限の嗜みとして教えられた剣術だったが、私はあっという間に指導役を打ち負かすほどの腕前になってしまった。十代の頃には私に敵う者はいなくなり、魔獣討伐に加わっては何度も大物を仕留めた。しかし父はそれが面白くなかったらしい。すでに実力で娘に敵わないことを悟った父は、私に剣を持つことを禁止した。


 一般的な令嬢として生きるよう命じられ、自分を押し殺して生きる日々はただ空虚なばかりだった。

 けれど今、私は手の中のナイフの感触にこんなにも心が浮き立っている。令嬢としては出来損ないかもしれないが、剣を手にすれば誰よりも輝ける自信がある。


「戦いは苦手なのでしょう? あなたは逃げてください」


 私は視線を森の中に向けたまま、ヴィートに告げた。


「私を庇ってくださったこと、嬉しかったです。私は令嬢としては出来損ないですが、少しだけ普通の令嬢になれたような気がしました」


 もう二度と会うことなどないだろう見合い相手に私は感謝を告げた。断られてしまったのは残念だったが、私はやっぱり普通の令嬢にはなれないらしい。

 魔獣を前にして怯えるどころか、戦える喜びに胸を震わせていることが何よりの証拠だ。


 しかし――


「ったく、そういうことかよ」


 聞き慣れない言葉に「え?」と思う間もなく、私の目の前にザンッ……と剣が突きたてられた。


「リーフェ様はそれ使うといいですよ」


 見ればヴィートの腰から剣が消えている。彼に託した私の馬もいつの間にか手綱が手放され、彼の馬と連れ立って走り去るところだった。


「ど、どうして――」

「俺も戦うんで」

「えっ? な、何で?」


 ヴィートは眼鏡をはずすとズボンのポケットに無造作に突っ込んだ。驚く私をよそに、まるで準備運動のように軽く飛び跳ねたり首や手足をグルグルと動かし始める。さっきまでの鈍さが嘘のように身軽な動きだ。

 一方、私の頭の中は突然のヴィートの変化に大混乱だった。そうこうしているうちにも魔獣の殺気はどんどん高まり、いつ飛び出してきてもおかしくない状況になっている。緊迫した空気の中、私はかろうじて一言だけ彼に問いかけることができた。


「待って! あなたの武器は?!」

「……はっ。こいつらくらい素手で十分だろ」

「――っ!?」

「来るぞ……!」

「グルウォオオオォォッッ!」


 マドヴォルフが空気を震わせるような雄叫びを上げる。

 その一瞬、ヴィートが笑ったように見えた。


「そっちだ!」

「グルゥオォォッ!」


 ヴィートの声と同時に、びりびりと木々を震わせる咆哮と黒い塊が森の中から飛び出してくる。私は目の前の剣を地面から引き抜くと、久しぶりの剣の重みを味わうように思い切り振り抜いた。


「――グギャアッ!」


 魔獣特有の潰れるような奇怪な叫び声と共に、涎をまき散らしながらマドヴォルフの首が吹っ飛んでいく。ぼとりと落ちた首はすぐに泥のように崩れ、キラキラとした魔石の欠片が残った。しかし息つく間もなく私に向かってくる数頭の影が視界の端に映る。

 私は急転回しようと地面を踏みしめた――が、わずかに早く黒い影がよぎる。ヴィートだ。


「うらァッ!」

「ギャァッ……!」


 ヴィートの拳が真っ赤な口を開いて飛び掛かるマドヴォルフの横っ面に叩きこまれる。拳が触れると同時にマドヴォルフの頭が粉々にはじけ飛び、残った体がどさりと落ちた。瞬きをしていたら見逃してしまうほどの素早い打撃だった。

 まさか素手で魔獣と戦える人間がいたとは。だが呆気に取られている私に、ヴィートは厚い前髪の奥からにやりと笑って見せたのだ。


「おい、ぼーっとしてんなよ。俺が全部仕留めちまうぞ」

「こっちの台詞よ!」

「――っ、うわ?」


 次の瞬間、ヴィートをナイフがかすめて飛ぶ。はら、と数本の黒髪が散ると同時に、私が投げたナイフは不意をついて飛び掛かろうとしていたマドヴォルフの眉間に命中した。


「ふっ!」

「――ウグワァッ!」


 マドヴォルフが一瞬動きを止めた隙を狙い、素早く踏み込みながら首を薙ぎ払う。ずん、と痺れるような手ごたえに自然と口の端が持ち上がる。

 こみ上げる高揚感。一歩間違えれば死に至る緊張感。ずしりと重い鋼の感触。

 どんなに素敵な贈り物よりも、どんなに華麗なダンスよりも、私の心を動かすものがここにある――


「あっぶねー! 俺が死ぬとこでしたよ」

「……狙ったのよ」


 死ぬわけがないじゃない。私は少しムッとして言い返す。彼にはナイフがはっきり見えていたはずだ。そうでなければ、あんなぎりぎりのタイミングで避けれるはずがない。

 一方、ヴィートの足元にはいつのまにか頭が潰れた魔獣が一頭転がっていた。だが呑気に喋っている暇はないようだ。次々に倒される仲間の姿にマドヴォルフたちは興奮状態に陥っている。


「一気に来そうね」

「そうだなァ~。いやぁボク困ったなァ~」

「ふざけないでちょうだい」


 体勢を整えるべく一歩下がると、トン、とヴィートと背がぶつかる。困ったと言いつつヴィートの声はどことなく楽しそうだった。


「グウォオォォッッっ……!!」


 一頭のマドヴォルフが上げたひときわ激しい雄叫び。その声を合図とするように、茂みの中に潜んでいた群れが一気に飛び出してきた。


「さっさと終わらせましょう」

「了解……!」


 私たちは同時に地面を蹴り出した。




「グギャャォ……!」


 最後の一頭が断末魔の叫びを上げながら消えて行った。


「終わったわね」


 剣の血振りをしながら周りを見回すと、散らばる魔石の欠片が地面で輝いていた。まるで星空のようだと思いながら、私は大きく伸びをしているヴィートに剣を差し出した。


「返すわ」

「ああ、役に立ったんなら何より」


 そう言いながらヴィートは剣を受け取り、なめらかに鞘に納めた。遠乗りの時のような弱々しさは微塵も感じられない。その姿を私はジッと睨みつける。


「どこが『出来損ない』よ。これが本当の姿だったってわけね。これほどの実力があることをどうして隠しているの?」


 俊敏かつ骨をも砕く強烈な打撃を繰り出すヴィートの体術に、魔獣の中でも素早い部類のマドヴォルフが赤子のように扱われていたのだ。なにより悔しい事に剣を扱った私よりもヴィートが倒した魔獣の数が多い。彼ほどの実力の持ち主なら騎士団を越え、国王直属の重要な役職に就けるはずだ。

 しかしヴィートはもしゃもしゃと頭を掻きながら答えた。


「だって俺、剣使えねえし」

「は?」

「騎士団の実技は剣術のみ。どんなに体術ができても、俺が騎士として出来損ないなのは変わりねぇ。陛下に頼んで下っ端の下っ端をやらせてもらってる以上、どんくさくなくっちゃまずいからな。ああ、でもそうか――」


 ヴィートの唇がにやりと吊り上がる。


「リーフェ様も同じか。『出来損ないの令嬢』って、そういうことだったんだな。令嬢らしいこととは無縁。だけど剣の腕前はずば抜けてる……こっちが本当の姿だったってわけか」

「そ、それは……」

「好きなんだな。剣術が」

「……ごめんなさい。やっぱりはしたないわよね」


 戦いで浮き立った気持ちがスッと冷えていく。

 もうお見合いは断られているし、彼にどう思われるかなんて気にする必要なんかない。けれど共に戦ったヴィートですら剣を扱える令嬢は幻滅する存在なのだ。剣術が好きだというのも、あんなに生き生きと魔獣を斬っていたのだから言い逃れしようがない。


 胸が詰まり、思わず俯いてしまった私は、次の瞬間目を疑った。

 ヴィートが私の前で片膝を地面についている。


「前言撤回させてください。どうか俺と結婚してくださいませんか」

「……はぁっ? ま、待ってよ! 誰がどうするって? 何考えてるの、こんな令嬢らしくない私なんかと結婚したらあなたの人生台無しよ?!」


 いくら混乱しているといっても、彼が何を言ったかくらい理解できる。

 求婚? まさか? こんな行き遅れで出来損ないの私に?

 そもそもお見合いだったはずなのに、いつそこまで話が飛躍した?

 私がまったく可愛げのない返事を返すと、ヴィートは楽しそうに笑った。


「はははっ! 俺はそのままのあんたが良いんだ。こんなふうに気取らず、たまに魔獣倒したりなんかして。それでも一緒にいられるなんて最高だろ。そうなったら仕事も頑張るんで安心してくださいな」


 笑いながら彼が長い前髪をかき上げる。


「出来損ない同士よろしくお願いしますよ、リーフェ様」

「……ッ?!」


 初めて現れた彼の素顔。切れ長な黒い瞳がまっすぐに私を見つめていた。

 熱くなる頬に私は頷いたまま、顔を上げることができなかった。

3話まで同時投稿しています。次話以降、後日談部分となります。

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