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夢巡  作者: 茶竹抹茶竹
10章『The Hostility』
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32話「盤上の駒」

 目が醒める。

 目が醒めたことを認識する。

 私は勢いよく飛び起きた。

 心臓が昂ぶっていた。脈が乱れていて目眩に襲われる。荒れた呼吸を抑えつけ周囲の状況を確認する。

 自宅のベッドの上だった。遮光カーテンが自動で開き、朝の陽射しが射し込んできている。

 夢の世界で発生した動乱の光景の直後に見る光景としてはあまりにも静かだった。少女の悲鳴を今も鮮明に思い起こすことが出来るが、部屋の中は物音一つしない。

 麻木に声をかけようとしたが隣のベッドに姿は無かった。電子神経を介して通話を呼びかけてみるも反応はない。

 状況を確認する、脳裏に残る情報を精査する。

 今しがた目にしてきた異様な景色。事態の全容は未だ見えないが予想は付く。

 葉久慈氏の目的は夢の世界の管理者領域、そして少女の持っている情報の強奪だろう。

 その為に明晰夢の技術をひた隠し、私に奇襲をかけて、少女に危害を加えた。あれは恣意的に仕掛けられた状況だと考えていいだろう。

 一連の争乱と幾つもの状況証拠を恣意的に結びつけるならば、少女から取得した座標情報に大きな意味がある筈であり、その場所に求める何かが存在している筈だ。

 夢の世界から弾き出される寸前に流れ込んできた座標情報が記憶にあった。それを目的地に設定し検索をかける。座標は東京脳神経外科病院の敷地内、病棟とは違う何らかの建造物が提示された。

 無人送迎車を自宅まで呼びつけ病院まで急ぎ向かう。朝の出勤の為の車と忙しなく車とすれ違う。

 夢に見た無数の狂人の群れも葉久慈氏が起こした管理者領域での異様な光景も、いや、今まで見てきた幾つもの悪夢の光景全てが鮮明に私の脳裏を過った。

 それでも現実世界の光景は一切の綻びも変化もなく、夢は夢のまま。現実では何も起きてなどいない。

 病院の敷地内へと踏み込む。病棟を無視し芝生の敷き詰められた敷地を横切る。ちょっとした林のように隆盛した植木の群れを潜る。

 木々で隠されていたようにして、開けた視界の中に突如その建物は姿を現した。座標にあったのは黒塗りで堅牢な外観の建物。何を目的とした建造物であるか判断が付かない。

 建物の正面口に立った私の存在を認識し、硝子張りの入り口が自動で開く。中へと踏み込む。受付らしき広い玄関は無人であった。白く無機質で一切の装飾がない機能的な内装、左右対称で均整の取れた風景。設備には汚れや傷の一つもない。

 清潔感のある内装からは、何らかの情報を推察することの一切を拒絶されているかのようだ。

 施設内の通信は稼働しており電子神経がデータを受信する。建物内部の一番奥にある部屋を目的地として経路案内が表示される。私が目的地に設定したわけではない。何者かが私のことを招いている。

 その誘いに乗って建物の奥へと進んだ。冷え切った廊下を進むたびに足音が静かに響く。廊下に並ぶ重たい扉は何れも閉ざされている。物音も話し声も聞こえず人の気配はない。

 廊下を突き当たると頑丈な扉が私を待っていた。此処が目的地だと電子神経に告げられる。電子錠のかかった重たい扉が私を招き入れるかのように自動で開いた。

 中の部屋に踏み込む。狭い部屋の全容が僅かな照明と電子機器から漏れ出した光によって照らされていた。

 今までは打って変わって、薄汚れた配管が剥き出しになったコンクリート製の壁。所狭しと雑多に並ぶ無数の電子機器。絡み合った配線はどこに繋がっているかも分からない。埃の被ったぬいぐるみが場違いな様子で機器の隙間に挟まっていた。

 何かの研究施設であるように見える。

 私の気配に気が付いてか、部屋の奥で振り返る人影があった。

 葉久慈氏だ。そして、彼女の奥には硝子の水槽があった。

 水槽には強固な土台が据え付けられて配線が伸び、周囲に設置された電子機器と接続されている。水槽は隙間なく液体で満たされており細かな水泡が緩やかに立ち昇る。

 その中に浮かんでいたのは人の脳であった。

 硝子の枝に支えられ複数の電極が繋がられた姿はまるで標本のように見える。奇妙で意味深長な装置だ。

 私の姿を見た葉久慈氏が目を見開く。この場所に現れたことが想定外であったようだ。しかし直ぐに笑みを浮かべ直す。強気な表情に余裕が見えた。水槽の方を振り返り中に浮かぶものを私に指し示す。

「見えるか、この脳こそがあの少女の正体だったのだ。そして、あの夢の世界を構築した張本人でもある」

 その声からは興奮と昂揚が伝わってきた。抑えきれぬ様子で次々と言葉が衝いて出てくる。

「脳だけになりながらも延命処置を施され、電子神経によって思考と意識をネット上に移管し、あの世界を作り上げる狂気とその技術。その全てが此処にある。私はそれを今、手に入れた。夢の世界を構築する為の全てを、だ」

 その言葉を聞き流し私は自身の思考をデータとして電子神経によって捉え、意識し、言語へと変換する。確かめるべきはこの場所の真偽ではない。

「私と出会う以前から本当は明晰夢を使えていた。それを私に隠してもいた。夢の世界で誰かに狙われているというのも嘘であり、全ては自作自演。あの少女を捕らえる為の、いやこの場所を探し当てる為の狂言だった。違いますか?」

 私の述べた仮説に葉久慈氏の表情は少し歪んだように見えた。質問の体ではあるものの実態は断言に近い。私は読み取っただけだが、彼女にとっては言い当てられた形になる。

 彼女は夢の世界を構築し管理しているのがあの少女であると知っていた。そして、夢の世界を成立させる為の技術を手に入れたいという野心もあった。

 故に、あの少女に現実世界で接触する方法を画策した。夢の世界の技術を買収するにしろ奪取するにしろ、作成者であり管理者である少女に接触する必要がある。

 だが、少女はその正体を隠し謎の存在であり続けた。

 通信履歴を違法に接収しても見つけ出すことすら出来ない。接触しようとしても夢の世界の法則に縛られ、かたや少女は夢の世界における現実の軛を易々と無視し、誰も踏み込めない管理者領域に逃げ込むことすら可能だった。

「追えないのなら、おびき寄せればいいと考えた筈です」

 故に、葉久慈氏はとある計画に思い至る。

 あの少女は夢の世界において暴走した悪夢を排除する為に動く。ならば意図的に悪夢を発生させることが出来れば特定の場所に少女を誘き寄せることが出来る。

 葉久慈氏の側で周囲の夢を暴走させればいい。

 そして少女を管理者領域へと追い込む。管理者領域という同層上に存在すれば逃げ込む先は存在しない。

「電子神経の制御ソフトウェアに、悪夢を誘因する何らかの仕掛けを裏に仕込む。それを利用して意図的に悪夢を引き起こす。周囲にいる人間に対してそれを行い、悪夢を意図的に発生させる」

 少女が悪夢を排除する為に現れると、彼女は踏んだ。その読みは確かに的中していたと言える。

「自らが襲われているという狂言を仕立て上げることで、護衛を依頼する形で私を巻き込んだ。暴走した悪夢と少女の注意を引きつける為の囮として。悪夢と対峙する明晰夢の使い手という存在に、少女が興味をもって接触してくる可能性もあったことでしょう」


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