36.とりあえずお試しですわ
「よろしいですわ。今日はここまでにしましょう」
リズ邸の庭で課題に取り組んでいたユイとモア、メルの三人は、まとっていた魔力を収めると小走りに敬愛する師匠のもとへ駆け寄り、横一列に並んだ。
「ありがとうございました!」
三人並んでぺこりと頭を下げる愛弟子たちに、師匠であるリズが優しい視線を向ける。
「三人とも、毎日まじめに稽古しているだけあって成長が著しいですわ」
「ほんとっ!?」
目をキラキラと輝かせたユイが、弾けるようにリズを見あげた。モアとメルも、リズから褒められたことで口もとがにんまりとしている。
「ええ。これからも精進しなさいな。あ、それからあなた方」
一つ咳払いをしたリズが、ゆっくりと三人の顔へ視線を這わせていく。
「ええと。先日、あなた方の学び舎である学園の長と教師から、私を魔法講師として迎えたいとお話がありました」
リズの言葉に一瞬だけ呆けた三人だったが、みるみるその顔が紅潮し始めた。
「も、もしかして先生……!」
「せ、先生が学園で……指導を……!?」
「すごい」
今にも小躍りを始めそうなほど興奮し始めた三人娘を、リズは片手を突きだして制した。
「勘違いしてはいけませんわ。あくまで臨時講師ですし、お試しですの。指導の頻度もそれほど多くないとは思いますが」
それでもかまわない、すごい、と姦しくなった三人娘に、リズは生あたたかい視線を向ける。
ふふ。まさかそんなに喜ぶとは思いませんでしたわ。まあ、この子たちが普段学園でどのようにすごしているのかも興味がありましたしね。それに……。
リズの脳裏に、先日目にした光景が蘇る。エステルに現れたワイバーンの調査に赴いた先で目にした、驚嘆すべき惨状。
ワイバーンの巣を強襲し、あれほどの数を骸へと変えたとなると相当な強者ですわ。おそらく、あれは高位の魔法でやられたもの。襲撃者の正体がまったくわからないのも不気味すぎますわ。
赤く染まり始めた空をちらりと見やったリズは、きゃいきゃいとはしゃぐ三人娘へと再び目を向ける。
私の指導で学園の生徒が少しでも戦力化すれば、仮に学園が何者かに襲撃されたとしても、この子たちのリスクを減らせますの。
まあ、ユイたちには耐致死性物理攻撃および魔法攻撃の特殊効果を付与したアイテムを身につけさせていますから、何かあっても死んでしまう危険はほとんどありませんが。
ふぅ、と小さく息を吐いたリズは、まだ興奮冷めやらぬ様子の愛弟子たちをじっと見つめ続けた。
――整備された通りを歩いていた男は、ふいに立ち止まると赤く染まった空の彼方をちらりと見やった。
周りも薄暗くなり始めているが、通りにはまだまだ人が多かった。ここがもともと小さな集落だったとは、正直今でもあまり信じられない。
再び歩を進め始めたロイズは、エステルの中心に建つ古びた家屋の前に立つと、玄関をノックしようと片手を挙げた。と、そのとき――
『ぎゃっ!!』
短い悲鳴にも似た声が家のなかから聞こえ、ロイズは慌てた様子で扉を開きなかへ飛び込んだ。
「テイラー!! 大丈――ぎゃっ!」
リビングに飛びこみ、大丈夫かと声をかけようとしたロイズの顔に、強烈なパンチがめり込んだ。ロイズに容赦のない鉄拳を喰らわせたのは、エステルを飛躍的に発展させた立役者であるテイラー。
「あいたたたた……テ、テイラー……いったい何を……」
「いったい何を、じゃないですよっ! 乙女の家へ勝手に押し入るなんて、何考えてるんですかっ!」
床に尻もちをついたロイズを見下ろしたまま、テイラーがぷんすかと怒り始める。しまった、と後悔するロイズの視界に、床へ仰向けに倒れた男の姿が映りこんだ。
「ご、ごめんよテイラー。というより、そいつはまさか、また……?」
立ち上がったロイズが、倒れている男のそばへと移動し、まじまじとその姿を見やった。強烈な一撃を喰らったのか、鼻は潰れ口からは泡を噴いている。
「ええ、また刺客ですよ。ほんっと嫌になります……ああもうっ、ムカつくムカつくムカつく!」
「そんな……家のなかにまで……!?」
「窓を破って侵入したみたいですね。おそらく、私が帰宅する前に侵入して待ち伏せしていたんでしょうね」
テイラーの説明を聞き、ロイズが顔をしかめる。
半吸血鬼である彼女は強い。人間の刺客がいくらこようが、彼女を殺傷せしめることはまず不可能だろう。だが、いったいなぜ?
「はぁ……。ロイズさん、とりあえずいつものように縛って、治安維持機関の詰所へ連行してもらえますか?」
「あ、ああ……。それはいいんだが、そもそもどうして君は狙われているんだ? 聞くところによると、これまで何度か同じことがあったみたいだし……」
エステルの経済規模が大きくなり、日常的に大勢が出入りするようになったあたりから、テイラーに刺客が差し向けられるようになった。
つい先日も、外を歩いていたテイラーを襲撃しようとした男がいたが、それはロイズがその場で捕縛した。
「そんなこと、私のほうが知りたいですよっ! まあ、私だけが狙われているのなら別にいいですけど。もしエステルの住民まで被害が出るようなら、いろいろと考えないといけませんね」
テイラーがうんざりとした表情を浮かべる。眉間にシワを寄せたままのロイズが、商人風の恰好をした男のそばにしゃがみこみ懐に手をつっこんだ。
やはり、身元を特定できるようなものは何もない。これまで捕えた刺客も同じだという。しかも、これまで捕縛された刺客たちは、厳しい尋問にもまったく口を割らないそうだ。
「……なあ、テイラー。このこと、リズさんに相談してみたら――」
「ダメです。こんなしょうもないことで、リズ様の手を煩わせるわけにはいきません」
「い、いや……だが……」
「いいですからっ! 実害があるわけでもないですし。そのうち諦めると思いますから」
これ以上何か言うと余計に機嫌を損ねてしまうと感じたロイズは、説得するのを諦め、テイラーから渡されたロープで男の体を縛り始めた。
――翌日。学園の授業が終わったあと、ユイたち三人はデュゼンバーグ王都の冒険者ギルドへと足を向けていた。
「それにしても、リズ先生の調べものっていったい何なんだろうねー?」
「ですね。学園の授業に向けて、でしょうか?」
「稽古がないのはつまらない」
ちょっと調べたいことがあるから、今日の稽古はお休みと昨日リズから伝えられた。こんなことは滅多にないため、三人が気になるのは仕方がない。
「まあいいや。それより、あの女の人どうなったか気になるなー」
昨日、ユイたちは記憶を失ったと思わしき女性を保護し、たまたま通りかかったエングルにあとを任せた。冒険者ギルドへと向かっているのは、彼女がどうなったのかを聞くためである。
「こんにちはー!」
ユイが元気いっぱいに挨拶しながらギルドの扉を開く。ここへはリズと一緒に幾度となく訪れているため、幼い少女たちが入ってきたことを不思議に思う者はいない。
「おお、嬢ちゃんたち」
「あ、リッケンバッカーさん。こんにちは!」
ホールにいたギルドマスターのリッケンバッカーから声をかけられ、三人は同時にぺこりと頭を下げた。
「ああ、こんにちは。今日は訓練……じゃないよな? もしかして、昨日の件か?」
「は、はい。エングルにお願いした件ですけど、あの人どうなりましたか……?」
「あれ、見てみな」
ニヤリとしたリッケンバッカーがカウンターを指さす。ユイたち三人が視線を向けた先にいたのは、間違いなく昨日保護した女性だった。
「とりあえず、昨日はここに泊まらせてな。行くあてもないってんで、今日は試しに受付嬢の仕事してもらってたんだ」
「そ、そうだったんですね……!」
「ああ。どうなることかと思ったんだが、あのお嬢ちゃんなかなかだぞ」
リッケンバッカーの言葉に、ユイたち三人が目をぱちくりとさせながら顔を見合わせる。
「どういうことですか?」
「あの嬢ちゃん、魔物や魔法、魔道具なんかに関する知識がめちゃくちゃ豊富なんだ。過去のことはまったく思い出せないってのに、そういう知識だけは覚えてんだよな。もしかすると、冒険者ギルドで受付嬢の仕事したことがあるのかもしれねぇ」
「へぇ……!」
「あ、そうそう。名前だけは思いだしたらしいぞ。ええと……ミウ、だそうだ」
そう言うなり、リッケンバッカーはカウンターで冒険者相手に業務をこなしているミウのもとへ足を向けた。ユイたち三人も慌ててあとを追う。
「ミウ。お前にお客さんだ」
「あ、はい……あっ」
ユイたち三人を見て、ミウの頬がかすかに緩んだ。昨日、あれほどおどおどとしていたのがウソのようだ。
「お姉さ……ミウさん、こんにちは!」
「こんにちは!」
「ちわー」
カウンターの前まで行き、ユイたちが元気に声をかける。
「うん、こんにちは。あの、昨日は助けてくれて本当にありがとう」
「いいよいいよ! それより、名前思いだせたんだね。よかったー!」
「ん……まだ名前しか思いだせないんだけどね。でも、とりあえずギルドマスターさんが、このまま仕事を続けるなら住むところも用意してくれるって」
「わー、それはよかったですね! そのうち、きっと記憶も戻りますよ!」
にぱっと弾けるような笑顔を見せるユイに、ミウの口もとも思わず緩む。
「ありがとうね、みんな。これからも、仲良くしてくれると嬉しい……な」
「もちろんですよっ。ね、モア、メル?」
モアとメルが「当然」と言わんばかりに首を縦に振る。とりあえず、ミウの無事を確認して安心した三人は、リッケンバッカーに感謝の言葉を述べてから彼女に軽く手を振ると、ギルドをあとにした。
彼女たちを見送ったリッケンバッカーが、カウンターで業務をこなすミウをちらりと見やる。
記憶がない、か……。どこかで冒険者ギルドの受付嬢をしていたのかもしれないと思い、よその土地からやってきた冒険者たちにも聞いてみたが、誰も彼女のことは知らなかった。
行方不明者リストも確認したものの、ミウという名前の行方不明者はいなかった。
「……あれほどの美人がいなくなったのなら、少なからず話題にのぼりそうなものだがな」
小さく息を吐いたリッケンバッカーが執務室へと足を向けた。が、その足がピタリと止まる。
待てよ……。ミウ? その名前、どこかで聞いた気が……。どこだ……?
振りかえり、ミウの顔をちらりと見やる。
「……気のせい、か」
頭を軽く左右に振ったリッケンバッカーは、途中だった書類仕事を終わらせるべく、今度こそ執務室へと向かった。




