夏のおわり
カナは鉄柵を破壊してルーファス王子のいる場所へたどり着き、ほぼ同時にアシュも王子の元へやってきた。
アシュは王子を捜していたエレーナ姫と、警備保障会社のユニフォームを着た牛頭の魔人ふたりも一緒だった。
「アシュさんと皆も王子を捜しに来たのね。
エレーナ姫さま、ルーファス王子は迷子のおじいちゃんと一緒にいたの。
ミノダさん、このおじいちゃんは行方不明のサイトウさんで、さっき急に発作を起こして倒れたの」
「カナさま、まさか宰相を助けるつもりですか」
「そうよ、サイトウさんを病院に連れて行かなくちゃ。救急車を呼ぶよりもミノダさんにお願いした方が早いわ」
カナは白目をむいて倒れる宰相を行方不明の老人と勘違いして、介抱しながらミノタウロスに状況説明をする。
その時、毒蛇と痛みを同調して気を失った宰相が意識を取り戻した。
目の前には茶髪の大魔女が自分の顔をのぞき込み、背後には牛頭の魔人が控えている。そして老人の体は板に縛り付けられ、まったく身動きがとれない。
宰相は思わずかすれ声で悲鳴を上げると、目を覚ましたことに気づいたカナは優しく声をかける。
「よかったぁ、おじいちゃんが目を開けた。
もう大丈夫ですよ、サイトウさん。ミノダさんが今すぐ病院に連れて行ってくれます」
「ひぃい、牛頭の魔人ミノタウロスが今すぐ俺を連れて逝くのか!!
いやだ死にたくない、許してくれぇ」
「おじいちゃん、少し我慢してね。騒いだらまた頭が痛くなるよ」
「騒いだらまた痛めつける、我慢しろだと!!ううっ、勘弁してくれ」
カナは老人を優しくなだめたが、宰相には脅しの言葉にしか聞こえない。
必死に命乞いする老人を乗せたタンカは、牛頭の魔人に運ばれて山頂を下っていった。
「ミノタウロスが宰相を連れていってしまった。カナさまが宰相の処分を行うのですね」
宰相が板に縛られてミノタウロスに運ばれる。その様子を見守っていたエレーナ姫は安堵の声をあげた。
「あのおじいちゃんは徘徊癖があるみたいね。
用心のために、コンおじさんにお願いして妖精森の入口を閉じる事にするわ。
そうすればサイトウさんは、二度と妖精森に入って来れない」
「妖精森の入口を閉じれば、宰相は戻って来れない。
カナさまの住む彼方の世界とコチラでは時の流れが違います。
高齢の宰相がアチラの世界で過ごせば寿命は短くなり、戻って来た瞬間に寿命は尽きるでしょう」
エレーナ姫の言葉にアシュは納得する。
宰相を捕らえ処分したところで、反王族派は一時なりを潜めるだけ無くならない。
しかし宰相は始祖の大魔女に地獄に連れて行かれたとなれば話は違う。見えない恐怖が反乱分子を縛り、しばらく国王に逆らうモノはいないだろう。
エレーナ姫はカナの両手をとると、深々と頭を下げた。
「私は遠くを見る妖精族の眼で全てを見ていました。
カナさまは我が息子ルーファスを守るために、【魔女殺しの魔剣】の毒蛇に恐れることなく戦いを挑みました。
【魔女殺しの魔剣】に打ち勝った貴女さまこそ、始祖の大魔女の後継に相応しいお方です」
「エレーナ姫さま、ワタシが大叔母の跡継ってどういう事ですか。
もしかして大叔母さんは本当に、ワタシに妖精森を譲るつもりなの」
頼りない両親の元を離れ一人暮らしをするカナにとって、大叔母さんとコンおじさんは彼女の両親代わりだった。
カナは大叔母さんから妖精森の管理人を頼まれた時、異国の文字で書かれた契約書類にサインをした。
それは始祖の大魔女の契約書。カナの尊敬する大叔母さんは、大切にしていた妖精森を彼女に託したのだ。
***
妖精森の山頂を下り夏別荘前に戻ってきたカナたちは、夏別荘前広場でウィリス隊長を見つけた。
その姿は歴史物ハリウッド映画に出てくる騎士のような、光沢のある銀の甲冑に色鮮やかな赤いマントを羽織り、そして直立不動の体制でその場に待機している。
「お迎えに参りました、エレーナ姫さま。ついに国王軍はクーデター軍を制圧し勝利しました。
これでやっと、都に戻ることができます」
「えっ、隊長スゴくかっこいい。まるで映画の主人公みたい。
クーデターが治まったって事は、これで王子は国に帰れるのね」
隊長の言葉にエレーナ姫は静かにうなずいた。
すでに予感はあった。
まもなく妖精森の入口は閉じて、自分たちは元の世界に戻らなくてはならないのだ。
メイド長は静かに微笑み、メイド娘たちは抱き合って嬉し泣きする。アシュは隊長に駆け寄ると固く握手をした。
その様子を不思議な気持ちで眺めていたカナは、自分の背中にルーファス王子が張りついているのに気が付いた。
「よかったね王子、王様が勝ってクーデターが治まったって。
これでお家に帰れるよ」
「いやだオヤカタ、僕は帰りたくない。ずっと妖精森にいるんだ」
王子の一言にカナは驚いて後ろを振りかえる。
そこには喜び合う大人たちの中で、ひとり駄々をこねる子供の姿があった。
王子の帰りたくないという気持ちは痛いほど分かる。カナも夏の終わりには家に帰るのがイヤで、ずっと妖精森の中で遊んでいたかった。
でももうすぐ夏休みも終わる。
それならせめてルーファス王子には思い出を、幸い自分に夏別荘を任されたらしいので、素敵なおみやげをを持って帰ってもらおう。
カナは夏別荘の玄関先に立つと、広場に集合している護衛の者やメイド娘に声をかけた。
「皆さま、夏別荘での御滞在は楽しんでいただけましたか。
一夏の思い出に、この夏別荘の備品や家具を一品、自由にお持ち帰りください」
カナの一言に、帰還のための身支度と整えようと話していた者たちの眼の色が変わる。
魔女カナが、この夏別荘にある魔法道具をおみやげにしてもイイと言うのだ。
その言葉に一番歓声を上げたのは、なんとエレーナ姫だった。
「まぁカナさま、本当に何でも持ち帰っていいんですか!!
それなら私は、あの足踏みミシンを頂きます。
ウィリス、その重たい甲冑を脱ぎなさい。そして応接室にある足踏みミシンを背負うのです」
「カナさま、あたしたちは服を貰います。
この胸当てと下履きの着ごことがとてもいいの。帰ったら同じモノを作るわ」
「俺は釣竿を持っていきたいな。カナさま、釣竿を三本貰ってもいいかな?」
そしてカナの背中でぐずっていたルーファス王子も、大慌てで持ち帰るオモチャを選んでいる。
ニール少年は王子に駆け寄ると、お互い何かを話し合いカナの方を向いた。
「カナさま、僕はこの車輪の魔物を下さい。王子も同じです」
「オヤカタ、魔法ぜんまいで走る荷車の玩具も貰ってイイか?」
「もう誰もそのオモチャで遊ばないから、貰ってイイよ。それに小さい子供用自転車なら、お家に持って帰れそうね。
ニール君は自転車だけでいいの?」
ルーファス王子は、自転車カゴの中におもちゃのゼンマイ自動車をぎっしりと詰め込んでいる。
そしてニール少年はカナに笑いかけた。
「いいえ、僕はカナさまから充分に施しをいただきました。これ以上欲を出しては罰が当たります。
これからは自分たちの力で働いて村を豊かにします」
少年の言葉に、鞄に無理矢理洋服を詰め込んでいたメイド娘たちが恥ずかしそうに顔を赤らめる。
台所から出てきたメイド長が両腕に抱えているのは、圧力鍋と笛付きケトルだ。
各々の準備を済まして、一同は妖精森の外を目指し夏別荘を後にした。
足早に妖精森の遊歩道を進む大人たちの最後尾で、カナとルーファス王子は並んでゆっくり歩いている。
「そういえば王子の蒼臣国ってヨーロッパ、それとも南米?
ネットで調べたんだけど、全然探せなかったの」
「オヤカタはおかしな事を聞くんだな。自分たちで造ったのに忘れたの。
僕らの国を造ったのは、女神と大魔女じゃないか。
終わりの淵にあり魔物が跋扈する大地に、女神と始祖の大魔女が現れて国を造った。
母上が言っていたぞ、オヤカタは始祖の大魔女の後継者なんだろ」
ルーファス王子の話にカナは首を傾げる。
そういえば大叔母さんは海外援助活動をしているみたいだが、その詳しい内容は知らない。
カナが大叔母さんに聞かされた話と言えば、妖精森の外には人間に似た聖霊が住んでいるという異国風ファンタジーぐらいだ。
妖精森入口のトンネルが見えた。
いつもここで王子やアシュとはぐれて、カナはひとりで妖精森の外に出てしまう。
その時、自転車を押していたルーファス王子がカナの腕を引っ張った。
「オヤカタ、僕のジテンシャの後ろに乗れ。
僕もジテンシャの二人乗りが出来るようになったんだ」
「えっ、王子ったらいつの間に自転車二人乗りできるようになったの?」
「たくさん練習してジテンシャを上手に漕げるようになった。
ニールも大丈夫だと言ってくれた。オヤカタ、早く後ろに乗れ」
ルーファス王子の言葉にカナは驚いた。
王子はカナに内緒で、ニール少年と密かに自転車二人乗りの練習をしていたのだ。
後ろでルーファス王子を見守っているアシュが、瞳を輝かせながらカナと王子を見ている。
これは、ご期待に応えなくてはならない。
「王子、ワタシを乗っけたまま転んだりしないでよ。
さぁ、自転車をぶっ飛ばせ!!」
「オヤカタ、しっかり捕まっていろ。一気に妖精森の外へ駆け抜けるぞ」
カナは両足が地面に付かないように自転車の後ろに乗り、小さな少年の背中を見た。
ルーファス王子は一生懸命ペダルをこいで、二人乗り自転車はゆっくりと妖精森入口のトンネルをくぐり抜ける。
妖精森を取り囲んでいた沼地は荒れた大地に戻り、遠く離れた場所に緑の木々に囲まれた村が見えた。
白い石畳の道を挟んで、左右に白銀と深碧の旗が交互にひるがえる。
クーデター軍を打ち破った国王軍兵士達はエレーナ姫とルーファス王子を出迎えるために整列して待っていた。
妖精森を取り囲む巨大な結界の中から人影が現れた。
森の花々を一枚の布に織り込んだような色鮮やかなドレスを着た美しい黒髪の姫が、勇者と讃えられる豪腕族の騎士を従えている。
「あの方がエレーナ姫さま、なんて綺麗な人だ」
「まるで神話の一説にある、妖精森から現れた黒髪の女神さまのようだ」
妖精森で暮らす間、エレーナ姫はお中元でもらった高級基礎化粧品でお肌のメンテナンスをして、温泉の元の入浴でリフレッシュして、美しさにさらに磨きがかかっていた。
地上に舞い降りた美の女神に、集まった兵士たちは魅了され感嘆の声を上げる。
「おい、エレーナ姫の後ろから、変なのが付いてくるぞ」
エレーナ姫に続いて妖精森入口から現れたのは、奇妙な形をした鉄の車輪に乗った子供と黒装束の娘だった。
「王子、早く早くブレーキっ。ちょっと、この道下り坂になっている」
「オヤカタが重いから、ジテンシャのぶれーきが効かないよ。うわっ、倒れるぅ!!」
妖精森の結界から出たルーファス王子の二人乗り自転車は、下り坂でひっくり返った。
後ろから追いかけてきたアシュが、慌てて自転車ごと倒れた王子を助け起こす。
自転車から投げ出され地面に突っ伏したカナに、エレーナ姫が駆け寄ると手を差し伸べた。
「カナさま、お怪我はありませんか。
最後までルーファスの我が儘につき合って下さって、ありがとうございます」
「イタタ、やっぱり子供用自転車で二人乗りは無理があるよね。
って、えーっ、ココはドコ!!」
エレーナ姫たちのお迎えは黒塗りの高級外車だろうと予想していたカナは、今自分の目の前に広がる光景が信じられなかった。
「妖精森の外でハリウッド映画のロケでもやっているの、それとも手の込んだドッキリ?
もしかしてこれが、大叔母さんが話していた妖精森の外の世界?」
エレーナ姫は茶色い髪の娘の手を取って立ち上がる。
あれが始祖の大魔女か。
小柄な娘から発せられる膨大な魔力に圧倒され、兵士たちの歓喜の声は恐れとも畏怖ともつかぬ騒めきになる。
白銀の髪をした子供が魔女に駆け寄ると抱きついた。
「ねぇオヤカタ、僕はこの国で父上と母上の次に偉いんだ。
僕のお願いを聞いて、一緒に都に来てよ」
「ダメよルーファス王子、夏休みは今日で終わり。
それに王子は私の弟子だから、親方のお願いを聞いて。
これから王子は国に帰って、たくさん勉強してお父さんとエレーナ姫を助けるの」
カナに抱きついたルーフェス王子は、ルビーのように綺麗な瞳からポロポロと涙をこぼしている。
白銀の絹糸のように細く柔らかい髪に、色白の肌が日に焼けて鼻の頭が赤くなった、少し生意気な顔をした可愛い王子さま。
弟子には【弟】の文字が入る。カナにとってルーファス王子は大切な弟のような存在だった。
なんだろう、雨でも降り出したのか、ポツポツと足元が濡れている。
駄々をこねていた王子は、カナの顔をのぞき込むと表情を和らげた。
「別れるのがイヤで一緒に来てっていったけど、無理だよね。
そんなに泣かないで、僕はオヤカタとずっと一緒にいたかった」
雨だと思ったそれは自分の流す涙だ。
カナは王子に返事をしようとして声が出なかった。喉が引きつって嗚咽が溢れ出る。
思わず口を掌で覆って声を抑えようとしても、肩が震えてとまらない。
目の前が涙でかすんで、ルーファス王子の姿がよく見えない。
「オヤカタ、また妖精森に遊びに来るから、僕のことを忘れないでね。
そしてオヤカタも、僕に会いに来て。
ずっとずっと、待っているから」
泣きじゃくり返事のできないカナは、王子の言葉に何度もうなずく。
隣にいたアシュはカナを慰めようと肩に手を回すと、魔女カナの体は半透明になってすり抜けてしまった。
「カナさまはアチラの世界に戻られるのですね。
ありがとうございます。貴女から受けた御恩は一生忘れません」
その時、妖精森へと続く道の向こうから小犬の鳴き声がした。
小さな黒い豆柴が尻尾を振りながら、泣きじゃくる魔女へ駆けてくる。
そしてケルベロスがカナの足に飛びついた瞬間、魔女と小犬の姿は煙のようにかき消えた。
妖精森は再び強固な結界に覆われ、誰も足を踏み入れることのできない禁域となった。
カナはシャツの袖で涙を拭い鼻をすすりながら顔を上げると、妖精森入口の広場にひとりぼっちで立っていた。
周囲は少し薄暗くなっていて、道向かいの雑貨店には明かりが灯っている。
シャツの胸ポケットに入れたスマホから、メール着信を知らせるアラーム音がした。
それを取り出したカナは表示された日付を見てポツリとつぶやく。
「ミドリちゃんからのメールだ、明日から九月だっけ。
しまった、宿題のレポート全然書いてないし、九月からファミレスのバイトも入ってる」
カナは足元でじゃれつく黒の豆柴を抱っこして、ほとんど車を通らない道路を横切り雑貨店へ向かう。
夏別荘の鍵をコンおじさんに預けて、妖精森入口に扉を付けてもらおう。
そこでカナはとても大切な事に気が付いた。
「あれ、鍵が一本足りない。
王子に夏別荘の鍵を渡したまま、返してもらってないよ」
-End-




