脱出の為の戦い
「ねえ、一体皆どうしたの?」
右肩に座ったシャムエル様が、不思議そうに俺達を見ながら首を傾げている。
「いや……」
声を出して言いそうになって、慌てて持っていたリンゴを一切れ切る。
「まあ、食ってみてくれ」
出来るだけ平然と切ったリンゴをシャムエル様の目の前に持っていく。
「ありがとう。それにしても、本当に見事なリンゴだよね」
目を細めて嬉しそうにそう言うと、俺が切ったリンゴを受け取って齧り始める。
何となく、ハスフェル達三人が、俺のすぐ側に歩み寄ってくる。
「美味しい……ね……」
ご機嫌で半分ぐらい齧ったところで、いきなりシャムエル様の尻尾が倍くらいに膨れ上がった。
「うわあ、何だよその尻尾。頼むからモフらせてくれ!」
俺の本気の叫びに三人が同時に吹き出して、緊迫していた雰囲気が一瞬で霧散する。
「お、お前は……」
膝から崩れ落ちたハスフェルの呆れたような言葉に、取り敢えず笑って誤魔化したよ。
いやだってさ、もふもふは俺の萌えなんだから、こんな尻尾を見たら反応するのは当たり前なんだよ!
『うん、どう言う状況なのかよく分かった』
頭の中に、こちらも警戒心バリバリのシャムエル様の声が聞こえる。
尻尾は相変わらずこれ以上ないくらいのもふもふになってるが、まっすぐに俺を見て頷いた。
『どうやらこの空間自体が、ある種の罠のようになってるみたいだね。我々はその中に入り込んで一定時間を過ごしてしまった為に、罠が発動したみたいだよ』
『それってつまり……誰かがここに罠を仕掛けたって事か?』
もしそうなら、本来人間以上に警戒心のある従魔達やベリーやフランマだけでなく、神の化身であるハスフェルやギイ、オンハルトの爺さんや、創造主であるシャムエル様までも欺いた事になる。
本気で怖くなってきてそう尋ねたが、シャムエル様は苦笑いしながら首を振った。
『違うよ、そうじゃない。それなら私やオンハルトは絶対に気が付いてるし、ハスフェルやギイだって違和感程度は感じてるはずだよ。それなのに、彼らが平気で寝ていたってことは、それだけここは自然な場所だったって事。つまりここはそうだね……自然界の中に普通にある罠。言ってみれば食虫植物の中みたいなものだよ』
納得した俺は無言で振り返り、鈴生りになったリンゴとぶどうの茂みを見詰めた。
『それならつまり、あれが獲物をおびき寄せて留まらせるための甘い餌……って事か?』
シャムエル様が嫌そうに頷くのを見て、俺は本気で気が遠くなった。
俺達めっちゃバクバク食ったし収穫したんですけど!
『それで、どうするんだ?』
考えたら、石の河原の横の草刈りをした場所にテントを張ったままだし、とにかくあそこへ戻ってテントや机や椅子を撤収したい。だけど、今の状況を考えるとそれすらも無理なように思えた。
『俺がティラノサウルスになって走るから、お前らは俺の背中に乗れ。一気に行くから遅れるなよ』
真剣なギイの声が聞こえて、戸惑いつつも頷く。
だけど、物理的にあの大きな身体の背中に乗るのってそう簡単じゃない気がするぞ、おい。
無言で、ギイが俺達に背中を向ける。次の瞬間、目の前が金色一色になった。
「飛び乗れ!」
後ろから聞こえたハスフェルの怒鳴り声に、慌てて上を見上げた俺は本気で泣きそうになった。
「絶対無理だって! あんな高い所にどうやって乗るんだよ!」
はっきり言って、二階の窓より高いぞ。
しかし、ハスフェルとオンハルトの爺さんはいきなりその場で予備動作も無しに飛び上がったのだ。
泣きそうになりつつ俺はギイの尻尾の横からなんとか這い上がろうとした。
「ご主人を助けるよ!」
いきなりそう叫んでアクアゴールドが一瞬でばらけ、俺の周りに集まって一気に俺を背中に運んでくれた。
アリに運ばれる餌よろしく背中に上がった俺は、ハスフェルとオンハルトの爺さんの後ろに跨って座る。
「しっかり掴まってろ!」
ギイの叫ぶ声と、アクア達だけでなく、三人の連れているスライム達までもが全員ばらけて俺達の足を押さえてくれた。それだけじゃない。マックスとニニの背中に飛び乗った小さくなった従魔達も一瞬で張り付いて守ってくれた。
弾かれたように金色のティラノサウルスが走り出す。その後ろをマックスとニニ、それからシリウスとデネブが、爺さんが乗っている馬を取り囲む形で陣形を組んで走り出した。その後ろにベリーと巨大化したフランマが続く。
速い。
本気で走るティラノサウルスのギイの速さは、車なんかの比じゃない。
これは新幹線とかのレベルだ。
そしてそれに遅れずについて来る従魔達や馬の凄さ。まあ多分、馬はオンハルトの爺さんが何かしてるんだろうけどさ。
ありえないスピードに本気で怖くなって、前に座ってるオンハルトの爺さんの大きな背中に必死でしがみついた。
しかし、その速さで走っているのにも関わらず、先程から周りの景色が全く変わらないのだ。
『なあ、ここへ来るのってそんなに遠かったか?』
念話でそう言うと、ハスフェルがちらりと背後を振り返った。
『どうやら、何がなんでも俺達を外に出したくないらしい。出口を塞ぎやがった』
『何だよそれ。本物の無限ループじゃねえか!』
俺の悲鳴を、ハスフェルの奴は鼻で笑った。
『だが俺達を迷い込んで来ただけの、ただの冒険者だと思うなよ』
ニヤリと笑ったハスフェルの凄みに、俺は息を飲む。
『さっきから、ギイは無駄に走ってるわけじゃない。この閉鎖世界を構築している中心、いわば核になる植物を探してるんだよ。まあ見てろ。久しぶりに思いっきり暴れてやる』
妙に嬉しそうなその声に、気が遠くなったのは気のせいじゃ無いと思う。
ティラノサウルスのギイは延々と走り続け、従魔達もベリー達も遅れずに一団となって走り続けている。
何の力も無い俺にはどうする事も出来ず、ただただ必死になって爺さんの背中にしがみ付いているしかなかった。
「見つけた、あそこだ!」
吠えるようなギイの叫び声と、応えたハスフェルが大声を上げてその背から飛び降りるのは同時だった。
俺は目を見開いて、飛び降りながら一瞬で抜刀するハスフェルを見ている事しか出来ない。
これまた慣性の法則を完全に無視して、一瞬で見事に地面に着地したハスフェルは大きく剣を横薙ぎに払う。
太刀筋から閃光が輝き、直後に周囲の草が遥か遠くまで見事に薙ぎ払われて一面膝上ぐらいの高さの平面になる。
しかし、その中心地には、周囲の綺麗に刈られた雑草と違い、曲がりくねった奇妙な形の歪な木が一本だけ残っていた。
「あのハスフェルの渾身の斬撃を切り抜けたって事は、あれがその核の木って事か」
思わずそう叫ぶと、頷いたオンハルトの爺さんの唸る様な声が聞こえた。
その木に向かって、ベリーとフランマが左右から飛び掛かった直後に物凄い爆発が起こる。
爆風に吹き飛ばされそうになり、俺はまたしても爺さんの背中に悲鳴を上げてしがみ付いた。
直後に、また閃光が光る。
「しっかり掴まってろよ!」
爺さんの声が聞こえて顔を上げると、周りの草地が奇妙に騒めき始めているのが見えて、俺はまた悲鳴を上げた。
周囲の草がまるで生きているかのようにウネウネと蠢き、走るギイの足を絡めとろうと巻きついて来たのだ。
「させるか!」
爺さんがそう叫んで右手を振るう。いつの間にか爺さんの手には長い鞭が握られていて、それを右に左に振って絡み付こうと伸びてくる草を見事に切り払っている。
マックスの唸り声に驚いて背後を振り返ると、ニニやマックス達も同じ様に絡み付こうとする草と戦っていた。
俺も慌てて剣を抜き、俺達の足元に絡み付こうと伸びてくる草を必死になって払い続けた。
スライム達が俺の下半身を完全にホールドしてくれているので、少しくらいなら手を離しても大丈夫なのが分かったからだ。
「頼むぞ。しっかりホールドしててくれよな!」
叫びながら、必死になって絡み付こうとする草を払い続けた。
再び、あの木の辺りで物凄い爆発が起こった直後、何かが砕ける様な地響きの様な破壊音がした。
「よし、もういい! 戻れハスフェル!」
ギイの叫び声に、オンハルトの爺さんが鞭を振るう。
何と、その鞭の先に掴まったハスフェルが見事に俺の後ろに一瞬で吹っ飛んで戻って来たのだ。
スライム達が、また伸びてハスフェルの足を包む。
「行ってくれ、!ギイ!」
ハスフェルの叫ぶ声に応えて、ギイはこれまた物凄い勢いで駆け出して行った。
頭上の、太陽の無い空に真っ二つにひびが走るのが見えて、俺はもう何度目か分からない悲鳴を上げた。




