34 語らい(後)
「エルゥ。あいつらって、求婚してきた?」
「あいつら?」
きゅっ、きゅ。
ふわふわの雪を防寒仕様のブーツ裏で踏みしめる。
バード邸の庭は森のような佇まいで、植えられた木立に規則性は一切ない。
よって径は気まぐれに湾曲し、細さもまちまち。行き止まりも当然ある。彼女と連れだって歩く先は一体どこに通じているのか。正直なところ、ロゼルにもよくわかっていない。
(エルゥと迷子なら、かえって楽しいかも)
昔話で森に迷い込んだ兄妹は、魔女の家へと辿り着いたらしいけど。
不本意だが、ロゼルは森ではなく年頃の娘らしい煩悶にがっつり囚われ、さ迷っている。見た目は少年なのに。
「レインとグランだよ。好かれてるでしょう? 相変わらず」
「あぁ……」
繋いだ手の先。すぅっと流した視線が青い瞳に行き着くと、湖色のまなざしがぐるりと逸れた。
わかりやすい。目が泳いでいる。
「そ、そうね。普段は二人とも何も言わないのに、二人きりになると何かしら、してくるの。特にグラン」
「『何かしら』。……由々しいね。殴ってきても?」
「だめよ」
憮然とするロゼルに対し、エウルナリアは銀鈴を振るうようにきらきらと笑い声をあげた。
(エルゥって)
聞き惚れる。ぼうっと見とれる。
彼女は春を思わせる類稀な美少女だが、こうして雪のなかで眺めるのも格別だった。
自然と満ち足りた気持ちがたちのぼり、ロゼルは表情を和らげた。しみじみと感嘆のため息が漏れでる。
「…………綺麗だよね」
「? そうね。雪って綺麗。降っても、積もっても。つめたくて寒いけど、ロゼルと雪のなかを歩くの、好きよ。とっても楽しいわ」
「そう?」
主語をすり替えられた。
まぁいいか、とロゼルは笑む。
「そうよ! 男の子なんて、なに考えてるか、さっぱりわかんない。急にひとの手をポケットに引っぱり込んだと思ったら、そのぅ……ぞわっとする感じに触ったり。変なの」
ふん、ふんと怒っているらしいエウルナリアとは真逆に、ロゼルの周囲は一段と冷えきった。
「殺していい」
「だめ。寝てるのに」
そういう問題――?
疑問は脳裡を掠めたが、ロゼルは受諾した。他ならぬ彼女が、そう言うならば。
ふと気づく。
「ねぇエルゥ。……もしも、私が男で。あいつらと同じようにきみに求婚したら、どうする? やっぱり困ってた?」
「ロゼルが?」
きょとん、と瞬いたエウルナリアは束の間呆けた。考えたこともなかったらしい。「考えてみて。まじめに」と、付け足してみる。
黒髪の美少女は空いた手の指先を唇に添え、熟考の構えとなった。視線を足元に落としている。
ぴたり。歩みが止まる。
しんしんと雪が降る。
無音のさ中。
(……)
見守るロゼルも考えていた。もし、そうだったら。――――そうだったとしたら?
「!」
ハッとする。
降って湧き、しずかに染み透った答え。胸に居場所を得た『何か』の感触に、わずかに深緑の瞳がみひらく。
同じころ、エウルナリアも詰めていた息を吐いた。
肩から力を抜き、ゆるりとロゼルを見つめる。まなざしに、いとおしむ光を乗せている。
「もし……もしも、レインやグランと出会う前で。婚約したのがあなただったら、何も迷わなかったわ。あなたのこと、大好きだもの。
でも……かれらと同じころに出会って。競うように求婚されてたら、戸惑ったと思う。『大好き』になったとしても。だから」
「……だから?」
再び歩み始める。
時おり、すれ違いざまに触れあう枝を引っ張っては弾き、いたずらに雪を振りまきながら。
綿花のようなそれらは、音もなくふわりと地面の新雪の上にこぼれた。
「私、ロゼルが女の子で良かったわ。こうして、色んなお話ができる。きっと、お互いお婿さんを迎えて子どもが生まれたとしても、ずっと特別な一番でいられるもの」
径の向こう、雪に埋もれた泉や石のベンチを尻目に二人は歩く。やがて森を抜けて。
「……一周しちゃったね。起きてるかな、グラン」
「さぁ」
低められた声に、やはりバード邸の少女はくすくすと笑った。
「さ、中に戻りましょ? お茶を淹れ直しますわ。ロゼル様」
「ありがとう。お言葉に甘えます、エウルナリア嬢」
令息然とした幼馴染みは、簡易の貴族の礼を返して口の端をわずかに上げた。
彼女特有の、特徴のある微笑み。
冬の日の昼下がり。
穏やかな少女の語らいは、夕刻の手前までゆったりと続いた。




