28:レイテストチャンス
『字が書けるというのと文章が書けるというのは全く別の話だ』
★
深夜。
あと数時間もすれば日付が変わるだろうと言う頃、ユウはアジトの自分の部屋のベッドに一人で腰かけていた。
部屋に灯りはつけていない。
ここは地下なので月明かりが差しこむこともない。
……そろそろ出発の時間だ。
ユウは静かに立ち上がると、部屋の扉に手を掛けた。
『本当に行くのか?』
背後から聞き覚えのある声が室内に響く。
――グレイファントム。
白煙の男が先程までユウがいた場所に同じ体勢で座っていた。
『はっきり言おう。勝算はゼロだ、完全にな。……このまま行っても無駄死にするだけだぞ?』
「……無駄じゃないさ。ステラだけでも助かるかもしれない。」
『……。』
ユウは白煙の男の方向を振り返らない。
それ以上は何も言わないグレイファントムを背に部屋を出ていった。
小さな音を立てて扉が閉じられ、部屋に静寂が訪れる。
『それに関しては尚更だよ……。』
ユウが部屋を出て行ってしまった今、グレイファントムの呟きは誰の耳にも届かない。
『これが終われば……、いよいよ修羅道の始まりか。碌でもない奴に気にいられたもんだな、俺も。』
その言葉には諦観と同情が入り混じっていた。
★
地下水道を抜け、横穴を通ってはしごを登る。
”今まで通りに”大聖堂の『最初の部屋』に侵入したエル・グリーゼ。
ユウは事前に提案していた通り、一足先に部屋を出て放送室で敵をおびき出すことになった。
「ユウくん、本当に一人で大丈夫? 私も行こうか?」
ステラが不安そうな目でユウを見る。
そんな彼女をリアが腕で静かに制止した。
「ステラ。気持ちはわかるが、ここで戦力を分散させればゴーストロッドのある部屋に辿り着ける可能性が低くなる。ユウが道を切り開いてくれても、それが無駄になるかもしれないんだぞ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
ステラは納得しきれない様子を見せながらも引き下がった。
ユウがそんな彼女に手を振りながら扉を開くのを、他のメンバーは何も言わずに見送った。
ここであまり大きな声を出すわけにはいかない。
念のために周囲を警戒しながら静かに外に出る。
この辺りで敵に遭遇したことはないが、用心に越したことはない。
できるだけ音を立てないようにゆっくりと扉を閉める。
最後に不安そうなステラと目が合った。
――これが最後になるかもしれない。
ユウは彼女の顔を目と脳裏に焼き付けた。
(さて、と……、行くか!)
いつでも抜けるように腰の剣に手を掛け、もう片方の手にはリリィに貰った手書きの地図を持って、ユウは静かに走り出した。
アイナには前回のループ同様に一切手を出していないから、敵の配置は変わっていないはずだ。
(たぶんゴーストロッドのある部屋辺りに集まってるんだろうな。)
向かうのは放送室。
だがその前に寄る場所がある。
ユウは放送室のある付近に到着すると、前回のループの時に殺された部屋に入った。
女神教やホーリーウインド用と思われる服や防具が大量に置いてある。
(……これなんか良さそうだ。)
ユウは女神教の服と防具の中から自分のサイズに合いそうなローブを引っ張り出すと、急いでそれに着替え始めた。
脱いだ服と鎧は適当に丸めて魔法袋に突っ込む。
(これで俺も女神教っぽく……、見えてるかな?)
鏡があったので、それで自分の姿を確認してみる。
そこには屈強という言葉とは無縁そうな少年が写っていた。
女神教の服や腰の剣がまったく様になっていない。
(す、すげぇ弱そう……。)
……どう取り繕っても精鋭には見えそうにない。
(まあ、一瞬誤魔化せるだけでも……。)
少なくとも元の格好のままよりはマシだと自分に言い聞かせて部屋を出るユウ。
周辺の部屋を確認して逃げ込むのに良さそうな部屋に目星をつけてから、いよいよ放送室に入った。
――中には誰もいない。
防音が効いている影響か、ただでさえ静かな空間が一層静まり返っているように感じる。
ユウはマイクの前に立つと、魔法袋から金色のマジックアイテムと原稿を取り出した。
(いよいよこれがラストチャンス……。)
失敗は許されない。
少なくともステラが死に至る事態だけは絶対に回避しなければならない。
そう自分に言い聞かせると、覚悟を決めてマジックアイテムのボタンを押した。
リリィによって仕込まれた魔法により、即座に放送がオンになる。
「夜分遅くに失礼。女神教の諸君、そしてホーリーウインドの諸君。我が名はシャア。腐敗しきった女神教を粛正するため、女神アインスから遣わされた者だ。諸君。諸君は疑問に思ったことはないだろうか? 女神教の言うことは本当に、女神様の意思を反映しているのだろうかと。答えは否!女神教は自分達の都合の良いように女神様の言葉を捻じ曲げ、利用している! 諸君! 女神教ではなく、女神様を信じる諸君! 今こそ、私と共に、真の背教者たる女神教を打倒し、本当の女神様の言葉を世に広めようではないか! 立てよ信者達! ジーク、アインス!」
演説を終えたユウは即座に放送をオフにして荒く呼吸した。
内容は抑揚も含めて前回と同じになるように心掛けた。
これでもうすぐここにホーリーウインドが殺到するはずだ。
それを回避できるかどうか、そして彼らに見つかるより前にゴーストロッドを破壊して脱出できるかどうか。
それですべてが決まる。
ユウは軽く息を整えてから、急いで放送室を出た。
遠くからは怒声が聞こえてくる。
だが時間にはまだ少しだけ余裕がありそうだ。
ユウはできるだけ物音を立てないように注意しながら、先程見つけておいた部屋に移動した。
この部屋は放送室のように防音が効いているわけではないのか、外の足跡と怒声が聞こえてくる。
やがてそれが部屋の前を通り過ぎていった。
結構な人数になりそうだ。
これならばゴーストロッド部屋の戦力を相当数削ることが出来ただろう。
まず最低限の役目を果たすことに成功したことを確認したユウは静かに部屋を出た。
直接人影は見えないが、放送室の方向からは声が聞こえてくる。
「いないぞ!」
「まだ近くにいるはずだ! 探せ!」
ユウは彼らが来た方向、つまりゴーストロッドのある部屋の方向に走り出した。
背後ではホーリーウインドが騒がしく扉を開いて各部屋の中を確認し始めたらしい。
とにかく見つからないように全速力で走る。
「はぁっ、はぁっ。」
(ネトゲの合間に少しぐらいは走って鍛えておけばよかった。)
インドア派というのは概して運動不足になりがちだ。
ユウはネトゲをオンラインゲームと訂正する余裕も無く、ステラ達が先に到着しているであろうゴーストロッドを目指した。
「おい! どうした?」
どうやら見回りをしていたと思われる僧兵と正面から出くわす。
服は白地に青、金は入っていない。
つまりホーリーウインドではないようだ。
ユウは立ち止まると、その場で膝に手をついて両肩を大きく上下させた。
「そ、それが、向こうの方に敵がいたみたいで……。」
「放送室の方か? じゃあ、やっぱりさっきの放送は侵入者だったのか。ホーリーウインドを呼びに行くのか? あいつらなら一目散に向かって行ったぞ?」
「その、俺は邪魔だって言われて……。」
「あ、あー……。そうか、まあ……、うん、そうだな」
僧兵の男は息の荒いユウを見下ろしながら曖昧に頷いた。
ここから放送室まではホーリーウインドどころか普通の僧兵でも疲れるような距離ではない。
せいぜい少し息が弾む程度だ。
(見たことない顔だし、ローブを着てるってことは学者連中の所に最近入ったっていう新入りか。……それじゃあ、あんまり言うのも酷だな)
ユウが女神教のローブを着ていることに加え、露骨に頼りないオーラを発していたことがここでは功を奏した。
男は偶然近くにいた事務方がこちらに逃げてきたのだと解釈してくれた。
「ここは俺達に任せて……、そうだな、あっちの部屋に適当に入って休んでるといい。ホーリーウインドに任せておけばすぐに終わるだろうからな」
幸いなことに、僧兵の男が指差したのはゴーストロッドがある部屋の方向だ。
「すいません、ありがとうございます。」
ユウは男にお礼を言ってから再び走り始める。
「……あれ? でも新しく入ったのは女だったような?」
少ししてから僧兵の男はそのことに気が付いてユウが走っていった方向を振り返ったが、もう見える範囲には誰もいない。
「まさか、あいつが侵入者か?!」
前方に気を取られた男が思わず声を上げた時には既に、剣を持った何者かが音もなく背後に距離を詰め終わっていた。
カシュッ!
「――!」
男の視界が宙を舞う。
首に強烈な痛みを感じて顔を歪めた男だったが、自分の身に一体何が起こったのかを理解する前に意識を失った。
……トンッ!
首が地面に転がり、胴体がゆっくりと崩れ落ちる。
ホーリーウインドではないとはいえ、仮にも戦いを役割としていた男だ。
最低でもこの大聖堂地下の警備に加えられる程度の実力は保証されている僧兵。
それをあっさりと屠った人物は、ゆっくりとユウの向かった方へと歩いて行った。




