26:光明
『他人の敷いたレールの上を進むのだって、案外覚悟がいるもんだ』
★
「とりあえず、今晩が勝負なのは間違いないんですよね? それじゃあ、お昼と夜は力の付きそうなもの作りますね!」
意識を取り戻したユウの耳に再びアイナの例のセリフが届く。
ユウは仕切り直しの合図を確認しながらも後悔の色を隠しきれなかった。
伝言役の女に仕掛けるチャンスは、会話を終えた彼女が人通りの多い道に出るまでの間。
だがその場合は帰り始めたアイナにも物音が聞こえてしまう。
成功するとしたら、背後からの一撃で息の根を止めてそのまま走り去る以外にないだろう。
(もう一度試すか? ……いや、駄目だ。)
死に戻りはもうできない。
勝算の薄い手は打てない。
(落ち着け、落ち着んだ俺。そうだ、円周率を数えるんだ。3.141592……、だからこの先わかんねーって!)
ユウは冷静さを取り戻した。
やはり円周率は偉大だ。
できるだけアイナを視線に入れないようにしながら部屋を出る。
ずっと視界に入れていると、いよいよ斬りかかってしまいそうだったからだ。
「ユウくんどうしたの? なんか変だよ?」
ステラがユウの顔を覗き込む。
彼女と目が合った瞬間、ユウはアイナへの殺意を忘れて顔を紅潮させた。
体温の上昇を自覚する。
「大丈夫。なんでもないよ。」
――そうだ、なんでもない。
物事の優先順位を考えれば、ステラを守るためだと考えれば、このぐらいはなんてことはない。
「本当に大丈夫? 熱があるならダリアに見てもらおうか?」
ステラはユウの額に手を当てた。
ユウの頭がそれだけで爆発しそうになる。
その様子を少し離れたところから見ていたダリアとロト。
「いいなあ……」
「ん? ああいうのがやりたいのか? ……はっ!」
ロトが新人類的な感じで閃く。
「そうだ、俺もちょっと熱がありそうなんだ、見てくれダリア」
「……はい、風邪薬。夜までにはちゃんと治しておいてね」
ダリアはシスコンに風邪薬を渡すとさっさと行ってしまった。
「なぜだ……」
(アンタがシスコンだからでしょ……)
横で二人のやり取りを聞いていたナルヴィは呆れた視線を彼に向けた。
相変わらず顔を紅潮させたままのユウがステラと並んで歩いていく。
「ホント、バカばっかり……」
その呟きが届いたのは彼女自身の耳だけだ。
★
アイナの少し後からアジトを出発したユウは、彼女を尾行することなくリリィに会いに来ていた。
いつものようにサンドイッチに手を伸ばす彼女の正面に座る。
「ちょっと教えてくれ。」
「何よいきなり。ほら、これあげるからまずは落ち着きなさい」
ユウはリリィから差し出されたベーコンサンドに躊躇わず噛り付いた。
「それで? 何が知りたいの? 言っとくけど、トリップの回数上限を増やすなんてことはできないわよ?」
先手を打ったリリィによって希望の芽が一つ摘まれてしまった。
ユウは内心で少し落胆しながら、口の中のベーコンサンドを飲み込む。
「じゃあ戻れる時間は?」
「戻れる時間? どういう意味よそれ?」
「例えば、俺がこのまま逃げ出して生き延びたとして、死んだらまたここまで戻って復活できるのか?」
「そりゃあ……。あぁ、そういう意味ね」
リリィは少し遅れてユウの意図を理解したらしく、首を横に降った。
「たぶん無理ね。ターニングポイントは”能力者本人の生き残る選択肢が存在する時点にまで遡る”だから、どんな形であれアンタが生き残ってしまえば戻ることはないはずよ」
「そうか……。」
二つ目の希望の芽も摘まれてしまった。
これでは可能な限り生き延びて情報を集めるという方法は使えそうにない。
死に戻りができる回数は残り一回。
いよいよ詰みが近い。
「はい、これ」
表情を曇らせたユウの前に、リリィは紙を差し出した。
手書きで地図が書かれている。
「……これは?」
「大聖堂内の概略図よ。簡単だけどね」
そう言われてよくよく見てみれば、確かに綺麗な字で所々に説明が書いてある。
(ゴーストロッド、倉庫、放送室……。)
「放送室?」
侵入地点である倉庫部屋からゴーストロッドがある部屋までの三つのルートの他に、ステラ達のAルートから枝分かれしたルートがもう一つ書いてあった。
そこには放送室と書き込まれている。
「あら、早速いいところに気が付いたじゃない」
リリィはカップの紅茶を一口飲んだ。
「戦力としては相手の方が上。だから正面突破はもちろん、できれば敵に遭遇もしたくない。そこまではいい?」
「ああ。」
ユウはリリィに言葉に頷いた。
「そこでそれよ。大聖堂内全体に音声を出せる放送室。使われる頻度は少ないみたいだけどちゃんと生きてるわ。それで敵をおびき寄せなさい」
「おびき寄せるって言っても、どうやって? 来てくださいって言っても来ないだろ? ……いや、少しは来そうだけど。」
「そうね。相手も罠の可能性を疑うだろうし。でも手はあるわ。大事なこと忘れてない? 大聖堂内に展開しているのがいったいどういう連中なのか」
「どういう連中?」
ユウは彼女の言葉の意味がわからずに首を傾げた。
(ホーリーウインド。女神教の精鋭だよな? モンドにサントスに、それ以外も強い奴が揃ってる……。それがどう関係あるんだ?)
「狂信者」
リリィは一言だけ言うと、再び紅茶を口に運んだ。
「大聖堂内に展開しているのはホーリーウインド。つまりガッチガチの原理主義者、狂信者集団よ?」
「……それがどうしたんだよ?」
「少しは自分の頭でも考えなさいよ……。いい? 彼らにとって女神の存在は絶対、そして女神から与えられた福音もね。それを貶めることは一切許されない」
考えが追いつかないユウはとりあえずベーコンサンドを口に入れた。
肉の旨みが口の中に広がっていく。
「だから、例えばこんなのはどうかしら? 『女神教は女神様の声を偽っている。自分こそが真の女神教徒だ』みたいな」
「そんなに上手くいかないだろ。」
「大丈夫よ。だって……、アナタも福音持ってるでしょ?」
「あ、そうか。」
ユウはようやくリリィの話を飲み込むことができた。
つまりターニングポイントを持っていることを利用して、正当性と正統性を主張するわけだ。
それは今の女神教を否定することになるから、狂信者集団であるホーリーウインドは決して黙っていない、と。
ユウが福音持ちであることを知っている人間に対しては文字通りの主張になるし、それ以外の人間にとっては女神の名を利用する不届き者ということになる。
どちらにしても女神教を揺さぶることはできるだろう。
「上手くいけば、全員怒り狂って放送室に殺到してくれるでしょうね。あとは、その間にゴーストロッドを破壊して逃げ出せばおしまいってわけ」
「おぉ! 流石は神様、仏様、リリィ様!」
ユウは降り注いだ希望に思わず立ち上がった。
「だからホトケって誰なのよ……。ほら、これを使えば機材の使い方がわからなくても放送できるから。放送したらすぐに近くの部屋に隠れるのよ?」
そう言いながら、リリィは魔法袋から金色のマジックアイテムを取り出してテーブルの上に置いた。
手の平サイズのそれは、U&Bの倉庫に侵入した時に渡されたものと同じに見える。
ユウは何も言わずにそれを受け取った。
近くにある柱時計が示す時間は十一時過ぎ。
もう少しでお昼の時間だ。
今頃はアイナがせっせと準備をしていることだろう。
考えてみればここで食事に毒を盛らないのが不思議だ。
「そろそろ行くよ。色々とありがとう。」
「頑張って来なさい」
リリィは軽く手を振りながらユウの背中を見送った。




