25:尾行
『目覚めてはまた同じ過ちを繰り返す。だからこそ希望が必要なのさ』
★
アイナが今までのように買い物に出発した後、ユウも用事があると言ってアジトを出た。
目的はもちろんアイナの尾行だ。
しかし今回は今までと意味合いが全く違う。
(今まではアイナが敵に尾行されたんだと思ってたけど……。)
なんということはない。
彼女の方から情報を漏らしていたわけだ。
(俺と一緒でない時の移動ルートはわからない。でも買い物は絶対にするはずだから待ち伏せすれば捕まえられるはず。)
彼女が敵であることは既にわかっている。
尻尾を捕まえて口を封じられればベストだろう。
逆に相手の情報が得られれば言うことはないが、流石にそれは欲張りすぎか。
ユウはアイナと一緒に買い物をした時のルートに沿って走った。
最初の方の店は既に買い物を終えてしまっているかもしれないので、待ち伏せするとすれば最後に立ち寄った肉屋だ。
(いない、いない、こっちにもいない。)
なかなかアイナの姿を見つけること出来ないことで、焦りの色が少しずつ増してくる。
(いない、いない、……いた!)
肉屋の方に向かってアイナのポニーテールが揺れていた。
何も知らずに見れば、確かに健気で家庭的な妹キャラにしか見えない。
ユウは目立たないように走るのをやめると、少し離れたところから尾行を開始した。
周囲の人々から怪しまれないように市場をぶらぶらしている振りをしながら、アイナの死角を縫うように移動していく。
肉屋に到着したアイナは、肉の値札を一つずつ確認し始めた。
(あれは演技じゃなかったのか……?)
難しい顔をしながら真剣に値札と肉を見ている。
あれも演技だとしたら大したものだとユウは感心した。
(今まで通りだとしたら、この後であの男に情報を流すはずだ。)
アイナを挟んでちょうど反対側に例の男の姿が見え隠れしている。
(……あれ? なんか、すごい素人っぽいような……?)
実際に自分で尾行してみてわかったことではあるが、あの女神教の男は尾行がやけに下手だ。
むしろ素人のはずのユウの方が上手いのではないかと思えるぐらいにお粗末に感じられる。
(もしかして普通に尾行しようとしてないか? ていうか、そもそも隠れる必要もないよな。)
アイナから情報を貰うタイミングを伺っているというには無駄な動きが多すぎる。
二人は味方なわけだから、別に男は彼女に見つかってもいいはずだ。
だが、ユウの視線の先にいる男はどう考えてもアイナに見つからないように行動している。
逆にそれ以外の周囲の人間に見つかることは一切気にしていない。
(おっと、買い物が終わったか。)
しかし結論が出るより先にアイナが移動を始めた。
その後ろを追っていく女神教の男。
ユウはそのさらに後ろを歩いて行った。
途中でリリィがパンを食べている近くを通る。
(そうだ、ループのことを聞かないと。……今は時間がないから後にするか。)
今はアイナの尻尾を掴む方が優先だ。
(ていうか、またサンドイッチなんだな……。)
リリィの手にはいつものようにサンドイッチが掴まれている。
他にもパンは色々と置いてあるはずなのだが……。
ユウは気を取り直してアイナと男の後を追った。
やがて二人が例の曲がり角に入っていく。
ユウはその手前まで来ると、そっと顔だけを出して様子を伺った。
他の通行人から見ればあからさまに怪しいが、今はあの二人にばれないだけで十分だ。
「……あれ?」
だが、二人は何か会話をするわけでもなくそのまま道を抜けていってしまった。
予想外の展開に慌てて後を追いかける。
(なんでだ? 話すならここは絶好のチャンスだろ?!)
疑問への答えは見つからない。
人のいない道を抜け、再び人通りの多い道に飛び出す。
ユウは例の煙幕玉を売っている老人をとりあえず無視して周囲を確認した。
(いた!)
二人とも公衆トイレの方に向かっている。
ユウはできるだけ目立たないように注意しながら、人をかき分けてその後ろを走った。
視界の隅でアイナが横の道に入ったのが見えた。
女神教の男もその後ろを追って歩いていく。
(間違いない! 今度こそ話す気だ!)
ユウは二人が曲がったところまで走ると、先程と同じように顔を少しだけ出して様子を伺った。
(……ん?)
見えたのは建物の陰に隠れてアイナの様子を伺う女神教の男。
その奥でアイナが誰かと話しているようだ。
だがここからでは何を話しているのか聞こえない。
(周りこんで近くまで行けそうだな。)
ユウは周囲の建物とアイナ達の位置を確認すると、周りこむように移動した。
もちろんできるだけ静かにだ。
なにせ、向こうの話が聞こえるということはこちらの物音も聞こえるということなのだから。
「アナスタシア様達はそのまま討伐軍に組み込まれました」
(ん?)
アイナ達の話が聞こえる距離に近づいたユウの耳に、知っている人物の名前が入って来た。
話しているのはアイナと一緒にいる女のようだ。
年齢は彼女よりも上で間違いないだろう。
たぶんソフィアぐらいだ。
ユウは手頃な物陰に身を潜めて耳を澄ませた。
建物の上では金色の蝶が静かに羽を休めている。
「まだ詳細は確認できていませんが、報告によると蜂起した魔族軍は数千人規模に昇るようです。」
(魔族軍の蜂起?)
いったい何の話をしているのか。
エル・グリーゼが大聖堂に今夜忍び込む件ではなかったのかとユウは首を傾げた。
「王国軍は全部で四千。国王陛下からの要請に答える形で我々も千人ほど出しています。アナスタシア様が指揮官、副官はアイザック様ですね」
「ふーん。けちな爺さんにしては奮発したのね。アナスタシアに千人も預けたら負けるわけないじゃない。終わったらそのままクーデターでも起こされるんじゃないの?」
「アイナ様、それは……」
相手の女性が言いにくそうにアイナを咎める。
年齢ではアイナの方が年下に見えるのだが、どうやら彼女の方が立場は上らしい。
(実はもっと年食ってるとかじゃないだろうな……。)
アイナがいわゆるロリババアと言う奴ではないかと、ユウは無用の心配をした。
……今はそんなことを心配している場合ではないのだが。
「まあいいわ。さっき言った通り、夜になったら大聖堂に潜り込むらしいから準備させといて。私は残りを処分してから帰るわ」
「わかりました」
「ああ、それから……。そっちの”鬱陶しいねずみ”もついでに片付けといて」
「私も気になっていたところです。お任せください」
(……まさか、見つかったか?!)
心臓の鼓動が一気に大きくなる。
ユウがここから逃げ出そうかと思った瞬間、別の方向で大きな物音がした。
「ぎゃ! いてぇ!」
(この方向……、あっちの男の方か?!)
アイナを尾行していた女神教の男。
どうやら見つかったのはユウではなくそちらの方だったらしい。
確かにユウ以上の素人感丸出しだったから、向こうが先に見つかるのも不思議はない。
十秒もないほどの争いの時間があった後、再び周囲は静かになった。
「アイナ様」
「何? そろそろ戻らないとならないんだけど」
「見てください。あの男、女神教内の人間だったようです」
ユウは見つからないように身を隠していたので二人の様子を直接見ることはできなかったが、そのやり取りから男が持っていた女神教のプレートが見つかったのだと推測した。
男の方は殺されたとみて間違いないだろう。
「内部の? ホーリーウインドじゃないとなると……。こういうのをやりそうなのはカーシーとカタリーナだけど、今回は別にやる必要なんてないわよね?」
「教皇様というのも違うでしょうね」
「……」
「……? どうされました?」
「私には言うくせに、自分もあの爺さんのこと疑ってるのね」
「それはその……。すいません、無かったことにしてください」
どうやら女神教の教皇というのはあまり人徳がないらしい。
「まあいいわ。とりあえずこの件が終わってから考えましょ」
そう言ってアイナはその場を立ち去った。
もう一人の女はユウの隠れている方向に歩いて来た。
(やばい! こっちに来る!)
ユウは建物の陰に体の半分を隠すと、息を殺して女が通り過ぎるのを待った。
体の全てを隠しきることはできないので、こちらの方向を見られたら見つかると思っていいだろう。
女の足音が近づいてくる。
銀色のショートの髪から良い香りが微かに舞い、ユウの鼻に届いた。
高鳴る心臓の音で見つかるのではないかと思ったが、幸いにも女はユウのいる方向に視線を向けることなく通り過ぎていく。
(あれ? 待てよ?)
静かに安堵の溜息をついたユウ。
だが直後にこれがチャンスであることに気が付いた。
(具体的な計画はあの女を経由して敵に伝わるんだろ? ってことはあの女を止めてしまえば……。)
仮に口封じのためにアイナを殺した場合、エル・グリーゼのみんなに彼女がいなくなったことを誤魔化さなくてならない。
だがあの女なら、例えいなくなったとしても大丈夫だ。
アイナは女神教への連絡は済んだと思っているだろうから、これ以上余計な動きはしないだろう。
戦士の格好をした女は人通りの多い道に向かって進んでいく。
(仕掛けるなら今しかない!)
ユウは剣を抜きながら走ると、女の背後から斬りかかった。
彼女の格好がただの変装なのかどうかはわからないが、剣の扱いにはある程度慣れている可能性が高い。
一気に決めなければ逆にこちらが追い込まれることになるだろう。
「――!」
キィン!
背後から近づいて来た足音に反応した女は咄嗟に剣を抜いた。
ギリギリのところでユウの剣を受け止める。
「この……!」
そのまま力で押し切ろうとするユウ。
だが相手もちゃんと体を鍛えているのか、不利な体勢のままながらユウの思い通りにはさせなかった。
「貴様……、何者だ……?!」
押し合う互いの剣が小刻みに震える。
ユウは何も答えない。
「ふん!」
女は鋭い眼光でユウを睨みつけると、一気に剣を薙ぎ払った。
「……ちっ。」
剣を弾かれたユウは舌打ちしながら一歩後退した。
女はその隙を逃すことなく追撃を仕掛ける。
――戦い慣れている。
キィン、キィン!
ユウは女の剣を自分の剣で弾いた。
楽勝とまではいかないが、まだ余裕はある。
ここまでの実戦経験のおかげか、守りに徹すればある程度は対応できるようになっていた。
――が、それはあくまでも正面に敵を捉えた場合の話だ。
ユウを一方的に攻め立てていた女がいきなり横に跳ぶ。
脈絡のない不自然な動きに、ユウは一瞬戸惑って動きを止めた。
ドスッ!
「――!」
その瞬間、ユウの首を背後から剣が貫いた。
一瞬で意識が飛んでいく。
(今度は……、誰だ?)
世界が暗転する直前、ユウは少し離れたところで投擲を終えた体勢を取っているアイナを見つけた。
「ふう。帰りは走らないとダメそうね」
自由の利かなくなったユウの体は地面に転がり、闇に蝕まれて収束し始めた視界は日光に隠れて天頂にひっそりと佇む月を捉えていた。




