23:案外事情通。
『偽りのない心。それを持てるとすれば、それは既に裏切った者だけだろう』
★
ユウはリリィに連れられて公園に来ていた。
昼間はどうだか知らないが、少なくとも今は他に人の気配はない。
知っている場所かと周囲を見渡してみたが、どうやら初めて来る場所らしい。
「ホームレスとかはいないんだ。」
「そういうのは教会に行くわ。粗末だけど食事は貰えるし、教会の椅子でも外よりはマシでしょ?」
そう答えながら、リリィが木でできたベンチに座った。
「そこの水道で手を洗って来なさいな。食べながら話しましょ?」
「そ、そんなにサンド食べたいのか……。」
「アンタに気を使ってあげてるんでしょうが! いいから早く洗って来なさい!」
リリィが握り拳を作ったので、ユウは言われた通りに手を洗いに行った。
手袋を外して蛇口をひねると水が出てきた。
(こういうのは元の世界と変わらないんだな。)
もちろん内部の機構は全く異なるのだが、こういう場所にこういう物があるという点では同じと言っていいだろう。
通信系のインフラに比べれば維持する難易度は低いようだ。
ユウが手を洗って戻るとリリィが彼女の隣を叩いて座るように促した。
深夜の公園で年頃の男女がベンチに並んで座る。
事情を知らない人間が見れば、まあカップルに見えなくもない。
美女と野獣、とまではいかないが美女と自称フツメンの組み合わせは明らかに不釣り合いだ。
この世界は美女が多いので感覚としてはいくらかマシかもしれない。
「それで? 何がどうしたわけ?」
紙袋から早速タマゴサンドを取り出したリリィは、それを一口かじりながら話を切り出した。
ユウもそれに合わせるようにしてベーコンサンドの薄紙を開ける。
具は厚切りベーコンとレタスだ。
「……あと三回しかないらしい。」
遠くを見るような目をしながらユウは呟いた。
「……トリップできる回数が、ってこと?」
リリィの問いに答えることなくベーコンサンドを口にする。
ハムとはまた違う歯応えだ。
「ふーん。そうなの……」
その雰囲気を肯定と受け取ったリリィはなんと言おうかと視線を彷徨わせた。
互いに無言でサンドを口にする。
「そもそも、なんでそんなに死んでるわけ? 普通に生活してたら死なないでしょ、普通は」
「それは……、まあ……。」
大事なことなので二回言ったとばかりにリリィは普通の部分を強調した。
その言葉に対してなんと答えるべきかユウは迷った。
ゴーストロッドのこと、エル・グリーゼのこと、ステラのこと。
どこまで話していいものか。
(大聖堂に侵入してゴーストロッドを破壊……、って常識的に考えたらこっちが犯罪者なんだよな。)
リリィがループを認識している以上、下手に情報を与えれば命取りになるリスクがある。
なにせ彼女に対しては死に戻りによるリセットが効かないのだから。
だが少し迷った後、ユウは全てを正直に話すことにした。
残された猶予は少ない、となれば攻める必要があると考えたからだ。
時間にして五分は経っていないかもしれない。
その間、リリィはユウの話を黙って聞いていた。
「なるほどね。それで何度も無駄死にを繰り返してたってわけ?」
「無駄死にって……。」
ユウはリリィの言い方に反論しようとして言葉を詰まらせた。
だが死に戻りが無制限だと思って安易な行動を取っていたというのは事実だ。
「私ならもう少し上手くやるわよ。仮に回数制限が無いとしたって、何度も死ぬのなんてゴメンだもの」
リリィは呆れたような声を出しながら次のサンドを取り出した。
具はどうやらツナのようだ。
「……サントス=カティオ、ホーリーウインドでも一番強いって言われてる奴ね」
「……え?」
ユウは彼女の言ったことの意味を理解するのが遅れた。
「一般常識ってほどじゃないけど、その界隈じゃ結構知られてる話なのよ。特に連中が福音持ちって呼んでるようなのはね」
その界隈では知られている。
それは、つまりそれを知っている彼女もまたその界隈の人間だということを暗に示していた。
リリィが予想外の事情通だったことに息を飲むユウ。
「アンタの話を聞く限り、大聖堂にいる能力者は全部で四人。サントス=カティオ、モンド=トレイカー、シルヴィア=ログロシノ、それにカタリーナ=オルティスよ。カタリーナが戦えるって話は聞かないから、邪魔になるのは他の三人ね」
「く、詳しいんだな……。」
ユウはすらすらと敵の名前を出したリリィを見て目を丸くした。
「言ったでしょ? その界隈じゃ結構知られてるのよ。何なら能力についても説明してあげようか?」
「お願いします。神様仏様リリィ様。」
貴重な情報提供の申し出に、ユウは縋る思いで両手を合わせた。
「女神教の連中みたいなこと言わないで。ていうか何、そのポーズ? しかもホトケって誰よ……」
リリィは魔法袋から小さめの水筒を二本取り出すと、一本をユウに差し出した。
ユウがそれを受け取ると、彼女は残った一本を開けて口を付けた。
「カタリーナのカウンセラーは知ってるみたいだから良いわよね? まずはシルヴィアのハイドアンドシーク。時間無制限で自分と自分が身に着けている物が見えなくなるわ。足跡なんかの周りの痕跡は見えるから、煙幕であぶりだすっていうのは正解よ」
「あの見えなかった奴か。」
ユウは大聖堂内で遭遇した見えない敵を思い浮かべた。
「次はモンドのファーストストライク。これは狙った相手に自分を認識させない能力ね。対象の一人以外には効果がないけど、狙われた相手は足跡なんかも認識できなくなるから一対一に強いでしょうね。能力の発動中は相手の防御を貫通する効果も付くらしいから、味方と一緒でないと圧倒的に不利な相手よ」
「そういうことだったのか……。通りで。」
ラプラスはモンドの侵入に気が付いたのにユウが全く気付かなかったのはなぜか。
攻撃を防ぐために身に着けた防具が全く役に立たなかったのはなぜか。
アルトバの街でモンドと戦った時の疑問がここで完全に氷解した。
「あとはサントスの能力なんだけど……、これはわからないわね」
「え?」
リリィの話ではホーリーウインド最強と目される男、サントス。
これまでの戦いを振り返ってみれば確かにそう評価されてもおかしくはない強さだ。
むしろ彼の能力こそ一番知りたい項目だろう。
「能力者なのは間違いないんだけど、誰も使ってるところを見たことが無いらしいわ。戦闘向きじゃない能力なんじゃないかって噂だけど」
「そう言われてみれば……、確かにそんな素振りは見せなかった気がする。」
ユウは彼女から受け取った水筒を開けて中身を飲んだ。
中身はレモンティーだった。
「これに関しては出回ってる情報じゃわからないわね。警戒しておくしかないと思うわ」
そこまで説明したリリィが水筒の中身を飲み干した。
(たぶん敷地内には他の能力者もいるはずだけど、今回は関係なさそうだからいいかしら? ……なんか物覚え悪そうだし)
頭の中でもさりげなくディスる、それがリリィクオリティ。
ユウは有益な情報が得られたことに喜んだが、状況が打開されたわけではないことにすぐ気が付いて肩を落とした。
「結局どうしよう……。」
「今回は諦めたらいいじゃない。別に急ぎじゃないんでしょ?」
「そりゃあ……、そうかもしれないけどさ。」
ステラ達は止まらないだろうとユウは感じていた。
彼女達の活動目標はあくまでもゴーストロッドの破壊。
大聖堂内にはサントスやモンドを初めとしてかなりの戦力がいるわけだが、それでも普段よりは少ないというのだから、このチャンスをそう簡単に諦めてはくれないだろう。
リリィのように記憶を持ち越してくれていれば話は早かったのかもしれないが……。
「そういうわけには……、いかないさ。」
「ふーん。そんなに好きなんだ? その子のこと」
リリィが呆れたようなつまらなそうな、かといって興味が無いわけでもなさそうな目でユウを見た。
彼女が言う”その子”というのはもちろんステラのことだ。
「そ、それは……、まあ、なんていうか……。」
その事実はもはや自明と言っていいのかもしれないが、いざそのことを口にするとなると恥ずかしい。
ユウは自分の頬が赤くなったのを自覚した。
暗い中で横にいるリリィにそれが見えたのかはわからない。
「もういいだろ、別にそのことは。」
「あら、どこかの誰かさんはそのせいで無駄死にを繰り返してるんじゃなかった?」
「う……。」
確かに彼女のいう通りだ。
する必要のない戦い、踏み込む必要のない死地。
それを選んできたのは、ステラのため、あるいはステラとの距離を縮めたいという願望によるところが大きい。
彼女との出会いが無ければ、今頃は別の人生を歩んでいたであろうことはまず間違いないだろう。
ユウは思い直すと、正面をまっすぐに見つめた。
「うん……。好きだよ、ステラのこと。ステラのためなら……、なんだってやるさ。」
力を込めて静かに宣言した。
「それを私の前で言ってどうすんのよ……。そういうのは本人の前で言いなさい?」
リリィは今度こそ完全に呆れ切ったように口を開けた。
空になった水筒をユウから取り上げると、紙袋を持って立ち上がった。
正面からユウをまっすぐに見る。
話していると忘れてしまいそうになるが、彼女は彼女で相当な美人だ。
まじまじと見つめられてユウの体温が少し上がる。
(たった今、ステラが好きだって言ったばっかりだろ。ステラ一筋ステラ一筋。)
そんなユウを見たリリィはふっと笑って体を翻した。
手を振りつつ、その場から立ち去ろうと歩いていく。
「ま、頑張りなさいな。ダメだったら墓ぐらいは作ってあげるわ」
「……ああ、よろしく頼むよ。」
ユウはリリィの後ろ姿を見送りながら、残りのベーコンサンドを口に放り込んだ。




