1:イルマ来訪
『性悪説は性善説よりも後に登場した。……つまりはそういうことだ』
★
先日の騒動からまだ一週間ほどしか経ってない二十五日。
嵐が吹き荒れる夜の中、一人の少女がレッドノート邸を訪ねてきた。
警備兵と少し話してから敷地内へと通された彼女は、玄関の前で濡れたマントを脱いで水を払う。
そこへメイドがドアを開けて出迎えた。
「いらっしゃいませ」
「お世話になりますー。それにしても酷い天気ですねー」
「まったくですよ」
メイドにマントを預け、世間話をしながら中へと足を進めた。
メイドの赤髪のポニーテールの後ろを茶髪のショートがついて歩く。
客間へと通されると、彼女はさっそく一息ついてソファに腰かけた。
雨音はここにもはっきりと聞こえてくる。
濡れてしまった前髪を気にして整えていると、すぐにステラが部屋に入ってきた。
いかにも彼女の来訪を聞いて駆けつけたといった様子だ。
「イルマ!」
ステラが嬉しそうに少女の名を叫ぶ。
「ステラ久しぶりー。相変わらずかわういのう。よしよし」
「そんなことないよぉー」
イルマと呼ばれた少女は駆け寄ったステラを抱き寄せて頭をなでなでした。
ステラも飼い猫か何かのようにされるがままだ。
「それにしてもひどい天気だねー。おまけにメインアジトは焼けちゃってるし、サブの方に行ったらラルフがみんな傷だらけだって言うからさー、ちょっと焦っちゃったよ」
イルマがそう言い終わった直後にブレッドとリアが部屋に到着した。
どうやら部屋の前で一緒になったようだ。
「イルマ、何かあったのか?」
「あったあった、ありまくりだよ」
真顔のブレッドの質問にイルマがステラを撫で続けながら飄々と答えた。
この辺りに彼女の性格が伺える。
その間にリアとブレッドはイルマの正面に座った。
「王宮周辺がここ二、三日騒がしいんだ。どうも大急ぎで軍を編成してるみたい」
「……戦争か?」
リアが眉を寄せた。
ニアクス王国の有力貴族であるレッドノート家の子女であるリアにとってもこの話は初耳だ。
仮にノワルア王国がニアクス王国と戦うための戦力を集めているのだとすると大事になる。
「そこまではまだわかんない。でも女神教にまで戦力を要求してるから、かなりの規模でやる気なんだろうね。で、その影響で中央教会が手薄になりそうなんだ」
イルマがにやりと口元に笑みを浮かべた。
同時にブレッドの目つきが鋭くなる。
彼女の言う中央教会というのは、女神教総本山であるノワルア中央教会のことだ。
そこの地下にはブレッド達が狙っているゴーストロッドがある。
「ロッドを壊すチャンスってことか」
「そういうこと。まさかこんなに早く来るとは思わなかったけどね」
「ブレッド、傷の具合はどうだ?」
リアがブレッドの足を見た。
暗に行けるかと聞いている。
「大丈夫だ。俺以外も全員な」
ブレッドが傷痕の残る太腿を軽く叩いて見せた。
★
ユウは自室でベッドに寝転がって本を読んでいた。
鎧は床に脱ぎっぱなしだ。
ここ数日、仕事らしい仕事もないので起きている間は殆どを読書に費やしている。
本には結構堅苦しい文章が並んでいるのだが、特に苦もなく読めてしまう辺りにユウは薄ら寒いモノを感じていた。
(でも昔の人が読書読書って連呼してたのもわかるわ。ネットもゲームも無いんじゃなあ……。)
今読んでいるのはこの世界の基本的な歴史について書かれた本だ。
この世界に存在する三つの国の成り立ち、主要宗教である女神教と勇者教、そして神秘教の歴史、さらには勇者に関して等、この世界のことが広く浅く書いてあった。
どうやらこの世界には最初にユウが目を覚ましたニアクス王国、そして今いるノワルア王国の他にもう一つカルド帝国という国があるらしい。
位置は大陸をケーキのように三等分した内の南側。
ちなみにニアクスは大陸の北西側、ノワルアは北東側に位置している。
そして、それぞれの国は主要宗教とも密接に結びついているようだ。
ノワルア王国の主教は女神教。
この世界の創造主である女神アインス=サティを信仰する宗教だ。
信者数は三つの宗教の中でも最大らしい。
対するニアクス王国の主教は勇者教。
女神アインスを信仰している点は同じだが、女神の加護を受けた勇者に重点が置かれている。
(キリスト教でいうイエスみたいな感じか。)
元々は女神教勇者派としてあくまでも女神教の一勢力だったらしいが、ノワルア王国、ニアクス王国、カルド帝国の三国体制になった際に政治的な理由で独立したそうだ。
ノワルア王国が女神教の総本山という政治的優位性を有していることに対して危機感を抱いたニアクス王国、そして自分達の勢力を盤石にしたい勇者教の利害が一致した結果だと本には書いてある。
(そういえばリリィが女神教と勇者教は同じだって言ってたっけ?)
分裂当初は激しく対立していたそうだが、元々の教義が同じこともあり、今は打算的な友好関係に落ち着いているようだ。
(水面下では色々ありそうだな……。)
これまでユウが見てきた女神教過激派の面々の行動から考えると、決して不思議な発想ではないだろう。
そして最後のカルド帝国の主教は神秘教というらしい。
ユウにとっては国も宗教もまだ縁が無いのでいまいちピンと来ない。
だがどうやら勇者教とは異なり、こちらは初めから女神教とは別の組織だったようだ。
ただし、その中身はバリバリに女神教を意識している。
端的に言えばアンチ女神。
女神アインスを悪魔と位置付け、各人が瞑想と悟りによってそれに対抗しうる超人へと至ることを説いている。
(うーん、仏教的な感じかな? よく知らんけど。)
ちなみに、どういうわけか女神教よりも歴史が長い。
女神教の歴史が約六千年なのに対して、神秘教の歴史は七千年。
女神教よりもアンチ女神教の方が一千年も先に生まれている。
(親より先に子供が生まれてた、みたいなもんか? 意味不明だろ……。)
こちらは女神教、勇者教双方と現在でも対立関係にあるらしい。
過去には他にも様々な国や宗教があったらしいが、何千年以上も昔に戦乱の時代を経て、三つの国とそれぞれに本拠を構える三つの宗教の形に落ち着いたそうだ。
そして最後の主要トピックは勇者の存在についてだ。
現代における勇者の定義は、『女神アインスの加護を受けた異世界人とその血族』である。
勇者召喚の魔法で異世界人を呼び出すことで、その異世界人に対して女神の加護が付加されるそうだ。
(やっぱり俺は無理かー。)
ユウは溜息をついた。
既に何度も確認していたことではあるのだが、こうして文章で見ると改めて残念な気分になってくる。
勇者が受けられる加護は三つ。
一つ目は身体能力の向上。
ここには魔力や魔法耐性の向上なども含まれるらしい。
これによって勇者は英雄的な活躍をすることが可能になる。
二つ目は勇者専用魔法。
対象に掛けられた魔法付加を確認できるブレイブアナライズに加え、最高の魔力効率を誇る自己治癒魔法ブレイブハートと近接爆破魔法ブレイブイグニッションの三つを使うことが出来る。
三つ目は言語能力。
これによって異世界人達は即座にこの世界の言語を扱うことが出来る。
また、この効果は間接的に事務処理能力の向上にも寄与する。
いずれの加護も、歴代の勇者たちが偉業を成し遂げ、勇者の一族が名門としての地位を確立する上で大きな役割を果たしている。
ちなみに勇者召喚以外の方法でこの世界に呼ばれた異世界人に関しては一切言及されていなかった。
(俺に加護があるとしたら三つ目だけか。……俺を呼ぼうとしたやつが勇者召喚ミスったんじゃないだろうな?)
十分あり得る話だとユウは思った。
どこの誰かはわからないが、出会ったら一言ぐらいは言ってやらねばならないだろう。
そんなことを考えながら、ユウは二冊目の本に手を伸ばした。
――その時だ。
誰かがドアをノックした。
「はいはい、誰ですかー。」
どうせラプラスとかだろう、などと思いながらドアを開ける。
「やっぱりラプラスか。」
「やっぱりってなんだよ。緊急ミーティングだ、いくぞ?」
「緊急? シスコンがついに何かやらかしたのか?」
「違う。 そろそろダリアに毒でも盛られそうだけど違う。」
(毒盛られそうなのか……。)
ユウは少し可哀想な気がしたが、シスコンでは仕方がないと思い直した。
「王都行きが決まったんだ。詳しくは俺もまだ聞いてない。ほら、わかったらさっさと行くぞ?」
そう言ってラプラスが歩き出す。
ユウはベッドの上に置いてあった剣だけを持って部屋を出た。




