42:相打ち
『甘い判断は新たな危機を生み出す』
★
「ちっ、マジで冗談じゃねぇぜ!」
直剣の男は吐き捨てた。
地面には意識を失ったロトとラプラスが転がっている。
今の相手はリアとダリア、そして駆けつけて来たハウルだ。
だが彼に取って状況は非常に悪い。
エル・グリーゼ側もかなり戦闘不能者が出ているとはいえ、U&B側は既に彼しか残っていない状況だ。
これでダリアのような比較的戦闘力の低い後衛だけが相手ならまだ可能性はあるのだが……。
残っている前衛は目の前のハウルに加えてナルヴィとステラの合計三人。
後衛としてはダリアとリアの他にパウロとソフィアが残っている。
――敵は全部で七人。
直剣の男は部隊内でこそお調子者で通っているはいるが、この状況を楽観的に見るほど抜けてはいない。
ハウルと斬り結びながら考えを原点に戻す。
(俺達の役目はあくまでも生贄の奪還。ユートピアさえ発動しちまえばこっちの勝ちだ。後はロドリゴさんが全員殺ってくれる)
ユートピア発動の為に必要な生贄、アイナを視界の隅で捉える。
一緒にいるのはユウだけだ。
(となれば選択肢は一つ!)
直剣の男は魔法袋から手の平で掴めるほどのサイズの玉を取り出すと、それを思い切り地面に叩きつけた。
ボフッ!
「これは……、煙幕かっ!」
白い煙が溢れて一気に周囲を包み込んだ。
視界を塞いでからの奇襲を警戒したハウルは慌てて距離を取る。
だがそれは直剣の男にとってはむしろ好都合だ。
ユウとアイナのいる方向に向かって一直線に走り出した。
煙の中から直剣を持った男一人が飛び出す。
その姿を確認したユウは敵がアイナを狙ってきたのだと瞬時に理解した。
「逃げろ! 俺が時間を稼ぐ!」
「え? で、でも」
「いいから!」
この状況で言えば、ユウの選択は好手とは言い難い。
なにせユウが死ねばそこで終わりなのだ。
だがアイナは違う。
彼女の場合、生贄にされるのさえ回避できれば、それ以外の理由で死んだとしても構わない。
それでユウは未来を迎えることが出来る。
ユウもそのことは理解していた。
そしてそれを踏まえた上での行動である。
――自分の為に別の誰かを捨て石にする、そんな選択をユウは拒絶した。
水の剣を抜き、向かってくる敵を迎え撃つ。
「早く行け!」
まだまごついているアイナを叱咤する。
震える手足。
もしかしたら、それは自分自身への叱咤も兼ねていたのかもしれない。
ラプラス達が戦う様子はしっかりと見ていた。
どう考えてもユウが勝てるような相手ではない。
だが……。
「この世界に来たのは俺の意思じゃない。死ぬたびにループするのも俺の意思じゃない。だから……」
抑圧された感情。
ここに来て、ユウの心の奥底から怒りが湧き上がって来た。
なぜ自分がこんな目にあっているのか。
なぜ自分がこんな苦労をしなければならないのか。
「だから! こういう所ぐらいは好きにさせてもらう!」
透明な刃が月明かりを僅かに反射して輝いた。
「何をごちゃごちゃと!」
直剣の男がユウの叫びに応えて剣を構えた。
ユウを瞬殺してアイナの後を追おうとしているのは明らかだ。
「邪魔だっ!」
正面にまっすぐ剣を構えたユウに対し、男は斜めから剣を振り込んだ。
キィン!
ユウは剣を傾けて受け止める。
だが男はすぐに剣を戻すと、鋭い突きで今度は心臓を狙った。
「――!」
突きの処理というのは初心者にとっては難易度が高めである。
ユウは直剣の男の攻撃に反応こそできたものの、うまく捌けたかと言えばそういうわけでは無かった。
辛うじて防ぐことが出来たのは、剣の刃幅が広かったからにすぎない。
「ちっ!」
まさか二回連続で防がれるとは思っていなかったのか、直剣の男は走っていくアイナの背中を横目で見ながら舌打ちした。
ここで時間を取られれば生贄であるアイナの確保が遅れ、その分だけ追撃を受けやすくなってしまう。
(追っ手の情報源になるやつは殺しておきたかったが仕方ねぇ!)
ユウに時間を掛けることを嫌がった直剣の男は、殺すのではなく戦闘不能にする方針に切り替えた。
戦闘不能にしてから殺す、というのは時間がある場合の選択肢だ。
直剣の男は頭部を斬ると見せかけて太腿を斬りつけた。
「痛っ!」
フェイントにあっさりと引っかかったユウは倒れそうになる。
両足で踏ん張ろうとしても痛みが邪魔して力を入れることが出来ない。
(これでコイツは追ってこれない! 後は声が出せないようにして終わりだっ!)
男は崩れ落ちるユウの腹部に剣を突き立てた。
「――!」
太腿に感じた以上の痛みがユウを襲う。
体全体の自由が奪われていく。
そんな感覚の中、ユウは自分の腹に突き刺さった剣を左手で掴んだ。
「何?!」
ユウが倒れきるのを確認する前にアイナを追おうとした男は、不意を突かれて反応が一瞬遅れた。
――そう、これで結果は決まったと言っていい。
ユウに対し、圧倒的な戦闘力を持つ直剣の男。
ではユウが彼に対して勝っているのものは無いのだろうか?
――いや、ある。
「俺だって……」
潜り抜けた死線の数で直剣の男に軍配が上がるとすれば――。
――経験した死の数そのものではユウに軍配が上がる。
――そうは考えられないだろうか?
太腿と腹部の激痛。
今のユウにとって、それは決して無視できるようなものではない。
だがこれまで経験してきた死が、ユウの苦痛に対する耐性を確実に底上げしていた。
――不自然。
直剣の男から見て、ユウの実力は素人そのものだ。
だが唯一、苦痛耐性だけがその水準を不自然に大きく上回っている。
ユウが死に戻りを繰り返していることを知らない以上、直剣の男の判断ミスというだけにはならないだろう。
だがいずれにせよ、勝負は決まった。
「俺だって……、伊達に死にまくってるわけじゃないぜ!」
「――!」
ユウは右手に持った水の剣をまっすぐ無防備になった男の心臓に向けて突き出した。
刃の先端が男のローブを突き破る。
反動でユウの体がさらなる苦痛を訴える。
傷口から血が吹き出した。
歯を食いしばってそれに耐えるユウ。
――苦痛と引き換えに、眼前の敵に死を。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」
抉り取るような軌道。
ダンッ!
ユウは剣で心臓を貫いた勢いのまま、男を地面に全力で叩きつけた。
制御を失ったユウ自身の体も一緒に地面に投げ出される。
「はぁっ、はぁっ……。」
敵がどうなったのか、ユウにそれを確認する余裕はもうない。
(攻撃が来ない……。上手くいったのか?)
流石にこれ以上は体の自由が効かない。
ユウは出血を抑えようと腹の傷口を押さえ込んだ。
やけに大きく感じる脈に合わせて血が溢れ出してくる。
(今度も……ダメか……。)
だがユウはそれなりの満足感を感じていた。
結果は駄目だったとしても、内容はそう悪くもない。
そんな気がしていた。
自然とユウの口元に笑みが浮かぶ。
それは喜びによるものか、あるいは自嘲によるものか。
そして意識は安住を求めて沈んでいった。
二人の上空を金色の蝶が舞う。
笑みを浮かべて意識を手放したユウを、直剣の男は暗転していく視界の中心で捕らえていた。
彼も既に体を動かす自由は失っている。
「ここで終わるのか……、まさか、こんな……、ヤツ……、に」
――負けるとは思わなかった。
ユウとは対称的に失望感が男の胸中を満たす。
そして一度だけ体が大きく痙攣して瞳孔が開き、直剣の男は完全に動かなくなった。




