36:甘いもの食べたい
『急げ、だが慌てるな』
★
翌日の昼。
ユウは再びアナスタシアに会いに例のカフェの近くまで来ていた。
とりあえず何食わぬ顔でタマゴサンドをモグモグしている彼女に近づいていく。
「すいませーん。女神教の人ですよね?」
「はい? そうですけど。何か用ですかぁ?」
「なんか生贄事件の調査してる人達がいるって聞いて来たんですけど。」
「――!」
アナスタシアの目の色が一瞬だけ変わってすぐに元に戻った。
以前のユウならば間違いなく見過ごしていただろう。
彼女が口の中身をミルクティーで流し込み終わるまで待つ。
「失礼しました。それで……生贄事件の件が何か?」
「街の東の方なんですけど、今までの生贄事件の時に周りをうろついてた連中がいるみたいで。仕事の邪魔なんで、なんとかなるならなんとかして貰えないかと思って。」
「……お話、詳しく聞かせて頂けますか?」
アナスタシアが神妙な顔つきでテーブルの正面にメニューを差し出す。
過去のループ同様に彼女が奢るという意味だろう。
ユウは促されるままに椅子に座った。
メニューを見るふりをしながら手を上げて店員を呼ぶ。
同時に例の特大パフェの存在が頭をよぎった。
「とりあえずチョコレートパフェで。……普通のやつ。」
これまで経験からユウも少しは学んだらしい。
とりあえず例の特大パフェの登場阻止には成功した。
「申し遅れました。女神教ホーリーウインド所属、アナスタシア=ティラミスです。まずは、お名前をお聞かせ頂けますか?」
「ユウ=トオタケです。冒険者やってます。」
「冒険者……、ですか?」
「ええ、まあ。」
アナスタシアは毎度のようにユウのラストネームを聞き、内心で首を傾げた。
(トオタケ……、勇者? でも聞いたことのない家名……。大昔に没落したんでしょうか?)
失礼にならないように表向きは平静を装うアナスタシアを見て、ユウも『また』苦笑いする。
「今月に異世界から来たばっかりなんですけど、勇者じゃないらしいです。」
「――! そ、そうですかぁ……。それはぁ、大変ですねぇ……」
事情を察したらしいアナスタシアがユウを労う。
ウザイ口調が戻っているということは彼女の本心のはずだ。
(勇者じゃない異世界人がこんなに同情されるってやっぱりおかしいだろ……。)
そんなに勇者の生活というのは良いものなのだろうか?
確かにラノ――、小説でも大抵の勇者は特権階級じみた生活ではあるけれども。
「そ、それで、街の東の方にいたというのは、具体的にどの辺りですか?」
アナスタシアが話題を切り替えるように本題を切り出した。
「倉庫の集まってる辺りです。」
「倉庫? んー、少し待ってくださいね」
アナスタシアは自分の魔法袋からこの街の地図を取り出してテーブルの上に広げた。
「どの辺りですか?」
「えーっと、この辺かな」
「あー、確かに倉庫が集まってますねぇ。この辺に……、その、怪しい人達が?」
アナスタシアはU&Bという単語を口にしそうになって留まった。
彼女の視点ではユウはあくまでも一般人、異世界から来たU&Bのことなど知っているはずがない。
「そう、怪しい人達が。」
ユウの復唱を聞いたアナスタシアは、なんとなく話題を逸らさなければならないという強迫観念に晒された。
敵の居場所に関する情報は既に手に入れているし、この話をこれ以上続ける必要はどこにもない。
「ところで、さっきから気になっていたんですけどぉ、ユウ様はなんだかすごく疲れていませんかぁ?」
「え? そう?」
疲れなら昨日リリィに取ってもらったはずだ。
あの清らかな胸で泣かせて貰ったおかげで身も心も全開。
今夜だって生贄のアイナと一緒に全力で逃亡劇を繰り広げる気満々だったりするわけで。
自分のどの辺が疲れているのかユウにはわからなかった。
「体は絶好調みたいですけどぉ、なんというか、仕事が嫌になってある日突然自殺してしまいそうな感じですぅ」
「ああ……。」
なんとなく言わんとしていることがわかった。
確かに、そろそろこのループを打破して未来へと進みたいと思っているところだ。
ただ……
(それは誰かさんのせいでもあるんだけどな……)
「……?」
互いに抱えた腹の一物。
それは最後まで表に出すこと無く、ユウはチョコレートパフェをごちそうになってその場を立ち去った。
……ん?
ああ、パフェはちゃんと普通のサイズだったよ。
★
夜。
ユウは再び倉庫の近くに身を隠していた。
時間は日付が変わる一時間ほど前。
計画の大筋は今までと変わらない。
だが今までと違う点が一点。
……隣にはロトがいる。
「俺が中に入って連れてくる。窓の外で見張っててくれ。」
「わかった。急ごう、HWもこっちに向かってきてる」
ユウは周囲の様子を確認すると、鍵開けのマジックアイテムを右手に持って静かに倉庫の窓に向かった。
ロトも弓を構えながら静かにその後ろをついていく。
発動中の光が夜の闇で目立つのを避けるためか、弓の付加魔法はオフにしたままだ。
そしてその足音はユウよりも明らかに小さい。
二人の足音の大きさの差が、隠密行動に対する熟練度の差をそのまま示していた。
(見張りを立ててないのか? 無用心だな……)
てっきり見張りの一人ぐらいは倒さないとならないだろうと思っていたロトは拍子抜けした。
外には見事に誰もいない。
罠の可能性も考慮しながら周囲を警戒する。
その間にユウが窓を覗き込んだ。
(よし、ちゃんといるな。)
カーテンの隙間から縛られているアイナの姿を確認すると、ユウは即座に左手に掴んだマジックアイテムのボタンを押した。
カチャリと鍵が開く。
部屋で横になったまま動かなかったアイナがその音でユウの存在に気がついた。
(そういえば、ここで俺に気づくってことは外の足音は聞こえてないってことだよな?)
自分とロトの足音の大きさが違うことにはユウも気が付いていた。
素人丸出しの足音でもすぐに敵が出てこないということは聞こえていないということになる。
ユウは静かに窓を開けると、彼女以外には誰もいないことを確認してから中に入った。
ラプラスから借りたノコギリナイフで縄を切りに掛かる。
「静かに。助けに来た。切るからじっとしてて。切ったらすぐにココを出る。話は逃げ終わってからゆっくりしよう。」
小声でアイナに話しかけながら、最初の頃よりは随分と慣れた手つきで縄を切っていく。
アイナも一度頷いた後は大人しく縄を切りやすい体勢を維持していた。
「切れた。」
今までよりも早い。
アイナは体を揺すって縄を振りほどく。
ユウは足音を立てないように窓に向かう。
彼女もそれに続いた。
(敵はまだ来てないか?)
ユウは先に窓の外に出た。
着地音の大きさで敵に気づかれるのではないかと一瞬焦る。
ロトが周囲を警戒しているが特に動きはない。
アイナが窓を超えて飛び降りるのを受け止めながら向こう側のドアを確認する。
――ドアはまだ開かない。
ユウは窓を閉じようと、そっと手を伸ばした。
その時――。
ガチャ。
――ドアが開いた。
黒衣の男が無防備に姿を晒す。
ビュッ、ドスッ!
「ぐぁっ!」
即座にロトが男に対して射掛けた。
心臓付近に矢を受けた男が声を上げて後ろに倒れる。
「走れ」
ロトが矢を抜きながら小声で二人を促す。
「こっち」
ユウがアイナに指で逃げる方向を示す。
彼女の手を掴もうかと一瞬だけ思ったが、ヤンデレステラの姿が脳裏に浮かんだのでやめた。
深刻な水準には達してはいないとはいえ、その心理的衝撃は今もユウの中に確かに残っている。
先頭にユウ、続いてアイナ、最後尾にロトが続いた。
人気のない倉庫外を三人分の足音が駆け抜けていく。
「生贄が逃げたぞ!」
「あっちだ! 追え!」
背後からは叫び声が聞こえてきた。
その声に反応するようにロトが背後に向けて弓を構える。
バシュ! キンッ!
ロトの放った矢は敵の一人に命中したが、甲高い金属音と共に弾かれた。
「――チッ!」
自分の攻撃を防がれたのを確認すると、舌打ちをしてから再び前を向いて走りだす。
ドンッ!
後方で大きな音がした。
だがその詳細を確認している余裕はユウ達にはない。
振り向く一瞬すら惜しんで先を急ぐ。
(この次! アイツは?!)
アイツというのはハウルのことだ。
ユウは次に曲がる予定の角の先を警戒した。
以前のループでアイナが彼とぶつかった場所だ。
(どういうわけかアイツはあれ以来出てきてない……、けど!)
ここで足を止めるのはこの作戦の成否に大きく関わる。
曲がった先からハウルが来てもいいように、ユウは少しだけ大回りに曲がった。
ユウの意図を知らないアイナが内側を走って横に並ぶ。
(……よし、いない!)
また一つ関門を突破したことに希望の表情を浮かべるユウ。
だが、曲がると同時に後方の敵を確認したロトは反対に焦りの表情だ。
「くそっ! 移動魔法を使ってやがる!」
ロトの視界に入った敵は五人。
全員が足元に白いオーラを纏っている。
詰まっている距離から考えて、脚力を強化する類の魔法を使っていると見て間違いなかった。
彼の視界にこそ入ってはいないが、その後ろからは更に五人が追ってきている。
これ以上隠密行動を心掛ける理由はないと判断したのか、ロトは弓の魔法補助を発動させた。
白く淡い光が彼の弓を包む。
(この後はステラがいた所か! ……大丈夫だよな?!)
ユウの脳裏にヤンデレの恐怖が蘇る。
きっと浮気をしたらあんな感じで斬られるのだろう。
「大丈夫! 浮気してないし! ステラ一筋だし!」
「……?」
脳内に蔓延る恐怖を否定しようと唐突に叫んだユウをアイナが不思議そうに見た。
(え、なに? 急にどうしたのこの人……?)
アイナはもしかして助けてもらう相手を間違えたのではないかと少し不安になった。
横に並んで走っていたユウとアイナの距離が少しだけ開く。
もちろんアイナがユウから距離を置くような格好で。
「はぁっ、 はぁっ。」
ユウの心臓がまるでドラムのように鳴る。
足が自分の制御下から離れていきそうになる。
――だがまだ限界には達していない。
(あと少し!)
ステラに襲撃されたポイントを通り過ぎる。
――ヤンデレはいない!
「あと少しだ! 急げ!」
背後からロトが叫ぶ。
その後ろからは大きな足音がいくつも迫ってきている。
それが魔法で強化された脚力によるものであることは振り向かなくとも想像がつく。
そして――。
ユウ達三人は約束の十字路へと飛び込んだ。




