34:告白
『最も無垢な感情は何かって? ……悪意だよ』
★
背中に輝く羽、そして地平線に輝く月が少女を照らす。
まるで天使のような、ここでは彼女をそう形容するべきだろう。
「ステラ……?」
ユウは恐る恐る箱の陰から出た。
その姿を確認したステラが微笑む。
「やっぱり、そこにいたんだね」
ユウがよく知っている笑顔だ。
だが、ユウは彼女に対して恐怖にも似た違和感を感じていた。
――なぜ彼女は剣を握っている?
ステラは右手に剣を持ったままだ。
ユウの姿を確認してからも、それを鞘に収めようとする気配は無い。
土煙の中をユウ達に向けて歩いてきた彼女はあるところで立ち止まった。
「ねえ、ユウくん?」
「な、なに?」
ステラの笑顔はさっきから張り付いたように変化していない。
しかし彼女の口から発せられた次の言葉にユウは凍りついた。
「その女……、誰?」
怨念を纏ったような眼光が箱の陰に隠れて様子を窺っていたアイナを射抜く。
その目から読み取れるのはどす黒い嫉妬の感情そのものだ。
「誰、って……。」
ユウは背中に冷たい汗を感じた。
アイナのことをどう説明するべきか一瞬迷う。
今のステラに正直に言ったところで、果たして信じてもらえるかどうか不安を感じたからだ。
とはいえ、ここで正直に答える以外に何かいい選択肢があるかといえば、もちろんそんなことは無い。
「さっきU&Bに生贄にされそうになってたところを助けたんだ。……なっ?」
ユウがアイナに同意を求める。
その言葉にアイナも大慌てで首を縦に振った。
彼女の視点からは、ユウの知り合いらしきヤンデレさんが登場したようにしか見えないだろう。
――そう、ヤンデレだ。
少なくともアイナが恐怖を感じる程度には。
「ふーん、そうなんだ。ユウくんは私以外の女の子を助けるんだ。……いいよ。わたし、もうわかったから」
「え? わかった? な、何が?」
ステラはユウの質問に恍惚の表情を浮かべた。
背中の羽の放つ光の神々しさにも関わらず、彼女自身からから清らかなオーラは微塵も感じられない。
ステラはいったい何がわかったというのだろうか?
視線を真っ直ぐに受けたユウはビビリまくりだ。
蛇に睨まれた蛙、まさにその表現を使うに相応しい状況だ。
その様子を見ていたアイナは、どうやら自分が標的から外れたようだとひとまず胸を撫で下ろした。
「わたし、やっとわかったの。ユウと結ばれるにはどうしたらいいか」
「……え?」
ステラの事実上の独白は続く。
ユウの低スペックな脳みそは状況についていけていない。
(結ばれる? 俺と? え、ナニコレ、もしかして告白?)
混乱したユウの心は彼女の言葉を極めて好意的に理解した。
ステラの様子は明らかにおかしい。
それはつまり自分がアイナを連れていたことに起因するのだと。
自分がこれから告白しようとしている相手が他の異性と一緒にいれば気が気でないだろう。
ユウだってステラが他の男と仲良くしていれば正気を保てそうにない。
つまりはそういうことなのだとユウは理解した。
そうなると、途端にステラの発言が気になってくる。
ちなみにユウの心はもうとっくの昔に準備オーケーだ。
以前、ナルヴィに言われたことを思い出す。
ステラは正真正銘のお嬢様、対するユウは社会的ステータス皆無。
その格差を埋めるだけの何かが必要だ。
『ユウと結ばれるにはどうしたらいいか』という言葉を、ユウは『付き合うために何が必要か』という意味で受け取った。
(なんだ? どうしたらいいんだ? 俺とステラが付き合うには何が必要なんだ?)
ユウは彼女の次の言葉を待った。
横にいるアイナのことなどもう頭にない。
ピンクの髪が柔らかい風に揺れて輝く。
「ユウと結ばれるために何をすればいいか」
ステラは背中の羽根を輝かせ、魔法で身軽になった体でユウの元へと跳んだ。
愛の告白、となればやはり抱擁だろう。
自分に抱きついてくるステラの姿を想像したユウは、無防備なままで彼女の接近を受け入れた。
既成事実を作ってしまえばいい、そんな言葉を期待して。
ドスッ!
「……え?」
腹部に軽い衝撃。
ステラが抱きついてくることを期待していたユウは、予想外の感触に下を向いた。
腹部に刺さったステラの剣。
痛みはまだ感じない。
だが血が滴って地面に落ちる。
横で見ていたアイナも息を飲んだ。
ユウがわけがわからないといった顔で彼女を見ると、二人の視線が至近距離で交差した。
疑問に答えるようにステラが冷たく囁く。
「わたしがあなたを殺せばいいんだ、って」
ブシュ!
「――うっ!」
ステラが一切の容赦無く、乱暴に剣を引き抜く。
ユウはようやく腹部に痛みを感じた。
体を支えようにも足に力が入らず地面に倒れる。
周囲がやけに静かだとユウは思った。
「アイスニードル」
背後から冷たい声が響く。
ドスッ!
「――!」
(なんで……、ステラが……、俺を?)
背中から氷の矢が正確に心臓を貫く。
――致命傷だ。
世界で最も愛する少女に殺されるという事実がユウの心を打ちのめした。
そして痛みが心の整理すら許すこと無く意識を刈り取っていく。
だがそれでもユウの疑問は途切れない。
(なん……、で……?)
なぜステラが自分を殺すのか。
天頂には青い月が佇んでいる。
★
ユウは再び意識を取り戻した。
視界が明るい。
夜でないことは確かだと、ユウの体が意識よりも先に直感した。
「買うのは水と食料なんだろう? それならダリアの代わりに俺が残るよ。飯は少しでもうまいほうがいいからな」
パウロの声。
いつか聞いたセリフだとユウは思い当たった。
(復活地点が……、戻った?)
ユウは慌てて周囲を確認する。
今いるのは間違いなくサブアジトとして使われている倉庫だ。
U&Bのいる東の倉庫街ではないし、そもそも時間帯が夜ですらない。
ユウは視界の中にステラの姿を見つけて咄嗟に身構えた。
彼女は覚えていないだろうが、ユウの視点では彼女に殺されたのはついさっきのことだ。
この短時間で好きな子に殺されたショックが癒えるはずもない。
そんな視線にステラが気がついた。
「どうしたのユウくん? あ、もしかしてわたしの顔に何かついてる?」
「いや、なんでもないよ。」
「ほんと? ソースついてたりしないよね?」
ステラが自分の口元に何かついていないかを確認し始めた。
(よかった、普通みたいだ。そしてやっぱりかわいい。)
どうやらステラの様子が元通りであることにユウは胸を撫で下ろした。
何度か経験した時点に戻って来れたことで、少しだけ余裕を取り戻す。
……嘘だ。
本当はステラのかわいさに癒やされたからだ。
(確か、この後は買い物だったな。リリィがいたはずだ。)
二人共。私達もそろそろ行くぞ?
リアがユウとステラに声を掛ける。
「リア、わたしの顔に何もついてない?」
「別についていないが……、どうしたんだ急に?」
リアは首を傾げた。
どうやら先程の二人のやり取りは聞いていなかったらしい。
「なんでもない。ユウくん、行こ?」
「ああ、うん。」
「……?」
リアの反応を見て安心したのか、ステラは口元を気にするのを止めて歩き出した。
ユウもそれに付いていこうとして、やけに体が重いことに気がつく。
(そうだった、この時は疲れてるんだったな。)
買い出しはユウにステラ、リア、ラプラスの四人組。
ステラに続いて二番目に外に出たユウだったが、すぐに他の二人に追いつかれた。
「お前、大丈夫なのか? フラフラだぞ」
今までのループの中で一番早くラプラスに心配された。
「ダイジョウブダイジョウブ、マカセテオケッテー。」
「どう見ても大丈夫ではないな……」
「ユウくん大丈夫?」
棒読みで答えるユウを見て、リアとステラもラプラスの言葉に同意した。
少なくとも激しい運動が満足に出来ない水準にあるのは確かだ。
ユウは三人に気遣われながら最後尾を歩いて行く。
(何回やっても苦しいのは変わらないな。)
市場の近くまで行けば休めることがわかっているので我慢できるが、そうでなければ厳しい。
初回はよく頑張ったものだと、ユウは自分で自分を褒め称えた。
自分を心配してくれるステラを見るたびに内心でニヤケながら市場の近く、いつものカフェの所までたどり着く。
「ユウ、お前はここで休んでいるといい。市場には私達だけで行こう」
「そうするよ。」
これまでと同じようにリアが提案する。
横目でリリィの姿を確認しながら、ユウもすぐにそれに乗った。
三人と別れてからさっさとカフェに向かう。
彼女からは鍵開けのマジックアイテムを貰わなければならない。
(別にもうリリィと話すことも無いし、貰ったらさっさと帰ろう。)
今までと同じようにミルクを買って今までと同じテーブルに座る。
目の前にいるのはもちろんリリィだ。
別に他の場所に座っても良かったのだが、いつもの癖で同じ場所を選んでしまっていた。
(そういえば……、リリィって普段何してるんだ?)
まじまじと正面に座っている美少女を見る。
回復してくれたり、鍵開けのマジックアイテムをくれたりと、考えてみれば結構気前がいい。
ユウは自分の腰に差した剣を見た。
これも武器屋で見てもらったら結構な値段だったことを思い出す。
そしてこれをくれたアルドのことも。
オブラートに包んで言えば森の隠者、ぶっちゃければニートだ。
(……たぶんリリィもだな。)
ユウは悟ったような目でリリィを見た。
「……何よ?」
リリィがゆっくりと横目でユウを睨んだ。
「え? 何が?」
当然のようにすっとぼけるユウ。
相手が美少女だというのに、まるで動じないのは経験を積んだが故か。
「なんか今、すごい失礼なこと考えてたでしょ? わかるわよそれぐらい」
「いやいや、そんなまさか。サンドイッチ、いや、サンドウィッチおいしそうだなー、と思って。」
「サンドイッチ? 何、もしかしてアンタこれが欲しいわけ? ……あげないわよ?」
リリィがサンド達の乗った皿をユウから遠ざける。
ちなみにユウがサンドウィッチと言い直したことに特別な意味はない。
彼女の方向を向いたままで、ユウはミルクを飲んだ。
「……ほら」
リリィが空いた小皿にサンドを一つ乗せてユウの方に差し出した。
大体いつも通りの展開だ。
「ん?」
いつの間にこんなに演技がうまくなったのか、ユウは何のことかわからないといった具合で答えた。
「あげるわよ。そんなやつれた顔で見られたら食べにくくてしょうがないわ」
「……そう、かな?」
やつれている。
リリィからの意外な言葉にユウは自分の頬を確認した。
別に特段頬が痩せこけているとかそういう感じはしないはずだ。
「そうよ。なんかもう見るからに一杯一杯なのを誤魔化してるって感じじゃない。いかにも自分一人で戦ってるんです、みたいな」
「え、そう? マジでそう見える?」
「見えるわよ。孤独な戦いに身を投じる自分カッコイイ、キリッ! って感じ?」
「なんだよそれ……。完全に意識高い系じゃん。」
いつの間にか自覚無しに意識高い感じになっていたと知って、ユウはショックを受けた。
ステラに殺されたことに匹敵するぐらいの衝撃だ。
「あれでしょ? 今だってカフェで独り黄昏てる自分カッコイイ、って感じでしょ?」
「違うわい。」
まさか他人にはそう見えていたとは夢にも思っていなかった。
ユウはため息をつきながらテーブルに突っ伏した。
(ていうか、ループしててリリィ本人は覚えてないとは言え、今までだって何度もこうして話しているわけじゃんよ? ……もっと早くに教えてくれてもいいんじゃね?)
ユウは恨めしそうな視線をリリィに向ける。
「アンタ、まさか気づいてなかったわけ?」
「うん。」
「ご愁傷様ね……。ほら、私のサンドひとつあげるから元気出しなさいな」
リリィが空いている小皿にサンドを一つ乗せてユウの方向に差し出したので、とりあえずミルクの入ったカップを持って彼女のいるテーブルへと移動する。
「あら、それミルクだったの? コーヒーじゃなかったのね」
「傷を抉らないでくれよ……。」
意識高い系の飲み物と言えばやはりコーヒーだ。
それすら飲まずにただのミルクで意識高い感じになっていたという事実がユウの精神力を削り取る。
ユウは落ち込みながら目の前のサンドを掴んだ。
(タマゴサンドか……。)
具を確認してから一口かじる。
……なんとなく味が薄い気がした。
その様子を頬杖をつきながら見ていたリリィがフッと笑う。
「もう、そんなに落ち込まないの」
「別に落ち込んでなんか……。」
「ほらほら、無理しないの。独りで悩んでばっかりいないで、たまには周りを頼りなさい?」
リリィがやさしく諭すような口調と共にユウの頬に手を触れた。
まるで母親のようだ。
ユウは呆然として表情を浮かべると、思わず彼女の手に自分の手を重ねた。
子供扱いされたその頬は少し赤い。
「あれ……、目が……。」
慌てて目をこする。
ユウの目からはいつの間にか涙がこぼれて頬を伝っていた。
「ほら、やっぱり無理してたんじゃない」
リリィがやさしく笑う。
「別に、無理なんか……!」
ユウはその言葉を否定するかのように彼女の手を振り払った。
その行動を予想していたのか、リリィは払われた手を下げるのを同じ動作で椅子から立ち上がる。
虚を突かれたユウに近づいた彼女は、以前のループでしたのと同じように座ったままのユウの上体を抱きしめた。
「これのどこがよ。体はボロボロ、心もボロボロ、十分に無理してるじゃない。弱音のひとつぐらい吐いておきさないよ」
「……。」
呆れるような彼女の声にユウは何も言い返せない。
自分の視点ではリリィは馴染みの存在であっても彼女にとって自分は初対面なのだと思うと、ユウは次に言うべき言葉を見つけられなかった。
その焦りがさらにユウを追い詰める。
「ほら、また独りで悩もうとしてる」
「……。」
リリィがパチンと指を鳴らした。
「あ……。」
指先から緑色のオーラが溢れてユウを包み込む。
泡と共に疲労が体から抜けていく。
「私に悩みを打ち明けろとまでは言わないから、気が楽になるまで泣いていきなさいよ。いいでしょ、それくらい?」
「……うん。」
ついにユウの方が折れた。
リリィの胸に抱かれて静かに泣く。
何が悲しいのか、何が辛いのか、ユウ自身にもその整理はまだついていない。
死んでは生き返り、そしてまた死ぬ。
そしてついにはステラにまで殺されることになってしまった。
肉体はリセットされても、精神まではそうも行かない。
そういう意味では休息を必要としていた。
道を歩く人々が時々二人の方向を見ては去っていく。
十分か、あるいは二十分か。
もうこれ以上は出ないというだけ涙を流してから、ユウは顔を上げた。
その目の周りは赤い。
美人の胸の感触を味わえて良かった、などという表現をするのはここでは野暮というものだろう。
「ありがとう。なんか楽になったよ。」
「どういたしまして。自分だけでなんとかしようとするのも、ほどほどにしなさいよ?」
「そうするよ。」
リリィはさっきまで彼女が座っていたイスに再び腰を下ろした。
ユウは目元に残っていた涙を拭いながら鼻をすする。
(腹減ったな……。)
かじりかけのタマゴサンドを再び頬張った。
今度ははっきりと味がわかる。
空になった小皿の上に、リリィがそっとサンドをもう一つ置いた。
これが最後の一つだ。
ユウはどうしたのかと言う代わりに彼女の顔を見た。
「あげるわ、お腹空いてるんでしょ?」
「いいの?」
「いいわよ?」
あげないと言う割には毎回くれるなと思いながら、ユウは彼女が乗せてくれたサンドを取った。
(お、ハムサンドだ。)
ユウは嬉しそうにハムサンドをかじる。
リリィはその様子を頬杖をつきながら眺めていた。
(とりあえずは大丈夫そうね)
口元には保護者のような笑みを浮かべている。
二人の関係を知らない人間が見れば、間違いなく姉と弟に見えるだろう。
ユウがハムサンドを食べ終えてミルクを飲み始めたのを確認したリリィは、腰の魔法袋から金色のマジックアイテムを取り出した。
椅子から立ち上がる動作でそれをテーブルに置く。
「私はそろそろいくわ。たまには誰かに頼ることも考えなさいよ?」
「……ありがとう。」
リリィはお礼に笑みを浮かべると、そのまま手を振りながら立ち去っていった。
ユウはテーブルに置かれたマジックアイテムを手に取って眺める。
一方的に世話になってばかりだと思いながら彼女の去った方向を見た。
彼女の姿はもう無い。
「……ありがとう。」
三回目の礼の言葉はユウ以外の誰の耳にも届くことは無かった。




