32:フードの男
『運命を避けようとした者が運命に出会うのは必然なのかもしれない』
★
夜。
まだ日付が変わるには少し余裕がある時間帯だ。
既に陽は落ちて、外は地平線から覗く月の明かりだけに照らされていた。
建物の屋根の上で羽を休める金色の蝶が光を反射させて輝く。
(よし、誰もいないな。)
ユウは東の倉庫近くの路地裏に身を隠していた。
少しだけ顔を出して周囲の様子を確認しても、歩行者の気配はない。
この周辺では件の倉庫だけから光が漏れ出ている。
屋根の上を確認してもホーリーウインドらしき影は見つけられなかった。
(心臓がバクバクするぜ……。)
人がいないので外は静かだ。
自分の足音がやけに大きく聞こえる気がした。
リリィから貰った鍵開けのマジックアイテムを握りしめ、できるだけ音を立てないように静かに倉庫に近づいていく。
そして壁に張り付いてから改めて周囲を確認した。
(誰も……、いないよな?)
――見つかったらその時点で終わりだ。
カーテンの隙間から中を覗くと、今までのように茶髪のポニーテールの少女が縛られて転がっていた。
部屋の中に他に誰もいないことを確認してから、鍵開けのマジックアイテムのボタンを押す。
カチャリ、と小さな音を立てて窓の鍵が開いた。
うなだれていた少女もその音に気がついたのか、顔を上げてユウの方を見た。
二人の視線が一瞬交わって止まる。
「んー、んー」
「騒ぐなって、今助けてやるから」
指を口に当てて静かにするように促すユウを見て、少女が静かになった。
この世界でもどうやら通じるサインだったらしい。
ユウはマジックアイテムを魔法袋に仕舞ってから倉庫の中に入ると、ドアの向こう側を警戒しながらラプラスに借りた作業用のノコギリナイフを袋から取り出した。
(これなら切るのも早いはず……)
試しに彼女の口を塞いでいる猿ぐつわを切ってみた。
体を縛っている縄と違い、これだけは白い布だ。
簡単に布を切ることが出来た。
「ぷはっ、助かった」
呼吸を妨げるものが無くなった少女は大きく息を吸う。
だがすぐに焦りをその顔に浮かべ直した。
「えっと、助けに来てくれたんですよね? 急がないとあの人達が来ます、準備が出来次第始めるって言ってたから」
「わかってる。切るから足出して。」
少女を縛っている縄は全部で三箇所。
胴体、手首、そして足首だ。
ユウは少女に体育座りの姿勢を取らせて足を縛っている縄を切り始めた。
スカートの間から覗く太ももがすごく気になるが、今は冗談抜きにそんなことを気にしている場合ではない。
「早く、早く」
「急かすなって。」
少女の小声に急かされてナイフを動かすスピードを上げるユウだったが、肝心の縄の切れるスピードの方はあまり上がってない。
ユウは横目で壁の時計を確認した。
二十三時十分。
「ちょっと、全然切れてないじゃないですか。早くしてください」
「だから急かすなって……、切れた。」
少女が解けた縄から足を抜いて体を起こす。
「こっちもです。でないと窓から出られません」
「だからわかってるってば。」
今度は体も揺らしてユウに催促してきた。
急いで胴体と手首の縄も切る。
足首の縄で慣れたせいか、こちらは思ったよりも早く切れた。
「よし、行こ――、ってもう行ってるし……。」
「早くしてください。置いていきますよ?」
「え? ちょっと待って。助けに来たの俺だよね? 助けられてるの君だよね?」
ユウが小声で抗議するも少女はさっさと窓に足を掛けている。
完全にユウを置いて行きそうな勢いだ。
「ほら、急いでください。」
それだけ言うとさっさと窓の外へ出てしまった。
ユウも慌てて追いかける。
そして窓に足を掛けようとしたその時。
――ガチャ。
ドアが開いた。
入ってきた男とユウの視線が合う。
「……」
「……。」
一瞬だけ時が止まった。
「なんだおま――フゴォッ!」
ユウは咄嗟に横の箱の上にあった木の棒を掴んで投げた。
頭部に命中。
男は仰向けになって後ろに倒れた。
だがまだ気を失ってはいない。
「いっ、生贄が逃げた!」
男が倉庫の中に向かって叫んだ。
その声に呼応して、倉庫内に待機していた男達が騒ぎ出す。
「やばい! 走るぞ!」
ユウは窓を超えながらにいる少女に向かって叫ぶ。
「こっち!」
予め逃げる方向に検討をつけていたのか、少女が迷いなく走りだす。
だがその足取りは重い。
ユウはすぐに彼女に追いついた。
「大丈夫か?」
「ずっと捕まってたせいで、あんまり余裕ないかも……」
少女が苦笑いする。
逃げ切ることは無理かもしれないと諦めつつある、ユウには彼女の表情がそう見えた。
「いたぞ! あそこだ!」
彼女の考えを肯定するかのように、背後からは男達の声が聞こえてくる。
このまま行けば一分と待たずに彼女の想像が現実になるだろう。
ユウは少女の手を掴んで前に出た。
「最後まで諦めるな!」
ユウは自分でも似合わない台詞が出たと、言った直後に思った。
いつの間に自分はこんな熱血漢になったのかと。
手を引かれた少女の走るスピードが少しだけ上がる。
だがそれでも背後に迫る敵を振り切るには遅い。
いったい何人が追ってきているのか確認する余裕もないが、このままではすぐに追いつかれるだろう。
(諦めるなとは言ったものの……。)
角を右に曲がる。
横目で後を確認すると、男達がすぐそこまで迫っているのが確認できた。
一瞬見ただけでも三人以上いる。
少女もそれを確認したらしく、顔が青ざめていた。
(こりゃあ流石に無理か?)
ユウも少女同様に逃亡の失敗を悟った。
敵の実力を考えると、このまま戦って勝てる可能性はまずない。
「……。」
ユウは掴んでいた手を離して少女を前に送り出した。
「どうしたんですか?」
「止まるな! 時間を稼ぐ! 先に行け!」
慌ててユウの方向を振り返った少女に走る続けるように促す。
(今度も失敗、とはいえ――。)
ユウは剣を抜き、迫る敵に向けて構えた。
「たまには俺も死に方を選ばせて貰お――。」
「――きゃ!」
「……え?」
今回は自分で死に方を選ぶ。
そう思った矢先、ユウの背後で少女の声が響いた。
何が起こったのかと振り向くと、既に少女が尻もちをついている。
そして彼女の目の前には黒いフードを被った男。
月明かりしか無いからなのか、顔は暗くて見えない。
腰には一本だけ剣を差している。
(先回りされたのか?!)
ユウは全身の毛穴が逆立つのを感じた。
今回は彼女を守れればそれで良しとしよう、そう思った直後にこれだ。
慌てて少女のところへと駆け寄った。
「ああ、悪いな。大丈夫か?」
だがユウが少女のところに到着するより先に、ぶつかったフードの男は落ち着いた様子で少女に手を差し伸べた。
腰の剣には触れる気配もない。
「え? あ、はい。すみません」
どうやら少女も目の前の男が敵の仲間だと思ったらしい。
差し出された手を目を白黒させてながら掴んだ。
「敵、じゃないのか?」
「ん? なんのことだ?」
少女を起き上がらせながら、男はユウの方向を見る。
だがフードの奥は不自然に暗くなっていてその顔は一切見えなかった。
闇の精霊、そんな言葉がユウの脳裏をかすめる。
「ココまでだ! もう逃さんぞ!」
追ってきたU&Bがユウ達三人を取り囲む。
ゾロゾロと集まってきて総勢十二名。
全員が以前のループでユウを殺した男と同等の強さだったとすれば、これはもうお手上げだ。
「なんだ、追われてたのか? こりゃとばっちりだな」
言いながらフードの男も剣を抜く。
言葉の割りに焦っている感じは見受けられなく、冷静にU&Bのリーダーらしき男の方を見た。
「俺はただの通行人なんだ、見逃してくれないか?」
「ふん、そんな嘘には騙されんぞ」
「そうかい。嘘じゃないんだけどな」
そう言いつつも剣を構える。
やる気は満々だ。
その様子を見たユウも慌てて剣を構えた。
「おいおい、そんなへっぴり腰で大丈夫かよ? えーっと、なんて呼んだらいいんだ? ちなみに俺はハウルだ」
「ユウ、ユウ=トオタケ。」
「アイナです」
ユウ、そしてアイナと名乗った少女は周囲を囲むU&Bにビビリながら答えた。
その様子を見たフードの男が笑う。
自分も命の危機だというのに、その声にはあまり緊張感がない。
(なんとなくダーザインに似てる気がする……。)
残念なことにエニグマのようなお供はいないようだが。
焦りを顔に浮かべるユウと余裕を見せるハウル。
アイナを名乗った少女は二人を見比べた後、ハウルの後ろに隠れるようにして立った。
彼女自身は武器を持っていない。
彼女を助けに来たユウと通りすがりのハウル。
そのどちらが頼りになると思っているのか、彼女の本音が透けて見える。
「俺じゃダメそうだってことか……。」
「い、いえ、そんなことは……」
ユウはここではっきりと言わない辺りに彼女の優しさを感じた。
だが体の方は正直だ。
もはやユウが突破されることを前提とした位置取りで、アイナはばっちりとハウルの背後に隠れている。
これにはハウルも苦笑いだ。
「まあ、元気だせよ」
「――!」
ユウは悟った。
ハウルの顔は見えない、がしかし――。
(間違いねぇ。イケメンの臭いがプンプンするぜ!)
ユウは横で剣を構えるフードの男からイケメンの余裕的な何かを感じ取った。
圧倒的敗北感。
戦いの中で戦いを忘れた的な感じの感情がユウに襲いかかる。
それはどうやらU&Bの面子も同じだったらしい。
「クソ野郎、見せつけやがって! やれ!」
落ち込んだユウを見て好機と捉えたのか、それとも単純に焦れただけなのか。
そのどちらかだということにしておこう。
断じて彼ら自身に彼女がいないことに関する積もり積もった感情が暴発したわけではない。
……少なくとも建前上は。
ともかくとして、U&Bは一斉に三人に襲いかかった。
膠着した空気が一気に破られる。
「遅い!」
「――!」
ドシュ! ガシュ!
ハウルが向かってきた二人を容赦無く斬り捨てる。
後衛が倒れた二人に治癒魔法を掛けようとして止めた。
――既に手遅れだ。
狙った相手が予想外に強かったせいか、ハウルに向かっていったU&Bの男達はそれ以上攻めるのを躊躇った。
「くそっ!」
ユウが吐き捨てる。
ハウルが敵をうまく捌いたからといって、ユウに向かってきた敵の勢いが削がれるかといえばそういうわけでもない。
開始早々に倉庫の壁を背にして攻撃の方向を状況には持ち込んだものの、それでも三人に囲まれて逃げることも出来なくなっていた。
おまけに背後には魔法使いと思われる後衛まで控えている。
キン! キン! ガシュ!
「――!」
(いてぇ!)
剣を持っていた右腕を斬られて怯む。
やはり強い。
ここまで多少の死線をくぐってきたかおかげか瞬殺されるのは免れているものの、ユウ単独でどうにかなるような相手ではない。
むしろ一人でよく持ちこたえている方だろう。
横目でそれを見て取ったのか、三人目を斬った直後のハウルが剣を持たない左手を払いように振った。
「エアカッター!」
手元から飛び出した風の刃が、ユウを襲っていた男の一人を狙う。
バシュッ!
「ぐぁっ!」
ユウに気を取られていた男は背後から胴体を大きく斬られた。
「魔法も使えたのかっ!」
「油断したっ!」
ユウを攻撃していた残りの二人もハウルに警戒を始める。
普段ならばここまで油断することもないのだが、今回はユウが防戦一方であることで気が緩んでいた。
その意味では役割を果たしたと言っても良いかもしれない。
……もちろん囮として、ということになるが。
U&Bの後衛達も動きだす。
二人が倒れたばかりの仲間のところに走りながら片手杖を構えた。
一人はハウルの剣で斬られた方へ、もう一人は魔法で斬られた方へ。
「ラピッドヒール!」
「ヒールコア!」
淡い光に包まれて、倒れた二人の傷が塞がっていく。
だが完治まではいかない。
あくまでも死を回避できる水準までだ。
再び戦いに参加できる状態にはなっていないのを見てハウルは胸を撫で下ろした。
だが今度は後衛にいた別の男が杖を構える。
こちらは身長近くある長い金属製の杖だ。
立てた杖の先端が淡い緑の光を纏う。
(この距離、三人纏めて殺る気か)
魔法を使おうとしているのは明白。
厄介なことに、その射線上にはユウ、ハウル、そしてアイナの三人全員がいた。
囲んでいたU&Bの前衛達が射線から横へと弾かれたように移動する。
後衛の動きを確認していたわけでもなく、何か合図らしい合図があったわけでもないのにだ。
「来るぞ! 避けろ!」
「え? きゃあ!」
ハウルが瞬時にアイナを抱えて横に跳んだ。
「エアグラインド!」
グォォンッ!
空間が歪む。
鈍い振動音と共に、先程ハウルが放ったのとは桁違いの風の塊が三人に襲いかかった。
それが死をもたらすのに十分な破壊力を持っているであろうことは、ユウにも一瞬で理解できた。
全身の毛穴が開く。
「嘘だろオイ!?」
状況を把握したユウも慌てて飛ぶ。
迫る魔法の方向を横目で見た。
感覚がスローになっていく。
――死の迫る実感。
横っ飛びになったユウの足元に風が迫る。
――三メイル。
――二メイル。
――一メイル。
……チッ。
ユウのつま先を風が掠めた。
捕まえたとばかりに風がユウの体を一気に巻き込んで射線の中央に巻き込んでいく。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
ドンッ! ギュィィィィンッ! ミシミシミシッ!
「――!」
ユウは倉庫の壁に叩きつけられた。
壁は風の衝撃にも耐えられるほど頑丈だったらしい。
だが風は尚も弱まる気配を見せない。
更に回転をかけながらユウの体を壁に押し付ける。
倉庫の壁を構成している木、そしてユウの肉と骨が軋んだ。
(痛みで……、意識が飛びそうだ!!)
体の自由は一切効かない。
自力で逃れることなど不可能だ。
全身の関節がこれ以上は曲がらないと警告を発している。
だがユウの体が臨界点を迎える前に倉庫の壁が限界に達した。
バキバキバキ!
ユウが背にした壁が割れる。
苦痛からの開放感。
……が、それと同時にユウの体は壁の奥に新たな死の存在を感じとっていた。
どこか懐かしい感覚。
倉庫の中に潜んでいた悪意がその力を解放する。
ホーリーウインドのアイザックが今回の襲撃に際して事前に仕込んでおいたバックドラフト。
それがユウを襲った。
(熱っ!!)
背中が圧倒的な熱量に襲われたのを感じる。
肌の焼ける感触。
――ユウが意識を保てたのはそこまでだ。
ドンッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!
――爆発。
ユウ、ハウル、アイナ、そしてU&B。
爆風と衝撃が、その場にいた全員を瞬時に飲み込んだ。
天頂には黒い月がひっそりと佇んでいる。




