31:ユートピア
『行動しなければ世界は変わらない。……しても大して変わらないがな』
★
ユートピア。
異世界ストラにおける二大勢力の一つU&Bの幹部であるロドリゴ=シノーネが、神イグル=モナから使徒を通じて与えられた能力だ。
合計五つの魔法陣を発動することによって設定される領域内限定で、能力者の身体能力を一定時間だけ大幅に引き上げる。
更に領域内の全てをまるで直接見て触れているかのように把握することまで可能だ。
過去の実績に関して言えば、実戦で発動した場合の領域内の制圧成功率は百パーセント。
そして今回の設定範囲はこのアスクの街全域。
ユートピアの発動を確認した直後、ロドリゴを含めたU&B部隊の全員が勝利を確信したのも無理はない。
「さて、それでは見せてもらおうか、リーンの力を」
自信と共に凶悪な笑みがロドリゴの顔に浮かぶ。
バンッ!
ロドリゴの姿が消え、直後に音が弾けた。
ユートピアによる強化を受けた体は容易く音速を超えていく。
ババババババンッ!
「――!」
叩きつけるように鳴り響く破裂音。
倉庫内に侵入した暴徒達を一瞬で屠る。
(……ん? 二階に何かいるな。こいつがねずみか?)
ロドリゴはユートピアの能力でユウの存在を感知した。
状況から見て、この場所を探り当てた女神教の偵察兵だと判断する。
(部下もかなり消耗している。先に外を片付けてからにするか)
ユウの脅威度が小さいと判断したロドリゴは倉庫の外へと向かうことにした。
バンッ!
ただの移動。
その度に音が激しく破裂する。
バンッ! ババンッ! バンッ! ババババンッ!
倉庫に群がる住人達も一方的に屠っていくロドリゴ。
暴徒達は自分達の身に何が起こっているのかも理解できていなかった。
状況を把握できていたのは、近くの屋根に布陣していたホーリーウインドのみ。
(あれか? あの中のどれかが能力者で間違いなさそうだ)
この周辺では明らかに雰囲気が異なる一団。
ロドリゴはアナスタシア達を補足した。
――若干の警戒心。
『能力者同士の戦い』ならロドリゴも何度か経験している。
何が起こってもいいように警戒しながら、屋根の上にいるホーリーウインドに仕掛けた。
バンッ!
指揮官らしいのは金髪の少女と青髪の少年。
囮か影武者の可能性も考慮に入れつつ、まずは周囲を守っている僧兵から殺していく。
「エレクトロウォール!」
金髪の少女が雷の壁を周囲に展開した。
それが苦し紛れであることは見え見えだ。
牽制も兼ねて隣で剣を構える青髪の少年に一撃加えると、あっけなく上半身が弾け飛んだ。
(……弱いな、弱すぎる)
予想以上に手応えが無いことにロドリゴは驚いた。
そのまま他の僧兵も屠り、残ったのは金髪の少女一人。
バンッ!
彼女も一撃で吹き飛んだ。
その直後、暴徒達のざわめきが急速に収まっていく。
それを確認したロドリゴは手を緩めて立ち止まった。
(今の女が能力者だったか。これで群衆の脅威はほぼなくなった。次は……、さっきのねずみがまだだったな)
さっきのねずみ、つまりは倉庫に潜入しているユウのことだ。
ユウは未だ息を殺してこの様子を観察していた。
その行動がユウを女神教の偵察兵だと判断したロドリゴの確信を深める。
バンッ!
黒紫のオーラを纏った男は再び倉庫の中へと向かっていった。
金色の蝶が倉庫全体を見下ろすように宙を舞う。
ユートピアが発動してロドリゴが蹂躙を開始するまでの間、ユウはその一部始終を二階のドアの隙間から見ていた。
(あの子が捕まってたのはそういうことだったわけか。)
ユウは生贄の意味を理解した。
そして、どう見てもあの子無しではユートピアは発動しないように見える。
(直前まで魔法陣を必死に描いてたみたいだし、あの子か魔法陣のどちらかを妨害できればいけそうだ。)
勝機が見えてきた。
ユウの口元が吊り上がる。
ロドリゴが倉庫の外へと出てからまだ一分と経っていない。
だが外の熱狂が急速に静まっていくのを感じて、ユウはフェラルホードが止められたことを確信した。
予想外の早さに表情を引き締める。
ドアから体を離して周囲の様子を確認した。
――静かだ。
(ユートピアの方はどうなった?)
今回は捨て石のつもりでいたが、もしもユートピアがフェラルホードとぶつかった影響で消耗しているとすればチャンスかもしれない。
――このままユートピアにとどめを刺せれば……。
そう思った瞬間、ユウの頭部が宙を舞った。
同時にドアも吹き飛んでいる。
だがその破壊音はまだ耳に届いてこない。
「――?」
バンッ!
一体何が起こったのか、その結論に達するよりも早く、音速を超える速さの拳でユウの頭部は破壊された。
天頂には白い月が佇んでいる。
★
ユウは再びレッドノート邸の自分の部屋で意識を取り戻した。
机の上にある時計は十一時を指している。
一瞬遅れて自分の置かれた状況に理解が追いつく。
つまりユートピアで瞬殺されたわけだ。
「ありゃあ、勝てないな……。」
あっさり認める言葉が出たのは突破口を見出した余裕からか、あるいは死の瞬間を実感していないからか。
だがこれで次の行動は決まった。
ホーリーウインドにU&Bを襲撃させた上でのユートピア発動阻止だ。
魔法陣には直前まで人がついて作業をしていたので、あの少女を連れ出す方が成功する可能性は高い。
(別に誰でもいいとかじゃないだろうな?)
直後に嫌な予想がユウの脳裏をよぎる。
――もしも生贄があの少女でなくてもよかったのだとしたら?
彼女がいなくなったとしても、押し寄せる暴徒を適当に、あるいは仲間の誰かを犠牲にしてユートピアを発動することができたとしたら……。
(その時は魔法陣に突撃しかないか。)
ユウは再びアナスタシアの所へ向かおうと部屋を出た。
廊下に出ると前を歩いていたラプラスが見えたが、特に用もないので声は掛けないでおく。
前回と同じということは、この後もう少しでステラがここを通るはずだ。
――会いたい、でも……。
ユウはステラが来る前に急いでレッドノート邸を出た。
彼女と会うのを避けたことで、後ろ髪を引かれるような思いがしこりのように胸に残る。
それでも、今の自分には彼女の顔を直視できない気がした。
ここを切り抜けられたのなら、その時に初めてステラの笑顔を正面から受け止めることができるだろう。
自分にそう言い聞かせる。
(今回で……、いや、今度こそ決める!)
――まずはアナスタシアからだ。
★
「東の倉庫、ですかぁ?」
「そう、東の倉庫。」
ユウは再びいつものカフェでアナスタシアに接触していた。
一体これで何度目になるのか、……手慣れたものだ。
彼女の美少女のみに許されるウザいしゃべりにもいつの間にか慣れた。
女の子と話す度にドキドキしていたのが、もう遠くの昔のことのように思えてくる。
未だにドキドキするとしたら、相手がステラの時ぐらいだろうか?
やはり彼女は特別な存在だ。
そんなことを考えながらアナスタシアとの会話を進めていく。
「グレーターチョコレートパフェ、ドラムスペシャルです」
頼んでいたデザートを店員が運んできた。
そちらを見たアナスタシアが思わず息を飲む。
その瞳は大きく見開かれていた。
(わかってるさ。どうせでかいんだろ?)
ユウはデザートの方向を見ることなく、悟りを開いたような表情になる。
今夜の大一番を前に甘いものを腹一杯食べたいと思ったユウは、店員に『一番大きいチョコレートパフェを』と注文していた。
つまりはメニューの一番下にあるグレーターチョコレートパフェを、である。
(どうせアナスタシアの奢りなんだ。……あれ? ドラムスペシャルってなん――)
ドンッ!
(――だ……。)
目の前に置かれたパフェを見たユウの思考が一瞬固まった。
「……」
「……。」
――沈黙。
(ぜっ、前回よりもさらに数倍でけぇぇぇぇぇーーーーー!)
ユウの目の前に置かれたのは両手で抱えないと持てないような超特大のチョコレートパフェだった。
アナスタシアも困ったような表情を浮かべてユウを見ている。
(え? ちょっと何コレ? 一人分? 最低でも十人分だよねコレ?!)
「店長から伝言です」
「え? 伝言?」
混乱した頭でユウが店員に聞き返す。
店員の女の子はいたって冷静だ。
「これを一人で食おうとした勇者はお前が初めてだ。応援している、心置きなく食ってくれ、だそうです」
ユウがカウンターの方向を見ると、筋肉質な店長が満面の笑みと共にサムズアップで答えてくれた。
どこかで遭遇したような状況だ。
(ダーザインのときと同じか……。)
アルトバの街でダーザインやエニグマと一緒に食事をしたのがひどく懐かしい。
確かあの時はダーザインがこんな感じだった。
そんなことを思いながら、ユウはぎこちない動きでアナスタシアの方向に向きなおした。
「勇者になれてよかったですね」
屈託ない笑顔がユウに向けられる。
よくねぇよと全力で突っ込みたい気分を堪えてユウはスプーンに手を伸ばした。
よく見るとスプーンは二つある。
取り皿もだ。
「お、俺一人じゃ食べにくいし、一緒に食べる?」
「いいんですか? じゃあ、少しだけ。」
アナスタシアが本音はわかっていると言わんばかりに微笑む。
ダイエット中だとか言われなくてよかったとユウは内心でホッとした。
エニグマに見捨てられたダーザインの気持ちがよく分かる。
彼女の助けも少し借りながら全てを胃袋に収め切った頃には、これまでのシリアスな雰囲気含めて色々と台無しになっていた。
苦しい腹を抑えながら落ち込むユウ。
(俺、シリアスキャラ向いてないのかな……?)
「大丈夫……、ですかぁ? 流石にドラムスペシャルは無理がありましたねぇ。」
「あ、あれってやっぱり有名なんだ?」
アナスタシアに促されるがままにベンチに移動して横になる。
「このお店のドラムスペシャルは私も初めてですぅ」
「……この店の?」
ユウはなにやら不穏な言葉を聞いた気がした。
「ドラムスペシャルって大抵のお店にあるんですよぉ? 女神の使徒、大食漢ドラムにちなんだ十八日限定の大盛りメニューなんですぅ。」
「ここだけじゃない……、だと……。」
つまり油断して大盛りメニューを頼むと今後も同じような窮地に立たされる可能性が高いというわけだ。
「もしかして十八日以外にもあったりとかする?」
「もちろんあったりとかしますよぉ? それぞれの使徒が挑んだ困難の数と同じ日には全部ありますぅ。そうですねぇ、五日がマリーンの日でパンが安くなったりしますぅ。食べ物関係はそれぐらいですぅ」
「つまり今日だけピンポイントでアウトだったわけか……。」
ユウは自分の運の無さを呪いたくなった。
実際にはうっかり『一番大きいチョコレートパフェ』なんて注文の仕方をする迂闊さの方を呪うべきなのかもしれない。
「知ってたなら先に言ってくれよ……。」
「ごめんなさい、私も運ばれて来るまで気が付かなくてぇ。すぐに楽にしてあげますねぇ」
アナスタシアが杖を構える。
「メタボルゥー」
彼女の杖の先から出てきた白いオーラがゆっくりとユウを包み込んだ。
「食べ過ぎ用の魔法ですぅ。消化を促進してますからぁ、しばらくそのままにしててくださいねぇ?」
白いオーラに包まれて横になっていると、苦しかったお腹が少しずつへこんで楽になってきた。
やはり本職の癒し手なだけあってこの辺も対応はバッチリらしい。
「すごいな、魔法ってこんなこともできるんだ。」
「驚きましたぁ? 本当のお薬の効果を早めたりするための魔法なんですけど、こういう使い方もできるんですよぉ?」
柔らかな風でアナスタシアの金髪が揺れる。
彼女の笑顔に、ユウは少しドキリとした。
(おっと、いかんいかん。ステラ一筋ステラ一筋。)
ユウは自分に何度も言い聞かせた。
アナスタシアはその様子を見て密かに苦笑いだ。




