30:虎穴に入らずんば
『男と女、優れているのはどちらかって? ……薄情者が少ない方さ』
★
意識を取り戻したユウ。
「……あれ?」
だがユウの視界がとらえたのはサブアジト内の光景ではなかった。
(ここは……、俺の部屋か?)
部屋の様子を見る限りはどうやらレッドノート邸で与えられた自分の部屋のように見える。
机の上にある時計は十一時を指していた。
「また戻ってくる地点が変わった……?」
再びユウを混乱が襲う。
(なんだ?! 一体なんの条件を満たした?!)
ユウは慌てて部屋を飛び出した。
ちょうど廊下を歩いていたラプラスを見つけて呼び止める。
「ラプラス! 今日は何日だ?!」
「なんだ、ユウか。驚かせるなよ」
「いいから、今日は何日か教えてくれ!」
「今日? 今日は十八日だ。それがどうかしたのか?」
――十八日、つまりフェラルホードが起こる日だ。
ラプラスの言葉を聞いて、ユウの背中を冷や汗が伝う。
(一日、進んでる……?)
今までよりも復活地点が一日後ろにずれている。
それはそのまま対策と行動を起こす時間的な猶予が一日減っていることを示していた。
(時間は確か十一時だったな……。アナスタシアへの接触はまだ大丈夫か。)
だがリリィに関しては既に接触不可能だ。
行動の選択肢が大幅に削り取られたことにユウは焦る。
そんな様子をラプラスは訝しんだ。
「どうしたんだ? また何かあったのか?」
「あ、ああ。」
曖昧な返事を聞いたラプラスはユウが何を考えているのか思案するも、これといったものが思いつかない。
「何かあるんならできるだけ早く言えよ? リア様もブレッド達も今は二階にいるから」
「二階? ここの? なんで?」
「なんでって……、お前がこっちに移ろうって言い出したんじゃないか。」
その言葉でユウは自分がエル・グリーゼにレッドノート邸への移動を提案していたことを思い出した。
ちょうどそのタイミングでステラがそこを通りかかった。
「あれ? どうしたの二人とも?」
二人の所へとステラが歩いてくる。
ユウの心臓が高鳴った。
ステラの声。
――ステラが生きている。
ステラの笑顔。
――ステラが生きている!
「そうだ! 俺、用があるんだった!」
単に恥ずかしかったからなのか、あるいは何度も守ると決意しながら一度も守れていない後ろめたさからなのか。
理由はともかくとして、ユウは咄嗟に走ってその場から逃げ出した。
その後姿を二人が首を傾げながら見送る。
「ユウくんどうしたの?」
「さあ?」
近くにあった荷箱の上で休んでいた蝶は呆れたように金色の羽を動かした。
★
ステラから逃げるようにレッドノート邸を出た後、ユウはアナスタシアの所へと向かって歩いていた。
彼女の生きている姿を見た影響か、精神的には死ぬ前よりもいくらか楽になった気がする。
余裕が出てきたせいか、死ぬ前まで見えていなかったものも見えてくる。
(ステラ達が死んだ理由はたぶんユートピアだな。)
ユートピアに関してはこちらから刺激しなければ大丈夫と踏んでいたが、当てが外れたのかもしれない。
寝ている間に女神教と交戦したのか、あるいは元々あの時間に行動を起こす予定だったのか。
何れにしても、サブアジトにいるメンバーをレッドノート家に移した上でさらにユートピアへの対処が必要だということになる。
(フェラルホードとユートピア、両方とも避けては通れそうにない。)
結局はそこの帰着する。
回避した実績のあるフェラルホードはまだいいとして、ユートピアに関してはまだ突破口のヒントすら掴めていない。
(だとすると、やっぱり飛び込むしかないか。)
幸いにしてユートピアの発動に関しては鍵となる場所と時間はおおよそ推測がつく。
となると更なる情報を求めて死地に飛び込む以外に思いつかなかった。
(とりあえずはアナスタシアだな。)
ちょうどそこまで考えたところでユウはいつものカフェに辿り着いた。
アナスタアシアがこれから食事を始めようとしているのもいつも通り。
自分の体に傷がないことを確認すると、そのまままっすぐに彼女の所へと足を向けた。
それから彼女と会って話したが、特筆するようなことは起こらなかった。
★
その日の深夜。
ユウはU&Bの情報をアナスタシアに伝えた後、夕方まで仮眠を取ってから倉庫のある東エリアへと足を運んだ。
今は儀式の準備をしている倉庫の一室に忍び込んで息を潜めている。
メインエリアではU&Bと思われる黒ずくめの男達がせっせと魔法陣を描いていた。
別の部屋に捕まっている少女はまだそのままだ。
ユウがいる部屋があるのは二階。
人が来ない場所を求めて倉庫内を移動する間にこの部屋まで辿り着いた。
部屋が狭い上に様々な道具が放り込まれていたので使うのを諦めたのだろう。
近くの部屋も似たような状況らしく、黒ずくめ達はまだ一度も二階まで上がってきていない。
(二階の部屋は丸ごと全部使ってない感じか? ここからならよく見えるし好都合だな。)
粗末な造りのドアには隙間が多い。
ドアを閉じたままでも倉庫のメインエリアの魔法陣付近を見下ろすことができた。
時計がないので正確な時間はわからないが、始まるとしたらそろそろのはずだ。
「うおおおおお!」
「女神様バンザァァァァァァイ!」
遠くで雄たけびが上がったのをユウの耳が捉えた。
静寂が終わり、狂気が街中に蔓延していく。
(――! 来た!)
「なんだ?」
「わからん、二階から様子を見てくる」
一人が二階に上がってきた。
(まずい!)
ユウはドアの隙間から離れた。
だがこの部屋に身を隠せる場所はない。
(頼むからこっちには来るなよ……。)
息を殺して様子を窺うユウ。
幸いに男は隣の部屋に入っていった。
それを確認して静かに安堵の溜息をつく。
「なんだよこれ……」
窓から外の様子を見たU&Bの男が絶句したのと、最初の暴徒が倉庫の入口に辿り着いたのは同時だった。
ドン! ドン!
暴徒達が扉を破ろうと体当たりを始めた。
倉庫の一階にいた他の男達にも緊張が走る。
「寝ている奴らを起こせ! ロドリゴ様に報告だ! 残りは扉を固めろ! 二人、いや四人は他の窓を見張れ!」
二階に上がった男は慌てて部屋を飛び出して一階へと走った。
ロドリゴの所へ向かう。
「報告! 敵襲です! 副隊長が正面扉の防衛に行きました!」
一階にいた男がロドリゴに報告した。
さらに二階から戻った男がそこに飛び込んで来る。
「報告! 街で暴動発生の模様! こちらの方向に向かってきます!」
「……なるほど。黒の預言書に記載のあったマーダークイーン、あるいはドレッドノートのどちらかだな。狙いはここで間違いなさそうだ。魔法陣の進捗は?」
「現在、最後段階。中央と外円の連結印を作成中です!」
「完成したらすぐに使う、急がせてくれ。手が空いている者達は時間を稼ぐんだ」
「はっ!」
報告に来た二人が足早に立ち去ると、ロドリゴも黒いマントを翻してイスから立ちあがった。
ドアを開けて倉庫のメインエリアに出ると、喧騒が彼を出迎えた。
既に正面扉は破られてしまっており、突撃して来る暴徒達をU&B側が魔法で片っ端から薙ぎ払っている。
「アイスジャベリン!」
「女神さ――、ぐぁ!」
「突っ込めぇぇぇぇ!」
「殺せ殺せぇぇぇ!」
魔法陣の位置は正面扉から見て倉庫の一番奥。
ロドリゴは自分自身の目で魔法陣の進捗を確認しようと魔法陣に向かった。
魔法陣を描いていた一人が彼に気が付いて敬礼する。
「腕を動かしたままでいい。あとどれぐらいかかる?」
「あと十分、いや、五分で終わらせて見せます!」
「よし。私は生贄を取ってこよう」
ロドリゴは少女を捉えている部屋へと直行した。
「んー。んんー」
部屋に入ってきたロドリゴの姿を確認した少女が猿ぐつわを噛まされたままで喚く。
だがロドリゴはそれに一切構うことなく少女を肩に担いだ。
そのまま部屋を出ると、正面扉の防衛に当たっている男達に向かって叫ぶ。
「あと少しだ! 無理はするな! バリケードが使えなくなったら下がれ!」
無数の暴徒達の突撃で機能を失いつつあるバリケードの後ろで必死に応戦していた男達。
彼らはロドリゴの言葉を幸いと後方に下がり始めた。
後ろにはまだ無事なバリケードが残っている。
そこまで後退を完了すると、再び雪崩れ込んでくる暴徒達に対して攻撃を再開した。
「死体を吹き飛ばせ! 盾に使われてる!」
「任せろ! ウインドウォール!」
風で形成された壁が正面扉付近に積みあがっている暴徒達の死体を外に吐き出した。
ちょうど倉庫内に突撃しようとしていた人々も一緒に押し返されていく。
だがダメージはほとんどないらしく、起き上がると再び倉庫の中を目指して走り始めた。
「くそっ! 数が多すぎる!」
「窓も破られた! 入ってくるぞ!」
阿鼻叫喚。
質では圧倒していても、絶望的な物量を前にロドリゴの部下達が一人、また一人と倒れていく。
その様子をロドリゴは魔法陣の横で静かに目を閉じていた。
横では男達が必死に魔法陣を描き続けている。
「これで……、できた! できました!」
その言葉を聞いた瞬間ロドリゴの目が見開かれた。
「よくやった! 全員下がれ!」
魔法陣の外縁にある円に少女を放り込むと、自分は中央にある円に入る。
その様子をユウは二階のドアの隙間から見ていた。
ブゥゥゥン!
ロドリゴの言葉に反応するように魔法陣が唸り声を上げて光る。
「――!」
苦痛で目を見開いた少女から黒紫の光が溢れ出し、魔法陣を伝わってロドリゴを包み込んだ。
目を閉じたロドリゴの体に染み込むかのように光が収まっていく。
魔法陣そのものの光は未だ収まっていない。
だが生贄にされた少女は既に息絶えたようだ。
ロドリゴが勢いよく目を見開いた瞬間、両目と両手から黒紫のオーラが溢れ出した。




