28:愛の試練
『結果のわかった後からなら何とでも言える』
★
「……で? あげないわよ?」
「いらないよ」
ユウは懲りずにリリィと時間を過ごしていた。
ステラ達と市場の手前で別れた後、前回のことがあるので彼女との接触は控えようかと思ったのだが、結局他に時間を潰す手段も思いつかずにこうなった。
それにしても、こんな感じのやり取りをするのはもう何度目になるのか。
リリィの目の前には今まで同様にサンドイッチが行儀よく並んでいた。
「はぁ……。」
既に彼女と同じテーブルに座っていたユウは小さな溜息をついた。
それに反応したリリィの金髪が揺れ、仄かにいい匂いがユウの鼻に触れる。
「何? そんなに食べたかったわけ?」
「……違うよ。」
特に気を使う必要もないやり取りに安心感を覚えつつ、ユウは手元のミルクに口を付けた。
まばらな通行人達が時々ユウ達に視線を向けていく。
彼らの目にはデート中の男女に見えたりするのだろうか?
(別にいいか。俺にはステラがいるし。)
リリィが少し不機嫌そうに横目でユウを睨む。
「それじゃあ何なのよ? こっちがお昼食べてる横で溜息吐かれても困るんだけど」
「ちょっと……、色々とうまく行かなくてさ。」
ユウは頬杖をついて遠くに視線を向けた。
ステラ達はまだ戻ってきていない。
この場にリリィしかいないことに安心したのか、つい弱音が漏れた。
「当たり前じゃない、そんなの」
答えながらリリィがタマゴサンドを頬張る。
「みんな考えてることはバラバラなんだから。世の中そんな簡単になんて行かないわよ」
なんだそんなことかと言わんばかりに手の平を上に向ける。
「ま、どうにもならなかったらさっさと逃げることね。どうせ上手く行かないなら楽な方がマシでしょ?」
「そりゃそうだけどさ。」
リリィの言葉にユウは少し笑う。
「ほら」
視線を戻したユウの目の前にハムサンドが差し出された。
「これ上げるから元気出しなさい?」
「ああ、ありがと。」
いつものことながら、欲しかったわけではないと苦笑いしながらそれを受け取った。
「ベーコンサンド、じゃなかったハムか。」
「あら? ベーコンが良かったの? 残念ながらここのメニューには無いわ。また今度ね」
リリィがハムサンドを渡し終わった手で指を鳴らす。
指先から緑のオーラが溢れてユウを包み込んだ。
疲労と傷が泡となって体から湧き出していく。
数秒経って全ての疲労と傷を癒やしきったオーラは弾けるように消え去った。
「どう? 体の疲れが取れると気も楽にならない?」
リリィが笑いかけてくる。
言われてみればそんな気もするとユウは頷いた。
確かに先程に比べると元気が湧いてきたような気がする。
(心と体って言うけど……。結局、心って脳みそのことだもんな。)
心が疲れているということは脳が疲れていること。
そう考えるのなら、体を休めれば元気が出るのも道理だ。
その後はまた今までと同じような雑談をして時間を潰した。
ルーティンワーク、ただ面倒なはずのその会話がなぜか心地よく感じるのはリリィが美人だからだろうか?
しばらくしてからリリィが席を立つ。
まだステラ達は戻ってきていない。
「私はそろそろ行くわ。何があるのか知らないけど頑張りなさいな」
そう言いながらリリィが金色の小さな箱をユウに投げて寄越した。
ユウはそれを両手で受けとる。
「これは?」
その正体をもちろんユウは知っている。
鍵を開閉できるマジックアイテムだ。
だが自分がループしていることを悟られないように演技した。
「餞別よ。それで好きな鍵を開閉できるわ。」
それだけ言うと、リリィは手を振りながら立ち去っていく。
あっさりとした別れにユウも手を振り返す。
「どうにもならなかったら逃げろ、か。」
結論から言えば時間にしておよそ十分。
ステラ達が戻ってくるまでの間、ユウはリリィに言われた言葉を頭の中で反芻していた。
★
ステラ達と一緒にサブアジトまで戻ったユウはそのまま三人を連れてブレッドのところへと向かった。
ユウ達よりも先に戻った彼は自分の部屋で熱心に本を読んでいた。
本の内容には敢えて触れないでおく。
部屋にはソフィアもいたので好都合とばかりにユウはここからレッドノート邸に移ることを提案した。
「レッドノートの家に移動しろ? なんでだ?」
ブレッドがユウの言葉に予想外だと言わんばかりの声を上げる。
彼はユウがメインアジトへの襲撃を見切っていたと思っているので、その発言を無下にはできない。
サブリーダーのソフィアとレッドノート側の決定権を持つリアはまだ何かあるのかと顔を曇らせた。
ラプラスも怪訝な顔を、ステラだけが不安そうにオロオロとしている。
(ステラかわいい。)
ユウは一番大事なことを再確認すると気を引き締めた。
「多分近いうちにここが襲撃される。正確にはこの辺り一帯が。」
「この辺り一帯が? 誰にだ?」
リアが壁に背中を預けて腕を組んだ。
ユウに質問しつつも、既に彼女は頭の中でエル・グリーゼ全員をレッドノート邸で受け入れ可能かどうか考え始めている。
「女神教プラスアルファ。」
「プラスアルファ?」
「プラスアルファって、女神教以外にも敵がいるの?」
ブレッドとソフィアが首を傾げる。
それは他の三人も同じだった。
ユートピア。
前回のループでソフィアが呟いた単語を口にしてしまいそうな衝動をユウは我慢した。
「どうだろう。もしかしたら俺達の敵じゃないかもしれないけど。どうも女神教とそいつらがこの辺でぶつかる可能性が高そうなんだ。」
冷静に。
努めて冷静に。
まるで客観的な事実に基づいて判断したかのように振る舞う。
ユウの言葉を聞いてブレッドは勝手に脳内で情報を補完した。
「……巻き込まれるってことか?」
「この位置だとほぼ確実に。」
本来ならその根拠から尋ねるべきなのだろうが、何せ自分達の命が掛かっているだけあってそれは後回しだ。
沈黙が流れる。
ユウとブレッドのやり取りを元に他の四人もそれぞれが思い思いの状況を推測した。
「ユートピア。」
「――!」
沈黙を破ったユウの呟きに全員が反応した。
だが、その反応は他の四人の緩慢さに対してソフィアの鋭敏さだけが際立っていた。
予想はついていたが敢えて気づかない振りをする。
「なんのことか俺にはわからないけど、それが切り札らしい。」
「ユートピア? なんだそりゃ?」
ブレッドはユートピアについて知らないようだ。
他の三人の様子を見ても同じような感じだ。
互いに視線を合わせてから顔を横に振った。
(知ってるのはソフィアさんだけなのか?)
ユートピアと聞いてからのソフィアの顔色が明らかに悪い。
ここでどう動くべきか、ユウは少し迷った。
「ソフィア、どうかしたのか? 顔色が悪いぞ」
「う、うん、大丈夫」
ブレッドもソフィアの様子に気がついた。
だが単純に体調不良と受け取ったらしい。
惚れた女に対しては贔屓目になるのは彼もユウと同じのようだ。
「ソフィア」
そしてもう一人。
リアもまたユウと同じタイミングで彼女の異変に気がついていた。
「知っているんだな? ユートピアというのが何なのか」
「……そうなのか?」
全員でソフィアの反応を待つ。
その間、数秒。
「……ええ」
ついに観念したかのようにソフィアが頷いた。
体調不良ではないとわかってブレッドだけが安堵の息を吐いた。
「それで、ユートピアというのは?」
リアの視線は先を促している。
ソフィア相手に強く追求するのは気が引けていたユウは少し気が楽になった。
しばらくは彼女におまかせできそうだ。
「ロドリゴ=シノーネっていうU&Bの幹部が使う身体能力の強化魔法よ。……たぶんね」
「たぶん?」
リアが確認するかのように聞き返す。
この場にいる人間を魔法に詳しい順に並べると、まずはソフィアとリア、次にステラ、ラプラス、ブレッドと続く。
ユウは魔法のことがさっぱりわからないので一番最後だ。
つまりは魔法の話になった時点で一番蚊帳の外に近くなったことになる。
(あれって女神教じゃなかったのか……。)
あの黒紫の男もてっきり女神教の所属だと思っていたユウは密かに焦る。
U&B、つまりステラ達の世界であるストラに本拠を構える勢力ということだ。
「正確には魔法かどうかもよくわからないのよ、強化の幅が理論限界を明らかに超えてるから」
「超えてると言っても、ただの強化魔法だろう? それが切り札になるのか?」
「……なるわ。兵力一万超えの砦を単独で落としたこともあるって話があるぐらい。とにかく強化幅があり得ないぐらい大きいのよ」
リアにユートピアの強力さを力説するソフィアにブレッドが目を丸くした。
「やけに詳しいんだな」
「まあね。……子供の頃、近くに住んでた時期があるから」
ソフィアは少し目を伏せた。
触れてはいけない部分なのだと理解して誰もそれ以上の追求はしない。
「ユウ、ユートピアってのは誰に聞いたんだ?」
「女神教の奴らが話してたのを偶然。」
ブレッドの問いに間髪入れず答えたユウだが、女神教からというのはもちろん嘘だ。
「もしユウの聞いたユートピアってのがそれのことだとすると、この街にもうU&Bがいることになるな……」
ブレッドの表情が曇る。
U&Bのことをよく知っているであろうソフィアとステラも同じように表情を曇らせた。
「リア、ここから全員移動したい。受け入れは可能か?」
「……ここより窮屈だぞ?」
「なら決まりだ。陽が落ちてから移動する、みんなにも伝えてくれ」
こうしてユウの思惑通りにレッドノート邸への移動が決まった。
以前のループでユウがレッドノート邸にいた時は襲撃されなかった。
勝ち目がないなら逃げてしまえばいい。
今回のアプローチはそういうことだ。




