20:逃避行
『状況の深刻さが理解できること、それが強者の最低条件だ』
★
その集団は押し寄せる暴徒の波に包まれたエル・グリーゼのアジトを少し離れた建物の屋根の上から眺めていた。
服装は全員が白地に青と金。
女神教の過激派実働部隊ホーリーウインドだ。
「相変わらず凄まじい効果だな、お前のマーダークイーンは」
アイザックがあきれたような声で横に立つ少女を称えた。
褒められたアナスタシアの金髪が風に揺れる。
「そんなことないですよぉー。アイザックさんの福音よりも使いどころが限られますからぁ、その分効果が高くないと釣り合いが取れないだけですよぉー」
美少女だからこそ許される甘ったるい声でアナスタシアが返した。
これが美少女でなかったら彼女に向かって暴徒が殺到していたかもしれない。
「一応用意はしてきたが、僕らの出番は要らなかったかもしれないな」
「油断大敵ですよぉ? それで昨日は負けちゃったんですからぁ」
アナスタシアがアイザックを窘めた。
既にホーリーウインドの僧兵達が複数の方向からエル・グリーゼに対して魔法で攻撃を開始している。
彼女の視線の先ではエル・グリーゼの面々がそれを必死に凌いでいた。
群集からも屋根の上の彼らに向けて石が投げつけられているようだ。
夜の闇に加えて周囲への対応に必死なせいか、アナスタシア達にはまだ気が付いていない。
「それもそうだな。でもやつらもこれで終わりだ。U&Bだかなんだが知らないが、自分たちの世界で大人しくしていればよかったのさ」
「ホントですよねぇ。邪教徒は私達が滅殺ですぅ」
「おっ、建物に火がついたな。屋根伝いに逃げようとするだろうから準備しておくか」
「蒸し焼きになってくれると楽なんですけどねぇ」
★
ステラを守る。
数刻前まではそう意気込んでいたユウだったが、現状は何も出来ないでいた。
飛んでくる魔法と矢、そして石を必死に避ける。
飛び道具を使えないユウには反撃する手段がない。
「ブレッド! これじゃ纏まって逃げるのは無理だ! 分散しよう!」
「ちっ! 仕方ないな……」
ジュリエッタの叫びにブレッドは舌打ちした。
以前の経験からあまりその選択はしたくないと思っていたが、状況が状況なだけに仕方ない。
「分かれて逃げるぞ! 王都のアジトで落ち合おう!」
ブレッドの言葉を合図にみんながバラバラの方向に一斉に散開した。
「ユウくん、行こう!」
ステラの言葉に引かれてユウも隣の建物の屋根に飛び移る。
同じ方向に逃げようとしているのはユウとステラだけだ。
良く言えばステラと二人きりのチャンス。
悪く言えばユウがステラの御荷物になる失態の危機。
とにかくも二人は走り出した。
「逃げたぞぉォォオオオ!!」
「追えぇええええ!」
「ぶっ殺せぇええええ!」
(語彙力低すぎだろ……。)
もう少しボキャブラリーはないのかと心の中でツッコミながら、土地勘のないユウはステラの後ろをついていく。
思ったよりも彼女のスピードが早かったので慌てて追いかけた。
サブアジト付近に密集しすぎていたことが災いしてか、群衆は追いかけようにも身動きが取れない。
だがユウ達の向かう方向も行き止まりだ。
太い道のせいで向こう側の建物までは十メートル以上の距離がある。
「捕まって!」
ステラが振り返って叫ぶと同時に右手でユウの左手を掴んだ。
同時にもう片方の手で腰の剣の柄を握る。
「ライトフェザー!」
ユウは突然の光景に一瞬目を奪われた。
(天使……。)
ステラの背中に白く光る一対の羽が出現した瞬間、ユウの体がまるで低重力になったかのようにふわりと軽くなる。
タンッ!
走る勢いのままにステラは向こう側に向かって跳んだ。
飛行ではなく跳躍。
「うわぁあああ!」
ユウは思わず暴徒達のような叫び声を上げた。
地平線近くに佇む満月を背後に二人のシルエットが浮かぶ。
重力に逆らっての上昇、そして一瞬の浮遊感の後には自由落下が待っていた。
ダンッ!
ステラが反対側の建物の屋根に着地した。
ユウは自分の足だけで足場を捉えきれずに四つん這いになって体の安定を確保した。
軽くなった体に本来の重さが戻る。
まるで全身に重りでも取り付けられたような感覚だ。
「大丈夫?」
ユウはステラの言葉で先程まで握っていた彼女の手を離してしまったことに気がついた。
少しどころかものすごく後悔しながらもそれを表面に出さないように努める。
「大丈夫、行こう。」
もう一度ステラが手を差し出してくれないかと期待したが、それが即座に報われることは無かった。
背後ではサブアジトとして使われていた倉庫が高く火柱を上げて燃えている。
もう他にエル・グリーゼのメンバーの姿を確認することはできない。
僅かに生まれたばかりの未練の糸を断ち切るようにして、ユウは再びステラの後ろを走り始めた。
住人がいなくなった影響か、進む先は静けさに満ちている。
周囲に誰もいなくなったことを確認してからステラが再びユウに手を差し出す。
「捕まって」
彼女の真っ直ぐな視線にユウは少し顔を赤らめながら、再びその手を掴んだ。
月明かりだけが二人を照らす。
「ライトフェザー」
ステラが先程と同じ呪文を唱えると再び二人の体が軽くなった。
このライトフェザーという魔法は使用者と使用者に触れているものに掛かる重力を一時的に軽減することができる。
余談だが、このとき使用者に触れている人間というのは魔法理論上は荷物として扱われる。
つまりユウは文字通りステラの御荷物になっていた。
躊躇うことなく屋根から飛び降りた彼女に掴まれて、一緒に地面へとダイブする御荷物ユウ。
落下中の浮遊感で背筋が震える御荷物ユウ。
今度はしっかりと両足だけで着地できた御荷物ユウ。
「きゃっ!」
だが一瞬先に着地したユウがその場で踏み止まってしまったため、今度はその影響で着地と同時に前方へと走り出しながらライトフェザーを解除しようとしたステラの方が体勢を崩した。
軽くなった重力が元に戻るタイミングと重なって、ステラはユウに後ろから手を引かれる形になって後ろ方向に倒れそうになる。
「おっと。」
咄嗟にユウはそれを受け止めた。
抱きかかえるとまではいかないまでも、両手に彼女の柔らかい感触が伝わってくる。
漂って微かな香りがユウの鼻をくすぐった。
「あ、ごめんっ」
「ごめん。」
ステラが慌ててユウから体を離す。
ほぼ同時に二人の口から謝罪の言葉が漏れた。
ちなみにどちらかと言うとユウの方が悪い。
というかユウが悪い。
どうしたらいいかわからない奇妙な間ができた。
「……行こっか?」
「うん、行こう。」
今がこんな状況でなければゆっくりこの状況を楽しめたのに、とユウは暴徒たちを恨んだ。
彼らがいたからこそ実現したシチュエーションだったことにまでは考えが及ばない。
静かになった夜の通りに二人の足音だけが響く。
背後から他の足音は聞こえてこなかった。
(みんな向こうに行ったのか?)
様子を見るに、この街の住人はほぼ全員がサブアジトに殺到したようだ。
もしもあのままサブアジトで防戦していたらと思った瞬間、ユウの背筋に寒気が走った。
慌てて背後を確認するも誰もいない。
そのまま誰にも妨害されることなく、二人は街の北東にある森までたどり着くことができた。
「はぁ、はぁ、少し休もっか?」
「そうしよう。はぁ、はぁ。」
街の方向から見えないように大木の陰に二人並んで腰を下ろす。
――肩が触れた。
「みんなはどうなったかな?」
ユウは慌てて取り付くように話を切り出した。
みんなのことが心配ではないというわけではないが、今は横にいるステラのことが気になって仕方がない。
「どうだろう。みんなは多分大丈夫だと思うけど、リア達が心配かな」
ステラのその言葉を聞いてユウの脳裏に何かが引っ掛かった。
(そういえば、助けに来てくれって頼んでた気がする……。)
気がするというか実際に頼んでいた。
約束通りだとしたらユウ達が逃げたことも知らずにあの暴徒の群れに戦いを挑んでいるかもしれない。
「やべぇ……。」
思わず言葉が漏れる。
今回は結構うまく立ち回れたつもりでいたが、そんなことは無かったかもしれない。
「どうしたの?」
「いや、その……。」
ステラが何かあったのかと不安そうな表情になる。
まさか自分のせいでリア達がピンチかもしれないと言うわけにもいかず、ユウは冷たい汗をかいた。
相手がステラ以外なら悩む必要はおそらく無かっただろう。
月明かりは二人を照らしていない。
(どうする?! どうする俺?!)
そんなユウの視界に突如として『光明』が現れた。
光源は背後。
二人はその正体を確認しようと慌てて木の陰から顔を出した。
シュン……、キィィィィィィン!!!
甲高い音を立てて極太の光条が二人の頭上を掠めて横切っていった。
ユウは突如として襲いかかってきた光に目を細める。
おそらく魔法であろう現象の発生元を確認しようとしても、暗闇に慣れた目が光にやられてよくわからなかった。
光によって根本近くを失った大木達がユウとステラを分断するようにゆっくりと倒れていく。
「逃げてっ!」
ステラが叫ぶ。
「おいおい、嘘だろ……。」
ユウはまだ息切れから回復しきっていない体を動かして大木の倒れてくる位置から慌てて移動した。
ステラを見れば彼女も既に同じように反対側へと回避行動に移っている。
止まる足場を失った金色の蝶も飛び立った。
ドスゥン……。
太さ二mともあるかという大木達が倒れたことで、ユウの背後は完全に塞がれてしまった。
そして改めて光源を確認しようとしたユウの視線の先には、三人のホーリーウインドが立っていた。




