19:再戦
『虚栄は軽薄な美人に最もふさわしい』
★
ユウはレッドノート邸にいたリア達に今夜の襲撃のことを伝えた。
リアとラプラスは驚いていたが、とりあえずサブアジトの方で騒ぎが起こったら援護に来てもらうというところに話を持っていく。
虎穴に入らずんば、という言葉はどうやらこの世界にはないらしく、ラプラスはリアを危険地帯に近づけることを渋ったが最終的には了承した。
――もう日没までそれほど時間がない。
ユウは急いでサブアジトに戻る。
そんなユウの様子を物陰から複数の視線が見つめていた。
急いでいたせいで尾行のことなどすっかり頭の中から抜けていたユウは、一直線にサブアジトまで走っていった。
視線の持ち主の一人が他の二人に手で合図をする。
それを受けて一人がユウの後を追い、もう一人が別の方向へと走っていった。
★
戻ったユウを迎えたのは内側の鉄格子が全て降ろされて内部が薄暗くなったサブアジトだった。
入口にはクリスティの他にジュリエッタもいた。
「戻って来たか。二交代で見張ることになったからお前は先に休め。六時間交代だ」
「ああ。」
「一応部屋にいる時も警戒はしておけよ?」
ユウは曖昧な返事をして部屋に戻る。
六時間交代ということは、あのフェラルホードが発生する時にはちょうどユウの番だ。
発生する時間は既にわかっているので警戒せずに自分の部屋に向かう。
倉庫の中央には六、七人が集まっていた。
ステラの姿は見当たらないのでおそらくユウと一緒の組だろう、好都合だ。
自分の部屋に戻り鉄格子の降りて暗くなった部屋のベッドに寝転ぶと、そのまま意識は闇の中へ。
(――くん起きて)
誰かが体を揺さぶる。
(ユウくん、起きて)
その声がステラのものだと気がついた瞬間、ユウの意識は一気に覚醒した。
勢いよく目を開く。
最初に視界に入ったのが彼女の顔。
ユウはそのことに幸せを感じた。
「おはようステラ。もう交代の時間?」
「そうだよ? まだ少し余裕はあるけど」
時計を確認すると、もうすぐ二十二時になるところだった。
襲撃は日付が変わった頃だったはずだから、脳を覚醒させて心の準備を終えるまでの時間を考えると丁度いいタイミングだ。
「ご飯食べる? ユウくん食べないで寝てたでしょ?」
「食べます。」
即答。
ステラが自分を気にかけてくれていることに舞い上がったユウは、自分の腹の空き具合を考える前に即答した。
急いで剣を持ってベッドから立ち上がる。
部屋を出るとロトとパウロが干し肉をかじりながらチェスのようなものをしているのが目に入った。
どうやら二人もユウ達と一緒の番らしい。
入口付近にはバーノンとラルフの倉庫番コンビがいた。
他にはブレッドが意外にも本を読んでいたのでユウは驚く。
インテリチックな雰囲気を纏って熱心に読み漁っているようだ。
ユウは何を読んでいるのかと興味を持って、彼の持っていた本のタイトルをよく見てみた。
『パサパサになった食パンの耳をおいしく食べる方法』
(……。)
まあ大事なことだよな、うん。
ユウは見なかったことにして、ステラと一緒に食事の載せられたテーブルに着いた。
周囲に邪魔な人間がいるとはいえ、一応はステラと二人の時間と言うことになる。
テーブルの上の皿にはサンドイッチが乗っていた。
「はい」
「ありがとう。」
ステラが笑顔で冷たいお茶を入れてくれた。
白いカップに緑が映える。
(幸せだ……。)
ユウは新婚夫婦並に幸福感一杯の顔でそれを飲み干した。
寝起きで水分を求めていた体の隅々まで水分が行き渡っていくようだ。
同時に幸福感も体内に広がっていく。
こんな時間を過ごせるのなら、もう何回かループしてしまってもいいかとまで思えてくるから不思議だ。
サンドイッチの中からハムサンドを探して掴む。
「ステラは食べないの?」
「うん、私はもう食べたから」
ということは彼女はユウのためにこうして食事に付き合ってくれているわけだ。
(いい子だ……。)
ユウはしみじみと感動した。
気分はもうリア充だった。
ステラには見えないようにテーブルの下で拳を握りしめる。
数時間後には始まるであろう死闘、必ず彼女を守ってみせると決意を新たにした。
★
時計の針が二四時を過ぎる。
つまりは新たな日の到来。
それを合図に街は静けさを放棄した。
「うぉぉぉおおおお!」
「殺せぇええええ!」
「女神様バンザァァァァイッ!」
街の各地で殺意と狂気の声が上がる。
その声はユウ達のいるサブアジトにも届いていた。
「始まった……!」
ユウは拳を握りしめてステラを見る。
フェラルホード。
自分でそう名付けた現象を前に、屍となった彼女の姿が脳裏にフラッシュバックした。
(そうはさせない!)
腰の剣に手を伸ばす。
今のユウにとって頼りになる武器はこれだけだ。
「なんだっていうんだ一体! ロト! 屋根に上がって様子を見てくれ!」
「わかってるよ!」
熱心に読んでいた本を放り投げたブレッドの指示を待たずに、ロトが倉庫内になるはしごから屋根の上に登っていく。
「バーノンとラルフはそのまま入り口を警戒しろ! ステラ! 俺達はみんなを起こすぞ!」
「うんっ!」
二人は休んでいるメンバーのいる部屋のドアを順番に叩いていく。
ジュリエッタとダリアは扉を叩かれる前に部屋から出てきた。
眠りが浅かったのか、あるいは既に起きていたのかはわからない。
だが二人とももう臨戦体勢に入っている。
「ブレッド! 状況は?!」
「わからん! ロトに確認させてる!」
ジュリエッタの叫びにソフィアを起こそうとしていたブレッドが叫び返す。
それを合図にするかのように他のみんなも部屋から出てきた。
「マズいぞブレッド! 街中から人がこっちに押し寄せて来てる! すごい数だ!」
「なんだと?!」
「嘘でしょ?!」
天井のはしごから顔を出したロトの報告にジュリエッタとナルヴィが叫ぶ。
これにはユウ以外の全員が驚いていた。
「でも、まだここに向かってると決まったわけじゃないんでしょ?」
「ユウの話だと、確か生贄事件の犯人狩りだったよな? それが近くにいるってことか?」
ソフィアとパウロが顔を見合わせた。
その時、入口の方で大きな音がした。
ドン! ガン!
「まずいぞ! 破られる!」
入口を守っていたラルフが叫んだ。
衝角か何かが扉を力ずくで破ろうとしている。
ブレッドはやはり自分達が狙われていると知って舌打ちをした。
バリケードは作ってあるが、この建物はあくまでも普通の倉庫に過ぎない。
それこそ要塞のような堅固な守りというわけにはいかなかった。
扉を構成している木の一部がミシミシと音を立て始める。
破壊されるのが時間の問題であることは明らかだ。
「パウロとソフィアはロトと一緒に上から攻撃しろ! 残りで正面を食い止めるぞ!」
「他の方向は?!」
ちょうど背後にいるダリアを守るように立っていたナルヴィが斧を両手に持ちながらブレッドに聞き返す。
「後回しだ! 警戒だけしておけ!」
敵は当然正面以外からも来るだろう。
鉄格子があるとはいえ、正面で待ち構えているところに突っ込むよりはマシだと敵が考えても別に不思議ではない。
「うぉぉぉぉおおお!」
「女神様ばんざぁぁあああい!」
外では集まってきた人々が狂喜の声を上げ始めた。
ユウはフェラルホードを止める手がかりが何も得られていないことに焦る。
(マズイぞ……。)
ここにいれば何かヒントが得られるはずだと思っていたのに完全に当てが外れた。
嫌な汗の感触が背中を伝わる。
このままだと前回同様に群集の数に押されて全滅するのは時間の問題だ。
(こうなったらもう逃げるしかないな。)
「ブレッド! どう考えても敵の数が多すぎる! ここから逃げた方がいい!」
「どこへ逃げるっていうんだ!」
ユウは咄嗟にロト達が昇ったはしごを見た。
「屋根に上ろう! そこから屋根伝いに行けばかなりの数をかわしていけるはずだ!」
「ま、それぐらいしかないだろうね」
ユウの提案に対してナルヴィが即座に同意した。
彼女も同じことを考えていた、というのがより正確な表現になる。
劣勢を悟っていた他のメンバーもそれに同意した。
「……仕方ない、正面を破られる前に逃げるぞ!」
ブレッドの決定を受けてジュリエッタ達がはしごを昇っていく。
ステラに続いてはしごを昇ろうとしたユウは彼女のスカートの中を覗けることに気が付いた。
(平常心! 平常心!)
覗かないように上を見ないではしごを昇る。
ユウに続いたナルヴィがその様子を見てため息を吐いた。
完全に呆れきった表情を浮かべている。
(はっ、流石は童貞)
とはいえ、そんな暢気なことを考えている状況ではない。
倉庫の扉は今にも破られようとしている。
「どこに逃げる?!」
ユウがはしごの昇り終えた直後にロトが叫ぶ声が聞こえた。
それが誰に向けられたものなのかはわからない。
先に屋根に上った三人は下にいる群集に向けて矢や魔法を放っている。
屋根の上には彼らから投げられた石が時折着弾していた。
既にサブアジトの周囲は押し寄せた人の群れに囲まれている。
「すげぇ……。」
夜の闇の中に無数のたいまつの明かりが蠢いている。
ユウはその圧倒的な数に思わず声を漏らした。
「コロセェェエエええ!!」
「ウァァアアアアア!」
そこら中から狂気の雄叫びが上がる。
街には熱狂の渦が出来上がっていた。
「はしごを上げるんだ!」
最後にイゴールが昇り終わった後、クリスティとバーノンがはしごを外して屋根の上に置いた。
これで敵はここまで上がってくることができない。
その様子を見ながらブレッドは次にどうするか考えていた。
直接ここに上がってくることはできなくなったとはいえ、周囲の建物からは屋根に上ることができる。
つまりここに敵が殺到するのも時間の問題だ。
早くここから離れなければならない。
――だがどこに?
候補はレッドノート邸だが、このまま群集を引き連れていけば向こうも飲み込まれてしまうのは目に見えている。
他に拠点として使えそうな場所はこの街にはもう残っていない。
「外に出るしかないな」
ブレッドは行き先を決めた。
街の外ならば使える拠点は残っている。
「街から出るぞ。北に行くと見せかけて南西に向かおう」
「南西……、王都に戻るの? リア達のところは?」
「このままリアのところに行けば向こうも間違いなくやられる。となるともう王都しか残って――」
「上だ! 避けろ!」
ソフィアの疑問にブレッドが答え終わろうとしたところでジュリエッタが叫んだ。
その声に釣られて上方を確認すると、いくつもの火の玉がこちらに向かって飛んでくるのが見えた。
エル・グリーゼの面々は慌てて散り散りになる。
ドドドドッ!
着弾した火の玉が火柱を上げて屋根を燃やしていく。
炎の動きは自然現象のそれではなく、魔法で制御されているのは明らかだった。
ロトは火の玉が飛んできた方向に魔法使いの姿を探す。
エル・グリーゼ内ではこういった役割は彼が最も得意だ。
「……いた!」
該当する魔法使いはすぐに見つかった。
他の屋根にも何人か魔法使いがいるようだ。
その全員が白地に青と金の入った服装をしている。
もう彼らがどこの誰でどのような者達であるかなど、説明するまでもない。
「ホーリーウインド……!」
ロトは彼らの名前を苦々しく呟いた。




