13:暴動
『大衆の意思というのは煽動した少数者の意思でしかない場合がほとんどだ』
★
深夜。
日付が変わったばかりのアスクの街は異常な熱狂に包まれていた。
「殺せぇ!」
「女神様に逆らう者に死を!」
「殺せ! 殺せ!」
街の住人達が目の色を変えて武器を手に叫びながら走っていく。
向かう先は街の北東。
……そう、エル・グリーゼのサブアジトだ。
「なんなのコイツら!」
入口で防戦していたナルヴィが叫ぶ。
サブアジトには群衆が群がる蟻のように殺到していた。
「女神様万歳!」
ガシュ!
武器を手にして襲い掛かってくる男の首をまたひとつ吹き飛ばす。
返り血がナルヴィに降りかかった。
既に彼女の全身は血まみれだ。
それだけの犠牲を出しているというのに、向かってくる彼らには死を恐れる様子が微塵も伺えない。
味方の死に一切動じることなく突っ込んでくる。
「こいつら全員ホーリーウインドだっていうんじゃないだろうな?!」
アジトの屋根に上ってパウロ達と共に敵を迎撃していたロトが毒づく。
老若男女、彼らの眼前には数えるのも馬鹿らしくなるような人数が蠢いていた。
仮にも戦闘のエリートであるホーリーウインドとは違ってまともに戦えそうにはない者がほとんどだが、彼らの叫ぶ言葉はまさに狂信者のそれだ。
下ではブレッド達が応戦している。
狭い入口に殺到する敵を片っ端から斬っていた。
アジトの窓は全て鉄格子があるので、それが破られるまでは他の方向から敵が来ることはない。
「アイスニードル!」
ドスッ!
「ぐぁっ!」
合間にソフィアが小規模な魔法を挟む。
大規模な魔法で入口を吹き飛ばしてしまうと一度に入ってくる敵の数が増えるので迂闊には使うことはできない。
交代で休憩を挟んでいるとはいえ、このままでは物量差で押し切られるのは時間の問題だ。
「危ない!」
バシュ!
「ぎゃっ!」
ブレッドに背後から襲いかかろうとした男を、バリケードから飛び出したステラが斬り伏せた。
ジュリエッタもブレッドを守るように入口に向けて剣を構える。
「交代だ!」
「悪いっ!」
疲労の色が濃くなったブレッドとナルヴィが下がる。
入れ替わりにステラとジュリエッタが前に出た。
「くそっ! どうなってるんだ一体!」
バリケードの陰に隠れたブレッドが汗と血を拭いながら叫んだ。
彼の言う通り、これは明らかに異常事態だ。
屋根に上ったロトの報告だと、暴徒達はこの場所に迷いなく向かってきているらしい。
昨日のホーリーウインド襲撃のことを踏まえればこれも女神教の仕業としか思えないが、一体何をどうすればこんな事態を引き起こせるのか想像もつかなかった。
少なくとも彼らの出身である異世界ストラには、こんなことが出来る魔法は存在しない。
単にこの人数を集めるだけでも十分だというのに、それが軒並みホーリーウインド並みの狂信者と化しているというのはあまりにも不自然すぎる。
周囲は既に完全に囲まれており、この数の敵を相手に正面突破で生き残るのは絶望的と言っていい状況だった。
★
ユウはアジトへ向かって全力で走った。
狂気に囚われた群衆はまっすぐにステラ達がいるサブアジトの方向へと向かっている。
もしかしたら同じ方向に彼らの目的である別の何かがあるのかもしれないとはユウには考えられなかった。
いくらなんでも、そこまで楽観的な性格はしていない。
(無事でいてくれ! ステラ!)
群衆をかき分けて前に進む。
彼らも急いで現場に駆け付けようとしているが、慣れない武器を持っているせいか移動速度は遅い。
ユウは時々人を突き飛ばしながらその間を走り抜けていく。
「ユウ! 待て!」
背後でラプラスの声がするが振り返ることなく突き進む。
人の波のせいでラプラスはユウについていくことができない。
静止を振り切って熱狂する人込みをかき分けていくユウの背中がどんどん遠ざかっていく。
みんな我先にと他の人間を押しのけてアジトの方向に向かっているせいで、ユウの存在に気が付く者はいない。
というよりも単に自分たちと同じようにアジトに向かっている一人だと認識されていた。
「くそっ!」
ユウを見失ったラプラスが舌打ちをする。
その様子を背後でリアがとワルダーが唖然として見ていた。
「ワルダー、これは……、いったい何の魔法だ?」
「正直言って私もわかりませぬ。こんなものは初めて見る……」
「女神教の秘伝魔法か? だがこんな大規模な魔法を発動しようと思ったら……、いったいどれだけの魔力が必要になるんだ」
「水面下でかなり大掛かりな仕掛けがあったのかもしれませんな」
リアの額に汗が一滴流れた。
ほとんどが一般人とはいえ、流石にこの人数に責められたらひとたまりもない。
おまけにこれを仕掛けたのが女神教だとすれば、当然彼らもどこかに戦力を伏せてこの様子を伺っているはずだ。
(これではステラ達は……)
――助からない。
リアにステラ達の生存を絶望視させるには十分な光景だった。
★
「はぁっ、はぁっ。」
肩で呼吸をしながらユウは走った。
進むにつれて道を塞ぐ人間の密度と狂気の叫びのボリュームがどんどん上がっていく。
そして最後の角を曲がってサブアジトのある通りに出た瞬間、ユウの視界に入ってきたのは隙間なく道を埋め尽くす人々。
「女神様バンザァァァァァァァイ!」
「邪教徒を生贄にしろぉぉぉぉ!」
視界の奥の方ではサブアジトが大きな火柱を立てて燃え上っていた。
それ見て一瞬だけ呆然と立ち尽くす。
この人の海を飛び越えてあそこまで行くにはどれだけの時間と労力が必要となるのだろうか。
「ステラ……。ステラァーッ!」
ユウは思わず叫んだ。
力の限り、今の自分に出せる一番大きな声で。
だがそれも人々の叫びにすぐかき消される。
当然、その声に彼女からの返事はない。
それどころかすぐ目の前にいる人々すらユウの声に気がついてはいなかった。
誰もがサブアジトの方向を向いて武器を天に掲げ狂気の声を上げている。
(こうなったら……。)
ユウは腰の剣に手を伸ばした。
かくなる上は実力行使、そう覚悟して剣を抜こうとしたとき、それに呼応するかのようにサブアジトの前で『何か』が天に掲げられた。
「――なんだ?」
ユウの視力では『それ』の正体をすぐに確かめることができなかった。
だが、まるで祭りで使われる神輿のように燃え上る火に照らされる『それ』からユウはなぜか目を逸らすことができない。
一刻も早くステラ達のところへ……、いや、ステラのところに行かなければならないということはわかっていたのに。
今すぐに、目の前の人々を片っ端から斬り捨ててでも彼女の元に辿り着かなければならないのに。
頭では理解していても視線を逸らすことができなかった。
数秒間。
その時間を使い、ユウの集中力をその場に渦巻く狂気と熱気、そして死の匂いが後押しする。
通常の水準を大幅に超えた視力がユウに『それ』の正体の確認を可能にした。
「嘘……、だろ……。」
ユウの眼が大きく見開かれる。
いくつもの剣に串刺しにされ、生贄として天に祭り上げられている物体。
ユウは『それ』が何かをよく知っている。
ピクリとも動かなくなった『それ』は今のユウにとって一番守りたかったものだったから。
「ステ、ラ……。」
『それ』の正体は変わり果てたステラの姿だった。
ユウの鼓動が大きくなっていく。
既に自分自身も狂気の中に取り込まれていることには微塵も気が付かない。
「う、うわああああああ!」
――叫ぶ、獣のように。
ガシュ!
「ぎゃ!」
ユウは剣を抜いて目の前の男の背中を力一杯斬った。
どこの誰かも知らない男の返り血が全身に勢いよく降りかかる。
返す剣で今度は右横の老婆を斬る。
骨と皮だけに近い体が倒れた。
「どけ! どけよっ!」
未だサブアジトの方向を見て熱狂している人々の背中に手当たり次第に斬りかかっては、その返り血でずぶ濡れになっていく。
十人、二十人、それでもステラとユウの間を塞ぐ人の数は一向に減る気配がない。
そして暴徒たちも、自分達の命の危険だというのに誰も背後のユウに気が付く気配はない。
誰もがステラのいる方向を見ている。
――もちろんユウも。
ドスッ!
「――!?」
ユウの背中から衝撃が加えられた。
胸を見れば大振りの剣が鎧から生えている。
どういうわけか痛みを感じない。
そして死への恐怖も。
心も体も、まるで全てが麻痺してしまっているような気分だ。
そしてユウはただ体中の力が抜けていくのに任せて倒れた。
倒れるついでに背後に視線を投げる。
白地に青と金、すなわち――。
(ホーリーウインド。)
よく知った格好をした男がユウを見下ろしていた。
ドサッ!
(ステラ……。)
地面に倒れた時の衝撃も感じない。
そして背中の剣が引き抜かれる感触だけをかすかに感じながら、ユウは意識を失った。
天頂には先程まで無かったはずの白い月が輝いている。




