11:ホットミルクは二百ジン
『世の中には予測を立てると言いながら願望を並べる者が多い』
★
ユウ達は街の北東にあるサブアジトに到着していた。
「大変だったねー」
サブアジトの管理を任されている栗色の髪をラフ感じのセミロングにした少女はブレッド達の声を聞いて呑気そうな声を上げた。
彼女の名前はクリスティというらしい。
呑気そうに聞こえるのは別に彼女に危機感がないというわけではなく、単にそういう話し方なだけだ。
ユウはアジトの中を眺めた。
こちらの建物も本来は倉庫としての用途を想定しているらしく、無機質な空間であることはメインアジトと変わらない。
改造したのか、あるいは防犯用に元から付いていたのかは知らないが、窓には全て鉄格子が付いている。
これならば襲撃されてもある程度は耐えられるだろう。
狭いということ以外は前のアジトとあまり違いはなさそうだ。
ソフィアとダリア、それにステラがメンバーに冷えたお茶を淹れて配り始めた。
女子力ではエル・グリーゼ内でも上位の三人だ。
「はい」
疲れて木箱に座っていたユウにもステラがお茶を差し出した。
グラスにはいくつも水滴がついている。
「ありがとう。」
ユウは喜んでそれを受け取った。
ゴクゴクと音を立てて勢い良く冷えたお茶を飲み干す。
(うまい。)
ただのお茶が格別の旨さだったのは疲れきった体が水分を欲していたからか、あるいは好きな子が差し出してくれたからか。
……おそらく後者だろう。
「ふぅっ……。」
喉を潤して一息つく。
慣れない重労働のせいで両足がもうガクガクだ。
(とりあえず凌ぎきれたな。)
ユウは安堵した。
かなり危ない場面もあったがなんとかここまで生き残った。
体中に受けた傷もステラが回復魔法で三十分ほど掛かって直してくれた。
本職の回復職ではない彼女の魔法では回復速度も遅い上に完治までは持っていけないらしいが、それでも傷はほぼ治りかけの状態だ。
ステラにはそのことを謝られたが、むしろ魔法の効果を上げるために彼女とじっくり体を寄せ合う口実ができたことにユウは感謝した。
「食料はどのくらいある?」
「全員分を賄おうと思うと……、たぶん一週間は持たないんじゃないかな? 生活用品とかはかなり余裕あるけど」
ブレッドの質問にクリスティが少しだけ考えてから答えた。
ここを一人で任されているだけあってその辺の管理はしっかりしているようだ。
「どのみち買い出しは必要か。騒ぎの後だと行きにくいな」
ブレッドはソフィアから受け取ったお茶に口を付けた。
「逆に早いほうがいいんじゃない? 下手に警戒態勢を敷かれると動けなくなるし」
「それもそうか……」
ブレッドは少し迷ったようだったが、結局買い出しには行くことにした。
物資の状況を確認してから何を買うかを手早く決めていく。
クリスティの言葉通り、水と食料以外には余裕があった。
「ブレッド、メインのアジトを襲われたばかりだし、少し多めに残った方がいいんじゃないか?」
警戒を促したのはジュリエッタだ。
「それは俺も考えてた。とりあえずラルフとバーノンは残ってくれ。あとはダリアもだ」
「買うのは水と食料なんだろう? それならダリアの代わりに俺が残るよ。飯は少しでもうまいほうがいいからな」
パウロがリーダーの決定に異を唱えた。
結局、女子力の高さに定評のあるダリアも買い出しに行くことになった。
ユウはステラとリア、それにラプラスと同じ組だ。
(ステラと一緒、やったぜ!)
再びステラと一緒に過ごせることに内心でガッツポーズしたユウだった。
……が、体の方にはそれを喜べるほどの余裕がないことをすっかり忘れてしまっていた。
★
ステラ達と一緒に意気揚々と市場に向かったユウだったが、近くまで来た頃には両肩で息をするようになっていた。
両足はガクガクに震えている。
――完全にスタミナ切れだ。
「はぁ、はぁ……。」
「ユウくん大丈夫?」
ステラが膝をつきそうになっているユウを心配して声をかける。
彼女に気遣ってもらったことにユウの中のもう一人のユウが小躍りして喜んだ。
「だい、じょうぶ……。」
とりあえずステラの前で強がってはみたものの、疲労の色はもうどう頑張っても隠しきれない。
「敵を抑えるためにかなり動いていたからな。流石に疲れは隠せないか」
「直接疲れを取る魔法なんてありませんからね」
その様子を見たリアとラプラスの会話がユウのささやかな希望を砕く。
(回復魔法とかないのか……。)
ゲームなら全快する魔法やアイテムがあるものだが、どうやら傷を治す魔法はあっても体力を補給する類の魔法はないらしい。
この二人もユウと一緒に戦っていたのでかなり消耗しているはずなのだが、それほど疲労した様子は見せていない。
その差がユウと彼らの基礎体力の違いにあることは明白だった。
「本当に大丈夫? 少し休もうか?」
ちなみにステラもかなり体力を使ったはずなのだが、こちらも疲れた様子はない。
(好きな子に体力で負けてるとは……、結構ショック。)
ノっている時は疲れを感じにくいというが、今のユウは完全にその逆パターンだった。
落ち込んだ心を反映するかのように体がまるで言うことを聞いてくれない。
「仕方ない。あまりゆっくりもしていられないし、私達だけで市場に入ろう。ユウ、お前はあの辺で休んでいると良い。後で拾いに来る」
そう言ってリアが指差したのは近くにあったカフェだった。
遅めの昼食を取っている人達がちらほらいる。
「……ごめん、そうさせてもらう。」
ステラと離れるのは名残惜しかったが、流石にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないので受け入れることにした。
ステラもユウと一緒に留まりそうにしていたが、女子力の高い彼女抜きでは買い物がスムーズにいかないことはわかりきっていたので後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
「さて、と……。」
市場に入っていく三人の後ろ姿を見送った後、ユウはリアに言われたとおりにカフェで休むことにした。
タダで居座るのは流石に気が引けたので最安値のホットミルクを一杯だけ買って外のテーブルに腰を下ろす。
(やっぱり美人が多いよなぁ。)
目の前のテーブルではユウよりも少し年上ぐらいの少女が遅めの昼食にサンドイッチを食べていた。
美少女というべきか美女というべきか。
ちょうど大人と子供の境界ぐらいの年齢に見える。
年下から見れば大人に見えるし、年上から見れば子供に見えるだろう。
長くて輝くように綺麗な金髪。
清楚な雰囲気を纏ったものすごい美人だ。
歩いている通行人を眺めてみても美人が多い。
(ていうか、俺の世界基準でいったら全員美人じゃね?)
もはや美人かどうかよりも、単に好みに合致するかどうかという話でしかなさそうだ。
その割には男の方は普通なので、自称フツメンのユウが混ざっても違和感はない。
そういう意味ではすごく良い世界に来た気がする。
ユウはミルクを飲みながら金髪美人を見てMPの回復を図った。
(俺の最大MPはたぶんゼロだけど。)
目の前の少女はユウに対してちょうど九十度左を向いて座っているので、安心して目の保養を図ることができる。
ユウはステラ一筋だったがこれは仕方ない、今は体力を回復するのが先決だ。
そのためにできるだけ体を動かさないようにすると、どうしても目の前の美少女が視界に入ってしまう。
だから仕方ない。
(仕方ない仕方ない。)
ユウが心の中で言い訳をしながら心と目の保養を図っていると、急に目の前の美少女の目線がユウの方向を向いた。
顔は正面を向いたままに横目でユウを睨む。
これがジト目というやつだろうか。
その蔑むような視線はマゾ度の高い男が喜びそうだ。
「さっきから何? 私のサンドならあげないわよ?」
「……え? サンド?」
「ずっと欲しそうな目で見てたじゃない」
どうやら彼女のサンドイッチを食べたがっているのだと思われたらしい。
この場合、変質者扱いされなかったことを喜ぶべきなのだろうか?
いやミルク一杯で居座っている貧乏人だと思われたことを嘆くべきだろう。
……それに関しては事実ではあるが。
ちなみに昼食はアジトを出る前に済ませている。
少女は視線を外して再びサンドイッチを口にし始めた。
「……ほら」
右手でサンドイッチを食べながら左手で残りのサンドイッチが乗った皿をユウに向けて差し出す。
「一個だけよ?」
口の割には案外やさしい。
「えーっと。」
「早く取りなさいよ。そんな目で見てられると私が食べにくい」
「じゃあ一個だけ。」
ユウは席を立って少女のいるテーブルのところまで移動した。
「じゃあいただきます。えーっと……。」
「リリィよ」
「ありがとうリリィさん。ここ座ってもいい?」
「どうぞ? ていうかリリィでいいわよ。敬語似合ってなくてキモいから」
(またキモイって言われた……。)
美少女の冷酷な一言にユウの心は砕けそうになった。
ナルヴィに続いて彼女にも言われたということは、やはり客観的に見てそうなのだろうか?
これを喜べるほどユウはマゾヒストではない。
だが内容はどうであれ、美少女の方から声をかけてもらった以上はお近づきになるチャンスをスルーするわけにもいくまい。
ユウは元々いたテーブルからミルクを持ってくると少女の九十度横に座った。
本当は正面に座りたかったが雰囲気的に座りにくかったので諦めた。
とりあえず貰ったサンドイッチを一口かじる。
(タマゴサンドだ。)
ちなみにユウが一番好きな具はベーコンだ。
次点でハムとチーズ。
「俺、ユウって言うんだ。ユウ=トオタケ。」
ユウは口をモグモグさせながら自己紹介した。
「あら、勇者の家系だったの? ……その割にはみすぼらしいわね。っていうかトオタケ家なんて聞いたことないわ。落ちぶれたワケ?」
リリィの口調は社交界における高貴な人間の嫌味という感じではなく、単におばちゃんが世間話をするような雰囲気だ。
彼女自身も清らかな雰囲気を纏ってはいるが身分の高そうな印象はない
というかこの会話でリリィ自身に金持ちっぽさが微塵も感じられないのが不思議なところだ。
単にふざけて言っているようにしか聞こえない。
彼女自身もそのつもりで言っているのだから当然といえば当然か。
「異世界人だけど勇者じゃないんだってさ。この世界に来てまだ一ヶ月も経ってないからよく知らないけど。」
「あらご愁傷様。じゃあかわいそうな異世界人にハムサンドも恵んであげるわ」
リリィが空いた小皿にハムサンドを乗せてユウの前に差し出した。
案外気前がいい。
「ありがとう。リリィはいつもここで食べてるの?」
「気が向いた時だけよ。別に普段からこの街に住んでるわけでもないし」
「ふーん、そうなんだ。旅行とか?」
「まあね。ていうかあんたこそ何してんのよ。こんなところでゆっくりしてていいわけ? 勇者じゃないなら生活とか大丈夫なの?」
やはり勇者ではない異世界人の生活は厳しいというのがこの世界における一般的な認識のようだ。
「雇ってもらったから大丈夫。ここで迎えを待ってるんだ。」
「あら、見かけによらず中々やるじゃない。野良犬みたいな顔してるからてっきり乞食でもしてるのかと思ったわ」
「それでか……。」
ユウは彼女にサンドイッチを欲しそうにしていると言われた理由を理解した。
その後はリリィと取り留めのない話をしながら三人が戻ってくるまでの時間を過ごしたのだが……。
戻ってきたステラがリリィと楽しそうに話すユウを見て顔を引きつらせた。
「お、戻ってきた。そろそろ行くよ。サンドイッチごちそうさま。」
「はいはい、次はちゃんと自分で買いなさいよ貧乏人」
「いや、そもそも買うつもり自体なかったんだけど。普通に金も持ってるし。」
「貧乏人は大抵そう言うわ」
「そうかい……。」
ユウはリリィに手を振りながらその場を後にして三人の方へ向かった。
彼女もユウに手を振り返したのを見てステラの顔がさらに険しくなる。
「休めたか?」
「とりあえず歩ける程度には。」
一応は上司であるリアの質問にユウは正直に答えた。
これがステラからの質問だったとしたら少し見栄を張ったかもしれない。
リアとラプラスが並んでアジトの方向へ歩き始めたのでその後ろをついていく。
「ユ、ユウくん。あの女の人は知り合い、とか、なのかな?」
「いや、たまたま近くに座ってた人。暇だったから話してたんだ。」
(ステラかわいい。)
ステラが横を歩きながら若干上目遣いでリリィについて聞いてきたことにユウは首を傾げながら答える。
少し考えていたユウだったが、とりあえずステラの上目遣いがかわいいという結論に達した。
(鈍い)
(鈍いな)
傍目に見ればどう見てもステラの態度はそういうことにしか見えないのだが、まったくそのことに気がつく様子がないユウに、前を歩く二人はため息をつきそうになる。
もっとも気がついていた場合はそれはそれで厄介な事になるのでどちらにせよ頭を抱えることになるのだが……。
万が一、この二人がバカップルになってしまうと色々と大変だ。
この辺が現実的な妥協点かとリアとラプラスは今度こそ本当に大きなため息をついた。




