16:見えない戦い
『慌てるな、目標を見ろ』
★
ラプラスがリアを止めた後、四人は彼女の部屋ではなく別の部屋に場所を移した。
小さな応接室のような部屋だ。
テーブルを挟んでユウとリアがソファに座る。
ステラはユウの隣に座り、ラプラスは従者らしくリアの後ろに立った。
「済まなかったな。少し取り乱してしまった」
「いやこちらこそ……。」
少しどころかとんでもなく取り乱していただろうとユウは内心で突っ込む。
あくまでも内心で、だ。
口に出したら今度は本当に殺されるかもしれない。
リアは思ったよりも堅物なのだとユウは理解した。
これまでのやり取りで受けた印象をこっそりと軌道修正する。
「リア様が謝ることはありません。これはどう見てもユウが悪い」
リアの後ろに立ったラプラスがジロリをユウを睨む。
自分が密かに思いを寄せる相手の貞操の危機だったかもしれないということだけあって容赦無い。
とはいえ、これに関しては攻めるわけにもいかない。
ユウだってステラが他の男に襲われそうになっていたら同じように憤慨するだろう。
「ユウ、相手がメイドならともかく、リア様は貴族の子女なんだぞ? お前ももうこの家の従者になった以上、最低限の立場は自覚しろ。……ちなみに従者になっていなくてもアウトだけどな」
「まあまあ。ユウ君もわざとじゃないし、連れて来た私も悪いから……。ね?」
ステラがリアとラプラス二人の機嫌を伺う。
いや、正確には彼女はラプラスの機嫌を伺っていた。
リアは腕と脚を組みながら黙って目を閉じている。
正面に座っているユウの視点からは彼女のミニスカートの中が見えそうで見えない。
(見るな! 見るな俺! 罠だ! これは絶対に孔明の罠だ! 冷静に、冷静に!)
この状況でリアのスカートの中を見てしまえば、いよいよ窮地に立たされるであろうことは目に見えていた。
視線を横に向ければやましい印象が強くなるし、下に向ければやらしい印象が強くなってしまう。
ユウは予想外のところで危機的状況に陥ったと言える。
「まあ、ステラ様がそうおっしゃるなら……。ユウの面倒を任された私にも責任はもちろんありますし……」
流石にリアの客人であるステラが相手では強く出れないのか、ラプラスは歯切れ悪く矛を収めた。
「リア……」
ステラはラプラスの陥落に成功したと判断したのか、今度はリアに懇願の視線を向ける。
「まったく、仕方が無いな……」
リアが目を開けて組んでいた腕と脚を解いた。
ここでユウに視線が少しでも下に向いていれば今回の命はここで『終わり』だったかもしれない。
もしそうしていた場合、リアが脚を動かした時にスカートの中が見えていた上に、その様子をリアとラプラスにバッチリと確認されてしまっていただろう。
内容はともかくとして、ユウは死地をまた一つ潜り抜けることに成功した。
「次からは気をつけるんだな。お前の元の世界ではどうだったか知らないが、この世界ではその格好で女に会うのは襲うのと大して変わらないからな」
やれやれ、といった具合だ。
(中が見えそうなミニスカート履いてるお前が言うな、って突っ込んだらダメなんだろうなぁ……。)
「それで?」
「え?」
「そんな格好で一体何の話があるんだ? 着替える時間も惜しいような話なんだろう?」
唐突な切り替えにユウはついていけなかった。
一瞬遅れて我に返る。
(そうだ、こんなことしてる場合じゃないんだった。)
ここで何としても戦力を確保しなければならない。
できなければ文字通りの意味でユウに明日はない。
「ああ。すごく大事な話だ。」
ユウは思わせぶりな雰囲気を何とか取り繕う。
内心はどう言ったらいいものかと冷や汗ものだ。
「実は、今夜この屋敷が襲撃される。」
「ええっ!」
「ほう?」
ステラが驚愕を、リアが興味を浮かべた声を上げた。
ちなみにラプラスは眉をピクリと動かしただけだ。
代わりにリアの方に視線だけを向ける。
従者である彼は主であるリアがどう出るかを伺っているのだろう。
「それがどうしてわかるんだ?」
リアは怪訝な表情を浮かべた。
「それは俺が何回かループしてるからさ。」
「……ループ?」
リアの顔が曇る。
(あれ?)
ユウは自分がループしていることをあっさりと口にできたことに内心で驚いた。
小説などでは多くの場合はループについて公言できないか、あるいは言及するとペナルティが課せられたりするため、自分の場合もそうだろうと思いこんでいたからだ。
(まあいっか。)
「そうループだ。俺は今日の夜にこの屋敷で一回殺されたんだ。それでさっきの時点に戻ってきた。だからわかるんだ。」
この世界には魔法がある。
だからこの話も当然通じるものだと思ったのだが、ユウの言葉を聞いた直後に三人の目が点になった。
――沈黙。
「さて、僕は仕事に戻ります。まだ少し残っているので」
「わたしも部屋に戻ろうかな。眠くなってきちゃった」
「そうだな、そろそろ寝るか」
「待って! 待ってってば!」
そのまま解散しようとする三人を慌てて止める。
「なに? 俺、何かおかしいこと言ったか?!」
リアとラプラスが視線を交わしてから、如何にも胡散臭いものを見る目をユウに向けた。
ちなみにステラは苦笑いだ。
「ユウ、お前の世界ではそれがおもしろい冗談なのか?」
「え?」
リアが溜息をつく。
完全に呆れた様子だ。
「お前が今言ったループ魔法というのは、魔法理論で実現不可能であることが証明されている」
「……は?」
「……その様子だと知らなかったみたいだな」
リアの言葉にユウは唖然とした。
「いや、でも……。」
(俺はちゃんとループしたぞ?)
ユウの頭の中は疑問符で満たされていく。
「それともう一つ」
そう言ってリアが人差し指を立てて畳みかける。
「この世界には『嘘つきハウル』という有名な話があってな」
「嘘つきハウル?」
「みんな知っている童話さ。ハウルという少年は未来から戻ってきたと言って人々を騙していたが、ついに嘘だとばれて誰からも信用されなくなったという話だ」
「へー、そんな話があるんだ」
リアの説明にステラが無邪気に反応した。
「違う。俺は嘘なんかついてない。信じてくれ」
「そうは言ってもな……」
「疑う気は無いけど、ループ魔法は存在しないってわかっちゃってるもんね……」
困った様子のリアとステラ。
ラプラスも何も言わないが同じ様子だ。
「……わかった。じゃあループのことは信じなくてもいいから、せめて今夜の警備だけはいつもより厳重にしてくれないか?」
「いいだろう、今日の担当には私から言っておく。それでいいか?」
「ああ。」
ユウはこれ以上話しても無駄と判断して席を立つ。
ドアノブに手を掛けようとして一つ思いついた。
「そうだ。ちょっと欲しいものがあるんだ、頼んでもいいか?」
★
ユウの部屋。
「これでいいのか?」
ラプラスは怪訝な顔をしながら、頼まれた物をユウに渡した。
ユウは渡された紙袋の中身を確認する。
「ありがとう。これだけあれば十分だ。」
袋の中身は小麦粉だった。
「これをどうするんだよ?」
「こうするんだ。」
そう言ってユウは小麦粉を部屋の床に撒き始めた。
「……は?」
ユウの奇行にラプラスはあっけに取られる。
(ループの話といい、……コイツ、素でバカなのか?)
「まあいいや。俺は夜の見回りがあるから、用が済んだら自分で片づけておいてくれよ?」
それだけ言うとラプラスは部屋を出て行ってしまった。
ユウは服を着替えて鎧を身に着ける。
(前回はどういうわけかいきなりあいつにやられたんだ。普通ならもっと早くに気が付いてもいいはずなのに。)
ユウは目を閉じて前回の最後を思い出す。
あの時はいきなりモンドが目の前に現れた。
一つしかない窓もいつのまにか開いていた。
(もちろん油断していたこともあるけど、たぶんそれだけじゃない気がする。きっと姿を隠す魔法か何かを使ってたに違いない。)
ローブを丸めて布団の中に突っ込み、布団の中央を膨らませる。
中で人が寝ているかのように見えないこともない。
灯りを消して地面の小麦粉を確認してみた。
窓から差し込む月の光で部屋の中の様子はわかる。
床に撒いた白い粉がしっかりと確認できた。
(これならあいつが姿を消していてもわかるな。)
ドアにしっかりと鍵が掛けられていることを確認してからカーテンを閉める。
そして剣を持って部屋の窓側の隅に座った。
ここは窓から見てほぼ死角に近い。
よほどの角度で覗き込まないと見えないだろう。
カーテンで視界が遮られるなら尚更だ。
(あいつが入ってくるとしたら窓からだ。ベッドに俺がいると思って油断したところを殺るしかない!)
ユウは物音を出来るだけ立てないように右手で剣を抜いた。
姿を現した透明な刃が光を反射して輝く。
盾が無いので代わりに鞘を左手に持つことにした。
(金属製だから多少は使えるだろ。……後は待つだけだ。)
待つ。
待つ。
ひたすらに待つ。
物音を立てないように。
息を殺して。
自分は狩人だと心の中で何度も言い聞かせる。
そしてユウはただその時を待った。
……。
……。
……。
(まだ来ないのか……?)
ユウは床の小麦粉に足跡は無いことを確認した。
(当たり前か。まだ窓すらまだ開いていないもんな。)
……ドンッ!
(……!)
唐突な衝撃。
左胸への激痛と同時に、ユウは後ろの壁に押し付けられた。
目の前にいつの間にか人の影が立っている。
痛みから推察するに、どうやら今回も心臓に剣を突き立てられたらしい。
腰を下ろした状態のユウには立っている相手の顔を確認することはできなかったが、それが誰であるのかはすぐにわかった。
(……モンド!)
モンドの足の間から床に撒かれた小麦粉が見えた。
彼と思われる足跡がいくつも付いている。
格子の影からは、窓も既に開いていることがわかった。
「なん……で……。」
さっきの瞬間までは窓は閉じていたし地面に足跡も無かった。
当然、モンド本人もいなかった。
薄れていく意識の中で、最悪の可能性がユウの頭をよぎる。
(まさか……。)
自分の持つ知識の中でこの状況をうまく説明することはできるか?
――できる。
(時間を……、止められるのか……?)
その疑問を最後に、ユウは意識を失った。
天頂には白い月が輝いている。




