俺の諦めの結果
あれから一週間が過ぎた。中谷に断りをいれようとしたらさきに断られてしまった。
『やっと気づいたんか、遅すぎやわ。でも気づいたんやったら答えは聞かんでも分かる。やけどウチが振られんのは何か納得いかんからウチから振る。友達で勘弁してな』
一度も振り返ることはなかったがきっと泣いていた。声や肩は震え乾いた地面には真新しい水の染みがついていたから分かる。
俺は姉ちゃんに打ち克てなかったばっかりにこの事とに関係した人全員を裏切ることになった。
だから俺はこうして講義もサボって部室に一人金森先輩を待ってる。
呼び出すのはどうしても申し訳ない気がしたからだ。
もうここにも来れなくなる。サークルの皆とは疎遠になってきっと卒業する頃にはもうすれ違っても挨拶すらしなくなるだろう。
それも仕方ない。俺の諦めの対価はやっと手にいれた親しい人たちとの関係破綻なのだろう。
ガチャ
「あっ」
「・・・・・・」
初夏の涼しげな雰囲気で清楚さを放つ金森先輩はやって来た。顔を見れない、後ろめたすぎてまともに目が合わせられない。
「どうしたんですか?南くん」
「・・・・・・」
言いたくない。言ってしまえばここまで積み上げてきた何もかもが水泡に帰すからだ。
でもそうしないと姉ちゃんは本気で壊しにかかるだろう。
俺が皆を裏切るのは皆を救うためだ、仕方ない仕方ない。自分を殺すなんていつもやってたろ。今さら怖じ気づくな。
「どっどこか悪いんですか!?」
「違います」
「じゃあどうしてそんな風に辛そうにしてるんですか?」
「・・・・・・」
深呼吸を三回。
肺の中の空気を一杯まで入れ換えた。
「金森先輩」
「・・・・・・はい」
「随分とお待たせしてすみませんでした」
「答え、出たんですね」
「俺は金森先輩の事がす・・・・・・きじゃ、無いです」
鼓動が早くなり体調はますます悪くなる。心なしか熱中症の時みたいに目に映る物の色まで薄れてきた。
なのに、それなのに金森先輩は白黒に染まる世界でも唯一無二に輝いて色鮮やかで、それも俺の決断を引っくり返そうとする。
たったの三分で数えきれないほど決心が鈍った。千切れる生々しい音は依然頭のなかで、大音量で鳴り響いて気持ち悪い。
「そっか」
「すみま、せん」
泣かない内に早く出ていこう。
せめて彼女の前でだけは泣けない。優しい人だから、俺が泣いてしまうと慰めやがる。
きっと頭を陽だまりのような心地のいい手で撫でながら、親身になって話を聞き出そうとする。
黙ってられる気がしないのだ。
だから、すみません。
「どうしてそんなに泣きそうなの?」
「何でもありません。用事なのでもう━━━━━━」
「逃げないで!」
すれ違う俺を掴む手を乱暴に振り払い部室を出ようとした。
でもどういうわけか扉が開かない。向こう側で誰かが押さえてるに違いない。
誰だよこんなときにこんな悪戯したの。
姉ちゃんも金森先輩もどいつもこいつも俺の決めたこと否定しやがって何の恨みだよ!
ドン!
思わず扉を殴ってしまった。
扉に叩き付けた腕に頭突きする勢いで頭を押し付ける。
昔からいつだって諦めるのは俺で、俺の意見なんて誰も受け入れてくれない。誰も折れないんだから俺が折れるしかないだろ。
なのに逃げないで?
俺だって逃げたくねぇよ。
でも仕方ないだろ。
「南くん」
「話しかけんな!お前なんか嫌いだ二度と目の前に現れんな。だから、だからもう放っておいてください」
「・・・・・・自分だけ言いたいこと言って逃げないでください。それが南くんの本心ですか?」
「はい」
「それが南くんの本物なんですね!本当に本当の純度百パーセントの本音のなんですね!?」
違う。
「そうです、もういいでしょ」
声が震えてきた。
もう我慢しきれない、早く逃げないと我慢が無駄になる。諦めるために自分を説得した時間もついた嘘も何もかもが無駄になる。
彼女を傷つけた言葉も意味が無くなる。
ドアを壊しても構わない位の力で押し開けると向こう側には秋菜と梨木、海那がいた。
尻餅をついて何かを言いたげに俺を見上げられたせいで、泣きそうな顔をかなりはっきり見られてしまった。
だから俺は逃げるためにその場を走り去った。
■□■□■□■
家には帰りたくなかった。姉ちゃんは泊まり掛けの仕事で居ないが、あの家に帰るだけで思い出してしまう。
諦めた日の事も今日の事も全部脳裏にフラッシュバックして、ただでさえもう何も出来ないのに、さらに何も出来なくなる。
日はすっかり落ちてしまい、無意識で歩き回った先で見つけた公園だから場所もわからない。そんな公園のベンチでお酒を片手に項垂れる。
「見つけた」
「・・・・・・苺さん」
立ち上がろうとする俺を押さえ付けるようして隣に座ってきた。
見つけた、と言ってた事から俺を探してた事が分かる。
連絡して待ち合わせればいいのに連絡もなしに探し回ったのはきっと俺の今の状態を知ってるからで、なら俺を探した理由も自分の妹が関わってるその事なのだろう。
なら俺はここにいてはいけない。
「夏夜くん」
「帰りたいんで腕くむのやめて離してください」
「帰りたい人がそんな五缶も六缶もお酒呑まないよ」
「普段呑まないんだからいいじゃないですか」
「これから家来る?帰りたくないんでしょ」
「・・・・・・いや、ネカフェとかで一泊するんでいいです」
やっぱりこの人は知ってた。知ってて近づいて、そしてその事には触れずに保護しようとしている。
誰でも見透かして、何万にもの軍団でリーダーシップをとれる彼女なら俺一人位家に連れ込むなんて容易いだろう。
しかしそうしない。金森先輩に似ずに優しくないのだ。
優しくされなれてない俺に、優しい女性は天敵。その事に気づいてて、俺の意思を汲み取るのなら突き放すべき俺にあえて優しくする彼女は、ちっとも優しくない。
「だめだよ、それにお酒だけで呑むと体に悪いし何か作ってあげるね」
「放っておいてください」
「ほら、ゴミ捨てて来るから逃げちゃダメだよ」
逃げるよ。
立ち上がると少しふらふらとした。
そんな足取りで逃げきれるわけもなく、すぐに捕まり踏ん張りが効かなくて抵抗も出来ずに車の後部座席に押し込まれた。
チャイルドロックのお陰で逃げれない。マジで安心設計に感謝だぜこの野郎。
「誘拐ですよ」
「呑んだくれてた知り合いを保護しただけだもん」
「もう、放っておいてくださいよ」
次第に車は発車し、窓の外の景色は段々と見慣れたものに変わっていく。それと同時に車酔いもしてきたのでもう窓の外は見ないでおこう。
「大丈夫、あの子達は居ないから」
「そうですか」
例えその優しさがいつもの笑顔と同じ作り物だとしても、慣れてなくて自分でも分かるぐらい脆くなった俺には脅威的なのだ。優しくされるのは嬉しいから、誰かに慰めてもらえたことなんて一度もないから、だから俺は優しさに抗体がない。
いつだって自分が悪者で敗者で、俺が泥を被ったり諦めたりしたおかげで楽しそうに笑うやつらが羨ましくて。失敗したら慰めてもらえる奴等が、成功したら誉めてもらえる奴等が、一緒に馬鹿やって笑い合える奴等が羨ましい。
そんな事を考えてるといつの間にか彼女の家に腕を引っ張られリビングの炬燵の前に座らされていた。
「夏夜くん」
「・・・・・・」
「私は夏夜くんに優しくされたときの恩返しをしようと思います」
「そんな事一度もしてません」
「ううん、私は確かに夏夜くんの優しさに救われたよ。だから私はここであった事を誰にも話さないし、相談されるまで踏み言ったことは聞かない」
どういう意味だ?
「一緒にお酒呑んでたら夏夜くんが呑みすぎて泣いちゃったってだけ。それじゃだめ?」
「貴方がそんな得にならない事するはずがない。信じれません」
「そうだね」
「まさか他人に優しくしたら自分に返ってくるとか思ってませんよね。他人に優しくしても不幸な人間は死ぬまでそのままです」
だから俺は他人に優しくしない。
意味がないから。
「今回、君が諦めたのはきっと身の回りの人間を気遣ってだよね。矛盾してるよ」
「全部俺が俺の気持ちにしたがって、自分に甘え自分に優しくなって決めたことです」
「優しくする理由って何だと思う?」
「傲慢と見下し」
「情だよ」
一昔前の熱血教師が言いそうな台詞を彼女は優しそうに笑いながら言った。俺の冷たい両手を金森先輩に似た暖かい手が包んでる。
義理の姉妹でもこう言うとこは似るのだろう。
「友情だったり愛情だったり君の言う傲慢で自己満足な同情だったり、いろいろあるけど全部その人の感情なの。夏夜くん誰かのために自分を切り捨てる理由も、私が損得勘定無しで夏夜くんに優しくするのも全部本物だから安心してよ」
「・・・・・・」
「私は夏夜くんと結婚したいくらい好き、だからこれは愛情からくる優しさ。でも今の君の状況を不憫だなって思う、これは同情からくる優しさ。プラスもマイナスもごちゃまぜにしたのが優しさの正体だよ」
頭をだ寄与せられ、甘い香りに包まれる。聞こえてくる彼女の鼓動が妙に落ち着かせてくれた。
そして俺の我慢も限界に達した。
理由のない悪意や、重すぎる愛の弊害にさらされ続けてきた俺はこう言う言葉を無意識的に望んでたのかもしれない。自分以外の誰でもいい、こんな風に優しい言葉をかけて貰うことを望んでたのかもしれない。
その夜、俺は大号泣ではないが少しだけ涙を流して考えた。
俺の諦めた事を取り戻そうと。




