俺のたった半日の出来事
十分ほどの余裕を残して俺は彼女待つ喫茶店に到着した。
春に差し掛かったといってもまだ寒いのに苺さんはその店の珈琲を屋外のカフェテラスで傾けている。
「うん、十分前行動でよろしい」
「話って何ですか?それに雪奈先輩は来てないみたいですし」
「もしかして不機嫌?」
「もしかしなくても不機嫌です」
何せ俺はあの日からあんたの事が苦手だからな。
何か言えば言い伏せるし、強行手段も厭わない。俺からすればクラスの人気者より苦手だよ。
「でもまぁ、これが最後だから安心して」
「どういう?」
「まぁ君にもよるけどこれが無事に終わったらきっと私の顔なんて本当に見たくなくなるよ」
「は?」
「夏夜くんは私の事嫌いでしょ?」
「苦手です」
「同じことだよ」
珈琲のカップを置いて苺さんは言う。
俺の言い訳染みた回答なんて苺さんにはやっぱり意味ないのか。
「さて。ここ二週間と少しの間私と雪奈と夏夜くんは親友のように毎日メッセージの送りありや通話をしてきました。それに夏夜くんと雪奈はもと同じ高校で一緒に文化祭を盛り上げた関係でもある」
この人は何が言いたいんだ?
「私は彼女を利用するつもりだったのにな」
「は?」
「行きましょ、そろそろ雪奈を助けないと」
まだ湯気の立つカップをそのばに置いて苺さんは俺の手を引いて歩き始めた。
■□■□■□■
雪奈さんはこのどこにでもあるようなマンションに彼氏と二人で住んでいるらしい。
リア充なんて弾けとんでしまえばいいのに。
ピーンポーン
『はい、どちら様ですか?』
「金森苺です。雪奈さんはいらっしゃいますか?」
『いや、霞はいま留守にしてます。お引き取りください』
「夏夜くん電話。可笑しいですね、今日は雪奈さんにお呼ばれしてるのに」
苺さんが小声で指示を出してきた。
この人にはこの切り返しも想定内らしい。
俺は男の知らないであろう方の携帯に電話を掛けた。
チャラララ
「雪奈さん、携帯忘れてるみたいですね」
『そんな、あいつの携帯は・・・・・・』
「どうしたんですか?携帯を忘れるくらい誰でもするでしょ。それとも雪奈さんは絶対に携帯を忘れて出掛けない理由でもあるんですか?」
『・・・・・・二時までだったら家でも待ってもらっても構いません』
明らかに不満の色を見せる声色。
それもそのはず、男は何かばれてはいけないことを隠してる。
しかし素人の隠し事なんて素人にもすぐばれる。
相手があの金森苺さんなのだからなおさら。
開けられた一階フロアの自動ドアを潜ると彼女は別にこう言った。
「頼りにしてるから」
「・・・・・・はい」
無機質な音を立てるエレベータで八階まで上がりそこで、またインターホンを鳴らす。
すると中から黒の短髪の清潔さを滲ませる、見るからに優しそうな一つか二つ上の男が出てきた。
「金森苺です。こちらは雪奈さんの高校時代の後輩、南夏夜です」
「はじめまして。霞の彼氏の中村龍樹です。どうぞ上がってください」
一階フロアの声からは想像できないにこやかな表情で自己紹介してくれた。
中村さんと言う男に招き入れられた部屋は、至って特徴がなく中村さんが慎ましく暮らしてるような部屋だった。
「紅茶でもどうですか?」
「いえ、結構です」
「俺もいいです」
「そうですか」
ダイニングテーブルにならんで座る俺たちの正面に中村さんが座る。
「歳はおいくつなんですか?」
「今年で二十二歳です」
「じゃあ就活中ですか。なら私の父、金森雄一に貴方を押してあげましょうか?」
金森雄一。
就活するにあたって、どの分野の企業を選んでも絶対に耳にする大物社長の一人。
そんな人に自分の事をよく押してもらえば、もしかすると少しは就活の成功率が上がるかもしれない。
俺も金森先輩に押してもらおうかな?
「いえ、とんでもない俺なんかが」
「そうですか。中村さんはワインを嗜むんですね」
「まぁまだ学生だから上等な物は手に入りませんけど」
刺し違えるような覚悟をしてた俺はなんだか、肩透かしを食らった気分だ。
こんな和やかに事が進むなんて一階フロアでも、その前の喫茶店でも、始まったあの日でも考えられなかったのに。
「ところで雪奈さんの部屋は何処ですか?リビングからはまるで貴方が一人で暮らしてるように見えるんですけど、同棲でしたよね?」
「リビングにはあまりお互いのものを置かないようにしてるんです」
「そのわりには中村さんのと見受けられるものが沢山。部屋数的にも二人のそれぞれの個室があっても可笑しくないですし」
あくまでもにこやかに進める苺さんのその姿は少し怖かった。
「ここに来るまでに、寝室と物置部屋、そして貴方の部屋のネームプレートのかかった部屋は見たけど雪奈さんの部屋がないなって思いまして。それに出掛けたはずの雪奈さんの靴が玄関に置きっぱなし」
「何が言いたいんですか?」
「何が言いたいか、当ててみてください」
いたずらっぽくからかう態度の苺さんに中村さんは怒りを隠さなかった。
立ち上がるとワインラックから一本のワインを持って近付いてくる。
このとき俺はやっとすべてを理解した。
苺さんの意味ありげな言葉はきっと全てこの状況になることを未来視にも近い予見をしてたのだろう。
だから二週間と少し前のあの日、雪奈先輩と接点のある俺を盾として選んだ。
喫茶店で苺さんが言った、『無事に終わったらきっと私の顔なんて本当に見たくなくなる』の意味もわかる。
だけど苺さんは同時に俺を頼りにしてるともいった。
何が目的で赤の他人の雪奈先輩を助けるに至ったかは分からない、だけど俺は雪奈先輩を助ける苺さんを助ける役割を押し付けられたらしい。
なら誰が俺を守ってくれるんだ?
不公平だ、それなら抜ける。
そんなことこの状況で言えるわけもない。
俺は立ち上がった苺さんを背中に盾としての役割を全うしようとしていたのだから。
「俺と霞の仲を邪魔するなんて俺が許さない。そんな奴みんなこの俺が許さない!」
ワインボトルが振り上げられると同時に俺は中村に向かって全力のタックルをした。
体制を崩しながらも降り下ろされたワインボトルは俺の左足に投げつけられ、砕けることなく鈍い音と共に床に落ちる。
そして中村を仰向けに、俺は前のめりに倒れた。
「くっそ離せ餓鬼殺すぞ!」
何度背中を殴られても離さない。
今離したら本当に殺される。嫌だ、死にたくない。
「今の録音させてもらいました。言質もとれたし夏夜くんは恐らく骨に異常をきたした。もう遠慮することなんて無いよね」
「ふざっけんなっ!俺は悪くない、俺と霞は愛し合ってるんだ!悪いのは俺と霞の仲を━━━━━━」
『もう、嫌。毎日殴れる生活なんてもう嫌だよ、助けて』
痛みに顔を歪ませながら聞いたそれは、誰のでもなく雪奈先輩の嗚咽混じりの声だった。
苺さんにはこうなることも想定内らしい。
それに盾役がどんなに傷ついても気にしない。
冷静に冷徹に冷血に証拠を集めて、自分の有利な立場を作り上げていく。
この人を敵に回すと言うのはきっとこう言うことなのだろう。
愛しあってると信じてた人に拒絶された中村は逆上することなく、絶望を顔に浮かべて抵抗をやめた。
それから程無くしてやって来た警察に男は容疑者として、男の寝室に半裸で縛られていた雪奈先輩は被害者として連れていかれた。
俺はと言うと足の治療のため近くの病院に救急車で運ばれ、その際に苺さんが付き添いで一緒に来てくれた。
ものの数秒が数分に引き伸ばされるほど思考を巡らせたせいか、それとも濃すぎる数十分に疲れたせいか。
治療が終わると俺は泥のように眠った。
《続く》




