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番外編 魔法修業とオルガ

 エステルが正式に皇后としての内定を受け、宮殿に住み始めて10日が過ぎた。

 宮殿内も静けさを取り戻し、オージェはいつも通りの政務に戻っている。エステルも早速お妃教育が始まり、忙しい日々が続いていた。


「兄が私のことを母に知らせた時、母は腰を抜かしてしまったそうですよ」

「突然だったから驚かせたな」


 冷たい風が吹き抜ける木立の中を、オージェと二人で並んで歩く。

 もうすっかり木々から葉は落ちて、地面が見えないほど枯葉が降り積もっている。


「その後、泣いて喜んだそうです」

「来週には宮殿に呼べるだろうから、その時ゆっくり話すといい」

「ええ、そうします」


 二人は足を止めると、向かい合う。

 そうしてオージェが差し出す大きな手に、エステルがそっと手のひらを合わせる。

 しばらくそのままでいると、5分ほどで手を離した。


「そろそろ次の段階に行ってもよさそうですね」

「魔力を調整するやり方か?」

「ええ。オージェ様ならすぐにできるようになると思いますよ」


 オージェは自分の手を見た後、エステルに顔を向けた。


「エステル、ずっと聞きたかったんだが、エステルはなぜこのやり方を知っているんだ? こんなこともオルガから教わったのか?」

「いえ、実は私も幼い頃、魔力過多だったのです。先生に魔力調整をしてもらっていたので、やり方はそれで覚えました」

「そうだったのか」


 エステルの説明にオージェは少し考えてから、また口を開いた。


「オルガは相当すごい魔法使いなのに、なぜ士官しなかったんだろう。魔法学院は出ているんだろう?」

「先生の過去はあまり知らないんです。若い頃、魔法学院にいたことは聞いたことがありますが、それ以外は……」


 エステルは昔の記憶を思い出しながら答える。オルガは基本自分のことを話したがらないので本当に謎の人物なのだ。父との繋がりで我が家に来たことは知っているが、詳しくは兄も知らない。


「そうか……」

「さぁ、そろそろお部屋に戻りましょう。ずっとここにいると、風邪をひいてしまいます」

「ああ、そうだな」


 エステルが促すと、オージェが手を繋いで歩きだす。エステルは少し恥ずかしく思いながらも、嬉しそうに笑みを浮かべて隣を歩いた。



◇◇◇



 その日の午後、エステルは久しぶりに男装をすると、宮殿の奥まった庭に向かった。


「さて、エステル。まずはこの本を渡しておこう」

「この本は?」

「これはクロトの家にいる時に蒐集した本で、星の力を持つ者が書いた古い文献だ。お前にやるから、勉強しておくように」

「はい……。えーと、先生。本を蒐集していたって、他にもたくさんあるのですか?」

「ああ」


 気軽に頷くオルガに、エステルは困ったような笑みを浮かべる。


(先生のことだから、遠慮なくやっていたんだろうなぁ。いくらお金を使ったのかしら……)


 ベルオード公爵家のことだからお金は湯水のようにあるだろうが、それでも心配になってしまう。オルガはそういうことに疎いというより、何も考えていないので、周囲が止めてあげないとどこまでも暴走してしまうのだ。


「他の本も面白いから、今度読ませてやろう。では今日の授業を始めよう」

「あ、はい!」

「今日は最初の授業だから、君の今の実力を見ようかな」


 オルガはそう言うと、いつの間にか手にしていた杖を掲げた。その途端、眩しい光の中から四つ足の獣が滑り出てくる。魔法で創り出したオルガオリジナルの魔獣だ。

 エステルは身構えると、魔獣から距離を取った。


「先生、魔法のみですか?」

「もちろん」

「分かりました!」


 間髪入れず襲い掛かってくる魔獣に、全力で魔法を叩きこむ。久しぶりの魔法修業にエステルは必死になりながらも、どこか楽しく感じて笑みを浮かべた。

 それから1時間ほどみっちり戦わされていると、そこに3人の宮廷魔法使いたちがやってきた。


「オルガ!」

「おや、これは懐かしい面々だ」


 50代ほどの男性たちは煌びやかなローブを着ていて、いかにも権威がある魔法使いというような姿だ。エステルは3人の険しい表情を見て、戦うのを止めた。


「なぜお前がここにいるんだ!?」

「別に私がここにいてもいいじゃないか」


 すませた顔で答えるオルガに、魔法使いたちは眉間の皺を深くする。


「だめに決まっているだろうが! お前は魔法学院を中退しているんだぞ!? 正式な魔法使いでもないお前が、宮殿にいていいわけあるか!」

「ええ? そんな規則があるのかい?」

「お前のような厄介者が宮殿にいては、きっと悪いことが起こる。早く立ち去れ!」

「酷い言われようだなぁ。私が何か悪いことをしたかい?」

「今まで散々しただろうが!」


 3人の中で一番豪華なローブを着た男性が怒鳴ると、オルガはやれやれという風に肩を竦める。


「オルガ!」

「そこまでだ」


 また口を開こうとした男性を遮ったのはオージェだった。その姿を見た魔法使いたちは慌てて頭を下げる。


「へ、陛下……」

「誰が騒いでいるのかと思えば、総代ではないか」


 オージェはそう言いながら、エステルをちらりと見て小さく頷く。


(良かった……。オージェ様が来てくれたなら、揉め事にならないで済むかも……)


 エステルはホッと胸を撫で下ろすと、遠巻きに事の成り行きを見守る。


「オルガはベルオード卿の預かりで宮殿にいる。滞在は余が許可した。別に問題はなかろう」

「ですが陛下! オルガは学生時代から怪しげな研究ばかりして、根も葉もない魔法理論ばかりを唱え、魔法学院を追放されたのですよ? きっと宮廷に悪影響を及ぼします」


 どうにかオルガを宮殿から追い出そうとする男性の言葉に、オージェは冷静な顔で頷く。


「お前たちの意見は分かった。だが魔法学院を出ていないからといって、宮殿に入ってはいけない規則などない。オルガは今、エステルに魔法を教えるために宮殿に滞在しているだけだ」

「皇后になる御方の魔法の講義ならば、それこそわたくしどもにお任せください。なぜわざわざオルガなどに……」

「オルガは元々エステルの先生だったのだ。それにお前たちでは星の力を持つエステルを教えることは難しいだろう?」

「星の? それは……」


 オージェの言葉に3人が怪訝な表情で顔を見合わせる。


「とにかくオルガに対して失礼な態度は許さん、いいな?」

「承知いたしました……」


 まだ不満そうではあったが、3人はそれ以上何も言わず、踵を返すとその場を去って行った。


「オージェ様、ありがとうございました」


 エステルがオージェに頭を下げると、オージェは柔らかく笑って首を振る。


「いいさ。それにしてもオルガとあの者たちが知り合いとは思わなかった。随分年齢差があるようだが、魔法学院時代の先生になるのか?」

「いいえ、あいつらとは同級生ですね」

「同級生!?」


 オージェが声を上げて驚くのを見て、エステルは苦笑してしまう。オルガはどう見ても30代前半の顔で、50代の者たちと同年代とは到底思えないほど若い顔をしている。エステルはオルガがものすごい若作りだということを知っていたので、たぶんそうだろうと思っていたが、オージェはさすがに信じられないという顔でオルガを凝視した。



◇◇◇



 その日の夜、自室で勉強をしていたエステルのところにオージェが訪れた。


「まだ勉強していたのか」

「お妃教育の方は、読まなくてはいけない本がたくさんあるので」


 テーブルの上に山積みにされた本を見てエステルは苦笑する。


「あまり大変なら、減らすように言うが」

「いいえ、大丈夫です」

「そうか……。あまり根を詰めるなよ」

「はい」


 優しい言葉を掛けてくれるオージェに笑顔で頷くと、オージェは「そうだ」と表情を変えた。


「外は雪が降り始めたぞ」

「え? 本当ですか?」


 立ち上がり窓に走り寄ったエステルは、カーテンを開けガラスに顔を近付ける。窓の外を見ると、暗闇の中にちらちらと白い雪が降っているのが見えた。


「初雪かぁ、どうりで寒いわけですね」

「これは積もるだろうな」


 忙しい日々だが、こんな何気ない時間をオージェと過ごせることが嬉しくて、エステルはオージェに微笑み掛ける。オージェもエステルの隣に並ぶと、笑顔を向けてくれた。


「昼間のことだが、総代にはああ言ったが、オルガを正式に宮廷魔法使いに登用することはできないだろうか」

「先生を?」

「今回のことで魔力や魔法のことを、もっとしっかり研究する必要があると思ったのだ。オルガの考え方は間違っていない。それらを異端だと言って排除した魔法学院の考えを改めさせなければ。そのためにもオルガを宮廷魔法使いにさせたいのだが」

「うーん……」


 エステルは首を捻ると、眉を歪めて唸った。オージェの言いたいことは分かるが、オルガを宮廷に留めさせることはたぶん無理だろう。


「オージェ様の言うことはもっともですが、難しいと思います」

「なぜだ?」

「まず、宮廷魔法使いの方々に受け入れてもらうのが一苦労だと思います。あれだけいがみ合っているわけですし……。そしてこちらの方が問題ですが、先生はこういう場に縛られるのが、一番嫌いなのです」

「それはまぁ、分からなくもないが……」


 オージェの諦めがつかないような表情に、エステルは困り顔で続ける。


「宮廷魔法使いの方が言っていましたが、先生はクロト様以上に破天荒な性格です。今は穏やかな様子しか見せておりませんが、きっとそのうちオージェ様も手を焼くようなことを起こしますよ」

「クロト以上か……。エステルがクロトのことを上手く扱えていたのは、オルガで鍛えられていたと言っていたものな」

「そうです。幼い頃から先生のめちゃくちゃな行動には慣れていましたから。クロト様はとても先生に似ていますけれど、先生よりも常識がありますし、とても優しいです」


 クスクスと笑いながらそう言うと、突然オージェがエステルを抱き上げた。

 驚いたエステルは慌ててオージェにしがみつく。


「オージェ様!?」

「私の前でクロトの話はやめてくれ」

「オ、オージェ様が話し始めたと思うのですが……」


 むすっとした顔のままで歩きだすと、エステルを抱き上げたままソファにドサッと座る。

 返事をしないオージェの顔を見ると、魔力がピリピリと爆ぜるのが見えた。それを見たエステルはふふっと笑ってしまう。


「なんだ?」

「久しぶりに見ました。オージェ様の魔力が爆ぜているのを」

「む……、まだ未熟だと言いたいのか?」

「いいえ、なんだか懐かしくて」


 眉間に皺を寄せて言うオージェがなんだか可愛く見えてそっと頬に触れると、オージェがじっと見つめてきた。

 間近な美しい瞳にドキッとすると、顔を近づけてくるので、慌てて目を閉じる。少し長くキスをすると、オージェは唇を離しふっと笑った。


「誘っているのか?」

「え!?」


 一瞬で顔を真っ赤にしておかしな声を上げたエステルを見て、オージェは楽しげに笑い声を上げた。


「からかったのですか!?」


 頬を膨らませて言うと、オージェは目を細めて笑う。そうしてオージェがまた顔を近づけるので、エステルは微笑みながらゆっくりと目を閉じた。



◇◇◇



 次の日、朝の支度をしていると、オージェ付きの侍女が慌ててエステルを呼びに来た。


「申し訳ございません、エステル様。陛下が至急外に来てほしいと」

「外?」

「ご案内致します」


 マリーと顔を見合わせたエステルは、侍女について玄関ホールまで行くと、大きなドアから外に出た。

 そこは貴族たちが馬車で乗り付けるため、とても広いレンガ敷きの空間になっているのだが、今は昨日の雪が降り積もり真っ白な雪景色に変わっている。それだけならいいが、なぜかその雪の中に、たくさんの雪だるまがいて、外に出ていた騎士たちや貴族たちが口々にあれはなんだと騒いでいる。


「これは……」

「エステル!」


 オージェが庭の奥から困惑した様子で走り寄ってくる。


「呼び出してすまないな」

「いえ……。オージェ様、これは?」

「夜が明けたら突然こうなっていたようだ。周辺にいた騎士たちも突然雪だるまが現れたと言っていて、首を捻っている」


 エステルは雪の中に佇む可愛い雪だるまを見て、深い溜め息をついて首を振った。


「これは先生の仕業です」

「オルガの?」

「今思い出しましたが、初雪が降ると先生はいつも雪遊びを――」

「やぁやぁ、みんなお揃いだね」


 嬉々とした声で挨拶をするオルガに、エステルは目を吊り上げて駆け寄る。


「先生!」

「エステル、初雪が降ったよ。今年も良い冬になるといいねぇ」

「オルガ! 貴様はまだこんな子供のようなことをしているのか!」


 エステルが口を開くよりも早く、宮廷魔法使いたちが玄関ホールから走り出て大声で怒鳴った。


「可愛らしいだろう? 宮殿は人が多いからね。一人ひとつ、願い事をするためにたくさん作ったよ。これでみんな困らないだろ?」

「ふざけるのも大概にしろ!!」


 ベルダ帝国の子供たちは、初雪が降ると雪だるまを作り、それに願い事をする。そんなことは誰もが知っていることだが、宮殿の庭でそれをやる大人など、いまだかつていなかっただろう。

 エステルは怒鳴り散らす宮廷魔法使いとすました顔のオルガから視線を逸らすと、数えきれないほどの雪だるまに目をやる。この光景を子供たちが見たら、さぞかし大喜びするだろう。


「なるほど……。これはなかなか大変な人だ」

「ほら、お話しした通りでしょう?」


 オージェがやれやれと頭を掻いてぼやくのを見て、エステルがそう答えると、二人は目を合わせて苦笑したのだった。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!

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