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第29話 異変

 大広間に集められた貴族たちは、皆明るい顔でオージェや皇太后が姿を現すのを待っている。

 クロトはいつもとは違い、大広間の壁に背を預けて静かにしている。隣に立ったエステルは、自分の気持ちを持て余しながら、空っぽの玉座を見つめた。


「随分早く発表を決めたな」

「そうですね……」


 沈んだ声で相槌を打つと、クロトはエステルの左手をそっと持ち上げる。


「まだ痛むか?」

「いえ……、もう平気です」


 少しだけ痛みを感じたが、顔には出さず首を振る。その様子にクロトは浅く溜め息をついた。


「オリヴィエのことを調べてみたが、1週間程度ではどうにもならないな」

「クロト様は何を疑っておいでなのですか?」

「オリヴィエの魔力の増え方はやはり尋常ではない。何か裏があるのかと思ってね。それに、オージェの様子も気になる」

「陛下の様子って、どういうことですか?」


 クロトの言葉が気になって前のめりになって訊ねると、クロトはエステルから視線を外し、玉座に目を移す。


「皇太后様の意向があるにしても、オリヴィエとの結婚をこうまで急ぐのはおかしい。オージェはそこまで結婚を急いでいない。それに前にも話したが、彼には想い人がいる。それが解決していないのに、オリヴィエを受け入れるのはあり得ない」

「あり得ないって、そこまで断言できるものなのですか?」


 クロトがどれほどオージェと親しくても、心の中までは分からないものだ。皇帝としての立場や国のことを思えば、初恋の人のことなど忘れなければならない時がくる。それが今なのではないだろうか。


「オージェの気持ちはどこか盲信的なんだよ」

「盲信的?」

「そう。幼い頃から、妙に初恋の君に執着していた。必ず探しださなければならないと、本当にずっと言い続けていたんだ」

「それは、その方が陛下の理想の女性だったからでは?」

「私も最初はそう思っていたけれど、好きとかそういう感情ではなくて、もっと……」


 クロトが言葉を途切らせたちょうどその時、扉が開きオージェが姿を現した。その後ろから、皇太后とオリヴィエが入ってくる。

 ざわめきが消え、全員の視線が集まる中、オージェが玉座に着く。


「皆、よく集まってくれました。本日、正式にフェルト侯爵の娘オリヴィエが、陛下の婚約者になったことをお知らせいたします」


 皇太后が発表すると、集まった貴族たちから大きな歓声が上がる。そして先頭に立つ年配の男性に「おめでとうございます」と声を掛けている。


(あの方がフェルト侯爵……)


 背が高く切れ長の鋭い目をした男性は、満足げな表情で大きく頷いている。


「オリヴィエは幼い頃から宮殿で育ち、皇后となるべく教育を受けてきました。この者以上に皇后に相応しい者はいないでしょう。長らく世継ぎのことで皆に心配をかけてきましたが、これで我が国は安泰です」


 皇太后がそう言うと、大広間には歓声と拍手が沸き上がる。

 オリヴィエはその歓声を一身に受け、幸せそうに笑った。


「結婚式は年明けとなります。式を取り仕切る部署の者は、準備を怠らぬように」


 エステルは皇太后の言葉を聞きながら、オージェに視線を移す。オージェは眉間に皺を寄せたままじっと前を見つめている。それは初めて会った時のような近寄りがたい雰囲気だった。


(陛下……)


 結婚式の日取りまで決まったということは、オージェも完全に納得したということだろう。

 浅く溜め息をついたエステルは、もういい加減悩むのはやめようと、気持ちを切り替え背筋を伸ばした。

 それからお祝いムードの中、オージェとオリヴィエが壇上から降りると、貴族たちが次々と祝いの言葉を掛けた。


「僕たちも行こうか」

「は、はい……」


 壁から背を離したクロトが前に歩きだす。エステルもその後を追って歩くと、二人のそばに向かった。


「陛下、この度はご婚約おめでとうございます。オリヴィエもおめでとう。念願叶ったな」

「ありがとう、クロト」


 本当に心から幸せそうに微笑んでオリヴィエは答える。

 オージェが不機嫌な表情のままで何も言わずにいると、クロトはエステルに顔を向けた。


「エステルも陛下に挨拶をしなさい」

「え、あ、はい……」


 背中を軽く押され、前に出されてしまうと、エステルは仕方なく頭を下げた。


「陛下、オリヴィエ様、ご婚約おめでとうございます」

「エステル……」


 名前を呼ばれると、胸がドキッとした。下げた頭を上げられず、そのままの姿勢でどうにか気持ちを整えると、ゆっくりと頭を上げる。

 目が合ったオージェは、どこか悲しげな表情をしていた。


「陛下?」

「エステル! いい加減にして!」


 その時、突然オリヴィエが声を上げた。

 周囲は驚き、何事かと目を向ける。


「オリヴィエ、どうしたんだ?」

「陛下、エステルを下がらせてください! この者はよこしまな考えを抱いています!」

「何を馬鹿な……」


 オージェがそう言うと、オリヴィエは目を吊り上げて怒りを露わにする。

 その表情にエステルはなぜか背筋がぞっとした。全身に鳥肌が立って、奥歯を噛み締める。


(なに……?)


 感じたことのない気配にエステルは眉を顰める。


「オリヴィエ、エステルは挨拶をしただけじゃないか。そんな声を上げる必要はないよ」

「クロト! 私の名前を気安く呼ばないで! 私はもう皇后なのよ!」


 騒ぎ立てるオリヴィエの声に皇太后が気づき、こちらに歩み寄ってきる。


「どうしたの? 声を荒げて」

「皇太后様、申し訳ありません。私が無礼な口をきいたせいで、オリヴィエ様を怒らせてしまいました」

「あら、ベルオード卿。あなたのことだからまた二人をからかったのね。オリヴィエ、幼馴染なのだから少しは許してあげなさい」

「……分かりました……」


 皇太后の言葉にオリヴィエは押し殺した声で返事をする。

 エステルはオリヴィエがどうにか落ち着いてくれたことに安堵すると、クロトと共にまた後ろの方へ下がった。


「オリヴィエは随分ピリピリしているな」

「私に怒っているのですよ」

「そういう感じでもないように見えるが……」


 遠目でもオリヴィエの機嫌は悪くなっているように見える。笑顔が消え、挨拶に来る者たちに鋭い視線を向けている。その隣でオージェは、どこか虚ろな様子になりつつあり、そんな二人の様子が気になって目が離せない。

 挨拶は高位の貴族たちから始まり、今は年若い貴族たちに移っている。年配の者たちの重々しい挨拶とは違い、同年代の貴族たちの挨拶は明るい印象であるはずなのに、オリヴィエの機嫌はさらに悪くなっているように感じる。

 なぜかハラハラとした気持ちでそれを見守っていると、オリヴィエの取り巻きの女性たちが前に出た。


「おめでとうございます、陛下、オリヴィエ様!」

「ついにお二人がこうして並ぶ姿が見られて、わたくしたち、本当に感動しております!」


 心から祝いを述べる女性たちの声が聞こえる。けれどエステルは明るい雰囲気に反して、重苦しい魔力を感じて目を見開いた。


(この魔力は……)


 両肩にどっと重みを感じ、思わず上半身が前に倒れる。


「エステル?」

「……クロト様、私の後ろへ下がってください」


 エステルの様子に気付いたクロトが、理由を聞くこともなくゆっくりとエステルの背中に隠れるように立つ。

 魔力の発生源はオリヴィエだ。だが周囲はなぜか気付いておらず、まだ朗らかに会話を続けている。だが空気はどんどん重くなっていく。エステルは目を凝らしてオリヴィエを睨みつけると、その右手にある指輪に気付いた。

 赤い石が嵌め込まれた指輪から妙な魔力を感じる。


「どうしたんだ? エステル」

「魔力が……、吸い込まれている……」


 周囲の者たちの魔力がゆっくりと指輪に向かって流れている。それほどの量ではないが、確かにオリヴィエの身体へと流れ込んでいる。

 オリヴィエは右腕をずっとオージェの腕に絡めたまま、険しい表情で周囲の女性たちを見つめている。


「全員下がりなさい!」


 すると突然、オリヴィエが大声を上げた。周囲にいた女性たちがビクリと肩を竦める。


「どうしたの? オリヴィエ?」


 皇太后が今度こそ怪訝な表情になり訊ねるが、オリヴィエはかぶりを振ってまた口を開いた。


「陛下に近づかないで!」

「何を言っているの? 皆、挨拶をしているだけよ?」

「誰も近づかないで! 陛下は……、オージェは私のものよ!!」


 オリヴィエが髪を振り乱してそう叫んだ途端、赤い魔力が解き放たれて、強風が大広間を襲った。

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