第25話 オージェの思い出
走り去るエステルの背中を見送っていると、オリヴィエがそばまで来て足を止めた。
「オージェ様、お茶の用意ができましたわ」
「ああ……」
なんだかまだ意識がエステルに向いてしまい、生返事をするとオリヴィエが視線の先に割り込んできた。
「オージェ様、この頃エステルと何をしていらっしゃるの?」
「少し話をしているだけだ」
「何のお話ですの!?」
怒りの顔を向けオリヴィエが詰め寄ってくるが、オージェは答えずに目を逸らす。
エステルが教えてくれている魔力の制御という考え方を、オージェは信じている。エステルの理屈は理に適っているし、実際効果は出ていると思う。だが以前この話をした宮廷魔法使いたちは、とても否定的な感情を露わにした。そんな話はない、眉唾物だと言い捨てた。だから今こうしてエステルに会っていることは秘密にしている。もしこれが宮廷魔法使いたちに知られてしまっては、エステルの立場が悪くなると思ったからだ。
「オージェ様!」
「クロトが無茶を言っていないか、聞いているだけだ」
「……いちいちこんな場所に来る必要がありますの?」
「外の方が気が晴れるだろう。良い季節になったし」
どうにか言い逃れるために適当なことを言って歩きだす。オリヴィエは納得していない表情ではあったが、隣を歩きだした。
「この頃、オージェ様の機嫌が良いと皆が言っております」
「雷撃を落とすことが少なくなったからな。皆安心しているのだろう」
オージェは苦笑して答える。
エステルに会って魔力を吸収してもらった日は、夜まで雷撃が暴発することがない。身体が重く感じることもないからか苛つくこともなく、政務はこれまでよりもずっと円滑に進むようになった。
「もしかして、もう触れても大丈夫なのではありませんか?」
明るい声を出してオリヴィエが言うと、手をこちらに伸ばしてくる。その手が触れる前に、オージェは大きく身体を引いた。
「オージェ様……」
しょんぼりした表情で手を引いたオリヴィエに、オージェは取り繕うように優しい声で話し掛ける。
「痛い思いをするのはお前だぞ。やめておけ」
「はい……」
オリヴィエは小さく返事をすると、ゆっくりと手を引く。その手を見つめて、オージェはエステルのことを思った。
今ならオリヴィエが触れてもきっと大丈夫だろう。けれどつい先ほどまでエステルが触れていたこの手を、オリヴィエに触れてほしくなかった。
(エステル……)
何度も会う内に、エステルのことが気になって仕方がなくなっている自分がいる。最初はただ母が連れてきただけの、貴族の娘だと思っていた。魔力を吸収するなど、それこそ眉唾だと思っていたが、何の痛みも感じずに自分の手に触れた時は本当に驚いた。
それでもただそれだけで自分の妃になるなど、どれほど母が望んでも納得できるものではないと思っていた。色々あって結局エステルは宮殿を去り、もう二度と会うこともないと思っていたが、驚くようなことばかり起こって、今の状況に至っている。
クロトがなぜこれほどエステルに付き纏うのかまったく分からないが、クロトのおかげでまたエステルとの接点ができた。エステルは会えば会うほど、不思議に気になった。剣が使えたり、クロトの結婚の申し込みをきっぱりと断ったり、魔力のことを驚くほど知っていたり――。
こんな女性に会ったことがなかった。人目を引くような見た目でもないのに、話している内に目が離せなくなってくる。落ち着いた声が耳に馴染んで、ずっと聞いていたくなるのだ。
◇◇◇
オリヴィエと部屋に戻ると、二人でお茶をすることになった。
「オージェ様、もうすぐ豊穣祭ですわね」
「ああ」
「今年も宮殿にたくさん子供たちが集まって、楽しい雰囲気になるでしょうね」
「そうだな」
秋に行われる豊穣祭は秋の実りを祝う祭りだが、その日は貴族の子供たちが宮殿に入れる特別な日だ。
庭にはたくさんの料理やお菓子が用意され、秋の実りを全員で祝う。いつもは静かな宮殿も、この日だけは子供たちの楽しげな笑い声に満ちるのだ。
その情景を思い出したオージェは、それに引きずられるように昔の思い出が甦ってきた。
「オリヴィエ、……前に話した少女のことを覚えているか?」
「前に?」
オリヴィエがお茶を飲む手を止めて首を傾げる。
「幼い頃に出会った、金髪の少女のことだ」
「ああ……、あの少女のことですか……。ずっとお探しになっていらっしゃるのですよね」
「ああ」
オリヴィエは悲しげな顔をしてカップをテーブルに戻すと、小さく溜め息をついた。
「何度も言いましたが、私は分かりません。同い年くらいの女性で、金髪なんてたくさんおりますもの」
「だが、私に触れても平気だったんだ。幼いのに魔法を使いこなしていて……。そんな女性、噂にならない訳ないのに……」
オージェが言うと、オリヴィエは首を振る。
「そのような女性がいるのなら、もうとっくに見つかっているでしょう。女性騎士にもおりませんし、もしかしたら他国の方だったのかもしれませんよ」
「そう、だろうか……」
もう何回目かになるやり取りに、オリヴィエはうんざりしたような表情をする。それでもオージェは聞かずにはいられなかった。
エステルを見ていると、嫌でも思い出してしまうのだ。幼い頃の思い出を。
「きっとどこかにいるはずなんだ、あの人が……」
両手を握り締めて呟く。
昔、豊穣祭の時に出会った少女。宮殿の庭の奥で一緒に遊んだ。手を繋いで走り回って、キラキラとした綺麗な魔法を見せてくれた。
(あの人が今ここにいたら……)
そうずっと思っていた。誰にも触れられない自分が、ただ唯一触れられる女性。
エステルに出会った時、もしかしたら彼女かと思った。けれどエステルは触れられはしても、魔法は使えない。だからあの思い出の女性ではないのだ。
「オージェ様……」
「なんだ?」
「もし……、もし、その方が見つかったら、結婚を申し込まれるおつもりなのですか?」
「そうだな……」
それが自分の願いだ。ずっと夢見ていた。いつか彼女が現れて、自分の手を握り微笑んでくれるのを。
オージェが答えると、オリヴィエは悲しげに俯いた。
その後、オリヴィエが部屋を出て行くと、オージェは窓から庭を見つめた。
「枯草色の髪……」
昔のことでもうぼんやりとした姿しか思い出すことができなかったが、エステルの言葉で彼女の髪もまた同じような髪の色だと思い出した。
秋の柔らかい光が、褪せた金髪に差し込んでいた。
「エステル……」
彼女ではないと分かっているのに、思い出の姿はエステルに重なってしまう。
エステルが魔法を使えたらと、残念に思う自分が確かにいる。
(私はエステルをどう思っているんだろうな……)
自分の気持ちが分からず、オージェは眉を歪めると、庭から視線を外した。




