貴族令嬢VS鳥中華
「こんな暑い日に外に出るの? 庶民は命知らずなのねぇ」
「あっつうううううう!!」
陽炎揺らぐ昼も過ぎたころ、午後二時の灼熱の街をマリーはさ迷っていた。
身を焦がす熱風と、突き刺さる直射日光が、か弱く華奢で早上がりの労働により軽く疲れ気味のマリーの肉体を痛めつけていく。暑い。この季節にドレスはあまりに暑い。ドレスの上から現場で使ってた空調服を着ているがそれでも暑い。
滲む汗と消耗していく心、しかしこの過酷な地──工事現場の仕事があった北浦和にてマリーは一歩一歩を進んでいく。
進むしかない。進むしかないのだ。
「ガチで暑すぎて吐きそうですわ。しかしここで止まるわけにはいかない。止まれば死ぬ……!」
引けば老いるぞ、臆せば死ぬぞ。灼熱の中を突き進むのだ。
やがて、マリーの足が止まる。
「ここ、ですわね」
スーパー銭湯 湯屋敷孝楽
△ △ △
「はっはああああ!!」
湯船に浸かった瞬間、マリーは身体の奥から声を絞り出す。出ていく。全てが出ていく。体の中の悪しきもの全てが出ていく感覚がした。
「うぅう゛う゛ぅぅうううッッ!!」
染みる。あまりに染みる。労働を終えて業火の街をくぐり抜けたこのマリーの体には高濃度炭酸湯はあまりにクリティカルすぎる。
「あああぁあ……!! もう帰りたくないッッ!」
湯屋敷孝楽は泊まりはやっておりません。
「しかし今回は正解でしたわね。現場近くに銭湯があるのを見つけて衝動で寄ってしまったけれどまさに大正解。素晴らしい瞬間だわ」
人づてでこの辺にスパ銭があると聞いて思わず寄ってしまったが、自分の判断の正しさに湯船の中で思わずガッツポーズしてしまった。
「ふぅ……さて、ほかのお風呂はどんな感じかしら。……ん?」
目が止まる。壁に貼られた案内には、サウナが書かれていた。
別にスパ銭のサウナなどめずらしくはない。マリーが惹き付けられたのは、オートロウリュだ。
「え、ここ機械式ロウリュやってるの……? しかももうすぐ時間だし」
まさに二重の天啓であった。
まずは安全のために水を軽く飲む。マリーはまとめた金髪の姿で、ウキウキとサウナ室のドアをくぐった。
「ん、人は少なめですわ。まずは……上段壁側をキープ!」
マリーの動きは迅速であった。滑らかな動作でマイベストポジションをキープ。
「やはりサウナは最上段、ここを取ったものが戦場を制する……!」
サウナ未経験者はサウナ室全体が同じ温度感覚と思っている方もいるかもしれないが、体感温度は高い位置のほうが高く低い位置のほうは低めになっている。
なのでゆっくり入りたいタイプは下、一気に体を温めたいまたはとにかく熱いほうがいいタイプは上を選ぶ。
マリーは暑いのは嫌いだが熱いサウナを好む貴族令嬢だ。ヌルいサウナなど、誇り高き貴族の矜恃が許さない。
「そして……カモン、ロウリュ!」
目の前の高熱を生み出すヒーターが唸りを上げた。ジュワァという水分が高熱で弾ける香りと共に、鼻腔をくすぐるかぐわしい香りがサウナ室いっぱいに広がる。
「ふわぁ……今日はシトラス系の爽やかな香りですのね。エレガントかつ甘酸っぱい青春を思わせるフレグランスですわ」
そして始まる本格的なロウリュ、今までよりもさらに高温の熱風が、マリーのいる上段目掛け吹き荒れる。柔らかな優しさと荒々しい熱波にマリーの心身は千千に乱れそして咲き誇るのだ。
「ああ……! アッツ……熱い……ですが、これがいい……!」
これがロウリュだ。本来は熱波師と呼ばれるロウリュ担当の職員が、ヒーターに水を垂らし発生した熱風をタオルや団扇を使って客に送り込むサウナ内サービスの1つである。
より熱い風、熱い体験を求めるサウナ愛好者はロウリュが来ると聞くとみな十代の穢れ知らぬ少女が恋に胸ときめかせまだ見ぬ恋人を求めるがごとくサウナ室に集まるのである。
「おっ、おおおおおッッ!!」
熱い。熱すぎる。やはり最上段ロウリュはシャレにならない。ていうかオホ声になってるぞ。
「おっほおおおっっ!!アッツッッ!!」
もうやめとけよ、マリー。それ以上は人としてダメだ。
「あーっ! もう無理、無理ですわ!」
立ち上がり、サウナ室を出ていく貴族令嬢。彼女の尊厳は辛うじて守られた。
「水、水風呂……!」
どれだけあせろうともマリーは貴族である。けして無作法は許されない身の上、どれだけ求めようとも必ずまずは冷水で体の汗をしっかりと流した。その後は手足から心臓付近に水をかけて心臓マヒ対策をする。
「あっああああ!!つめたぁぁ!!!」
思わず出てしまった声。しかしそのまま冷水の湯船にざぶんと浸かった。
「ふううううう!!!!」
人間としてギリ失格な声を上げながら水風呂の冷気を体に吸収させる。これだ、ガンガンに暖まった体を冷水で急冷させるこの喜びこそがサウナの醍醐味だ。
「冷水温度は13℃ほどですか……サウナーの端くれとしてはもうひと声下にしてほしいですがまあ仕方ないですわね」
サウナーとはサウナ室の温度と、水風呂の温度の差が大きければ大きいほど喜びと意味と価値を見出す生き物である。マジで死ぬぞお前ら。
「ふう……さて、外の椅子で整いタイムを楽しみましょうか」
△ △ △
「はい生ビールと唐揚げのお客様ー」
「はい」
しずしずと歩み出て、呼ばれたマリーは定番のセットを受け取り席に着く。
しばし、黄金の液体を眺めた。
吹き上がる泡、太陽のように輝く液体。震える手で、恐れるように触れて、しっかりと掴む。ちくしょお、キンキンに冷えてやがる。
「……」
息を飲み込み、そっと持ち上げた。愛らしい唇を震えさせて着ける。
そのまま、飲む。飲む。飲み込む。
「……うんめえですわぁこりゃあ!」
そりゃ美味いだろうよ。
「サウナで抜けた水分がガンガン補給されていく喜び! 味とかそういう問題では無い、生命が充足されていく快感ですわこりゃ!」
勢いを殺さず、唐揚げを頬張る。炸裂する肉と油と塩気。ビールで追いかける。
「昼過ぎからサウナ最高ですわ……!」
△ △ △
「ふぅ、テンション上がりすぎて風呂とサウナ三周してしまったわ」
とぼとぼと銭湯を出て街を駅方向に歩く。
午後六時を回ったとはいえまだまだ熱い。せっかく風呂に入ってもまだ汗が吹き出るが、マリーの体には充足感が満ちていた。
「さて、あとはこのまま家に……いやその前に軽くなにか食べたい気分ですわ。こう、さっぱりと冷やし中華的な麺類とか」
ふと、目に留まる看板があった。
「……なにあれ、肉蕎麦?」
肉蕎麦 かわしょう
「いらっしゃいませ」
「えーと」
ガラス張りでオープンな店構え、中に入ると白を基調としたシックで小綺麗なカウンターのみの店内だった。
適当な椅子に腰掛け、パラパラとメニューをみながら、なににするかマリーは熟考する。
──山形肉蕎麦……噂には聞いた事がありますが、鳥出汁ベースでぶっとい山形蕎麦に肉とネギを乗せて食わせる山形県独自な蕎麦スタイルだそうですわね。
初体験だが予備知識はある。マリーは不測に備えられる貴族なのだ。
──冷し蕎麦……そういうスタイルもあるのね。あ、中華麺もあるの。肉中華というのね。
悩む。がっしりとした噛みごたえある山形蕎麦で挑むか、冷やし中華脳になりかけているこの本能で進むか。
「……すいません、この肉中華の冷しをネギ多めで。あとごぼうのかき揚げつけて下さい。それとハイボール1つ」
「はい、注文ありがとうございます」
マリーは本能を選んだ。
△ △ △
「はい、肉中華冷しネギ多め。ごぼうのかき揚げ、あとハイボール」
「来ましたわねぇ」
割り箸を割り、未知にマリーは挑む。
出された黒い丼には、透明なスープに浸った中華麺、細切りにされた鶏肉、山盛りの刻みネギ。スープにはなにか油が浮かぶ。
「まずは正面から……!」
スープを1口レンゲで啜った。
「ふわぁキンキンに冷えてりゅう……!」
とにかく冷たい。その上で鶏出汁の旨味をしっかり感じる。そして醤油の味わいと、まろやかな甘みが後を引く万人に受ける味わいだ。
「そして麺は……!」
豪快にすすり込む。やはり麺は思いっきりすすり込む食い方が一番美味い。
キンキンに冷えたスープと麺が口内に炸裂し、それがするすると喉奥を通り過ぎる快感にマリーは身悶えした。夏だ、この灼けた体を冷たい美食で強制的に冷やす快感は夏にしか味わえない。
すすりこみさらに麺を噛み締める。冷やされた中華麺は頼もしいほどに歯ごたえをだし、パツンパツンと小気味よく切れる。
さらに細切りされた老鳥らしき鶏肉も歯ごたえがいい。それらをネギの芳香が包み込み、箸を動かす手が止まらない。
「これ美味いですわね……!」
忘れていたごぼうのかき揚げに手を伸ばす。薄切りされたゴボウが重ねられてかき揚げになっている。かじるとパリパリと儚く砕けこれも快感的な歯触りだ。
「これにこのつゆをつけると」
ざぶんとかき揚げを甘めのこの汁につけて頬張る。美味いに決まってるわこんなん。
「ほわぁつゆがじゅわっと染み込んでて最高ですわ」
そこをハイボールで華麗に追いかける。口内の旨味が洗い流され、またあらたな快感を求め箸が動く。
「美味いですわぁ!」
△ △ △
「ありがとうございましたぁ」
「ごっつぉさんですわ」
店を出る。ぬるい風はいくらかはマシと思えるが、所詮はマシ程度だ。
ハイヒール越しに伝わるアスファルトの熱気、ヒートアイランド現象を身をもって実感した。
「あー、明日も仕事ですわ。かったるくなってこまるわぁ……」
ふと、空を見上げる。暗くなった空に、ホシが見えた。
「あ……こんな風に夜空を見るのもなんだか久しぶりなような気がしますわ」
貴族としたことが多忙さに忘れていた。星を仰ぐ楽しみを。
「そう、あれが夏の大三角、デネブと、アルタイル、そして」
指さす、夏の夜空に浮かぶ宝石の1つを。
「シャドルーの総帥」
ベガだろ。




