貴族令嬢VS居酒屋 ラウンド2
「まったくいかにも場末というところですわねぇ……庶民が好きそうな店ですこと」
「……」
「へい、いらっしゃい」
時刻は午後五時、開店したばかりの店に来客が一人。
濡れた傘を片手に、もったりとした足取りで店内を歩く。
「お好きな席どうぞ」
気だるげに視線を流し、誰もいないカウンターの端席をそっと確保し腰を下ろす。
客の姿は一纏めにした金髪、輝くような高貴な美貌、長身。そして──紫色のジャージ上下にワークマンで買った工事現場用の緑の長靴だ。
今日のマリーはオフの日だった。
昼どころか夕方まで寝ていたので今はかなり寝起きに近い。
「お客さん、飲み物どうしますか?」
「あー、」
声を出しながらイマイチ回らない頭で考える。一瞬の間。
「ブラックニッカハイボールで」
「へい」
なにも考えずに答えてしまった。湿度が高いがビールという気分でもなく、雨の寒さもあるが焼酎で攻める気分でもない。妥協、流れ、そんな気分で決めてしまったが、
「へい、ハイボールお待ち」
「……」
無言で飲む。炭酸の爽やかさ、ウイスキーのガツンとした刺激。美味い。たしかに美味いが。
「うん、まあ」
なんとなく火が入らない。なんとなくローテンション。
たしかにマリーは食事にこだわる貴族令嬢である、一食をいかに楽しむかに人生を見出す。しかしこの気だるげなともすれば妥協とも堕落とも言える酒の飲み方もまたそれはそれで愛してしまえるのだ。
──まあ、こういう日もありますわ。
チビりとハイボールをすすり、お通しのきんぴらごぼうをかじる。唐辛子多めの攻めた辛さが嬉しい。だが、まだマリーの心に火は入らない。
──なにを頼みましょうか。
今日のメニューに目を通す。刺身、揚げ物、飯もの。しかしマリーの目は輝かない。
マリーがアンニュイなのには理由がある。梅雨の長雨のため、現場仕事が減るので呑み代を節約したいからだ。今日の目標予算は二千円。
──さっぱり潔く唐揚げや油物で安く満足感を得て出ていくか……いや刺身の一枚くらいは食べたい……2杯目の酒の確保も考えると酢の物とか頼んでる余裕絶対ないですわこれ。
近頃は値上がりが激しい。可憐かつ儚い貴族令嬢マリーの心身は傷つけられていた。だがそんな傷を安酒と安い肴で癒そうにも、それさえも値上がりする。
ああ、か弱き哀れなマリーは今日も傷ついたまま冷たい布団で眠りにつくのだろうか。
「え!!!?マジで!??」
思わずマリーは声を上げた。メニュー表の下にあるビラの記載を見る。
『期間限定セール! 生牡蠣1個100円(税込110円)』
マリーの世界が光の速さで色づき、心臓が高鳴る。生きる意味を再び見出した。魂に、熱い火が入る。
「すいませんこれいくつたのんでもいいですか?」
「へい、とくに一人何個までとか決まりはないです」
もう、今日はパーリィナイだ。
「20個ください」
「へい」
もはや2000円制限は解除だ。限界を突破する。こんなちっぽけな鎖で目覚めたマリーは止められない。オラワクワクしてきたぞ。
「あら茹でたて枝豆もあるのね。生の枝豆なんて久しぶりだわ。これも一つ、それと……あ、アスパラガスの天ぷらあるじゃない。これも一つ。あといわしのなめろう、それと川エビの唐揚げもお願いします」
「へい」
オススメメニューを見るのを忘れていた。さすがに茹でたての枝豆をスルーするわけにはいかない。
「今年も生の枝豆が食べれる季節が来ましたのね」
冷凍も美味いが、やはり茹でたての味には叶わないものだ。
「へい、生牡蠣20個お待ちです」
「よっしゃきたわ」
平皿に並ぶ生牡蠣艦隊×20。思わず小さくガッツポーズ。
「さすがに少し小さめですが……100円では贅沢は言えませんわね。まずはレモンと塩で」
レモンをしぼりパラりと塩。そして殻に口をつけつるりとすすりこんだ。噛み砕くとレモンの香りと酸味に磯の風味、貝柱部分の小気味いい歯ごたえ。
「んんッッ!!追ってハイボール!!」
旨味を味わい、そして洗い流す。
「次はもみじおろし、ネギ、ポン酢の定番で……」
これも殻からすすり込む。そして追っかけてハイボール。
「幸福がッッ!! 止まりませんわこりゃッッ!!」
美味い。美味すぎる。牡蠣は人に食われるために生まれてきた。
「はい枝豆、川エビの唐揚げ、アスパラガスの天ぷら」
「来たわァ」
即座に手を伸ばす枝豆。茹でたての熱々だ。秒速で口の中へ。茹でたて独特の香りと旨味の深さ。塩加減も丁度いい。どれだけ冷凍技術が発達してもこれは失われてしまうのだ。
「ああ夏の到来を感じますわ。もうこれだけを一年中食べて生きていきたいわ……! これで豆ごはんとか作って食べたい……!」
追ってハイボール。飲み干すと同時に叫ぶ。
「すいません、生ビールの大一つ!」
気分では無いとかそんな甘っちょろいことをもはや言う気は無い。茹でたての枝豆にはビール、これはもはや人としての義務だ。
「へい、生ビール大お待ち!」
ドンと置かれたジョッキを持ち上げ、次に川エビの唐揚げに手を出す。小指な先程の小エビがからりと挙げられた一品。無造作に2、3匹口にほおりこんで噛み砕くとシャクリとした香ばしい歯ごたえ、しっかりしたエビの旨味が炸裂する。
「これもたまりませんわね!」
そしてこれもまた追ってビール。美味いに決まってる。
「合間に生牡蠣を挟み!」
枝豆、川エビとの激闘を交わした舌を、レモン塩の生牡蠣でクールダウン。こんな贅沢なクールダウンがあるか。
「そして挑むはアスパラガス……私野菜の中でアスパラガスが一番しゅきッ!」
柔らかな揚げ色の衣から、鮮やかな緑が透けて見える。長皿に盛られた豪快な1本上げのアスパラガス天ぷら。箸でつまみまずは下側を塩で齧り付いた。
「んぐっ! アスパラは下と上での味わいの差異を楽しむのが通!」
下側は上と比べて食感が固く苦味も強い。しかし味わいもそれだけ強いのだ。ここはきちんとピーラーで硬い皮を削りほどよい歯ごたえにしてくれている。
春の残り香を存分に楽しみながら、先頭には天つゆをつけて食す。
「一方、先頭部分は柔らかな小気味いい歯ごたえ!」
衣に染み込んだ天つゆと柔らかなアスパラのハーモニー。存分に、存分に貴族令嬢は終わりゆく清らかな春を楽しんだ。
「ビール合いまくりんごですわこりゃ!!」
△ △ △
「ありやとやっしたー」
「ふぅー、思わず暴走してしまいましたわ」
傘を広げ、外に出る。湿度は高く絡みつくような雨は止まない。
「2000円代に収める予定が結局は4000近くに……まあ、仕方ないですわね。人生は臨機応変にですわ」
レシートを眺めながら溜息をつく。人生は計画通りにはいかない。しかし目の前に現れたトキメキに、飛び乗らなければ生きている実感は得られない。
かつてマリーの好きな漫画のキャラクターが言っていた。「乗りたい風に乗り遅れたヤツがマヌケなのよ」と。ライヴ感は大切なのだ。
「ふぅ……ガードマンのバイト、入れましょうか」




