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浴衣

 期末試験も終了し、あとは夏休みを待つのみとなった一学期。

 夏休みの計画の話や、部活の話で賑わう教室の隅っこで、僕は頬が緩むのが止められなかった。


「浅野君、嬉しそうだね。なんかあった?」


 奥野さんから声をかけられ、僕は自分の口元を慌てて押さえる。いかん。気持ち悪がられる。


「……も、もしかして、ニヤニヤしてた?」

「う~ん、ちょっとだけ。それで、なんかあったのかなって」

「実は……」

「うん」

「期末試験の成績が……自分の予想より、かなりよくて……」

「え、ほんと!?よかったね!!」

「うん。先生と奥野さんのおかげだよ。本当にありがとう!」

「そ、そんな……私は大したことしてないし」

「いや、奥野さんの教え方わかりやすかったよ?本当に」


 あれから、昼休みに奥野さんから誘われ、図書室でテスト勉強をしたり、途中でたまたま通りかかった先生に教えてもらったり、二人には足を向けて眠れそうもない。

 そういえば、たまたま通りかかったって言ってたけど、先生との遭遇率は100パーセントだったな……運が良かった。

 奥野さんは赤くなった頬をかいている。その意外な反応に胸が高鳴り、こちらも顔が赤くなりそうだ。


「もう、恥ずかしいじゃん……あはは」

「あはは……ごめん」

「じゃあ、今度飲み物でも奢ってよ」

「うん。いいよ」


 そういえば、いつの間にか奥野さんとも普通に話せるようになってるな。4月には想像もできなかった。

 ……一番予想外なのは、間違いなく先生だけど。

 まあ、何はともあれ、学業の面では充実感に満たされ、気持ち良く一学期を終えることができそうだ。

 あとは先日のあの話を……


 *******


「…………付き合ってくれる?」

「せ、先生……」


 座って見つめ合う二人。

 先生の瞳はしっかりと僕を捉え、目をそらすことを許さなかった。

 僕は静止したまま、先生の言葉の意味を何度も考えた。

 せ、先生が、僕に……付き合ってって言った?あの先生が?そんなバカな……

 僕が口をパクパクさせていると、先生の艶やかに輝く唇がゆっくりと動いた。


「今度の花火大会」

「……え?」


 室内に広がったシリアスな空気が弛緩していく。

 それと共に全身から緊張が抜けていく。

 いや、どちらも僕の勝手な感情だけれど。何をバカな事を考えていたんだ、僕は。穴があったら入りたい……。

 僕の様子に首を傾げた先生は、何故か距離を詰め、小声で話し始める。


「その……一人で行くのは味気ないし、私はこっちに友達がいないから、付き合ってくれると嬉しいのだけど」


 僕はすぐに首を縦に振った。断るという選択肢は思い浮かばなかった。


「……あ、はい。だ、大丈夫ですけど」

「ありがとう。あ、もちろん変装はしていくわ」


 あれはあれで目立つんですけど……まあ、いいか。

 こうして、僕は先生と二人で花火大会に行くことになった。

 ……そういえば、今さっき、こっちに友達はいないって言ったような……。


 *******


「……あのまま、付き合ってなんて言ってたらどうなってたんだろう……いや、ダメよ。まだ……教師と生徒だし……」


「花火大会、楽しみだな……ふふっ」


 *******


「え?アンタ、浅野君を花火大会に誘ってないの?」

「……一緒にテスト勉強して満足してた。ああ、私のバカァ……」


 *******


 花火大会当日。

 家が真向かいということもあり、先生の準備ができ次第、うちに呼びにくることになっている。ちなみに、今日母さんは仕事で家にいない。なので、からかわれる心配もない。

 そこで僕は、1つの事実に思い至る。

 もしかして……これってデートなのか?

 教師と生徒とはいえ、男女が2人で出かけるって事は……


「……そんなわけないか」


 あの先生が僕に対して……まあ、本当に行く相手が欲しかっただけなんだろうな。

 でも、久しぶりの花火大会だし、成績が上がった祝いも兼ねて楽しもう。緊張するけど。


「よしっ」


 気合いを入れたところで、狙い澄ましたかのように呼び鈴の音がなったので、僕はすぐに玄関へ向かった。


 *******


 玄関の扉を開けると、先生が立ってい……た……。


「…………」

「お待たせ。それじゃあ、行きましょうか」

「…………」

「浅野君?」


 言葉を失った。

 そこには浴衣を着た女神がいた。

 前回の水着姿も太陽の〇omachi angelと言えるくらいに、爽やかで開放的な魅力が弾けた素敵なものだったけど、こっち控え目な『和』の魅力が滲み出ている。

 浴衣は青を基調としたもので、ところどころに花火のような花柄があしらわれていてた。

 そはして、前回と同じように眼鏡を外し、髪はポニーテールにしてある。

 大和撫子というのは、こういう人のことを言うんだろうな……。


「浅野君?」


 先生から呼ばれて、見とれていた自分に気づき、慌てて口を開く。


「あっ、す、すいません!その……すごく綺麗です!!」

「っ!……」


 先生は俯き、黙ってしまった。

 ……僕程度の褒め言葉じゃお気に召さなかっただろうか。

 まあ、先生ならこれまでの人生で、褒め言葉など聞き慣れているだろう。

 どうしたものかと立ちつくしていると、先生はばっと顔を上げた。頬が赤く見えるのは、外の夕陽のせいだろうか。


「…………そ、そう。ならよかったわ。じゃあ、行きましょうか」

「そうですね」

「あ、それと……」


 先生は振り返り、耳元に顔を寄せてきた。


「今から家に戻るまで、『先生』は禁止」


 *******


「……混んでますね」

「そうね」


 電車で二駅先の場所が花火大会の会場なんだけど、ここまで混むとは……ちなみに、普段なら花火大会の時期は家でゲームをしている。中学時代に一人で行ったら……うん。あまり思い出したくない。

 しかし、現在の状況もかなりやばい。


「……大丈夫ですか」

「ええ、大丈夫」


 車内はこれ以上ないくらいぎゅうぎゅう詰めの満員で、身じろぎするのもしんどいくらいだ。

 そんな中、僕と先生はドア付近で向かい合って立っている。

 体はしっかり……がっつり密着していて、甘い香りと、ぎゅうぎゅう押しつぶされている柔らかい感触が、理性をガンガン削ってきた。

 浴衣越しだからか、普段よりその柔らかさを凶暴なまでに主張してくるからやばい。やばいったらやばい。

 こちらの心情などつゆ知らずの先生が、心配そうな目で見上げてきた。


「君の方こそ、大丈夫?」

「ぼ、僕はぜんぜ……っ」

「どうしたの?」

「いえ、何も……」


 顔が近い!今の密着具合からすれば当たり前なんだけど、近すぎる!今唇に息がかかった!

 甘やかな吐息を感じながらも、そっぽを向いて何とかやり過ごす。

 しかし、今度は先生が胸に飛び込んできた。


「せん……ゆ、唯さん!?」

「ごめんなさい。足を滑らせてしまったわ」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫よ」


 先生はバランスが取れないのか、僕の背中に腕を回し、抱きついている。

 細い腕がぎゅっと絡まってくると同時に、さらに胸が押しつけられ、大人の女性の香りが鼻腔をくすぐってくる。

 結局、目的地に到着するまでの僅かな時間は、僕にとって淡い夢のようなふわふわした時間になった。


 *******


「着いた……」


 電車の中の熱気で、もう既に汗だくになった僕は、あまり意味がないと知りながらも、手で自分の顔を仰ぐ。

 先生もハンカチで首筋を拭ってはいるが、端から見ればとても涼しげで、マイナスイオンが出ているようだ。

 そんな事を考えていると先生が振り返る。

 さらさらの黒い髪が風に舞い、何だか不思議な生き物みたいに見えた。


「さあ、行きましょう」


 そう言って、先生は手を差し出してくる。


「え?」

「はぐれないように。ね?」

「……は、はい。わかりました」


 僕は足の震えを抑え、そっと先生の小さな手を握りしめる。さっきの熱気を忘れさせるくらい、その手はひんやりして柔らかかった。

 手を繋いだことを目と目で確認し合うと、どちらからともなく、祭りの賑わいの中へと歩き始めた。

 

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