答えのない問題の答
「…………」
【…………」
詰みか。
私の拳は届かなかった。
力加減をミスったのか手首をつかむ動作をしているのに、うっかり私の手を握りつぶしてしまっている。
普通の攻撃ならいくらでも再生することが出来るが、神薙に潰された以上、しばらくは復帰できない。
【どうやって耐えた」
これが一番自信あったのだが、やはりというべきか。
そういうシンボルは事前に私と紐づけていた以上、能力での防御は出来なかったはず。
「舌嚙んだ、いふぁい」
神薙の口元から赤い血の雫が零れ落ちている。
正気に戻るためのよくある手段。人間が使う気休めを、神薙は使った。
【そんなことで耐えられるとは思えんのだが」
「ネームド、衣川早苗。お前ならこうするだろう?」
【……する、な」
確かに本当にどうしようもない精神攻撃(そんなものが本当にあるかは定かではないが)を受けたら、同じ事をして切り返す。
「早苗の心の在り方を、使わせてもらった」
【そうか」
結局そういうことになる。
私が神薙を模倣するのは不可能だが、神薙は私を模倣できる。
「そして一つ、これを言うのは最後にしようと思いこれまで口にしなかったことだが――――心の強さと実際の強さは、そんなに関係ないんだ」
勝敗を決定づける言葉だった。
「そう落ち込むな。誇れ。慢心していない俺に血を流させた」
【お前自身でやったことだ。私ではない」
私がそうするからそうしただけだろう。
私の攻撃で傷をつけたわけじゃない。
「…………」
【…………」
少し(超悦者の先基準)の沈黙のあと。
「ちょっと自分語りに付き合ってくれ」
神薙自ら話題をふる。
すでに私の反応なしにあぐらかいて座っている。
断れる理由も要素もなかった。
虚空から座布団を取り出して着席する。
「今、ここから振り返って、どう見える?」
【…………」
まずは、頂からの問いかけだった。
200年前の感傷の共有。
私は知っている。
空亡惡匣が神薙に残した最後っ屁。
神薙が回答を拒否した問答。
神薙にとって人間として過ごした仲間や勝ち取った思いこそが、最も幸福な存在である。
だが同時に、頂点から見ればそれはまったく価値のないもの。
大自然から見れば人間は大したことがないという意見がある。
ならば大自然を蹂躙できる視点から見れば人間はどれだけ矮小なものに見えたのか。
見えるのに見えない。
大切なのに、ゴミになる。
ある意味だから新世界なんてものもあるんだろう。
ふまえて、私は何を答えようか。
新世界は数多の世界の頂点、好きなだけ時を調整できる。
超悦者は新世界で時間があればいくらでも動くことが出来る。
超悦者の先は、一切の時がなくとも好きなだけ動くことが出来る。
ここはもっと先。
やるやらないの道理のあっち側。
こちらが認めなければ誰も一切の主張が許されない、絶対領域。
概念もなければ、物質もない。
意思だって私達以外にありはしない。
それが今の私の景色。
皆を置き去りにしたここの景色。
天から見た銀河を、高層ビルから見下ろしてみる人々をどう思うか。
美麗? 醜悪? 憎悪? 無価値? 塵芥? 感嘆?
どれも違う。
私の感情はそれじゃない。
【…………かわいいと思う」
そもそも嘘をつく機能がない私は正直に答える。
私が持っているのは慈愛。
触れれば消し飛ぶか弱き稚児を腸で包む母の情。
何もかもが私に届かないとしても、命に代えてでも守りたいという心。
愛に満タンはない。
その言葉をそのまま伝える。
【赤子を見る感覚。弱き者、愚かな者、年長者として導いてあげたいと慈しみを持っている」
傲慢と言われるかもしれないが、実際にそう見えてしまうのは事実だ。
「愛なのか」
一言一句に気を遣う。
ここが最後のつめ。
【そうだ。お前もそうではないのか?」
「俺にも愛はある。だが早苗とは違う。純粋なものではない」
私が母ならば父になるのだろうか。
そう考えると外敵を排除し獲物を狩るその在り方は父と言って差し支えない。
「愛だの正義だの答えのない問題の答えを知ってるか」
なぞなぞかと思ったが、そうではない。
ちゃんとした答えがある。
【時代によって移り変わったその時その時の状況によって最適解が変わる」
「悪くないが、もっと踏み込め」
【……」
「俺の答えはこうだ。前提条件に誤りがある。愛も正義もありはしない。故に解は存在しない」
【元も子もないが、それも一つの解だろう」
○○が聞くと憤死しそうな言葉だった。
違うな、【愛なんてありはしない】だけ脳内に切り取って、正義もないは聞いてないことにするかもしれない。
【とはいえ、人間主義のお前がそんなこと言うのか?」
「逆だ。人間厨の俺だからこんなこと言える。本来存在しないモノに概念を与え、力を与える。これこそが人間だけに許された特権だ」
人にしか存在しない魔法、それが過ち。
過ちこそが人の力。
その人間賛歌は素晴らしいと思う。
だが、同時にこうも言っているように聞こえる。
人は間違っている。
神薙からすれば当たり前のことを私達は出来ない。
息をすることすらままなっていないから最果ての絶頂を作った。
「正義も愛もありはしない。それでも、正義も愛も素晴らしい」
それが200年前の神薙の出した答えなのだろう。
過ちこそが人、過ちこそが美。
【それすら、思えなくなったのか?」
「ああ」
天からの肯定だった。
未完の美。過ちの美。悪の美。
そんなのは感性が朽ちている。
完成された美は朽ちるだけ?
出来ない奴の言い訳にすぎん。
最上はあるし、最上から見れば全部芥。
「俺が愛を語れるのは酔ってるからだ。素面じゃ語れない」
【……」
素面だと何も愛せない。
そんな自分が嫌だった。
そんな現実が嫌だった。
分かったことがある。
神薙は何も趣味で自分を縛っているではない。
価値感の変異を恐れている。
頂点基準で考えるなら、物事を見るや知るという感覚は、弱い。
人のあれこれに感傷を受ける、これはある意味ダメージだ。
知識や感情はダメージなのだ。
これに対する回答は、人外の心理を手に入れるか、能力で誤魔化すの二者択一。
私と空亡惡匣は前者を、神薙は後者を選択しただけ。
前者の問題はキャパシティがあること。超えたときどうなるかは言うまでもない、
後者の問題は能力であること。今はいいとしてもいつか、はるか先。
私のような怪物が、私が持てない悪意を持って襲うことだってあり得る。
喩えるなら……ゲームや漫画をすることの是非。
そんなもので遊ぶより勉強した方が賢い人間になる。これは真理なんだろう。
だが人の心理を考えるとずっと勉強漬けにするのは、かえって効率が悪くなるのも条理だろう。抑圧は依存に繋がる。
だから普通の人は適度に遊び勉強する。それが正解になる。
だが今の問答は前提条件に『人はゆとりがないと真っ当に育たない』があるわけで、私達頂点にその条件は存在しない。
頂点を極めるなら、ゆとりなんて必要ない。
この世で一番頭の良い奴が、ゲームしかやらないで全国一位をとれたとして、その得点が満点を超えていたとしても、それでもゲームよりも勉強した方がより高い点になる。
「俺も人も間違えている。しかし歴代最高である」
過ちの放置。
それも神薙の弱点か。
分かっている弱点を補強しない。
いつか、いつかそれは、致命的な欠点になるのではないのか。
それはないだろうという信頼と、そうかもしれないという信用がある。
だってこういうことだ。
人の存在、それこそが弱点。
全知全能ですらなぜ人を作ったのか完全な回答が出来ない。
だから完全無欠になるために人は必要ないということ。
在り得ん破滅思想だ。
「さて、あいつを解放するって話だったか」
【そうだ。私は見せた。衣川早苗の力を、人類の可能性を。まだ一歩かもしれないが、必ずお前の背後を捉えてやる」
随分と回り道をした。
まずは神薙を知ることから始まった。
神薙は弱くなることは出来ないが、強くなることはできる。
だが「強くなる」を奴は恐れていた。
精神が一段階次に行くことを、もしくは肉体が誰も追いつけない所に行くことを。
【私を使え神薙。私が空亡惡匣を倒す。足りなければ納得する分の助力を貸してくれ」
だからそのために、これが限界。
神薙が自分を人と認識できる力だけで、何人たりとも入れない領域を侵食する。
「いいぜ」
「――――!」
やっと、やっと。
承認を貰った。
「お前達が仕掛けた勝負。見事だ。俺に勝つのは無理だとしても、自分が勝つことを目指す。俺の勝利条件とお前達の勝利条件を一致する。そしてそれが可能だと見せつける。天晴れ満点だ」
策略でも何でもない。
お金を渡したからもらった。
たまたま行き先が同じだったから先行した。
「それに俺が揺さぶられるほどの出力。幸せにするのは癪だが、感情がないσφにとっても、
いや、寧ろ感情が無いからこそ十分に有効だと判断できる。お前の力はσφにも有効に働く」
これを勝負というのには語弊があるかもしれない。
「必要な条件をすり合わせそれが可能だと俺にプレゼンをした。それを俺は承諾する。これは戦いそのものではなく、戦いを通したプレゼンである以上、端から俺そのものに勝つ気はなかっただろう」
私達がやったことが何なのかと言われたら、プレゼンになる。
神薙を理解し、神薙の助力になると発言した。
その出費として、○○が必要だと進言した。
可能かどうかは身をもって認めさせた。
戦いじゃない。
win win かwin loseのだけのただのプレゼン。
ただそれでも。
「早苗、お前は俺に勝っていい」
有史以来、神薙に白星を譲ってもらったのだ。
【だったら」
そこまで行ってもらえるのなら、残りはあいつの解放だけ。
「だが、負けてはやらない。体は返すがひとまずはそれだけ。そして決着は俺が付ける」
言葉の意味が分からなかった。
やれることは全部やった以上、これ以上はできない。
【いや、もうやることないぞ。だいたいこれ以上は無駄だ。何も得るものはない」
「俺がすっきりする」
単純明快な言霊であった。
そしてこれから何をやられるのか、分からないが察しが付く。
「勝っていい。これから永遠に続く存在しない末代まで早苗の偉業は語り継がれる。でもな、負けちゃやらない。俺に勝つのは早苗でも、俺が負けるのは早苗じゃない。分かるかこの意味が? 分かんなくてもいいぜ」
あくまでこれまでは私の攻撃。
いくつかリミットを使ったがそれは遊び。
これから私は、神薙基準の攻撃を受ける。
「これ、初めて使うんだぜ。いやぁ、楽しみ。ワインはあんまり飲まないが数十年物のワイン開封をするとき、もしくは初段のパックをあける気分。わくわくが止まらない」
【ちょっと、待ってくれ。まさかと思うが自分でも予測できないことをするんじゃないだろうな」
「声出し確認よーい」
聞いちゃいない。
うかれぽんちになっている。
「地球保存よし。新世界バッグアップよし。復帰シミュレートよし。テストよし。チェックリストよし」
生存本能が盛大にアラートを出している。
ただしそのアラートを消す手段はどこにも存在しない。
「構えろ。心を強く持て。獄景を絶やすな。それは身を守ることに注力しろ」
言われるまでもない。
周囲に展開していた私の獄景を最大圧縮させる。
それを笑顔で見守りながら、神薙はこめかみに人差し指を押し付けてた。
そのポーズは、まるで拳銃で自殺するかの如く……
「獄景改め――――信世界」
新世界が爆発した。
正直10年以上続いた小説を
読み返すのはしんどいと思ったので
ざっくりしたあらすじを短編として投稿しました




