鮮血の聖女は取り返す 3
「60点くらい」
神薙は私の獄景を見てそう評した。
「がんばったのは評価するぜ」
獄景は、本当に火や水を生み出しているわけではない。
私達にとってのそういうものを出している。
水は溶けるものだし入り続ければ窒息する。
火は燃やすものだし炙り続ければ炭と化す。
そこに耐水や耐火が入り込む理由はない。
どれだけ主張しても物体は溶けるし熔けるものだ。
対抗できる概念なんて、獄景内に存在しえない。
まぁ、ちょっと強めな言葉を使った後で恐縮だが、言い訳をさせてもらう。
これくらい分かってはいる。
こんなもの、シンボル・リミットなんなら超悦者すら使わず目の前の男は当たり前に耐えてくれる。
こいつが能力を使っている箇所は、周りの人々や星々そして外の宙や内の界に後戻りできない影響を与えないようにしているところだけだ。
「獄景の原型は旧世界の神々の業だ。ギフトや超悦者と違って俺が新世界から作ったシステムじゃない。昔からあった神の遺物」
だからこそ神々はこれを得意としている。
本来は人が使う能力ではない。
「ただし、それを人が使っちゃいけないいわれはない。俺が使わないだけで使いたい奴は使えばいいぜ」
神薙は獄景を使えるが、使わないといった。
大の男が背格好そのままに魔法少女に変身するのと同じような抵抗があるのだろう。
「獄景がやっていること自体は単純だ。己を世界に侵食させ、世界そのものを体内にする」
真百合から聞いた、既に知っている解説。
私達は知っているが展開していなかった情報なので、今更であるが最大手から広報をしてくれている。
「出来ることも多い。基本スペックを5京倍にする。中の生命に支配者への畏れと敬いを与える。中のモノを自由自在にする。本来できないことが出来るようになるし、出来ることがより出来るようになる。『世界』以下に対する支配と己の『法則』を内部に浸透させることも出来るだろう。他にも挙げようと思えばいくらでも挙げられる」
今私はこの世界に起きる事象を自分の指先のように認識し、操作できる。
どこに誰がいるか何があるのか分かる。
数人を除きこの獄景内部にいるだけで、私達に屈していることが分かる。
「現状だと、誰かがこれを先に展開できれば、全て(・・)の相手に勝ちは決まっているといっていい」
抵抗が出来ているのは帝王、王領君子。
支配するのは自分だと言わんばかりに、この獄景に対抗している。
防いでいるのは、育美さんだ。
能力の無力化で、自分にかかる現象を全て無力化している。
だが彼彼女も対抗しているだけで、完全に影響がないわけではない。
「獄景の欠点は、本来は1個体しか展開できないことだ。当たり前だが世界を自分にする行為なのに、他人もしちゃ世話がない」
もう一人は真百合だ。
それはそうだ。真百合も同じように獄景を展開している。
同時に展開するだけで、飲まれないように反発と共有をしている。
「それをお前達は身体の一部を共有するという形で解消した。そうした目的はそれだけではないようだが、結果的にそうすることで獄景は1人しか使えないという欠点を解消した」
正しい。
ここまでわかっているなら、身体を交換した目的は獄景だけじゃないこともきっとわかっている。
「誰もしてこなかったことを自分たちで解析し新たな技術にした。ああ、見たことのない物を見せてくれるというのなら、100点だ」
温度が変わる。
炎は凝固し、海は蒸発する。
「以上を踏まえての発言だが、これそんなに強いか?」
誰もが怖気づくこの獄景を、強さとは認識していない。
「能力の強化とか、出来て当たり前のことがやっと出来るようになるとか、最初からできることが改めてできるようになるとか、意味があるか?」
私達が死ぬ気で取得できた奇跡を、素面で踏み潰す。
何をしても一番強い目の前の男は、私達の必死を理解できない。
「これが切札なら、もう終わりにするが」
だが大丈夫。
私達もこれは想定内。
獄景ごときで何とかなるなんて思っていない。
この程度想定内の理不尽だ。
【せっかちすぎるぞ。早漏か」
「だったらはやくHなものを見せてくれ」
獄景はあくまでもバフ。
これで何とかなるわけじゃない。
【獄景は自己強化だ。これからやるものが本筋と思ってくれ」
私には才能がない。
物覚えは良くない。
真百合や○○以下は当然として、下手をすれば時雨よりも遅いだろう。
そんな私が1か月たたず、この領域に立つためにやったことは……ない。
ここまでのこれは真百合に引き上げてもらった。
この獄景も結局は真百合の手引きによるもの。
なんならこれからやることも獄景で補助しなければ十全には扱えない。
だが――ここからは、私の力だ。
「速攻発揮正宗―天掌」
速攻発揮正宗は必中の拳。
心臓を突く私の理。
通常は対象が瞬間移動して命中する必中の『法則』。
回避不能の理だが、つまりは目の前の男に当たらない。
『法則』ごとき、理の方が奴に跪く。
ならば当て方を変える。
私の拳は必中の拳。
神薙を対象にしないで、必中の当て方をする。
獄景の内部、そこから生み出す私の右こぶし。
その広さは、世界の総和。
その私の右手をただ、ただ瓦を割るように落とす。
折神の鶴をつぶすように、
地獄を叩きつける合掌。
速度はない。
時が刻まれるより速く落とされる拳に、速度が入る余地はない。
「殴られたらこっちが負けの都合上、これを許せ」
私の拳に対して、神薙は虚空を掴む。
初めて同士の恋人の衣服に手をかけるような優しさ。
しかし次の一手は暴漢が服を破くかのようなけたたましさ。
つかまれたのは虚空ではなかった。
私の獄景。
世界そのものを掴み、拳の行く先と同じ方向に投げ捨てた。
「0秒の等速直線運動ってわけだ」
いつかは全て命中するだろう。
だがそれは今この瞬間ではない。
それだけで時を踏みにじれる相手には一切命中しない。
「速攻発揮正宗―熔煌」
次の手。無限大な一手が成立しないのなら、無限数の一手。
世界を潰す拳が当たらぬのなら、全ての人物に当たる拳を。
この獄景内にあるかぎり、手が一つだけなどありえないのだから。
炎を模した私の右腕が、全人類を襲う。
この炎に痛みも熱さもない。当たったところで無意味だが、私が欲しいのは当たったという事実。
「言わなかったか。シンボルに『全て』は成立しない」
【知っている!」
全てを殺す能力があったとしよう。
この能力に対して、当たらないよう回避する、殺されないよう抵抗するバリアを貼る、死んでも生き返るといった手段で反論する。
シンボルの反論は『全てという定義はシンボル以外の存在のこと』である。
だから全てを殺す能力では自分は対象外になる。
日本男児を殺す能力で、女や外国人は殺せない。
なんなら性別に捕らわれない人がいれば、この能力は効くことが問題になる。
お互いの意思を尊重した(つもりになっている)美しい反論である。
勝手に相手の方が除外をしてくれているのだから。
だから炎の拳は神薙に到達しない。
【故に、こうするのだ」
「私と彼の恋。(アイラブユー)】
次の一手は真百合の一手。
そして私の一手でもある。
好きなものになれ、好きなものにする無法のシンボル。
本来は、真百合にとっての大切なモノつまり自分か○○かにしか対象に取れない。
だから私に対して使うことはできない。
だがここに、体を入れ替えるというインチキをやっている。
私の右手は、確かに真百合の右手でもあるのだ。
好きなようにできる燃料(右手)が世界のいたるところに遍在する!!
「神薙信一、爆ぜて侵しなさい】
無限にあった炎の右腕は四散し、更なる無限の水滴の右腕になって弾かれる。
無数に、無限に。隙間なく、獄景の内部に、新世界に。
たとえ炎の拳が神薙を襲えなくても、水滴の拳に触れればいい。
お前が作った無限に広がった世界だ。
そこ夥しい数を利用させてもらう。
隙間なく襲う究極絶対無限の拳達に、お前は回避できるか。
「これは物言いをいれるぜ。
|神神が必死で紡いだ一分
書かれていることと、起きていることが一致しないリミット」
霧散した。
私達がやろうとしたことに、事実が逃げれれる。
無限の腕から無限の拳が生み出されようと、神薙にはもう当たらない。
今はもう私がこうだと主張しても、事実と異なるのだから何もできない。
「『物語』の8なんだが、対抗策は」
「……ない。今は」
今の私達に、神薙がつかったリミットに対処する術はない。
今はまだ早い。
ここは負けていい。
「なら俺の1勝」
私の右腿に一画が引かれる。
残り4画。
「再開の前に、宝瀬真百合。確認がしたい」
「何かしら。神薙信一】
先の能力の使い方に、神薙の方から意見があるようだった。
「本当に問題なく出来るのか」
神薙が心配したのは先ほど行った真百合のシンボルの使用の是非。
「何それ。新世界にある世界全ての生物を目がけた拳、その一つ一つに私がシンボルを使えるかってこと? だったら早苗がやっているのと同じ理屈よ。私の身体でもある以上、シンボルは使えるわ】
これが身体を交換した利点でもある。
真百合も私も、自分にしか使えない部分がある。
一度体の共有を挟むことで、使えるようにしたのだ。
「それが出来るかを聞いているんじゃない。見た感じ問題なさそうだが、俺の知っている宝瀬真百合だと、新世界にある全ての世界の人間から生み出されたもの全てに能力を併用はできないのではなく、保たないと思っていた」
既に申し上げているが、四肢の共有は見せ札。
内部の交換は事前に行っているのだ。
「相変わらず、口先だけは紳士ぶっているわね。ならば淑女らしく答えましょう。とはいっても想像はついていると思うけど】
「真実は、持っている人から聞くべきだぜ」
とはいっても簡単なことだ。
「早苗の脳と心臓を私の右胸に移植しているだけよ】
事前に私の心理を司る器官を真百合に移植している。
私の心や扁桃体や前頭葉でシンボルを使っているからこそ、真百合はシンボルを用いた心理的負荷に耐えているというわけだ。
「問題ないのか」
「ええ。今のところは。理性や感情の制御は恐ろしいけれど、知能は低くて助かったわ】
最初真百合は自我が乗っ取られないか心配していたそうだ。
私が夢を主食にする怪物とでも思っているのか。
「本当に問題ないのか? 言わなければ察せられないこともあるんだぜ」
「くどい。子宮内に影響はない。心身もすこぶる良好。誰かから見られている感覚も読者以外からは無し。これでいいかしら?】
「ならばいい」
最早公然の秘密だろうが、神薙は真百合にはかなり甘い。
だからこそ、真百合も自分も戦線に立った方がいいと主張し、私もそれに同意した。
「じゃあ次、衣川早苗」
【まった」
「………なんだ」
私の発言に不機嫌さが一瞬見え隠れした。
だがそれに物怖じはしない。
これは何かの感情の隠れだと、何となくだが分かっていたからだ。
【文字数がちょうどいい。ここで一旦区切りをいれないか」
「……いいぜ」
未だお互いに想定内。




