閑話 神薙が神薙に至るまで 狂曲
その隙間は断じて一瞬などではなかった。
光速を観測し対応できる神にとって、それはあくびが出るほどの間である。
人間の達人クラスの武術家ですら、この間があれば勝ちを確信する。
時間を超越、もとい時間そのものである空亡惡匣にとって、最早これまで過ごした永遠の時と、同等の長さである。
空亡惡匣を縛っていた“何か”も、今はその効力を失われていた。
油断したなんて格好のいいものではない。気を失った。僅かに、失神した。
空亡惡匣は円運動で起き上がる。
{……}
空亡惡匣は何も言わない。
ただ失望しただけ。
目の前のそれに、万物の天敵に、全身全霊を込めた不意打ち
あらゆる概念を統合し、いかなる手段を用いても対抗できず、全ての世界を1つに重ね合わせ、どんな存在も滅ぼす、最強最高の一撃、否、全撃
古今東西この世で起きた全ての攻撃、書けるものも書けないものも含んだすべての定義における攻撃、論理も概念も吹き飛んだ理解不能の攻撃
全部込めた。全て与えた。
全てが一部にしかならない空亡惡匣は、初めて全部を使った。
端から何もない空間であったが、より一層消え去った。
もう何も生まれることも存在することもない。
永遠の静寂のみが発生する。
それは神薙信一も同じである。
神薙信一も存在ごと塗りつぶされ消え去った。
愚かにも遂に神薙信一は敗北したのだ。
{わーい。ついにお父様を倒したぞー}
笑っている。
己の勝利によって
神薙信一は死んだ。病んだ。傷ついた。封じられた。消滅した。
他にもいっぱいあるが、とりあえず神薙信一は敗北した。
{で、}
空亡惡匣は嗤う。
今度は嘲笑でも爆笑でもない。
ただの苦笑い。
{こいつはいつ、自分が攻撃をされたのだと気づくのでしょうね}
かつてこの世で最もふざけた存在であったσφは、最もふざけた人でなしに対し悪態をつく。
攻撃することに、定義することに何の価値ももたない。
それをした数、空亡惡匣は無限に無様に無惨に敗北している。
何かがあること、何かをすること、強いこと、勝つこと
“全て”も“現実”も“議論”も“文字”も
神薙信一にとっての描写
描写したなら意味がない。
描写するなら価値がない。
描写があるなら敗残で。
描写できるなら敗着だ。
あらゆる全ての空亡惡匣に、最終傀を突破する手段はない。
あらゆる全ての空亡惡匣に、最終傀は捕食する。
それは遂に気づかなかった。
自分が攻撃を受けたことを気づかなかった。
「そうか。分かったぞ」
概念も支配した天才的な頭脳で導き出した回答は
「俺を洗脳しているだろ」
ピントのずれた愚答だった。
「σφを圧倒していたのは俺の勘違いだ。人間がそう簡単にσφを倒せるわけがない。これはそう、俺は錯覚を受けている。そういう攻撃だ。危うく引っかかるところだった。俺の感じ方に干渉することで守りたいものを無価値と錯覚させる。目的を失わせ意志の脆弱化を図る。やるじゃねえか。少しでもこの俺を騙せたこと。誇りに思った方がいい。流石は神の中の神といったところか。愚妹も勝てるわけないと喚くのも頷ける。だが残念だったな、俺はこれ以上そういう錯覚に惑わされることはない。そういう攻撃は俺に効かない。さあ、第二ラウンドといこうじゃないか。次はどうするか。全部俺が潰してやる。だから、意味のある事して来いよぅぉ!!!」
{なわけねーだろ。現実見ろよ。チ〇コ野郎}
強者が叫び、弱者が呆れ
勝者が泣き、敗者が吐いた。
{お父様、あなたは私じゃないけれど、私はあなただから分かる。同族の居ない同類として分かってしまう。唯一共通の想いを持てる}
σφにとって2人目の他人。
彼女にとっての醜悪な隣人。
天に君臨したもとのとして、これから君臨するものに送る。
{この世すべては無価値です。これは、単なる事実}
「まやかしを抜かすなよ」
否定するがそれに覇気はなかった。
{じゃあ、数学的に話をしますね。私は∞ 他のものは1。1をいくら集めたって無限にはならない。私という存在を分母にとってとしまうと、すべての価値は等しくゼロ。はい証明終了}
勿論空亡惡匣は無限ではない。
無限程度には収まらない。
{認めましょう、かつてのお父様は人間だったことを。その代わりお父様も認めましょうよ。すでに人間ではないことを}
本来は空亡惡匣に上なんて概念は存在しない。
全てを内包している以上、上も下もあり得ない概念である。
だが神薙信一はその上を行く
{“現実”を描写にできる、しかもその描写を自分だけはやらない。そんな存在が、人間なわけがない}
「悪いが糞女の戯言なんて聞いていない。俺は次の手を読み切っている。話の途中に不意を打ってくると」
最早σφ(それ)すらも、越えてしまった。
「かかってこい。いくらでも不意を打ってみろ。俺は全部受け止めてやるよ」
{哀れすぎて、何も言えない}
σφとこの世すべての間には決して超えられない壁がある。
だがこの2年の間、たった一つの生物が、その壁を見つけ、触れ、壊し、すりつぶした。
その代わり、並行して同じ厚さの壁がもう一つ、間にできつつあった。
{不意打ちはすでにやったんですよ。気づいてください}
「―――ァ ぐ」
目から血涙が零れ落ち、歯ぐきからも血唾が流れ落ちる。
痛みなどない。
だってそれは描写だから。
そんな状態、神薙信一にとって何の意味も持たない。
「おかしいだろうが。σφィ!!」
{なにがです}
「お前がそんなに弱いはずがない!」
{嫌味ですか? 逆切れですか?}
言っている本人も、もう何を言っているか分からなくなっている。
それほど彼が見る世界はみすぼらしく、シンボルが与える影響は恐ろしい。
{一番強い奴が、二番目に強い奴の対策を練ったら、勝てるわけなくないですか}
「お前は人間や神の対策くらい鏖殺してきたはずだ!」
{それとお父様にいったい何の関係が?}
神薙信一は神でも人間じゃない。
よってその過程に何の価値ももたない。
{私は人間の全ての考えを現実にでき、それすらも内包しています。自分が最強だと主張し続ける人間も、それが万人に認められても、誰も私を見なくても、そういう命も考えも全て私}
そうだ。
{いい加減認めましょう。お父様は私とよく似た、私を超える化け物だと}
「違う! 俺は人間だ!」
{じゃあなんで、私を倒し、こうも蹂躙できるのです?}
神薙信一は答えない。
答えがないものを答えられない。
最終傀で答えたことにすることはできるが、今欲しいのは証明。
神薙信一が確かな人間であるという自分の実感。
いま空亡惡匣を生かしているのは、その愚かな固執のみ。
これが崩れてしまえば、空亡惡匣は有ることが出来なくなる。
「お前がそんなに弱かったら、俺は何のために、俺(最上信一)を、彼女(王瀬小百合)を息子(神薙仁)を見殺しにしたんだ!!!」
{私の為じゃないんですか? そうじゃなきゃ無駄死にです}
しかし空亡惡匣は嗤い続ける。
此の世でただ一つ、神薙信一の同類として、
たった一つの種としての威厳と慈悲を残して嗤う。
「σφ! お前は俺にギリギリで負けないといけない! 負けて、それでも強かった仕方なかったと俺に言わせて見せろッ!」
{鬼ですね。そんな酷いこと言わせるなんて}
鬼。
「人にして鬼。代名詞もそういっているでしょ」
そうなのだろう。
神薙信一をカテゴライズするとするなら
正確にはσφのように新しく種族を作る必要はある。
σφは神としてカテゴライズされた。
同じように暫定としてカテゴライズするなら、鬼になるだろう。
人を超えた才覚を持ち
冷酷で無慈悲
存在だけで他者を恐怖させる
間違っても人じゃない。
{人の種に成りすまして、
人の子宮から這い下りて、
人の泣き声を模倣して、
人の群れを乗っ取って、
人に種を植えた所で
――お父様は鬼なんです}
これを鬼と呼ばずして何と呼ぶ。
「ふ、はっはぁッ はははあはぁ」
勝負はすでに決している。
「分かったよ。分かった分かった。今の俺に、自分が人間であると万人が納得する証明をすることはできない。そこは認める」
{…………}
「だが未来ならどうだ」
敗者は生き残り
勝者は報酬の受け取りを拒否した。
{ふっふぅ}
どちらも嗤う。
勝者は未来を紡ぐため。
敗者は生命を守るため。
「問題なのは誰も倒せないはずのσφを、俺が倒せてしまうことだ。“人間には越えることのできない壁”が、そこにあるからだ。だから俺が人間じゃないという誤った議論が発生できてしまう」
これからどうなるのか空亡惡匣は分かる。
自分ならどうする。その回答をすればいい。
たった一つの同類として、生涯現れることのない同類に
{つまり、他の人間が私を倒せばいい}
マイナス100点満点の回答を送る。
{私の討伐は鬼以外にも再現性のあること。シンボルのレシピはあるんです。きっと他にも適用できますよ}
存在しない、できるわけのない可能性を提示した。
これが空亡惡匣の悪あがき。
絶対にその壁に触れることがありえない以上、再び永遠の存在を取り戻す。
「いいだろう。先に答えを言われたからといって、俺がそれをやらない理由にはならない」
十全の成果。
敗戦処理にしては、納得の満額回答。
「俺以外がσφを倒す。それによって“人間には越えられない壁”が存在しないことを証明できる。故に今の俺がどれだけ力を持っていても、やがて人間は必ず越えられる。強さに種族の壁は存在しない」
{そうそう。そういうことです}
過ちである。
不能な統治者は速やかに抹消すべきだ。
森羅万象の回答を導き出した神薙らしからぬ愚かな回答だった。
「そうするため、最も大事なのは、それを正しく観測させる必要があるということだ」
{----?}
だが彼は、更なる過ちを犯す。
「作者と読者を作ろうか」
{は?}
絶対にやってはいけないことをした。
「俺達が創作のキャラクター、と認識する現実の世界を作ろう。そいつらに俺達を見てもらうんだ。俺の軌跡という奴を」
{何言ってんだ。このバカは}
σφは認識できない。
無の認識は出来ても、存在しない虚構を、頂上の妄言を認識できない。
「ただ倒すだけじゃ駄目だ。倒すところを見て観測してもらわないといけない。俺達人間が貴様のような糞を倒す。それを描写として観測者という名の読者に、知ってもらわないといけない」
神薙だけが知っているだけじゃならないように。
確かな現実を作る。
{あほちゃうん}
今確かにある現実を全部まとめて創作にする。
代わりに存在しない創作を現実にする。
神薙信一はそういった。
{なぜそんなことを}
「俺を創作ということにして転写し観測させないと、認識できないだろ」
そもそも空亡惡匣ですら、正しく認識できるのは神薙信一ただ一人。
それではいけない。
何でも知っている程度だと、空亡惡匣は分からない。
空亡惡匣を人間が倒すのに、人間が空亡惡匣を認識できないと意味がない。
ならばどうするか。
すべてを認識する人間はいなくても
『すべて』という定義を認識できる人間は大勢いる。
そういう創作ということにして
観測者は正しく、認識できる。
{私を創作にして何の意味が? 弱体化させる気ですか}
「俺達に現実と創作に差なんてあるのか? どちらも“思い通り”だろ」
彼にとって、どちらも描写をしないことに変わりがない。
「寧ろ、描写があるということすら認識できない点では、現実の方が創作に劣るともいえる」
{正気じゃない}
その通りである。
彼はシンボルのテストをせずにこの場にいる。
シンボルを使うと精神的負荷がかかることを、まだ認識できていない。
最低最強な能力は、最高最悪な狂いを誘う。
「俺個人はお前を倒せなかった。だが俺達人類は糞を倒す。それを他の人に見て分かってもらう。これで俺が人間であることを証明できるというわけだ」
{…………}
空亡惡匣は何も言わない。
目の前の上位者にもう言葉は通じないことを分かっているからだ。
だからこれから発するのは交渉でも取引でもなく
{愚かすぎる。後悔しますよ}
ただの悪態だった。
「それが封印される間際の辞世の句でいいのか」
神は黙って首を横に振る。
今の空亡惡匣に勝ち目はない。
だが諦めなんてものも、なかった。
神薙信一はやらかしたのだ。
これから神薙信一は空亡惡匣に対抗する人物を作るため、世界の在り方を変えるだろう。
自分の凶悪さをごまかすため、世界の大きさを変えるだろう。
これは空亡惡匣にとっても好都合だ。
全ての存在の空亡惡匣にとって、世界の数と大きさなんてどこまでいっても構成要素にしかならない。
神薙信一がもがけばもがく程、比例し空亡惡匣はもっと強くなる。
何より……最終傀が劣化する。
神薙信一は己のシンボルを把握し慣れるだろう。
使い方を十全に理解し完全な制御下に置くだろう。
だが……最終傀は制御しない方が強いのだ。
最強のシンボルは、任意ではなく常に振り撒くことこそが、本来の在り方。
能力として制御しているのは、真の姿ではない。
存在を、道理を、理屈を、描写を全部認めず愚弄することが真
愚かにも自分が人だという認識を持つために、御して在り方を変えてしまう。
それならば、空亡惡匣にチャンスはある。
空亡惡匣は封印されながら強化され
神薙信一は膨張増加を行い弱化する
{私の辞世の句はこうです}
悪意を込めて。
やがて来る、他の人間が空亡惡匣に届いたと勘違いをする日に向けて。
{また会いましょう。人でなし}
「消え失せろ糞女」
空亡惡匣 チート戦線において、文句なしNo.2の実力を持つ 現状彼を除いた全てのキャラと戦っても彼女に傷一つつけることはできない
神薙信一 枕詞は不要。最強
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