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国家療法士

翌朝、先生はリオが疲れているからと部屋に朝食を運んでくれた。正直、有難かった。実は本当に疲れていたのでまだベッドの中でゴロゴロしている。


先生は当たり前のようにこの部屋で寝泊まりしている。ずっと一緒で気がつくとイチャイチャしているので慣れないというか・・嬉しいんだけど・・・照れる。


先生が機嫌良さそうにテーブルセッティングをしている、らしい。侍女も追い払ったのだろう。カチャカチャいうカトラリーの音に混じって鼻歌が聞こえる。先生の鼻歌なんて初めて聴いた。下手なところも可愛い。


準備が整ったらしく先生が寝室に迎えにくる。再び抱きかかえて連れて行こうとするのでリオは抵抗した。


「自分で歩けるから大丈夫ですっ!」

「夕べも無理させたし・・・心配で・・」


先生がしょんぼり言うとリオの顔がカーっと熱くなった。いや、だから慣れないのだ。こんなに甘い男性が存在するとは知らなかった。甘やかされ慣れていないので、恥ずかしくてどうしていいか分からない。


大丈夫と言い張ってノシノシ自力で歩いてテーブルに近づく。先生は何となくハラハラしながらリオの後をついてくる。そして、リオが触る前に椅子を素早く引いて座らせてくれる。テーブルナプキンを広げてリオの膝の上に置いた後、流れるような動作で椅子とテーブルの位置を調整した。


朝食の後、お茶を飲みながら夕べの話の続きをした。一番気になるのは診療所の話だが、他にも聞きたいことが山ほどある。


「夕べは勝手に名前をリオにしようと言ってしまったが、それで良かったかい?」

「はい、私もその方がしっくりくるので、有難かったです」


「そうか」と言って先生はホッとしたように笑う。やっぱり先生の笑顔は素敵だ。


「先生も名前が変わるんですよね?死んだことにするって大丈夫なんですか?ご家族とか・・・妹さんとか・・・?」


「私は元々家族とは疎遠でね。全く問題ないよ。特に会いたいとも思わない。向こうも同じだろう。君は前世でご家族と仲が良かっただろうから、そんな家族関係は考えられないかもしれないが・・」


「い、いえ・・。お気持ちは分かります。私は家族だから愛情があって当然だとは思いません。血がつながっているから自動的に愛情が生まれるとは思えないんです。家族でも愛情を育むには双方の努力が必要ですよね。色々な家族の形があるし、私も前世では家族と疎遠でしたよ」


先生は心底驚いた顔をしている。そんなに意外だったのかな?


「君のような素晴らしい女性が家族にいて、愛さずにいるというのは不可能だと思うんだが・・君のように愛らしくて、聡明で、謙虚で、面白くて、努力家で・・・ふご」


恥ずかしくて先生の口を途中で塞いだ。先生の目にはどんな人間に映っているんだろう?


「私の両親は赤ん坊の頃に事故で亡くなりました。それで私は叔父夫婦に引き取られたんです。高校と大学には奨学金をもらって行きましたが、生活の心配をする必要がなかったのは叔父と叔母のおかげでとても感謝しています」


(後で両親の保険金は叔父夫婦が使ったと判明したけどな!)


「でも、愛情があったかというと・・・そうではなかったかも。叔父夫婦も義理で引き取ってくれたようですから、仕方ないのですが・・。私も甘えられる性格ではなくて距離は縮まりませんでした。私が前世で事故死する前も十年近く会ってなかったと思います」


先生は立ち上がるとリオを抱き上げてソファに座りなおした。先生の膝の上が定位置だ。慣れてしまった自分が怖い。そうして先生はリオをギュゥゥゥゥっと抱きしめる。


「君はやはり苦労してきたんだな」


先生の金色の瞳がリオの目の奥を覗き込む。


「いえ、苦労はそんなになかったと思います。先生に比べたら・・」

「私?いや、私はそんな苦労はなかったがな・・?」


苦労人の先生は首をひねって不思議そうにしている。


「リュシアン様やセリーヌ様から先生がご苦労された話を聞きましたよ。でも、今はこうして先生と一緒にいられて、とても幸せです。私は幸せになる資格がないと感じていたんですが、ようやく幸せになっていいんだ、って思えるようになりました。先生のおかげです」


先生の背中に手を回して、その肩に顔を埋める。ついでに首にキスなんかしてしまう。


先生はリオの頭の後ろに大きな手をまわして激しく口づけをした。息が荒くなる。まずい、このままだと話ができなくなる。


「せ、先生、あの・・新しい名前はもう決まっているんですか?」


先生は残念そうにリオの頭から手を離した。


「レオンハルト・シュミットという名前になる」

「素敵な名前ですね。シュヴァルツ大公国っぽい名前でしょうか?」


レオンハルト。獅子の心。レオ(lewo)が「獅子」、ハルト(harti)が「勇敢な心」という意味だ。前世の英語だとライオンハート。素敵な名前だ。そういえば、この世界ではミドルネームはないのだろうか?


「そうだな。シュヴァルツ大公国は私のような黒髪が多い。それにエヴァンズ伯爵家の家系的にはスミス共和国に近いから、スミスよりもシュヴァルツ出身にしておいた方が安全だろうという計算もあってね」

「そうなんですね。私の好きな名前です」


先生は最高の笑顔を見せてくれた。嬉しそうにリオの頭をぐりぐり撫でる。髪はまだヒヨコ状態だ。


「良かった。君が気に入ってくれたなら良い名前だな。実はアレクサンダーと言う名前は好きじゃなくてね。父が強い王になるようにとつけたらしいから・・・」

「そうだったんですね・・」

「だから、君にもあまり名前を呼んで欲しくなかったんだ。でも、レオンハルトになったら名前で呼んでくれるかい?レオンって呼んでもらえたら嬉しい」

「れ、レオン様・・・?」


レオンはギュッと抱きしめながら、顔の至るところに優しく口づけを降らせる。最後に頭に口づけするとリオの目を見つめて「愛してる」と囁いた。


アマ―――――――――――イ!!!(古)


ダメだ、ここで流されたらまた話ができなくなる。診療所のこととか色々聞きたいことがあるのに。


「わ、私もです。そ、それで先生は『レオンハルト・シュミット』さんとして診療所を開くんですね?」

「こら、もう『先生』は厳禁だよ」


優しく頭にコツンを頂きました――――!


「す、すみません・・。でもあの診療所の話を・・・」


「ああ、そうだね。レオンハルト・シュミットの身分はシュヴァルツ大公国のカール・シュナイダー伯爵が保証してくれるんだ。親戚ということにしてくれるらしい。シュナイダー伯爵は八分の一セイレーンの血が入っていてね。トリスタンとリュシアンの異母姉と結婚しているんだ。セリーヌとも同盟関係にあるから協力してくれる」


シュナイダー伯爵。どこかで聞いた名前だ。それにしても貴族社会というのは国を超えて血縁関係で繋がっているらしい。トリスタンとリュシアンの異母姉ということは、つまりフォンテーヌ王国の王女だったということだ。それからセリーヌとの関係も気になる。


「ど、同盟関係・・?」

「まあ、セリーヌにも過去は色々あってね」


レオンとセリーヌはお互いに深く理解し合っている気がする。でも、話が逸れるといけないので口には出さない。ちょっとモヤモヤはするけれど。


「私はシュナイダー伯爵の遠縁で医学に興味があって、フォンテーヌ王国に留学中。そこで医師と治癒士の資格を取り、シモン公爵に依頼されて、シモン公爵が開く新しい診療所の所長になる」


ふんふんとリオは頷いた。話が核心に入ってくる。


「実はフォンテーヌ王国では今度新しい医療資格を作る。『国家療法士』と呼ばれる資格だ」


おお、面白くなってきた!


「『国家療法士』の資格は高い医学の知識と治癒魔法の能力を持っていないとなれない。治癒魔法と医学の厳しい試験がある。国家が認めた権威ある資格だ。その特権の一つが興味深い。二人の国家療法士が認めれば、誰にでも医師もしくは治癒士の資格を与えることができるんだ」


面白そうな資格だ!


リオが思いっきり食いついているのにレオンは気がついている。苦笑しながらリオの頭を柔らかく撫でた。


「例えば、私と君が国家療法士になったとする。シモン公爵領で無料の診療所を作り、診療しながら後継者を育てることができるんだ。医師や治癒士を育成して、私たちの判断で資格を与えることができる。後継者がいれば、私たちが他の場所に移っても問題ないだろう」


「場所を移るんですか?」


「私たちは年をとらないからね。何十年も同じ場所にいたら、目立ちすぎるだろう。できたら君がセイレーンであることは隠しておきたい。だから、申し訳ないが髪と目の色を変えなくちゃいけなくなる。セイレーンの髪と目の色は一般には知られていないはずだが、やはり目立つ。念のためにね」


なるほど。了解です。髪にも目にもこだわりはない。


「だから、診療所で後継を育てて、何十年か後に診療所を託す。その後、各地を転々としながら診療所を開いて後継を育てれば、いずれは国民の誰もが医療の恩恵を受けられるようになるだろう。それがあの冷徹宰相の狙いだ。全く・・人を利用するだけ利用して・・・」


とぶつぶつ言いながらもレオンは嬉しそうだ。


(私もその考え方には賛成。多くの人がきちんと治療を受けられるようになることは大切だわ)


リュシアンがレオンとリオの判断を信頼しているのも感じる。人材を育成して、相応しい人にしか医療資格を与えないって信じてくれているんだと思う。


「ただ・・私が国家療法士試験に合格すれば、の話ですよね?」


少し不安を覚えながら言う。


(せ・・レオン様は合格間違いないだろうけどさ)


「大丈夫。君の治癒魔法は大したものだ。治癒魔法は実技試験だからね。逃げる時に自分の手首を切って腕輪を外したって聞いたよ。リオが自分で治癒魔法をかけたんだろう?素晴らしい能力だ。初めてでこれほど見事に成功するとは。でも、これからはあまり無茶をしないでほしい」


リオの手首を確認しながらレオンが言う。


「医学の筆記試験は私が作る。君から教えてもらったことを基に作るから、君が落ちるなんてありえない」


(え!?そうなの?いいの?)


リオの驚いた顔を見てレオンが苦笑いする。


「リュシアンとトリスタンが決めたことだ。まあ、私は自分で作った試験を自分で受けるという道化になるわけだが」


(そ、そうか・・・。じゃあいいのかな・・・)


「国家療法士の資格を取った後、シモン公爵領の診療所に夫婦として住むことになるだろう」

「は、はい・・・」


(夫婦!?まぁ、今だって王宮内で実質同棲しているようなもんなんだけど・・・。結婚かあ・・複雑だ)


リオは少し躊躇しているがレオンは気がつかない。


「それで診療所の設計は私たちに任せると言われている」

「設計?!」


(診療所の設計なんて、楽しそう!)


リオの頭から結婚の話題は吹っ飛んでしまった。


「リュシアンも私たちを利用して多少は申し訳ないという気持ちがあるのだろう。あと、せっかくリオが娘になったんだから甘やかしたいようだ。診療所は古い貴族の屋敷を改築する予定なんだ。内装はいくらでも変えられる。部屋数を増やすこともできるから、どんな診療所と新居にしたいか君が好きに考えていいよ」


(ワオ!自分達の診療所を好きに作っていいとな!?何て剛毅な。さすが公爵家!ワクワクしてきた!)


「二階部分を私室にして、私たちの新居に使おうと思っているんだが、どうだろう?」

「いいですね。楽しみです!」


レオンも嬉しそうだ。


「ただ、リュシアンからは条件として、公爵邸から直接転移できる部屋を作るように言われている」

「・・・あの王宮の転移の間のようにですか?」


レオンはため息をつきながら頷いた。


「私たちが家事の心配をせずに診療に集中できるように、侍女や料理人を公爵邸から直接送ってくれるそうだ。もちろん、信頼できる者にしか転移の許可を与えないがね」


「えええ!?そんな無茶な・・・」


「現実的に使用人は必要なんだ。私が一人だった頃は問題なかったが、リオに不自由な思いはさせたくない。私とリオはずっと診療で忙しくなるだろうからね。リュシアンは外部の人間を警戒している。警備上の理由もあるから外の人間を雇うよりは公爵邸の信用できる使用人を使ってほしいということだ」


なるほど。リュシアンはああ見えて心配性だ。確かに公爵邸のプロフェッショナルな方たちが来てくれたら、とても有難い。


「セリーヌは間違いなく診療所に入り浸ると思う。だから警備を最大限に強化したいんだろう」

「セリーヌ様が!?それは嬉しいです!わぁっ、楽しみ!うふふっ」


先生は何かを諦めたように肩を落とす。


「・・・それで、アニーという侍女が派遣を希望しているらしい」


(アニーが!やった!また嬉しいニュースだ。この世界で初めての女友達!ウキウキだ)


「嬉しいです。アニーなら住み込みだっていいのに」


「いや、それは私が断った。それほど大きな新居ではないし、私はできるだけ二人きりの時間を大切にしたい。君はそう思ってはくれないのかい?」


レオンは切なげにリオの頬に手を当てる。金色の瞳が少し悲しげに煌めいた。


「わ、私ももちろんそう思ってますよ!」


「本当かい?たまに私はまだ片思いしているような気持ちになるよ」


「か、か、片思いって・・・私が先生を好きで先生を口説き落としたのを忘れたんですか?」


レオンは優しく微笑んでリオの頭を撫でる。そして「名前!」と言いつつリオの鼻を指でつまんだ。


「あ、レオン様ですね・・・気をつけます・・・」


レオンは気を取り直して話を続ける。


「あとシモン公爵領の騎士を一人専属の護衛として派遣してくれるらしい。それから影が二人専属でつく」


影とはスパイとか隠密ね!どんな生活してるのかしら?何となくだけど、健康的な生活は送れない気がする。守ってくれる人たちが不健康な生活をしているのは嫌だなぁ。


「その方たちとお会いすることはできませんか?」


レオンがびっくりしたようにリオを見る。目がぱちくりしている。可愛い。


「騎士はともかく影は・・・。彼らは素の姿を決して見せない。一応リュシアンに聞いてみるが難しいかもしれない」


「分かりました。無理だったらいいです」


リュシアンならブラックなことはしないだろう、と願う。従業員のヘルスマネジメント、大事。


「それから私たちのことなんだが・・・」


レオンは少し照れくさそうに口ごもる。


「いつ結婚式を挙げようか?」


リオは一瞬にして固まってしまった。

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