マザコン
翌日昼近くになってリュシアンとセリーヌが部屋に迎えにきた時、先生とフィオナはちょうど身支度を整えたところだった。
扉を開けて先生を見た瞬間のリュシアンの顔は一生忘れないだろう。目をまん丸に見開いて震える指で先生を指さす。口はポカンと開いている。
「・・・・・お、お、おお前、まさか少女に手を出すとは・・・・」
「何とでも言え。私は一生彼女の奴隷だ」
平然と答える先生。何か吹っ切れたのかな?キャラ変?
セリーヌは落ち着いている。
「フィオナ、体は大丈夫?無理してない?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「良く頑張ったわね。あの頑固者が陥落するなんてさすがフィオナだわ」
フィオナは嬉しくて微笑んだ。不思議と誇らしい気持ちになったのは、生まれて初めて勇気を出して欲しいものに手を伸ばして、それを手に入れることができたからだろう。
セリーヌは黙ってフィオナをギュッと抱きしめた。フィオナもおずおずとセリーヌの背中に手を伸ばす。
先生は複雑そうな表情で、固く抱き合うフィオナたちを見つめている。二人に声をかけようとするとリュシアンが先生の肩に手を置いて、首を振りながら「気持ちは分かる。でも諦めろ」と呟いた。
その後四人で遅めの朝食をとり、先生とリュシアンは国王トリスタンとの話し合いに出かけて行った。フィオナとセリーヌは部屋に残る。二人で食後のお茶を飲んでいる時に、セリーヌが真剣な顔で切り出した。
「あのね、アンドレと話をしてくれる?」
「はい。もちろんです。アンドレ様とお話をしないと、と思っていました」
誠実に告白してくれた人にきちんと説明したい。
「じゃあ、ここに呼んでもらうわね。私は退散するから」
そういってセリーヌはアンドレに使いを出し、彼が来ると入れ違いで出ていった。
アンドレはとても疲れているように見える。フィオナはアンドレの正面に座って息を整えた。
「フィオナ、話があるって聞いたけど・・。僕にとってはあまり嬉しくない話かな?」
心臓がドキンとしたが真っ直ぐに彼を見つめて深く頭を下げた。
「私は男性として先生を愛しています。その気持ちはどうあっても変わりません。ですから、アンドレ様のお気持ちに応えることはできないんです」
アンドレは何も言わずに頭を掻いた。無表情なのでどう思っているのか分からない。
「アンドレ様のお気持ちは本当に、本当に嬉しかったです。アンドレ様はとても素敵な方で大好きです。でも、その気持ちは兄を慕う妹のようなものなのです」
アンドレがはぁ~っとため息をついた。手で顔を覆って俯いている。フィオナはこれ以上何を言ったらいいか分からなくて、オロオロするしかなかった。
「すごく年の差があるよね?単に師匠に対する憧れというか、そういう気持ちじゃないの?」
「はい。先生にもそう言われて何回か振られました」
「振られた・・?」
「幼女趣味はないとか、もう会わないとか、迷惑だとか、こんな年寄りだからもう女性には興味ないとか、枯れてしまったからとか色々言われました」
「・・・え・・・?」
「もう男として役に立たないと思うとまで言われました」
アンドレが愕然とした表情でフィオナを見る。
「それじゃあ、あくまで君の片思いじゃ・・・?」
「いえ、そんな先生を脅迫して襲いました。今では恋人同士です」
アンドレは何とも言えない顔をしている。
「は、母上が何か言ったの・・・?」
フィオナは真剣な表情で頷き、『頑固者が落ちなかった時の究極の殺し文句』を教えてもらったと伝えた。ついでにその殺し文句も。
アンドレは両手で顔を覆うと長い間俯いていた。心配になって声をかけようとすると、彼の肩が震えていることに気がつく。
(アンドレ様、まさか泣いていらっしゃるの?)
そう思った瞬間だった。
「・・・・ふ・・ふふ・・・ふあっ、はっ、ははっ、はははははは!」
アンドレは腹を抱えて笑っていた・・・。目に涙まで浮かべている。何がツボにはまったのだろう?笑いが止まらないようなので、しばらく放置することにした。
アンドレはまだヒクヒクしていたがようやく落ち着いたようだ。
「ご、ごめんね。母上と君は本当にそっくりだな、と思って・・」
「問題ありません。楽しんで頂けたなら良かったです。でも私とセリーヌ様が似ているなんて恐れ多いです。あの方は唯一無二の存在ですから」
「まあまあ、君らは本当にそっくりだよ。ところで僕は昔、見合いをした令嬢に『マザコン』と罵られたことがあるんだ」
アンドレは何故か嬉しそうに語る。
「僕は否定できなかったよ。心の奥で僕は母みたいな人をずっと求めていたのかもしれない。君のことを大好きでずっと一緒にいたいと思ったのは本当だけど、もしかしたら母のような存在を求めていたのかもしれないな」
「もし、そうだったら申し訳ない」とアンドレが頭を下げる。
(謝るのは私の方なのに・・・)
アンドレはフィオナが気に病まないように、わざとそう言ってくれているのかもしれない・・・けど、それでも乗っかるのが礼儀だ。
「セリーヌ様は私が今までお会いした女性の中で一番憧れる素晴らしい方ですから当然です。マザコン上等ですよ。アンドレ様の不幸はあんな素敵な女性がずっと身近にいらしたことですね。他の女性に目が向くはずありません」
アンドレは頷くと笑顔で立ち上がった。
「どうか幸せに。これからも兄として良き友人として君を支えたい」
「妹、友人と思って下さるのであれば、喜んで。とても嬉しいです」
二人で握手をすると顔を見合わせて微笑んだ。アンドレの瞳の奥は少し哀しそうだったけど、暗くはなかった。
アンドレを見送った後、フィオナは疲れてソファに倒れ込んだ。少し休もうと思っただけなのに、うたた寝してしまったらしい。
(・・・誰かが私を運んでくれている。温かいな)
ベッドにそっと置かれた感触で目を開けると先生がフィオナの顔を覗き込んでいた。先生は優しく微笑みながらフィオナの頬を撫でて額に口づけする。
「今日アンドレに会ったと聞いた」
「うん、先生とのことを話しました。お兄さんを慕うような気持ちしかないって・・ちゃんとお断りしました」
「勿体ないな。あんないい男は滅多にいないぞ」
先生は複雑そうな顔をする。右手で首の後ろを擦りながら、ベッドの傍に椅子を持ってきて腰かけた。
「うん。とても素敵な人です。でも、私は先生じゃないとダメだから・・・」
先生は照れくさそうに両手で顔を覆う。
「リオは私を喜ばすのが上手いな」
先生は手を伸ばしてフィオナをベッドから持ち上げると、自分の膝の上に乗せた。そのままギュッと抱きしめて彼女の肩に顔を埋める。首筋に息がかかってくすぐったい。
「正直、少し不安だった・・・今でもこれが夢で、いつか夢が覚めるんじゃないかと心配なんだ」
「私は先生だけですよ」
先生は黙ってフィオナの頬を両手で包むと、甘く口づけした。




