表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第6章 機械仕掛けの記憶と罪
96/129

風の目

 白――

 ただ、それだけだった。


 世界は光に満たされ、音も、匂いも、重力さえも存在しない。

 浮いているのか、落ちているのかも分からないまま、蓮はただ、意識だけを抱いて彷徨っていた。


「……っぐ……!」


 不意に、何か硬いものに叩きつけられる感覚とともに、地面の感触が足元に戻った。


 目を開けると、そこには不思議な空間が広がっていた。

 青く淡い霧が一面を漂い、空も大地も区別のつかない“虚無”のような世界。空間はゆらゆらと歪み、音のない風だけが、耳の奥でひそやかに囁いている。


「ここが……風の目の、内部……?」


 自分の声すら、ほんの少し遅れて響いた。音が歪んでいる。

 まるでこの世界が、“現実”と“記憶”のはざまのような存在であることを告げているようだった。


 そのときだった。


「対象の敵意、継続中。加えて、干渉者の接近を確認」


 かすかに届いた、聞き覚えのある声。


「黙れ……黙れ!貴様に、言葉をかける資格など……ッ!」


 怒りと苦悶の混じった叫びが、霧の向こうから響く。

 蓮の鼓動が跳ね上がる。


「ミネル!……ローレ!」


 迷う間もなく、声のする方へと駆け出す。靴が霧を払うたび、地面はうっすらと形を変え、まるで彼の意志に応じて道を創っているかのようだった。


 そして――


 開けた空間に出た瞬間、蓮はその光景に息を呑んだ。


 正面には、漆黒の翼を風をまとった異形の存在ーーローレがいた。

 その身から発せられる魔力は嵐のようで、髪も衣も風に逆巻き、瞳には尋常ならざる紅い光が宿っている。

 その姿は、まさに「悪魔」と形容するにふさわしい。


 その風を避けながら、必死に立ち向かっているのが――ミネルだった。


 ミネルは剣を構えているが、その動きには僅かなタイムラグがあった。

 まるで「最適解が出ない演算」を繰り返しているように――。


 ミネルの瞳が、ローレの顔を正確に捉えながらつぶやく。


「記憶に存在しない人物を検知中」


 その言葉に、ローレの肩がびくりと震えた。


「その顔で……その声で、何も知らぬなどと……!」


 怒りの風が渦を巻き、刃となってミネルへ向かっていく。ミネルは紙一重でそれを避けながらも、よろめく。


「ミネル、大丈夫か!? こいつは……ローレ、だよな?」


 蓮は思わず一歩退く。

 その男の背後で、風に押されながらも応戦している紺色の髪の女性――ミネルが、機械のような口調でつぶやく。


「推測される対象名:ローレ。ホクトの情報によると五大悪魔の一人だ。確認取れていないが、条件一致率87%。命中率の乱れが大きい。制御不能な暴走と判断する」


 その時、ローレが振り返る。

 目が合った。


「……お前は……誰だ?人間……?いや、その竜の翼ーー」


 声は低く、かすれ、怒りで震えていた。


「蓮だ。俺は、スミレを……彼女を取り戻しに来た。カリュアと話すためにも、お前には――」


「カリュア……っ! 人間ごときがその名を口にするなッ!」


 ローレが咆哮する。

 暴風が炸裂し、蓮は横っ飛びでかわす。ミネルもすかさず宙を舞って着地する。


「会話不可能。敵意レベル、臨界超過。暴走因子確認。理性残存率――15%未満!」


「そんな数値言われても……っ!」


「彼に止まる意志はない。撤退もしくは処理が望ましい」


「処理って……! 俺はローレを“殺す”わけにはいかない!」


 ローレの翼が大きく広がった。


「何をゴタゴタ言っているのか分からないが、俺の邪魔をするな!」


 羽ばたきとともに、黒き風が蓮を襲う。

 ミネルがそれを割って入り、剣で風を弾いたが、勢いは止まらない。


 蓮は心の中で、強く自分に言い聞かせた。


 ――殺すな。

 ――生きたまま、連れていけ。

 ――スミレを救うために。


「くそっ……止まれよ、ローレ!」


 風の中で、蓮の叫びはかき消された。

 ローレの瞳が紅く燃え上がる。

 言葉を交わす余地は、もはやどこにもなかった。


「――消えろ、人間!」


 刹那、ローレの黒い翼が大きく羽ばたいた。

 その一振りが、空間ごと裂くような斬撃となって蓮を襲う。


「うわっ!」


 紙一重でかわしつつ、蓮は剣を抜いて反撃に転じた。

 振るった刃が、ローレの右腕をかすめ、羽根がひとつ、黒い火花とともに砕け散る。


 だが、ローレは止まらない。


「その程度か……っ!」


 反撃。空中からの急降下。

 爪が蓮の肩を裂き、風の刃が地面を抉る。


「……くっ、何なんだこの力……!」


 蓮の視界が揺れる。

 ローレの力は、これまでのサタンたちとは違う。単なる破壊ではない。

「怒り」だけで世界をねじ曲げるような、純粋な感情の暴走――。


 その時。


「左側、死角。援護する」


 ミネルが滑るようにローレの背後を取り、振るった剣がローレの翼に命中する。


 しかし――


「無駄だッ!」


 振り向きざまに、ローレの黒翼が爆ぜ、ミネルの体が吹き飛ばされる。

 岩のような地面に打ち付けられ、煙が舞った。


「ミネルッ!」


 ――殺すな。

 ――でも、止めなきゃ……!


 蓮の胸に、迷いと覚悟が同時に渦巻いた。

 そして、その一瞬の逡巡を見逃さなかった。


「終わりだ――!」


 ローレの爪が蓮の喉元を狙い、振り下ろされた。

 だが、蓮はその手を剣で受け止め、叫んだ。


「……俺は、お前を殺さない! 絶対に、殺してたまるか!!」


 金属がきしむ音。ぶつかり合う力。

 蓮の言葉が、何かを揺らがせたかのように、一瞬だけローレの動きが鈍った。


「……なぜ、だ」


 ローレの声が、風のように低く問う。


「俺はお前を殺そうとしている、なぜ……!」


 それでも、蓮は剣を振り上げなかった。

 その目だけは、まっすぐにローレを見据えていた。


 その時――風の目の中で、空間が裂けるような轟音が響いた。


 ローレの身体が震え、彼のまわりに渦巻く風が急激に勢いを増していく。

 やがてそれは、巨大な竜巻となって吹き荒れ、風の目の狭い空間を引き裂き始めた。


「まあいい……俺は風の目(ここ)から出る……!」


 ローレの声は、叫びのように響いた。暴走する力に抗いながらも、彼の身体は風の渦に押し上げられ、ゆっくりと中心から浮かび上がっていく。


「ま、まずい……!ミネル!ローレを出しちゃダメだ!」


 蓮の声も、唸りを上げる風にかき消されていく。

 竜巻が周囲の空気を引き裂きながらうねり、ついに裂け目が生まれた――そして、それは瞬く間に広がっていく。


 次の瞬間、閃光が弾け、荒れ狂う風の壁を突き破って、彼らは突如として果てしなく青い空の下へ投げ出された。


「うっ……!」


 空間を満たす風はなおも暴れ狂い、身体を翻弄する。

 蓮は風に飛ばされまいと必死に姿勢を保ちつつ、かろうじて翼を広げた。

 その視界の端に、翻弄されるミネルの姿が映る。

 咄嗟に手を伸ばし、蓮はミネルの体を支えた――その手には、彼女の体温が確かにあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ