風都アウライア 前編
雲の切れ間を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
銀白に光る風が三人の翼を包み込む。地上とはまるで違う、音のない世界。
風の海とも呼べるその高空には、凛とした静けさが満ちていた。
下には、うねるように広がる深い森。
その先には、霞に煙るような霧の山脈。
さらにその向こう、まだ目には映らぬ風都アウライアが、風に抱かれて眠っているはずだった。
空はどこまでも高く、どこまでも澄んでいる。
だが――その透明さの奥に、何か不穏なものが微かに滲んでいた。
三人は一直線に、その空を翔けていく。
先頭を行くホクトの背中には、竜を思わせる大きな羽が羽ばたいていた。
その姿には確かな力強さがあったが、どこかに沈んだ影も見えた。
やがて、ホクトがぽつりと口を開く。
風を切る音に紛れて、その声は静かに、しかしはっきりと蓮とスミレの耳に届いた。
「……風の流れが乱れている。自然なものじゃない。何かが、都の中心を揺らしている」
スミレが顔を上げる。
「サタンの仕業なのかしら……?」
ホクトは短く頷いた。
「だが、ただのサタンじゃない。――もし予感が当たっているなら、そこにいるのは……ローレだ」
蓮とスミレが同時に息を呑む。
「五大悪魔の最後の一人……」
「姿は見えなかったが、ずっと、感じてはいた。
あいつは今も生きていて、どこかで力を押し殺している。見つけようとすればできた。でも……俺はそれを、しなかった」
ホクトの声は低く、しかしどこかに棘を含んでいた。
「情に脆く、衝動的で……でも、誰よりも人間らしいやつだった。
ガオスの暴走で騎士団が割れたとき、あいつは最後まで抗おうとして、結局……壊れた。あいつの暴走を、止められなかった。いや……俺は、見逃した」
その言葉に、蓮の表情が曇る。
「……そのローレが、風都アウライアに?」
「確証はない。けど、あの風の乱れ方は、あいつの気配に近い。
しかも、もう一つ、気がかりなことがある」
ホクトは風の流れを読むように前を見据えながら、声の調子を落とす。
「……ミネルがそこにいるとなると、面倒だ」
ホクトはわずかに視線を逸らし、低く続けた。
「あいつは、命令されればどこへでも行く。自分の立場も、疑わない。
ただ、まっすぐに任務をこなすだけだ。……だからこそ、誰かに“仕組まれた”としたら、本人はそのことにすら気づかない」
蓮が声を強める。
「……誰かに、嵌められたってことか?」
「可能性はある。……そして、もしもその“相手”がローレだとしたら……最悪の形で事態が動く」
重たい沈黙が流れる。
風の静けさが、余計に胸に響いた。
「なら……止めに行こう」
蓮が言い切った。
「たとえローレがいようが、ミネルが利用されているなら、なおさら放っておけない」
スミレも続けて頷いた。
「私たちで、ミネルを迎えに行きましょう。今度こそ、誰も一人にしない」
「ああ……そのつもりだ。何が待っていようと」
ホクトは一瞬だけ目を細め、風の向こうを睨んだ。
その瞳は、まっすぐに風を裂く先を見据えている。
彼の羽が大きくはためいた。
三人の身体が、風に乗って一気に加速する。
空気が変わる。
緊張と冷気が混ざる中、ホクトの目だけがわずかに陰を落とした。
「……竜の力が、削れてきてるな」
ぽつりと、誰にも届かない声で呟く。
その言葉は風にさらわれ、蓮にも、スミレにも届かなかった。
まるで、ホクト自身の内側だけに響いていたかのように。
しん、とした静寂が、風の中に長く尾を引く。
やがて、空の向こうに揺らぎが見えた。
淡い藍が、灰がかった翡翠へと滲み始める。
気配がある。
言葉にはならない、空のざわめきのようなものが、確かに近づいてきていた。
「……見えてきたな」
ホクトの呟きとともに、眼前に巨大な空中都市が姿を現す。
雲を突き抜け、天に浮かぶ岩塊。
そこに広がるのは、風とともに生きる民の都――風都アウライア。
白い岩肌に羽のような塔が林立し、その間を無数の鳥たちが旋回している。
自然と建築が調和した、美しくも神秘的な街。
しかしその空には、目に見えぬ“乱れ”が確かに漂っていた。
「……風が、弱ってる?」
スミレが不安げに呟く。
「いや、違う。流れが乱されてる。都の中心……何かがある」
蓮は目を凝らし、都市の奥を見つめた。
羽を広げたような広場。その下に、空を裂くような黒い裂け目が見えた気がした。
「行こう。もう迷ってる暇はない」
ホクトがそう言い、翼を強くはためかせた。
風の緊張が肌にまとわりつく。
鳥たちの旋回は落ち着きを失い、空の流れはどこかよろめいていた。
高空に浮かぶ都には、過去と現在、そして未来を揺るがす“何か”が確かに潜んでいた。
三人は、風の都の門へと舞い降りた。
――ミネルは、この中にいる。
そして、その奥には……ローレがいるかもしれない。
世界が、再び動き始める。
☆第5章の主要人物
カリュア
第81話 初登場。
鳥人族の女。蓮とミネルがイシュタルへ向かう際、助っ鳥として登場し手助けをしてくれた。ピンクの肌に黄緑の髪と瞳が特徴的。
ローレ
五大悪魔の一人。
風都アウライアにいるかも……?
ラミア
下半身が蛇の女。蓮の前に姿を見せては、不可解なことを言って行方をくらます。妙な圧力もあり、蓮は彼女を怖いと感じている。




